明日のオレへ (2)

夜の街。
ポツリポツリとしか街灯もないような静かで暗い街中を、オレ達は、ほとんど会話らしい会話もせずにゆっくりと歩いていた。
そう言えば、今まであまり二人きりになることなんかなかったから気付かなかったんだけど、こいつって案外無口だったんだと、今更ながらに思った。
だから耳に届くのは、お互いの足音と、遠くで聞こえるカエルの鳴き声だけ。
でも、不思議とそれが居心地悪く感じない。
ただ、黙ってそばにいる。そんなことで嬉しくなってる自分に、オレは内心呆れたりもしているのかもしれない。
自分で自分に苦笑した。
そういえば、オレ、いつからこいつのこと好きだったんだっけ?
隣を歩く若島津の、男にしては少し長い髪を見ながら、オレはふと思い返していた。
確か、こいつに初めて出逢ったのは、東邦学園中等部に入学して、サッカー部一同が集合した日だった。
推薦入学、一般入学全部そろって確か50人くらいいたと思う新入部員の中にこいつらはいた。
日向さんは推薦組。
若島津は一般入学だったはずなのに、当たり前のように二人は隣に並んで立っていた。
そして何故か、この二人の周りだけ空気が違ってでもいるかのように目立ってたんだ。
中学一年生にしては、二人とも背は高いほうだったかもしれない。というか、ただでさえ小柄で通ってしまうオレや小池達に比べると、悔しくなるくらい高かった。
ただ、だからって中学生としては平均的といえる程度だったし、若島津にいたっては若干細すぎるくらいだったから、特別目を見張るほどってわけじゃなかった。
特別騒いでるわけでもない。
ただ、単に、二人で並んで立っていただけなのに。
だから、最初、何だろうこいつらはって思ったんだ。
なんで、こいつらは立ってるだけで当たり前のように目立ってるんだろう。
でも、しばらくして思い出した。
半年前の小学生全国大会決勝戦。テレビ画面の向こうで熱戦を繰り広げていた二人の姿を。
ああそうだ。あのときの奴らだ。
オレだって地元の小学校ではそれなりに上手い方だという自信はあった。
でも、そんなオレ達とは明らかにレベルが違った。
それに、やっぱり全国大会に出て、テレビ画面に映っていたっていうだけで、なんかまるで芸能人を生で見たような気分になったことも事実だった。
だから、最初は憧れ、みたいな存在だったような気がする。
なのに。
「日向さんは今でも憧れのままなんだけどな……」
「え?」
知らないうちに言葉に出してしまっていたのを、若島津が聞きとがめた。
「何か言ったか? 反町」
「いいや……やっぱ日向さんってすげえなあって思い出してただけ」
「……日向さんが?」
「ああ、お前だって明和で初めてあった頃、色々あったって言ってたじゃんか」
「……そうだったっけ……?」
ほんの少し困ったように若島津は首を傾げた。
もしかして、日向さんとの思い出は、あまりにも若島津にとって当然すぎて、語るほどでもないってことなんだろうか。
常に一緒にいると、空気のような存在になるっていうのを聞くけど、あれは熟年夫婦に対する言葉だったような。
なんてことを考えていると、突然、若島津が足を止めて立ち止まった。
「あ…あいつら」
視線の先にいたのは、通りの向こうのコンビニにたむろしている若者達の集団だ。すっと若島津の表情が引き締まった。
「何? 誰?」
「あの時の奴らだ」
「あの時……?」
「あ……ほら、いつだったっけ? 絡んできた」
「絡んで……?」
オレは改めて、そいつらへ視線を向ける。
オレ達より少し年上。同じ東邦で見かけた覚えもないから、大学生か、或いは、近くにある地元の公立高校に通っている奴らだとは思うんだけど。
あれ?
そう言えば見覚えがあるような、ないような。
「あ、思い出した。あいつら、クロを苛めてた奴らだ」
ビクンッと怯えたように若島津の肩が跳ね上がった。珍しい反応だなあと思いながら、オレは更に自分の記憶をたどりだす。
クロってのは、子猫の名前だ。全身真っ黒のくろすけだったから、クロって呼んだんだ。
いい加減っつーか、単純っつーか。
でも、クロはオレたちがそう呼ぶと、嬉しそうに駆け寄ってきたものだった。
出会ったのは、東邦学園からちょっと離れた空き地。
近隣の中学との練習試合の帰り道、地元の高校生と思われる集団が集まってなんかしてるのが目に付いたんだ。
「……おい、あれ」
最初に気付いたのは日向さんだった。
そして、その瞬間ダッシュしてそいつらに向かって駆け出したのも日向さんが最初。
一歩遅れて若島津。オレたちがバラバラと駆けつけたのは、その後だ。
「てめえら何やってんだ」
相手が年上だとか高校生だとか、まったく気にしないで日向さんは集団の輪に突っ込んで行く。
まあ、それもこれも腕っ節に自信があるからこそ出来ることなんだろうけど。オレ達はただの一般的中学生だ。一緒に突っ込むわけにもいかない。
どうしようか迷っていると若島津がすっとオレのそばに寄って来て耳打ちをしたんだ。
「反町、子猫を頼む」
「……え?」
見ると、高校生の輪の中心辺りに怯えて竦んでしまっている子猫がいるのがわかった。
オレが子猫の存在に気付いたことを確認すると、若島津はそのまま日向さんと合流する為に駆けだした。
その後は、もう思い出したくない程の大乱闘。
っつっても、本気を出した日向さんと、空手一家の次男坊である若島津に敵う相手など、たとえ高校生といえどもいるはずもなく。
オレはとりあえず、飛んでくる高校生を避けて子猫の元へたどり着き、そいつを安全な場所へ連れ出した。
子猫を確保したあとは、周りには累々たる屍のあと。
そして、オレたちは騒ぎが大きくなる前に、ダッシュでその場を逃げ出した。
万が一にでも乱闘騒ぎが学校側に知られでもしたら、今後の試合に影響が出る。
オレたちはともかく、日向さんに出場停止処分なんかくだったら目も当てられない。
とにかくオレたちは自分たちがどこの中学かバレないようにするのに必死だった。
それなのに、あの人はそういうことを一切気にしない人で。
「あんた、自分がサッカー推薦で入学させてもらったって自覚ありますか?」
「そういうお前も一緒になってやってただろうが」
「オレはあんたのフォローを買って出てやったんです。感謝して欲しいですね」
学校へ戻ってきたとたん始まった、若島津と日向さんの喧嘩を仲裁したのはオレだった。
高校生との喧嘩より、こっちのほうが被害が大きかったくらいだったことを思い出し、ちょっとだけムカついた。
あん時はマジ大変だった。
そして、それからしばらくの間、クロはオレ達のクラブハウスで飼われることになったんだ。
もちろん学校側には内緒にして。
でも、怪我が治るまではなんとか誤魔化して世話してたけど、やっぱり校内で動物を飼うなんて出来る訳もなく。
オレたちがどうしようか悩んでいることを察しでもしたのか、ある日突然クロは姿を消した。
そして、それっきり。
「クロ……今頃どうしてんのかなあ?」
「…………」
これ以上隠し通すことは難しいと思ってはいたけど、やっぱりクロがいなくなってオレは寂しかった。
一番最初にクロを抱き上げたのがオレだったからか、クロはオレに一番懐いてくれた。
オレが夕飯の残りを持ってこっそりクラブハウスに行くと、いつも嬉しそうに駆け寄って来てくれた。
カラカラと音の鳴る小さな鈴を付けてやった時は、嬉しそうにニャーニャー鳴きながらはしゃいでくれた。
その姿が、もう可愛いのなんのって。
今まで犬も猫も飼ったことのないオレだったが、クロなら飼ってみたかったなあと思えた。
こいつのおかげでオレは動物がこんなに愛らしいものだってことを知ったんだ。
「また、フラッと姿現してくれればいいのに。したら、煮干しくらい用意してやるのになあ……」
「無理だよ。それは」
若島津がポツリと呟いた。
「無理? なんで?」
「……だって、死んじゃったから」
「えっ?」
オレは思わず口をあんぐりと開けたまま立ち止まってしまった。
今、なんて?
クロが死んだ?
ってか、なんでそれを若島津が知ってるんだ?
「……若島津……お前……」
「あ、え……と…」
オレはかなり不審気な顔をしていたのか、若島津は少し慌てたように口ごもった。
「もしかしてどっかで見たのか? クロが死んでるとこ……」
「あ、あぁ…そうなんだ。偶然…な……」
「なんで言ってくれなかったんだよ」
「それは……えと…、言ったら、お前泣くと思って」
「なんだ? それは……」
オレ、そんな泣き虫に思われてたのか? こいつに。
見ると若島津は困ったように眉を寄せて、誤魔化すように辺りをキョロキョロと見回した。
視線の先は、さっきの集団。
以前、クロをいじめていた高校生達だ。
「まさか…あいつら?」
「……え?」
ビクリと若島津が肩をすくませた。
「あいつらがやったのか?」
「い…いや、直接的には違うんだけど」
「ってことは間接的にはそうなのか?」
「…………」
「若島津!」
オレの追及に、ようやく若島津が重い口を開いた。
「……やっと身体が動くようになって、ちょっと散歩に出たんだ。そうしたらまたやつらに出くわしてさ。見つからないように遠回りしたんだけど、見つかって……」
若島津の説明の仕方はなんだかすぐその場で見ていたかのように細かかった。
いや、見てたっていうより、自分自身の経験を話してるみたいにも思えた。
なんなんだろう。
「結局追いまわされて、そのまま道路に飛び出したところで車が……」
「事故ってことか?」
「……まあ…ね。でも、その運転手の人は良い人だったよ。ちゃんと戻って来てくれて後始末もしてくれた」
そうだったんだ。事故ってのはビックリしたけど、でもひき逃げじゃないのはまだ救われる。
ただ、だからって、やっぱりすっきりはしない。胸がムカムカすることには変わりない。
結局やつらが追いかけたりしなければそんなことにはならなかったんだ。
やっと怪我が治ったばかりで、まだよく走れなかったから、車をよけるのも間に合わなくて。
ムカついたその気分のまま思わずコンビニにたむろしている集団に向かってダッシュしかけたオレを若島津が慌てて止めた。
「ど…どうする気だよ。反町」
「どうするって…なんか…やっぱ腹立つじゃん」
「そりゃそうだけど…無茶だよ」
「何言ってんだ。若堂流の御曹司が」
「いやいやいや…それは」
何故かものすごく困った顔をして若島津がブンブンと首を振った。
日向さんとタイマン張れる、いやむしろ本気でやれば日向さんより強いだろう若島津の、こんな不安そうな顔見たことなくて、オレは驚くと同時に少し呆れてしまった。
「なんだよ。日向さんがいないと何も出来ねえとか言うなよ。お前」
「そ、そういうわけじゃない。ただ…ほら、武道やってる者は素人に手を出しちゃいけないって……」
「そういうことは自分の普段の行い振り返ってから言え」
「…………」
確かに若島津は普段からも、自分が先に手を出すということは滅多にない。
でも、売られた喧嘩を買わずに逃げるタイプでもない。
どちらかというと頑固で喧嘩っ早いほうだと思う。
もちろんある程度の手加減はするだろうが、相手が悪いと判断した場合は、躊躇なく手を出す。
その潔さがオレは好きだった。
「ま、と言っても別にオレは喧嘩しに行くわけじゃないから安心しろ」
「………?」
「だいたい、お前等と違ってオレは一般的高校一年生なんだ。腕っ節で上級生に勝てるかよ」
「だったら……」
「それにオレは基本的に、腕より頭を使うタイプなんだ」
言いながらオレは集団の死角にあたる場所に位置を取り、その場に立ち止まるとポケットの中からパチンコの玉と荷造りに使うような太い輪ゴムを取りだした。
「……お前、そんなもの普段から持ち歩いてるのか?」
「いつもってわけじゃないけどな」
そしてオレはパチンコ玉を輪ゴムに引っかけ、狙撃の要領で放った。
玉は見事に集団の一人の後頭部を直撃する。
言っちゃあなんだが、オレはこの手の狙撃の腕には自信があるんだ。
じっくり狙えるなら、よほどの距離でも外したりはしない。狙撃王とでも呼んでくれ。
そして予想通り、不意打ちだったのと、当たった場所が悪かった為か、そいつらの一人が頭を抱えてうずくまった。
そこにすかさず第2発目。
「……誰だ!?」
さすがに2発続くと、気付く輩も出てくるのだろう。いきなりの攻撃に、奴らが色めき立った。
オレは目くらましも兼ねて、持っていたパチンコ玉をすべて撃ち尽くす。
単なるパチンコ玉とはいえ、それなりの破壊力はあるわけで、数人が腕や足をかばうようにゴミ箱の裏に隠れた。
どうやら中にはギリギリ目元をかすめた奴もいたみたいで、何人かが「大丈夫か?」と言いながらそいつに駆け寄っていく姿も見えた。
よし。ここまでだろう。
「行くぞ……!」
オレは若島津の腕を取り、ダッシュでその場を離れ、走り出した。
オレにあと少し強さがあれば、もうひと乱闘くらいやってみたいが、さすがにそれは無理だろう。
となると、あとは見つかる前に逃げるのみ。
とりあえずスナイパーよろしく、不意打ちとは言え、数人にダメージを与えられただけでも満足だ。
だから、あとは逃げる。
ちょっと格好悪いけど、逃げる。
でも、オレは逃げるというこの状況を嫌だとは思わなかった。
だってさ。なんかこの状況。
なんていうか、まるで手に手を取っての逃避行みたいで、楽しかったんだ。
若島津も一人で走った方が楽だろうに何故かオレの手を振り払おうとはしなかった。
それが、なんだかくすぐったくて。なんだか気恥ずかしくて。
ちょっとだけドキドキしたんだ。
「反町、こっちだ」
「……へ?」
言われて気付く。最初はオレが手を引いてたはずなのに、いつの間にか若島津のほうが先に立ってオレの手を引いていたんだ。
「……あ、ああ」
出来ればオレが若島津を先導する形が理想だったんだけど、しかたない。オレは若島津に手を引かれたまま、夜の街を駆け抜けた。
「こっち」
「………」
「こっちだ」
地元でもないこの場所を熟知しているはずはないのに、不思議な程若島津の足取りには迷いがなかった。
しかも通る道がどれもこれも、裏道ばかり。
よくもこんな狭い道を迷うことなく走りぬけられるもんだ。
「……お前、よく知ってんな。こんな道。それとも適当に走ってるのか?」
「適当じゃないよ。でもこの道を知ってる人間は少ないから逃げるには最適なんだ」
へえ。知ってる人間ね。
おかしな言い方するもんだ。
ふと疑問がわいたが、それ以上詮索する暇もなく、オレ達は明らかに人が通らないであろうような細い路地や、家の裏道を走り抜け、ようやく小さな広場にたどり着いた。
「こ…ここが終点?」
「いちおうな」
さっきの集団がいたコンビニのある通りは遥か彼方。
というかあまりにも角を曲がりすぎて、どっちの方角にコンビニがあったのかも思い出せない。
「これ、ちゃんと帰れるのか?」
ふと不安になって洩らしたオレの一言を聞いて若島津が悪戯っ子のような顔をして笑った。
「大丈夫。ここはいつかお前を連れて来たいなあって思ってた所だから。ちゃんと場所は分かってる」
「……え?」
「ほら、ここから見ると星が綺麗なんだ」
「…………」
言われて空を見上げると、確かに星が綺麗に見えた。
ちょうど街の明かりも少なくなってきてる位置にぽかりと空いた広場。
背の高い建物の邪魔もなく、具合よく頭上に星空が広がってる。
「確かに……綺麗だ」
「だろ?」
「…………」
嬉しそうに若島津が笑った。
やっぱりいつもより柔らかい笑顔に見えた。

 

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