火のない煙 (12)

大事をとって翌日学校を休んだ伸の見舞いにと柳生邸を訪れた鷹取は、伸の部屋に向かう前、まず当麻と征士の部屋を覗き、呆れた目を向けた。
「でさあ、毛利はわかるんだけど、なんでお前まで学校休んでんだ? さすがにちょっとびっくりした」
鷹取の冷たい視線をまともにくらい、当麻はベッドの中で居心地悪そうにしかめっ面をしている。
「うるさいなぁ。伸の見舞いに来たんなら、さっさとあっちの部屋に行けよ」
少々かすれた声で当麻が悪態をつく。その声を聞いて鷹取は必要以上に驚いて目を見開いた。
「うわぁ、ホントに風邪ひいてるよ、こいつ」
「だったらなんだよ。オレだって風邪くらいひくわ」
「いやいやいや、昨日はピンピンしてたよな、お前さん。なのに……」
言いかけて、突然鷹取はポンッと手を打った。
「あ!! お前、まさか」
「……?」
「昨日二人っきりなのをいいことに、風邪がうつるような事したんじゃねえだろうな?」
「なっ……!?」
真っ赤になって当麻が絶句した。
「あ、やっぱり。図星か!?」
「何もしてねえよ!」
「本当かぁ?」
「してねえっつってんだろ!!」
真っ赤な顔のまま当麻が手持ちの枕を鷹取めがけて投げつける。器用にそれを避けた鷹取はまだ半信半疑な目で、にやりと笑みを浮かべた。
「ホントに?」
「しつこい!」
当麻がムキになればなるほど、鷹取は面白がるのだということは当麻も分かってはいるのだろうが、どうも体調が悪い分、気の利いた反撃方法が浮かばない。
「先輩。いちおうは奴も病人なので、そのくらいで……」
ようやく遠慮がちに止めに入ってくれた征士を振り返り、鷹取はにやりと笑った。そして、一瞬不思議そうに首をかしげる。
「どうかしたか? 伊達」
「どうか…とは?」
「なんか眉間にしわが寄ってる」
いつまでたっても終わりそうにない、当麻と鷹取のやりとりに呆れているのだろうかと思ったが、それにしては微妙に表情が違って見える。
「伊達?」
「……なんでもありません。ただ、いつの間に当麻とそこまで親しくなったのかと思って……」
言いながら征士がふいっと鷹取から視線をそらせた。なんだか拗ねてでもいるような仕草だ。
「あれ? もしかしてお前、やきもち妬いてる?」
「なっ……!」
とたんに耳まで真っ赤になった征士が鷹取を見上げる。
「…………」
そんな征士の表情を捉えたとたん、鷹取は反射的に征士の身体を抱きしめていた。
「せ…先輩?」
鷹取の突然の抱擁にあたふたしながらも、征士は鷹取の腕を引きはがそうとはしない。それに気を良くしてか、鷹取は今度は意識的に抱きしめる腕に力を込めた。
「おい、てめえ、何やってんだ」
ついに征士のうしろから秀がおもいっきり不機嫌そうな声をあげた。
鷹取は面白そうに、征士越しに秀の顔を覗き込む。
「何って、好きな奴を抱きしめてんだよ。悔しかったらお前もやってみればいい」
「………!?」
秀と征士が同時に声を詰まらせた。
「欲しかったら、ちゃんと手を伸ばせ。それが出来ないならおとなしく引っ込んでろ」
「……なんだよそれは!?」
大声で怒鳴りつけながら、秀が二人を引きはがしにかかる。
「……なんか、あっちの部屋、すげえ騒がしくないか?」
伸の部屋で遼が不思議そうに扉を振り返った。
「そうだね」
苦笑しながら伸が答えた。

 

――――――数日後、当麻と伸の体調も回復し、そろって登校出来るほどになる頃には、不思議と当麻と真昼の例の噂は消えてしまっていた。
原因は恐らく、伸が倒れたと聞いた時の当麻の反応を見たクラスメートが、やっぱり当麻の矛先は毛利先輩のまま変わってないんじゃないかと、新たな噂を周りに流した所為ではないか、というのが、鷹取の見解だ。
それに、いずれにしてもあと僅かで聖と真昼の教育実習期間は終わる。
噂はただの噂のまま、そのうち完全に忘れ去られていくだろう。
「もうすっかり良くなったのか?」
「はい、おかげさまで。ご心配おかけしました」
歴史資料室で授業の準備をする聖を手伝いながら、伸が聖に向かって軽く頭を下げた。
残り少ない日数を惜しむように、最近の伸はよく聖の所へ来ている。
「もう、何かあってもすぐに駆けつけることは出来なくなるんだから、無茶はするなよ」
「……はい」
聖の言葉にやはり少しだけ寂しくなるのを自覚して伸は小さく息を吐いた。
やっぱり、いつまで経っても、どれだけ色々なものが変化しても、伸の心のどこかに聖を想い、頼る気持ちがあるのは、永遠に変わらないのだろう。
ただ。
それでも。
ほんの少しだけ、自分の心が以前とは違っていることにも伸は気付いていた。
そしてそれは恐らく聖にも伝わっているのだろう。
「……聖さん」
「何?」
「これからも色々相談させていただくことは構いませんよね?」
「……まあ、オレで分かることなら」
「実は、僕も大学で教員免許取ろうと思ってて」
作業をする聖の手が止まった。
「……本当?」
「はい。だから分からないことがあったら頼っていいですか?」
「構わないけど、具体的に何の教科を考えてるんだい?」
「……ちょっと特殊なんですけど、出来れば養護教員になれればな…と」
「…………」
ほんの少し照れたように伸はそう言って舌を出した。
「なるほど。だから東京へ出て行くことを決めたんだ」
伸の望む養護教員の教員免許を取るためには、それに準じる大学を選ぶ必要がある。この近隣で探すより、東京へ出たほうが選択肢は多いだろう。
「分かった。オレに出来ることがあれば何でも聞いてくれ」
「良かった」
素直に笑顔を向けてくる伸を、心底愛おしいと思う。
にこりと笑みを浮かべ、聖は手元の資料をまとめてトンっと机の上に揃えて置いた。
「さあ、そろそろ最後の授業開始だ。先に教室へ戻ってて」
「はい」
ガラリと扉を開け、伸がパタパタと駆け去って行く。聖はそんな伸を見送ってからゆっくりと資料室を出た。
すると、そこには待ちかまえていたかのような鷹取の姿があった。
「……立ち聞きか? 趣味が悪いな」
「そんなのじゃねえよ」
言いながら鷹取の目が駆け去って行く伸の背中に向けられる。
「最近、よく来てるみたいだな」
「そうだね」
「なんで?」
「さあ、後ろめたい気持ちがなくなったからじゃないのか?」
「…………」
鷹取が聖を見ると、聖はほんの少し寂しそうに微笑んでいた。
「……なんで…そう思う?」
「以前より隙がなくなった」
「…………」
「だから、もう二人きりでいても、何も起こらない。それに気付いたんだよ、姫も」
向けられる好意は同じでも、やはり今までの伸とは何かが違うのだ。
「……いいのか? あんたはそれで」
「いいも何も、オレは最初から負け戦だと言っただろう」
「だとしても、本気出せば、良い戦いにはなったんじゃねえの?」
「…………」
鷹取の言葉に聖は何も答えなかった。
「……なあ」
「ん?」
「オレ、あんたのことそんなに嫌いじゃなかったよ。聖センセ」
「……奇遇だな。オレも今、同じことを思ってた」
二人が顔を見合わせた時、授業開始五分前のチャイムが廊下に鳴り響いた。

 

――――――「今日でここに来るのも最後だな」
「そうね。今までありがと、当麻君」
最後の後片付けをしながら、真昼がそっと溜息をついた。
「ねえ……当麻君」
「……何?」
「私のこと好き?」
「……ああ、好きだよ」
「やっぱりお父さんに似てるね」
「…………」
それはどういう意味かと、もう当麻は問わなかった。ただ、黙って真昼から手渡された資料の仕分作業を続けている。
「私ね。大阪の研究所、選ばれて行ったって言ったけど、あれ嘘。本当は無理やり頼んでいれてもらったの」
「……ふーん」
「驚かないのね。知ってたの?」
「いや、初耳」
「じゃあ、これは知ってた?」
「……なに?」
「私、羽柴博士が好きだったの」
「…………」
「博士がうちの学校に来るよりずっとずっと前から」
「どこがいいんだ? あんなクソ親父」
「……似たもの親子のくせに何言ってんの」
真昼がくすりと笑った。
そして、当麻も微かに笑っただけで、何も反論はしなかった。
「真昼さん……」
「……何?」
「いつか、あっちへ行くの?」
「あっちって、ドイツの研究所?」
真昼にはその意思があるだろう。
でなければ、当麻を使って博士と連絡を取ろうなどと思うはずはない。
彼女は彼女なりに、当麻という博士に繋がる糸をこれからも大事にしたいと思っているのだろう。
そして、それは当麻にとっても同じことだった。
「私のことより、当麻君はどうするの?」
「……オレ?」
「いつか、行くんでしょ?」
「…………」
「その時は声かけてね」
「そっちの方が先に行くかもしれないんじゃないの?」
「その時は、私が当麻君に声かけるわよ」
「そうだな。待ってる」
「私も、待ってるね」
真昼が向けた視線を受け止め、当麻ははっきりと頷いた。
教育実習最終日。
生徒の下校を促す学内放送の音楽が始まった。

FIN.     

2016.12・25 脱稿   

 

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