宇宙と海の狭間−第1章:宇宙−(2)

「だから、夕べの今日で、どうしてお前はすぐに動こうとするんだ」
「そんな事言ったって、別にもう大丈夫だよ。夜中にちょっと具合いが悪くなっただけじゃないか。おとなしく薬も飲んだし、熱もさがったんだし……」
こういう説教はどちらかというと、言われるより言う方が多い為、なんとなくぎこちない様子で伸は上目遣いに当麻を見た。
外はとてもいい天気で、普段なら今頃、遼や秀に手伝わせて布団でも干しているような朝。
まるで見張ってでもいたようなタイミングで、当麻は普段より少しだけ遅い時間に、ようやく起きだそうとした伸のもとへやって来たのだ。
「とにかく今日一日はおとなしくしてろ」
「そんな……じゃ、食事は?」
「オレが作る」
一瞬の沈黙の後、伸はいそいそとベッドから降りようとした。
「ちょっと待て。何する気だ?」
「いや……秀がお腹すかせてるんじゃないかな……と」
「お前、もしかしてオレを全っ然信用してないな」
「食事作りに関してはね」
ずばり切り替えされて、当麻はおもわず絶句した。
そうなのだ。グラタンを作ろうとして、見事に、本当に見事に炭を作ってしまい、伸に大目玉を食らったのは、とても記憶に新しかったりするのだ。
「…………いいから寝てろ。自分の身体の事、少しは考えろよ」
「遼が腹痛で倒れることの方が問題だよ」
「お前な〜。」
いそいそと起きる支度を始めた伸を諦めきった眼差しで見ながら、当麻は大きくため息をついた。
「本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫」
「ちょっとでも無理してるのが見えたら、即、ベッドに縛りつけるぞ」
「どうぞ、どうぞ。出来るものならね」
靴下をはこうと、少しかがんだ伸の髪をくしゃりと掻き回し、当麻が言った。
「本当に具合が悪くなったら、真っ先にオレに言えよ」
伸が顔をあげて軽く頷く。
「やけに心配性なんだね、今回は」
「まあね」
「どうして?」
「身体の具合だけならなんとでもなるが、心の具合はやっかいなもので」
「…………?」
「辛かったら、言えよ」
そう言った当麻の瞳が夢の中の青年のものと重なる。

雨の中の、哀しい瞳をした天空の戦士。

「当麻……」
「ん?」
そのまま出ていこうとしていた当麻の背中に伸が声をかけた。
「君、どんな時に一番哀しくなる?」
唐突な伸の質問に、少しポカンとした顔で当麻が振り向いた。
「哀しくなる時?」
「そう」
「……そうだな。朝、真っ白な布団の中で安眠を貪っている時、優しい伸ちゃんが、超流破で叩き起こしてくれる時とか……」
「…………」
「目の前の素晴らしい御馳走を、横から秀にかすめ取られる時とか……」
「……もういい」
こんな質問するんじゃなかったと、激しく後悔する伸を、尻目に当麻はドアを開けた。
「冗談だよ、冗談。オレが一番哀しい時は、お前がいっちまった時だよ」
「……えっ?」
背中越しに言われた為、その時の当麻の表情は伸には伺うことが出来なかった。
どういうことか問いただそうとする間もなく、当麻の姿はドアの向こうに消えていく。

いってしまった時……?

行く? ……違う。逝く……だ。
僕が逝ってしまった時……?

突然、夕べの夢が伸の脳裏に蘇る。
あの時、自分の体温を奪っていったのは、雨の冷たさの所為だけじゃない。
心臓から溢れる真っ赤な血。自分の身体から血が流れ出していく感覚。血圧が下がり、身体が氷のように冷たくなっていく。
あれは、僕が死んだ時。
では、天空は僕の死を看取っていたのか?
自分自身も傷つきながら。
血にまみれた両手で剣を持ち、あれ程に哀しい瞳をして。

 

――――――「伸! ……伸ってば!」
いきなり、耳元で自分の名を呼ばれ、伸がはっとして顔をあげると、遼がレタスとサラダボールを手に、拗ねた顔で自分を睨み付けていた。
「……り……遼……? …………何?」
「何?じゃないよ。さっきから何度も呼んでるのに、何ボーっとしてんだよ。レタス、千切り終わったぜ。次は?」
テーブルの上の人数分のサラダを見て、伸はやっと状況を把握したように、ひとつ瞬きをした。
「……あ、ああ。……じゃあ、そこのプチトマトも盛りつけて」
食事の用意をしている最中、火を使っているというのに、自分は何をしているんだろうと、2・3度頭を振り、伸は味噌汁の火を止めた。
朝食は征士のリクエストで、ご飯に味噌汁、グリーンサラダとほうれん草の巣ごもり卵。
楽しそうにパタパタと動き回る遼を、伸は眩しそうに見つめた。

あの夢は過去の事だ。
辛い戦いも、今は忘れていいはずだ。
耳に残る雨の音を頭の中から振り払いながら、伸はそう思った。

「伸、出来たぜ」
レタスにプチトマト、クレソンの葉を散らしたサラダが5つ、テーブルの上に並んでいる。
ドレッシングはこの間、伸が作った手作りの和風ドレッシングだ。
「じゃ、残りは冷蔵庫にしまって、みんなを呼んできてよ」
「了解」
「あ、そうだ、遼」
レタスの残りをラップで包み、冷蔵庫にしまっている遼に、伸は極上の笑顔で呼びかけた。
「今日のおやつ、久しぶりに凝ったもの作ろうと思ってるんだけど、何かリクエストある?」
遼の顔がぱっと明るくなる。
腕を組んで、真剣に考えだす遼を見ていると、自然と幸せな気分になってくる。
しばらく考えた末、ようやく遼は遠慮がちに口を開いた。
「伸、オレ、アップルパイが食べたい。シナモンおもいっきり利いたやつ」
「OK」
伸の笑顔に満足気に頷くと、遼はみんなを呼びにキッチンを出ていった。
「さて……と。じゃ、リンゴと……あとバターもきれてたし……買い出しに行かなきゃ」
冷蔵庫の中身をチェックしながら、伸は嬉しそうにつぶやいた。

 

――――――「……で、何で君がついて来るんだよ」
丁度来たバスに飛び乗り、最後部の座席に腰を降ろしながら、伸が言った。
「いいじゃないか。オレも捜し物があるし、荷物持ちは必要だろ。少なくとも遼をつれて行くより、腕力には自信あるぜ」
言われた当麻は、呑気にポケットから文庫本を取り出しながら、にやりと笑った。
「よく言うよ。君がついてきた時は、いつも予定の2倍は買い物が増えるじゃないか。しかも食料ばっかり」
あきれた口調でため息をつく伸を、横目で盗み見て、当麻はごまかすように、文庫本をパラパラとめくった。

ついでに夕食の買い物と当座の生活用品をまとめ買いしようと、びっしりと書き込まれた買い物リストに目を通しながら、出かける支度をしている伸を見て、ちゃっかり当麻は、オレも行くよと名乗りを上げたのだった。
本当は伸の体調を気にしてついてくると言ったのは一目瞭然。
何も知らない遼は少し不満そうだったが、秀が取りなし、追い立てられるように2人でバスに飛び乗った。
いきなり走った為か、まだ息を弾ませている伸に気付き、当麻がそっとその額に手を当てた。
「やっぱ、熱がぶり返してるじゃないか」
「大丈夫だよ」
多少乱暴に当麻の手を払いのけ、伸は呼吸を整える為に、大きく深呼吸した。
「まったく。だから言ったんだ。今日はおとなしくしてろって。お前、遼の前だと、無理して平気そうに振る舞うだろ」
「でも、気付かれはしなかったろ」
悪戯っぽく笑う伸を見て、当麻はやれやれとバスの天井を仰ぎ、次いで伸の肩を抱くように、自分の胸に引き寄せた。
「ちょっと……当麻?」
「肩貸してやるから、オレに寄りかかってろ。少しは楽になる。なんなら眠ってもいいぞ。着いたら起こしてやるから」
ちらりと当麻の顔を見上げ、伸はおとなしく当麻の身体に寄りかかり、目を閉じた。
柔らかな伸の栗色の髪が当麻の首筋に微かに触れる。
少しだけ肩を抱く腕に力を込めて、当麻は伸の頬にそっと手をふれた。
「当麻の手って冷たくて気持ちいいね」
「心が温かいからな」
「よく言うよ」
目を閉じたまま、伸がくすくすと笑った。

 

停留所を3つ程通り過ぎた頃、伸がそっと目を開けた。
「当麻……」
「ん?」
から返事をしながら、当麻は文庫本を読み続けている。
「訊きたい事、あるんだけど」
「何だ?」
ようやく本から目を離し、当麻は伸を見た。
「あのさ……」
「どうした?」
言いよどむ伸の態度に、当麻は持っていた文庫本を脇に置いた。
「変なこと訊くけど、いい?」
「だから、何だ」
「……僕が死んだ時、雨が降っていたのは、いつの時代?」
「…………!!」
当麻の表情が一瞬引きつったように硬くなった。
「夕べの夢で、雨の中の君を見た。君って言っても今の当麻じゃない。……いつの時代か解らないけど、でも君だった」
当麻の腕の中から、つっ……と身体を離し、伸が当麻を見上げた。
「あれは……」
「戦場に雨が降った事は数え切れない程ある。それだけでは特定できん」
伸の言葉を遮るように、当麻が言った。
「……そっか……そうだよね……」
つぶやく伸の身体を再び抱き寄せ、当麻は安心させるように伸の背中を軽く叩いた。
「気にするな、そんな事は。過ぎた事だ」
「……うん……」
「まだ、着くまでには時間があるから、寝てろ」
「…………うん。」

雨の中、降りしきる雨の中の哀しい瞳。

お前が逝ってしまった時程、哀しい事はなかった。
誰よりも幸せになってほしかった大切な妹。

あの時、オレはああする以外、お前を守る術を知らなかった。
斎の死に顔は美しかった。たとえようもなく。
今までに見た他の誰よりも美しかった……のに……

「斎……」
小刻みに震えだした自分の手をじっと凝視しながら、低く当麻がつぶやいた。

 

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