宇宙と海の狭間−第3章:雨露の後−(3)

「遼、遼、見てみろよ」
秀の呼びかけに、遼は濡れた髪の毛を乱暴に拭いていた手を止めた。
「ほら、外」
「…………」
窓の外、先程までかなり激しく降っていた雨が、ようやく収まりだし、雲間からわずかに青空が見えていた。
「雨が……止むのか…………?」
複雑な表情でつぶやいた遼の肩を、そっと後ろから征士が支える。

雨の中、当麻と伸を残し、家に帰ってきた遼は、玄関口で待っていた征士にすがりついて泣きだした。
自分でもどうして泣くのか解らないまま、遼はずっと征士の腕にしがみついたまま泣き続けた。
「……ほら、泣き虫。元気だせよ。オレ達にはあの2人が帰って来た時、やんなきゃいけない事があるだろ」
秀がふわりとかぶせたタオルからは石鹸のいい匂いがした。
「オレ達は最高の笑顔で、あいつらを出迎えなくちゃいけないんだから、いつまでもそんな顔すんなよ、な」
秀の笑顔を見て、ようやく遼の涙がとまった。

濡れた服を着替え、居間に戻ってきた遼は、タオルを頭にのせたまま秀の隣りに立ち、じっと窓の外を眺めていた。
少しずつ、少しずつ、雨が止んでいく。
雲間からわずかに差し込んだ光が、葉を緑に染めていった。
伸の瞳と同じ色。
「もうじきすっかり止むぜ、雨。ほら……」
秀が指さした先に、2つの影が見えた。
「……伸……」
口の中で小さくつぶやき、遼はぱっと居間を飛び出すと、勢いよく玄関のドアを開けた。
「……伸!!」
まだ、雨の滴に髪を濡らしたまま、伸が立っていた。
伸の後ろでようやく顔を出した太陽が、遠慮がちな光を投げかけている。
柔らかな日差しの中、伸の瞳は澄んだ緑の色だった。
「……伸……」
「遼、悪いけど、お風呂沸かしてくれるかな。誰かさんの所為で、泥だらけになっちゃったから」
そう言って笑った伸の顔は、遼のよく知ってる、いつもの伸の笑顔だった。
「……伸!!」
おもわず遼は伸に駆け寄り、濡れるのも構わず抱きついた。
「ちょっ……と、遼? 汚れちゃうよ……遼?」
首にしがみついたまま離そうとしない遼を見て、伸は柔らかく微笑むと、そっと遼の身体を抱きしめ返した。
「ありがとね、遼。心配かけてごめん」
「…………」
「お前ら、オレの目の前で抱き合うなよ。切なくなるだろうが」
当麻が拗ねた顔をして愚痴をこぼした。

 

――――――「秀、すまんが今日はこっちで眠らせてもらっていいか?」
その夜、征士が秀の所へやって来た。
「別にいいけど、オレのベッド狭いぞ」
「何を勘違いしている。私は夜中、お前に蹴飛ばされて床へ落ちる趣味はもっていない。伸のベッドを貸してもらうんだ」
「あ、やっぱり……って伸は?」
「今覗いたら、当麻のそばでうたた寝をしていた。ベッドに運ぼうかとも思ったのだが、当麻の手が伸を離さないのでな。とりあえず毛布だけかけてそのままにしてきたのだが」
「なる程ね」
秀が嬉しそうに頷いた。
「2人して夢でもみてるのかな?」
「恐らくそうだろう」
「……なんか、嬉しそうだな、征士」
秀がにやりと笑った。
「そうか?」
「ああ、髪の色まで明るく見えるぜ」
「バカを言うな」
照れたように、征士はそっぽをむいた。

“征”
自室へ引き上げる前、当麻は征士をそう呼んだ。
「征、オレ、大切なものを取り戻してくる」
「…………」
そう言った当麻の手に握りしめられた小さな珠に、微かに智の文字が浮かんできたのを、征士は確かに見た。
当麻の鎧珠は光を取り戻すだろう。
封印されていた、当麻の大切な記憶と共に。

 

それから昏々と眠り続けた当麻が、ようやく目を覚ました時、一番はじめに見たものは、柔らかな栗色の髪をした少年の優しい笑顔だった。
世界で一番大切な、大切なその人は、極上の笑顔で、当麻の目覚めを歓迎してくれた。

 

――――――「見せたいものって何? 当麻」
“当麻君完全復活記念大パーティー”が、滞りなく終了した後、当麻は伸を書斎に呼び寄せた。
「ん、思いだしたんだ。パスワード」
そう言って、当麻は正面のパソコンの電源を入れ、キーボードを叩く。
「THE UNIVERSE?」
「宇宙って意味だよ。あと、森羅万象とか、この世のすべてとかの意味も含まれてる」
「……宇宙……」
「そして、第2のパスワード。MARINE」
「マリーン……海?」
「そう、海。宇宙と海がそろって、初めて起動されるプログラムのこれがトップ画面。綺麗だろ」
当麻が指した画面一杯に夜の海が広がっていた。
そして、眩しいほどの流星群。
「この間の獅子座流星群の映像をちょっと加工したんだ。海に降る星だよ」
「…………」
「宇宙から海へ、オレの所からお前の所へ光を降らせてるんだ。お前が暗闇で迷うことのないように。独りにならないように。ありったけの光をお前の元へ届けてるんだ」
「当麻……」
「そして、次がこのデータの中身」
当麻の指がEnterキーを叩くと、海の画面が一瞬にして消え、大量のデータが表示されだした。
「これ、何か解るか?」
「…………」
しばらくじっと画面を見つめていた伸がつぶやくように言った。
「……これ……烈火……?」
「大当たり」
当麻が振り向いた。
「これは、オレ達の歴史だ。鎧の歴史じゃない。烈火や夜光や他のみんな。鎧戦士として生を受けたオレ達の過去のあらゆるデータだ。オレの記憶を頼りに作りだした、時代や場所や系図すべて含めた、オレ達の戦い以外のデータだ」
「戦い以外の……?」
「そ、オレの2番目に大事なものさ」
伸は食い入るように画面を覗き込んだ。
まるで、その中に、烈火が存在しているのではないかと、思うほど。
「この記憶達は、オレにとってもお前にとっても皆にとっても大切なものだ。決してなくしていいものじゃない。……オレはずっと覚えていたい。オレ達の時間も、オレ達の想いも、すべて。お前の事も遼の事も征士や秀の事も。烈火も夜光も柳も斎も、みんなオレの大切なものだ。ずっとずっと永遠に大切にしていたい想いだ」
「……でも……辛くない……?」
「……」
「戦って傷つけあって……大切な人達が、自分の前で死んでいって……」
「……辛くなったら、お前の所へ行くさ」
「……当麻……」
伸がそっと顔をあげて当麻を見た。
「お前のそばにいれば、どんな事だって耐えられる。お前のそばにいる事で、オレの心は救われる。それに、オレの中にある記憶は、辛いものばかりじゃない。たとえ最期がどうだろうと、その哀しみなんか比べものにならないくらい、幸せな時間の方だって長かったさ。」
「…………」
「オレが見た夢は、幸せな夢だったよ。おかげで、大切な斎という妹の事を思いだす事ができた」
「……!!」
「伸……」
「…………」
「お前、斎の記憶が戻ったんだろ。しかも最期の時だけ」
伸が脅えたように視線を伏せる。
「ごめんな、伸」
当麻が伸の正面に回り込んだ。
「何で、君が謝るんだよ……君が謝る事じゃないだろ」
伸が言う。
「いや、きっとお前が思いだすきっかけを作ったのはオレだ。オレの心が不安定だったから、お前がそれを感じたんだ。それにオレの鎧珠を手にしなかったら、鮮明に思いだすこともなかったろうし……」
「…………」
「恐い思いをしたろう。自分が殺される瞬間なんて、思いだしたらぞっとしないもんな。しかもオレがお前を殺したんだし」
「…………」
「これから、お前が過ごせたかもしれない幸せな未来も何もかも、オレが奪ったんだから。お前を殺したのは、オレの弱さ故だ。その事については、オレはお前に謝ることしかできない」
「当麻……」
「伸、オレが恐くないか? オレは平気でお前を殺せる男なんだ」
「…………」
「オレを、恨んでないか……?」
「……何、言ってるの当麻。そんな事、あるわけない。僕が願ったんだ、兄様と共に逝くことを」
「…………」
伸の手がすっと当麻の頬にのび、両手で包み込んだ。
「それに、あのあと生き続けたって、幸せになんかなれるはずない」
「…………」
「一番大切な人がいないのに、幸せになんか、なれないよ……兄様……」
「…………」
斎の頃と同じ口調で伸は兄様と言った。
優しい斎。大切な妹。
そのまま伸は腕をのばし、当麻の身体をそっと抱きしめた。
「ごめんね、当麻。君にあんな辛い思いをさせて。僕のほうこそ君に謝らなきゃ。本当にごめんね。もう2度と、あんな思いはさせないから・・・・絶対、させないから……」
当麻は無言で伸の細い身体を抱きしめ返した。
柔らかな髪、甘い声、海の匂い。
あの時、斎を手にかけなかったら、今この瞬間の伸はいなかったろう。
これ程に愛しいと思える伸は、存在しなかっただろう。
だから、もう、後悔なんてしない。決して
お前さえ、そばにいてくれるのなら。

「当麻」
伸がそっとささやいた。
「僕ね、斎の最期を思いだしてから、ずっとずっと君に謝りたかったんだ。でも、どう謝ったらいいか解らなくて」
ごめん……
そう言ってみても、何が?って問い返されたらきっと何も言えなくなる。
記憶をなくした当麻に、謝る理由を訊かれても答えられるわけはない。
どんなに謝りたくても、謝罪の言葉を紡ぐことはできない。言ってはいけない。
言ってはいけないからこそ、よけい辛くなる。
自分の罪が自分で許せなくなる。
救いを求める事こそが、罪になっていく。
「オレも同じだよ、伸。オレ達はきっと同じ事を思っていたんだ」
“すまない……斎……”
雨の中の当麻の言葉。
雨の中の雫の哀しい瞳。
これ以上ないくらい哀しい瞳。
「……僕達は、お互いの事を考えすぎて、すれ違ってしまったんだ……きっと、僕らが考えていたより、単純だったんだよ。何もかも」
伸の瞳が当麻の宇宙色の瞳を覗き込んだ。
そう、大切な事はただ一つ。
お互いが此処に居るということ。
どちらが欠けてもいけない。お互いが此処にいるということ。
此処に存在しているということ。
そばにいるということ。
「当麻」
「……」
「君のそばにいるよ」
「……!」
かすかな声で伸が言った。
「ずっと、ずっと君のそばにいるよ」
「…………」
当麻は、きつく目を閉じ、伸を抱きしめる腕に力をこめた。

第3章(最終章):FIN.      

2000.5 脱稿 ・ 2000.6.24 改訂    

 

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