明日のオレへ (1)
「……いつまで寝てんだよ。とっとと起きろ!!」
春眠暁を覚えず…ってのは、誰の言葉だったか。
というか、そもそもどんな意味だったかも思い出せないほど頭の中がまだ夢の中にいるオレの耳元で、容赦ない声が響く。
「ほら、反町!!」
そして、同時に布団が引っ剥がされる。これぞまさに天国から地獄だ。
「……出来れば怒鳴り声より、優しい鳥のさえずりで目覚めてみたいもんだ」
「そう思うんだったら、少なくともオレより先に起きよーね。今日は若島津も戻って来てんだから、日向さん、朝から飛ばすぞ、絶対」
「うわっ! マジ?」
小池の言葉で、急に意識がはっきりと目覚め、オレはガバッと起き上がる。そして次の瞬間、ここが狭い寮の二段ベッドの上であることに気づいた。
「痛って〜〜!!」
「反町……お前、マジで学習機能ないだろ?」
「うっせぇ。低血圧だから朝は弱いんだよ」
おもいっきり天井にぶつけちまった頭がジンジンと痛みだす。これで何回目だろう。
もう半年もこの寮で生活してるっていうのに、何故にいまだに慣れない。
「……って、あれ? 若島津って、どっか行ってたんだっけ?」
オレの頓狂な問いに、小池がこれみよがしに大きく大きくため息をついた。
「その年でもうボケが始まったんですかー? あいつの姉さんが結婚するってんで、実家に帰ってたの忘れた?」
くそ。いくらなんでも、そんなに馬鹿にしなくてもいいじゃねえか。
「……そっか……なんか、昨日あいつと一緒にいたような気がしたもんだから」
「夢でも見たのか? ってか、夢でチームメイト(男)と逢引するなんて、キモっ!?」
小池がおどけて指でエンガチョ印を作った。
「おいっ! 逢引ってなんだよ、それ」
「だってそーだろ。お前と若島津の場合」
「なんで、そーいう話になるんだよ!」
顔が赤くなりそうになるのを誤魔化すように、オレは枕を小池の顔面めがけて投げつける。
器用にそれを避けて、小池はトンっと身軽に二段ベッドから床に降りた。
「とりあえずオレは先に朝飯行ってるからな。早く来いよ」
「あ、ああ……分かった」
小池はいつもそうだ。
軽い口調でからかうことはよくあるんだけど、あんまりそれ以上深く追求しては来ない。
それってたぶん、あいつが知ってるからなんだ。オレが本気なんだってことを。
そして、それは永遠に叶うことのない想いなんだってことを。
オレの若島津への想いを。
実を言うとバレた時、オレは最初、すぐにみんなに喋られるんだろうと覚悟していたんだ。でも、小池は結局いまだに誰にもこのことを喋ってない。
「って、これが同情とか、単に可哀想がられてるだけだったりしたら、オレって結構悲惨?」
なんてことをブツブツ言いつつ、オレはベッドから降りようとして背中の下に何かが置きっぱなしになっているのに気付いた。
「なんだ? これ? ノート??」
そこにあったのはおろしたての新しいノート。
に見えた。
確か、数ヶ月前、5冊セットで購買部で買った味も素っ気もないキャンパスノートだ。
「なんでこんな所にノートが……?」
言っとくがオレは、寝る間も惜しんで勉強するほど、予習復習に精を出したことはない。
ってか、平均点さえキープ出来ていれば、必要以上に勉学に時間を裂く気は更々ない程度には、いい加減な奴だ。
って、そんなことを堂々と宣言してるってだけで、高校生としては駄目なんだろうけど。
「…って違う。これ、日記…か?」
パラパラとページをめくったオレの目に飛び込んできたのは、数式でも英語でも歴史年表でもない。
「オレ……日記なんかつけたことねえのに?」
日記、に見える。
小説、とも言えるか。ということは国語の予習?
いやいやいや、たとえそれが国語であっても、オレはわざわざベッドの中で勉強した記憶なんかない。
もしかして、小池が間違えてこっちのベッドに置いた、って可能性も頭を過ぎるが、どうもそれも違うみたいだ。
何故なら、どう見ても、そこに書かれてある文字は、自分の字だったから。小池が筆跡を真似て書いたってことも考えられなくもないが、そういった悪戯をする理由が思いつかない。
これはいったいどういうことなんだろう。
頭の中に疑問符が飛び交う。
「……………」
パタンと一旦ノートを閉じたオレは、しばらく考えたあと、ゆっくりと最初のページをめくった。
【明日のオレへ】
ノートには、そう書かれてあった。
――――――明日のオレへ。
えっと。いきなりこんなこと書いてビックリしてると思うけど、どうか閉じないで欲しい。
オレも、こんなことしてうまくオレに伝わるか、すっげー疑問なんだけど、でも何かしなきゃいけないと思うんで、ここに残すことにした。
これから書く事は本当のことだ。それだけは信じて欲しい。
だからってなにかしろとか、そういうことを言うつもりはない。
ただ、今のオレは、このことを絶対に忘れちゃダメだと思うんだ。だから、忘れないでやってほしい。
ああ、そう言っちまったら、なにかしろってのと同じことになっちまうか。
まあ、いい。
とにかく、オレは忘れたくないから、ここに書く。明日のオレも同じ気持ちであってくれればスゲー嬉しい。
――――――「…………」
ここまで読んで、オレは一旦ノートを閉じた。
何なんだ。これは。
新手の悪戯にしても懲りすぎてる。
いったい誰が。
「…………」
もう一度、そーっとページを開いてみる。
やっぱり、そこにあるのは、オレの字だ。
誰かが真似て書くにしても、完璧過ぎるほどよく見慣れたオレの字だ。
「ええい、くそ」
オレは決心して、ノートの続きを読み出した。
もういい。
悪戯であろうがなかろうが、とにかく何が書いてあるのか最後まで読んでから判断しよう。
そう思った気持ち半分。
あとの半分は、気になったからだ。
何がって言われると困るんだけど。
オレは、こんなことをノートに書いた記憶なんてない。まったく覚えてない。
でも、何かが。
ほんのわずか。何かが引っかかったんだ。
そして、オレは再びノートをめくった。
――――――事の起こりは昨日の真夜中。オレは、島野達に誘われてあいつらの部屋へ行ったんだ。
眠れない夜の為に、百物語大会だとかなんとか言われて。
サッカー部の奴らは全員誘ったとか言ってたんで、よっぽどの大所帯になるんだろうと思ってたのに、まさかまさかの少人数。
誘うには誘ったが、ことごとく断られたというのが真実みたいだった。
まあ、小池が幽霊嫌いだからとかなんだとか理由つけて断ってた時点で、こうなることは予想ついてたはずなのに。騙されたオレが悪いのか?
だが、そんなこんなで、部屋の主である松木と島野を中心にして、それでも百物語大会はつつがなく開始された。
といっても、こんな少人数で順繰りに話していったらすぐにネタ切れになる。
どうしようかと思っていた所に出てきた島野の話に、オレ達はひどく興味を引かれたんだ。
島野の話は、別に怖い話でも何でもなかった。
言ってみれば降霊術のやり方を説いただけ。オレも、昔どっかで聞いたことのある、そんな有名なもの。
まず、部屋を暗くしてロウソクを持ち、四隅の角にそれぞれが立つ。
そして、怖い話。
幽霊が寄ってきそうな話がベスト。
全員が話し終えて、ロウソクを吹き消す。もちろん部屋は真っ暗に。
そして、そこで数を数える。
1人目が「1」と言う。2人目が」「2」と言う。そして……。
「最後に、誰も立ってないはずの角から、4人目を名乗る声が聞こえてくるんだって」
真っ暗な部屋の中で、呟くように島野が言った。すると、そのまま誰かが低い声で「1」と続けて言った。
すかさずそれに乗って隣からまた誰かの「2」と言う声が。
オレも思わずつられて「3」って言っちまう。
で、最後に「4」
「……って、それ3人でやることが前提条件じゃないか。最初から4人いたら、やる意味ないだろう」
雰囲気作りのため消していた部屋の電気を付け、若島津が呆れたようにそう言った。
「そりゃそうだ」
オレの隣で松木もうんうんと大きくうなづいている。
「あれ? そーいえばそうだね」
島野も何故かキョトンとした顔で首をかしげていた。
「あれ? じゃねーよ。だいたい何で、その話にしたんだよ。最初から4人いたんじゃ、。実験もできねえ」
「そーだよね。何でだろう。ちょうどいいやって思ったんだよね」
「何がちょうどいいんだか」
呆れて首を振りながら、オレはぐるっと部屋を見回した。
そうなんだ。結局、この部屋に集まったのは、部屋の主である島野と松木、オレ、そして若島津の計4人だったんだ。
五角形の部屋ならともかく、この東邦学園の寮がそんな特殊な建築設計になっているはずもなく。4人で部屋の角に立ったら、空いてる角なんてなくて当然。
誰も立ってないはずの角から、4人目を名乗る声が、なんてこともない。
最初から意味のない降霊術。
「なんか、興が削がれた」
「ホント」
というか、もうオレの知ってる数少ない怖い話は全部話し終えちまってる。ストックはもうない。
「どーする? 続ける? 解散する?」
「どうしよう?」
島野や松木も同じ思いだったんだろう。オレたちは困ったようにお互い顔を見合わせた。
確かにまだ眠いという感じじゃないのは事実。
でも、なんかこれ以上怖い話を聞く気も、話す気も起こらない。
「とりあえず、百物語は終了ってことでいいんじゃね?」
オレの提案に残りの3人もうなづいてくれて、オレたちは一応の解散となった。
部屋の主である二人を残して、オレは若島津と一緒に廊下へと出る。
と、そこでなんとなく違和感を覚えたんだ。
「そう言えば、日向さんは? お前一人で参加って珍しくね?」
島野達の部屋をあとにして、オレは若島津にそう声をかけた。
微かに感じた違和感は、こいつの隣に、いつもいるはずの男の姿がなかったこと。
そりゃ、別に年がら年中一緒にいて欲しいとは思ってないんだけど、なんだか若島津の隣に日向さんの姿がないっていうのは、妙な感じがする。
「あの人、ああ見えて幽霊とか苦手なんだよ」
可笑しそうに若島津が言った。
「嘘! マジ?」
「ホントホント。怖いんじゃなくって、苦手なんだって本人は言ってるけど、その違いはオレにはよく分からない」
「オレにも分からん」
「だろう?」
そう言って笑う若島津の笑顔はなんだかいつもより柔らかく見えた。
だから、オレはあんなことを口走ったのかもしれない。
「……あの…さ、若島津」
「ん?」
「まだ、もうちょっと部屋に戻らなくてもいいんじゃね?」
「…………」
ほんの少し驚いた顔で、若島津がオレを見た。
「あ、嫌ならいいんだけど、オレ、まだ眠くないし、部屋に戻っても小池のやつはもう寝ちまってるだろうから音立てられないし、どっかで時間潰そうかなあ…なんて」
「いいよ」
あっさりと若島津はうなづいた。
「い…いいのか?」
「いいよ。オレもまだ眠くないし。時間潰し、付き合うよ」
月の光に照らされて、若島津が微笑んだ。やっぱり、いつもより柔らかい笑顔に見えた。
日向さんが虎なら、若島津は龍。そんなふうに、東邦学園の二大猛獣と呼ばれている程強いはずの若島津なのに。
そばに片割れがいないだけで、こんなにも印象が変わるんだろうか。
「……じゃあ、ちょっと抜け出して夜の散歩と洒落込むか?」
「夜の散歩? いいな、それ」
ニコリと若島津が笑った。これも普段はあまり見ない表情だ。
オレの提案に文句なく乗ってくれるその態度も、かなり意外で。本当に、普段からは考えられないほどの悪戯っ子に見えた。
ああ見えて実はとても真面目な日向さんのそばにいる所為なのか、普段の若島津はかなりお堅い性格だったはず。
授業をサボったこともなかったし、門限を破って外を出歩くなんてこともない。
それなのに。
もしかしたら本来の若島津は、こんなふうに少しくらいなら悪さもするような奴だったんだろうか。
ということは、ふだん、日向さんには見せていない一面を、オレには見せてくれている。
そう思ってもいいんだろうか。
ちょっと待てよ。それって結構嬉しいかも。
些細なことだけど、なんだかとても嬉しいかもかも。
「なんだ? 何かおかしいか? 反町」
「いや、おかしくないよ。嬉しいだけ」
「嬉しいってなにが?」
「なんでもねーよ。早く行こうぜ」
誤魔化すようにオレはそう言って早足で歩き出した。
日向さんがそばにいない若島津と、二人っきりで夜の散歩なんて、絶対後にも先にもないだろう。
棚からぼた餅…ってのは諺として意味が違うか。
とにかく、オレは、かなりいい気分で、東邦学園を抜け出した。