宇宙と海の狭間−第1章:宇宙−(4)

「気分はどうだね」
声をかけられて伸が目を覚ますと、切れ長の目をした白衣の男が自分を見下ろしていた。
何処かで見たような顔だと思いながら身体を起こし、すぐ伸は、彼が先程、当麻と共に集中治療室へ走っていった医師だと気付いた。
「当麻は!?」
身体の痛みなどお構いなしに、がばっと飛び起きると、伸はその医師の腕にすがりついた。
「当麻は? 当麻は無事ですか!?」
せっぱ詰まった声で伸がそう訊ねると、医師は安心させるように伸の肩をポンポンと叩き、言った。
「もう、大丈夫だよ。君の友達は」
「…………」
「思ったほど出血も酷くなかったし、内臓にも損傷はみられなかった。少し頭を打ってるんで、精密検査が必要だが、命に別状はない。あとで覗いてみるといいよ」
医師はそう言ってにっこり微笑んだ。
「……よかった……」
詰めていた息をはきだし、やっと伸は安心してベッドの上に座り直した。

「さて……と。もしよければ質問が少しあるんだけど、大丈夫かな?」
カルテを手に医師が言った。
「まず、君の名前から訊かせてもらえるといいんだが」
「……あ、すいません。僕、毛利伸といいます。彼は羽柴当麻……」
慌てて自己紹介をする伸を見て、白衣の医師は可笑しそうに笑いながら、伸のベッドの正面の椅子に腰掛けた。
まず、年齢に始まって、事故の時の詳細に至るまで、あらゆる質問に答えながら、伸は医師の器用そうな細い指を見つめた。
少し長めの髪を、ざっくばらんに後ろで束ねているその医師の胸のプレートに「霧島」の文字を見つけ、ああ、これがこの医師の名前なのかな、と説明を続けながら伸は思った。
事故の時、降りだした雨が、まだ降り続いていたようで、特徴的な消毒薬の臭いに混じり、湿った水の空気が病室の中を取り巻いている。

「じゃあ、羽柴君のご両親は2人共外国なんだ」
「ええ、だから連絡とるのは難しいかも知れません。僕も彼のご両親が今どこにいるか、よく知らないんです」
「じゃあ、羽柴君は今、親戚の家にでも居るのかい?」
「いえ……あの、僕ら一緒に住んでるんです。僕と当麻と、あと3人の仲間と。……あ、もちろん親に許可はもらってますよ。」
きょうび、高校生ともなれば親元を離れて暮らしていても、別に不思議はない。
霧島医師は5人で共同生活とは楽しそうだねと、笑った。

「じゃあ、早くその友人達に連絡とらなきゃな。羽柴君は2・3日入院してもらうことになりそうだから」
「え……?」
とたんに伸が不安気な顔をしたのを見て、霧島医師は声をたてて笑った。
「大丈夫だよ。入院といっても検査の為だ。そんな心配することはない。君も羽柴君も見かけによらず、かなり鍛えた良い身体してるよね。感心したよ。何かスポーツでもやってるの?」
いや、やっていたのはスポーツなどではないのだが、確かに普通の少年達より、自分達の身体能力がずば抜けていることは自覚している。
だからといって、あの事を話す気にはなれず、伸は曖昧に笑って頷いた。
「君たちに突っ込んできた例のトラック。かなり制限速度をオーバーしてたらしいけど、この程度の傷で済んだのは運がよかったのか、かなりの反射神経の持ち主だろうってもっぱらの評判だよ。特に君は、ほとんど外傷もないし。まあ、打ち身が多少あるから、明日あたり腫れ上がってくるだろうけど、一週間もすれば痛みもとれるよ」
「僕が無事だったのは、当麻が僕を庇ったからです」
突然、思い詰めた口調で、伸は霧島医師の言葉を遮った。
「……大体、当麻ひとりだったら、あんなトラック、楽に避けられたはずなんだ」
「…………」
「当麻はバカだ。僕なんかを庇って、あんな大怪我して……いつもいつも、平気な顔して危険の中に飛び込んでくる。僕なんかの為に、後先考えず、無理ばかりして……何で……いつも……」
うつむいた伸の肩が微かに震えた。
「……良い友達だよね」
静かに霧島医師が言った。
「君くらいの年齢で、そこまで想ってくれる友達がいるっていうのは、素晴らしい事だよ」
「…………」
伸がゆっくりと顔をあげ、霧島を見た。
「それに、君だって充分、当麻君を救ってあげたじゃないか。なんたって君は癒しの手を持っているんだから」
「……癒しの手……?」
伸が不思議そうに首を傾げた。
「君達と一緒に車に乗ってた救急隊員達が言ってたよ。君が当麻君に触れたとたん、弱ってた心拍数が元に戻り、脈拍も血圧も正常値に戻ったって。……まるで、魔法を見てるようだったってさ」
「…………」
「いるんだね、本当に。触れただけで相手の傷を癒せる、君のような人が。私も見たかったよ、その現場」
「って……それ……信じるんですか?」
伸は驚いて、霧島を見た。
「何故?」
「……だって、ふつう医者って、毎日メスを持って手術して、しかもこんな救命救急じゃ、死んでゆく人だって見てて……一番、現実的な場所じゃないですか。そんな魔法や不思議な力なんて、信じないと……」
「まあ、信じない医者が多いことは認めるけど、生憎と私は子供の頃、不思議大好き少年だったものでね」
そう言って霧島は少年のような顔をして笑った。
「私は信じるよ。君の力が当麻君を救ったんだ」

霧島があんまり当然の事のように、そう言うのを聞いて、伸は少しだけ心が軽くなったような気がした。
自分は当麻を救えたんだろうか……?
あの時は、必死で、本当に必死で、何も考えていなかった。
ただ、当麻を救いたかった。
どんなことをしてでも、当麻を救いたかった。
当麻が自分の所為で傷つくなんて、嫌だった。

 

「霧島先生、ちょっとお願いします」
ひとりのナースがドアを開け、顔をだした。
「やれやれ、お呼びのようだ」
軽くウインクして霧島が立ち上がった。
「あの……霧島先生……」
「何だい?」
座っている時には気付かなかったが、意外と背の高い長身の霧島の背中に、伸は遠慮がちに声をかけた。
「あの……当麻のそばについていてやってもいいですか?」
「ああ、構わないよ。もうすぐ麻酔がきれる頃だから、彼の目が覚めたら報せてくれ」
「はい」
去っていく霧島医師の背中に向かって、伸は深々とお辞儀をした。

 

――――――もうすっかり暗くなってしまった外の景色を眺めながら、伸は電話で征士に事の成り行きを簡単に説明すると、翌朝一番に着替え等を持ってきてくれるよう頼み終え、受話器を置いた。
遼達には悪いが、最初に電話口に出たのが征士だった事に、心の中で感謝し、伸は当麻が眠っている病室に向かった。
白いベッドの上で眠っている当麻は、思っていたより顔色もよく、伸は安心したようにベッドのそばに椅子を持ってきて腰を降ろし、当麻の顔をのぞき込んだ。
頭の包帯が痛々しいが、呼吸も楽そうで、伸はほっと息をつくと、シーツの上にでていた当麻の手に触れた。
外は静かに雨が降っていた。

 

“いつき”
先程の当麻の声が蘇る。
“斎……オレを許してくれ……”
何処かで訊いたことのある名前。
「誰の事だろ……斎って……」
そうつぶやいた後、触れた当麻の手から、何かの意識が飛び込んできた。

「…………!?」

雨の中の、哀しい瞳をした青年の意識。
見下ろしているのはひとりの少女。
これは…………
伸ははっとして、その少女の面影を追った。

斎……斎の巫女。
……僕だ…………僕の事だったんだ……!

いつだったろう……僕は確かに斎と呼ばれていた時代があった。
遙か昔。
一度も鎧をまとう事のなかった、水滸の戦士、斎。
そう言えば、あの頃、斎は癒しの手を持っていた。

「…………」
伸は無言で自分の手を見つめると、やがて握っていた当麻の手をそっと離し、雨の滴が伝い落ちる窓を見上げた。
「……うっ……」
その時、当麻がわずかに身じろぎをした。
「当麻……?」
伸の見守る中、当麻がゆっくりと目を開ける。
まだ、焦点の合わない目で当麻はぼんやりと天井を見上げた。
「当麻……!」
伸が声をかけたのにまるで気付かないふうに、当麻は部屋の中を見回した。
「……ここは…………?」
「病院だよ。交通事故に逢ったの覚えてる? 気分はどう……?」
「……事故…………?」
不審そうにそうつぶやき、身体を起こそうとした当麻を、慌てて伸が押さえた。
「だめだよ。まだ動いちゃ」
肩を掴まれ、当麻は初めて伸を見た。
「……」
「……当麻……?」
当麻の視線が伸を捉え、すっと眉が寄せられる。
「当麻? ……どうしたの?」
「あんた……誰だ?」
「…………!!」
伸の表情が凍り付いた。
血の気が引いていくのが自分でも解る。
「……と……う…ま?」
震える声で名を呼ぶと、当麻は掴まれていた腕を振りほどき、頭を抱えた。
「……あの……」
「いや、待て」
伸が何か言おうと口を開いたのを手で制し、当麻は考え込むように眉間にしわを寄せた。
「知ってる。ちょっと待て。思い出すから」
瞬きをすることも忘れて、伸は当麻を見つめた。
「……親父とおふくろは……?」
「君のご両親は……」
「ああ、そうだ。外国にいるんだ。あの人達……」

当麻の頭の中で記憶が渦を巻いているのが見えるようだった。
もう一度、伸の顔を見上げ、すっと目を細めると、当麻はやっと大きく頷いた。
「……伸……だ」
「……当麻ぁ……」
伸は身体中の力がいっぺんに抜け、そのまま床に座り込んだ。
「悪かった、伸。ちょっと混乱してて……もう思い出したから」
「……びっくりさせないでよ。当麻……」
「悪かったって。ごめんな、伸」
そう言って照れたように笑った当麻の表情は、少し幼く見えた。

「…………」
何か、違う。
妙な違和感を感じた気がした。
何か、何処かが違う。
でも、それを口にしようとしたら、それが何なのか急に解らなくなった。
心に浮かんだ奇妙な感覚を振り払い、伸はようやく立ち上がった。
「君に、お礼を言わなきゃ」
「…………」
「ありがとう、当麻」
「お前が無事で、本当によかった」
そう言って、当麻は嬉しそうに笑った。

 

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