宇宙と海の狭間−第1章:宇宙−(3)

「ほらみろ、君がいると荷物が倍になる」
「何言ってんだ、人に山程持たせといて」
「バカ言うなよ。君に持たせた荷物の半分は自分の本だろ」
言い争いをしながらも、なんとか予定の買い物を済ませ、2人は大荷物を抱えて、帰りのバス停への道を歩いていた。
途中で寄った大型書店で、予想外の新刊を見つけてしまったのと、例によって、あれも食べてみたい、これもいいかもという当麻の口車に乗せられて、いつの間にか多くなってしまった荷物に苦笑しながら、それでも伸は楽しそうに笑っていた。
「で、結局、何作るんだ?」
「とびきり美味しいアップルパイだよ」
「……遼のリクエストか?」
「うん、そうだけど、何で?」
にっこり笑って振り返る伸を、ちょっと恨めしそうに見て、当麻は大きく肩を落とした。
「どうりでやけに時間かけてリンゴ選んでると思った」
「あははっ」
大事そうに伸が両手で抱えている紙袋の中から、美味しそうな真っ赤なリンゴが顔をだしている。
「ひとつ味見させろ」
横からひょいと手を出し、一番大きそうなリンゴを盗ろうとした当麻の手を、すかさず伸が叩き落とす。
「何考えてんだよ、当麻」
「いいじゃないか、ひとつくらい」
「ダメだよ。……あ!!」
バランスを崩した伸の手の中から、リンゴが3つ程、転げ落ち、てんてんと道路に転がった。
「もー、ろくな事しないんだから、君は……」
ガードレールをまたぎ、道路の真ん中へ転がっていくリンゴを追いかけようと、伸が足を踏み出した瞬間。

「伸!!」
「……えっ!?」
当麻の緊迫した声に、反応が鈍ったのは、夕べからの夢の所為か、油断していた為か。

向かいの歩道を歩くカップルの、若い女性の甲高い悲鳴と、やけに耳障りな急ブレーキの音が重なり、次いで、ガードレールを飛び越えて走ってくる当麻の姿と、後ろから迫ってくる巨大なトラックの影が目に映る。
瞬間、何かにぶつかる鈍い痛みと、音と、衝撃と、奇妙な浮遊感。
目の前が真っ暗になる程の呼吸困難。そして…………

永遠のような沈黙。

 

――――――ハンマーで殴られたようにガンガンと痛む頭を抱え、ようやく伸が目を開けると、異常な形に折れ曲がったガードレールが目に飛び込んできた。
「…………」
痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと首を巡らすと、前面がひしゃげたトラックが歩道に乗り上げているのが見え、タイヤの空回りする音が、カラカラと聞こえてくる。
「……うっ…………」
すぐ近くで苦し気な息づかいが聞こえ、伸がはっとして横を見ると、少し離れた場所で、当麻が頭を押さえ、倒れているのが見えた。
額にあてた手の隙間から、血が滴り落ちている。
「当麻!!」
叫び、身を起こすと、とたんに突き刺すような痛みが伸の全身を駆けめぐる。
「……痛っ!!」
その時、さっきまで晴れていた空がにわかに曇りだし、いきなり大粒の雨が降りだした。
這うようにして当麻の元へたどり着き、そっと身体に触れると、当麻がうっすらと目を開けた。
「……当麻! ……当麻!?」
なるべく動かさないようにして、顔をのぞき込み、必死で名前を呼ぶと、当麻の手がゆっくりと伸の顔に近づき、そのまま伸の頬をなでた。
伸の顔に当麻の血の痕が筋をつくる。
「……とう…ま……?」
雨の為か、涙の為か、視界がくもって当麻の顔がぼやけて見えた。
「…………」
当麻が何かささやいた。
「……何? ……当麻……?」
耳をよせ、なんとか言葉を聞き取ろうとする。
「……い…つき……」
確かに当麻はそう言った。
「当麻……?」
「……すまない……斎……」
「……何…言ってる……?……当麻……?」
「オレを……許してくれ…………斎……お前の未来を奪った……オレを……」
「…………」
「消えないんだ……お前の血が……どんなに洗っても……消えないんだ……オレの手は汚れてる……斎・……」
「当麻……? 何言ってるのか解らない! ……当麻!?」
「…………」
「当麻……! 当麻……!! 当麻!!」
叩きつけるような雨の中、必死になって伸は当麻の名を呼んだ。
しかし、当麻はそのまま目を閉じ、もうピクリとも反応しない。

 

――――――やがてけたたましいサイレンの音が近づき、2人のそばで止まった。
誰かが救急車を呼んだのだろう。
数人の救急隊員が担架を持って降りてくるのが、伸の目にスローモーションのように映った。
目の前で何が起こっているのか考える間もなく、当麻を乗せた担架が救急車の中に運ばれていく。
「大丈夫か!? 君!」
がっしりとした体格の救急隊員に肩を揺さぶられ、伸ははっとして顔をあげた。
「……当麻……当麻を……当麻を助けて……!!」
「君の友達は大丈夫だから……さあ、君も来なさい」
救急隊員の腕に支えられ、伸が車に乗り込むと、当麻は簡易ベッドの上で、酸素マスクをはめ、点滴をうちながら横たわっていた。
心電図を示すモニターが、奥で弱々しくピコンピコンと小さな波を描いている。
「出血が多いな……なんとか持ってくれればいいが……」
青い顔をした男が低くつぶやいた。

「……当麻!」
「あ!! こら、君!?」
肩を掴んでいた隊員の手を振りほどき、周りの制止を無視して、伸は当麻の元へ駆け寄った。
「当麻……! 当麻……!!」
自分の身体が動けるほどの傷しか負っていない事が、逆に伸を苛立たせた。
かばったのだ、当麻が。
地面に叩きつけられた時、当麻の腕がしっかりと自分の身体を抱いていた。
無事な自分の身体をこれ程恨めしく思うなんて。
自分の所為で、当麻が……
止血の為の包帯やガーゼがどんどん真っ赤に染まっていくのを見て、伸はおもむろに当麻の身体を抱え上げ、抱きしめた。
「こら、君! 動かしちゃいかん!」
周りの隊員達が驚いて伸を止めようと、慌てて手を伸ばす。
すると、その時、まるで電気ショックを受けたように、隊員達の手がはじき返され、誰も伸に触れることが出来なかった。
「…………?」
息をのんで、伸を見つめる隊員達の目の前で、静かに伸の身体から青白い炎が燃え上がり、当麻の身体ごと包み込んだ。
隊員達は皆、金縛りにあったように、呆然とした表情で、じっと当麻の身体を包む炎を見つめていた。
「……見て下さい……あれ……」
一番年若い青年が、恐る恐るモニターを指さし、つぶやいた。
先程まで弱々しかった心電図の波が、少しずつ規則正しい波状に変わっていく。
「……そんな……バカな……」
「……出血も治まり、呼吸も安定してきてます。脈拍、血圧も正常値です。」
救急隊員達は言葉を失ったまま、信じられないものを見る目つきで、当麻を抱きしめている伸を見た。
「……当麻……当麻……当麻……」
伸は小さな声で、ずっと当麻の名を呼んでいた。

 

――――――ようやく救命救急病院に到着し、当麻はすぐに集中治療室へ運ばれていった。
まだ、20代後半くらいの若い医師が、隊員達の説明を聞きながら、カルテを片手に走っていく。
伸も治療の為、当麻とは別の病室へつれて行かれた。
治療台の上で、伸はずっと当麻の名を呼び続けていた。

当麻を……
当麻を助けて下さい。
お願いします。神様。
お釈迦様でも、キリスト様でも、アラーの神様でもなんでも構わないから……
どうか……当麻を助けて下さい。

僕の命なんか守らなくてよかったのに……
僕の為に当麻が傷つく事なんてないのに……
お願いします。当麻を……当麻を助けて下さい。
当麻を助けて下さい……神様……!!
当麻を……

伸の瞳から涙が頬を伝って流れ落ちた。

 

前へ  次へ