火のない煙 (10)

「良かった……ここにいたんだな」
扉の向こうで聖がほっと安心した声をあげた。
と、同時に若干不審そうな目を抱き合った状態の鷹取と伸に向ける。
「で、何をやってるんだ? お前達は」
「……!」
思わず鷹取から離れようとした伸の身体を再度引き寄せて、鷹取はこれ見よがしに抱きしめた。
「こら、離れたらオレが寒いっつってんだろ。お前はオレの湯たんぽなんだから」
「…………」
聖の目が更に不審気に細められる。鷹取は完全に面白がってる態勢だ。
「変な誤解するなよ、センセ。こいつの熱があがってきたから、寒くないように温めてるだけだから」
「……熱って……大丈夫か?」
慌てて伸のもとへ駆け寄り、聖は奪うように鷹取の手から伸を引き離すと額に手を添えた。
「確かに熱があるな。いつからだ」
「授業が始まった頃は平気だったんです。でも、雨が降ってきて……」
「雨に濡れたのか?」
「大丈夫。濡れる前に避難した。そこまで鈍くさくはないつもりだ。ただやっぱり冷えてきたからじゃないか?」
伸の代わりに鷹取が答える。
「出来るだけ身体が冷えないよう気をつけてたんだけどな」
確かに伸の肩には鷹取のものであろうジャージが掛けられている。
「そうか…ありがとう」
「あんたにお礼言われる筋合いはない気がするが。にしても、よくここにいるって分かったな」
「いつまで経ってもお前達二人が戻ってこないって騒ぎになってな。雨が降ってきたから何処かで雨宿りしてるんだろうと思って探しに来たんだ」
「ふーん。で、なんで馬場ちゃんじゃなく、聖センセが?」
馬場というのは、体育教師の名だ。
「探しに行って欲しいと、その馬場先生に言われたからだよ。オレはちょうど授業がなくて暇な時間帯だったし、こういうことは実習生の仕事だろってさ」
「なるほど」
確かに、こういったことに借り出されるのは教育実習生の性だろう。
ただ、今回の場合に関しては、言われなくても自分から立候補したのかもしれないが。
「じゃ、ちょうど雨も小降りになってきたようだし、急いで戻るか」
そう言って聖はひょいっと伸の身体を抱え上げた。
「ひ、聖さん。僕、歩けますって」
「今の状態の姫を歩かせるより、オレが抱えて走った方が早いんだよ。おとなしくしておきなさい」
「……じゃあ、せめてこっちにしてください」
伸は無理やり聖の腕から降りると、背中を指さした。
つまりはお姫様抱っこよりはおんぶの方がマシということなのだろう。
「我が儘だなあ、うちのお姫様は」
「こういうの我が儘って言いません!」
真っ赤になってすねた表情を浮かべる伸を見て、鷹取が笑いを噛み殺した。
「仕方ない。じゃ、おいで」
そう言って聖は軽々と伸を背中に背負うと、鷹取を振り返った。
「じゃあ、鷹取は傘を頼む。オレはいいから出来るだけ姫が濡れないよう、気を付けてくれ」
「了解」
聖が手渡した大きめの傘をかかげ、鷹取は外へと飛び出した。それを追って聖もすぐに出てくる。
背の高い二人に護られるような体勢になった伸は、やはり少々不満そうに唇を尖らせる。
「やっぱりなんか恥ずかしいんだけど」
「そう思うんだったら、もう風邪ひいてるのに無茶はしないこと」
「少なくともオレ達の前では…な」
伸の顔を覗き込み、鷹取がにやりと笑った。

 

――――――「羽柴当麻はいるか?」
授業中、突然ガラリと扉を開けて入って来た三年生の姿に、一瞬教室内がシンっとなった。
「……なんか用かよ。授業中だぜ、先輩」
一番窓際にある自分の席から当麻が不審気な目を鷹取に向ける。鷹取は平気そうな顔のまま、当麻の姿を見つけ、手を振ってきた。
「あ、いたいた。お前、これから早退するから、鞄持って保健室へ来い」
「はあ? なんだよ、それ」
思った通り、意味が分からないと当麻が目を丸くする。
「こら、鷹取。そういう呼びだし方があるか。…あ、真昼先生、ちょっと羽柴くん借りてもいいかい?」
鷹取の後ろから顔を出した聖の姿に、今度は聖香と真昼が驚いた目を向ける。そして、同時にそれぞれの口から詰問の言葉が飛び出した。
「借りてって…いったい何事?」
「保健室って?」
「なんでオレが?」
当麻の不審気な表情は変わらない。鷹取は仕方ないなあと、聖を押しのけるように再び前へ出て、教室の中へと入って来た。
「後悔したくなきゃさっさと来い。毛利が倒れて今保健室で寝てるんだ。早退させるからお前、付き添え」
「……!?」
初めて顔色を変え、当麻が蹴倒すように椅子から立ち上がった。
「それ、本当なのか?」
「嘘ついてどうすんだよ。それとも、お前の都合が悪ければこの男が連れて帰るが、それでいいか?」
言って鷹取はクイッと後ろに立つ聖を指さす。
「いいわけないだろう! オレが行く」
慌てて当麻はそのまま周りの机を押しのけるように鷹取のそばまで走り寄ってくると、一瞬だけ聖に目を向け、次いで教室を飛び出した。
「おい、天才児! 荷物持ってけって……」
「あとで征士にでも頼んでくれ。あんたが持ってきてもいいし……」
言いながらすでに当麻の姿は廊下の角を曲がって消えて行く。
「さすがに素早いなあ……ってか先輩にパシリ頼む口調かっつーの、あれ」
「まあまあ」
鷹取が吐き捨てる横で、聖は笑いをこらえるように口元を歪めた。
そんな聖を鷹取がちらりと横目で見る。
「思ったより平気? それとも内心煮えくり返ってるとか?」
「煮えくり返ってはいないが、平気というには少し痛いかな」
「……やっぱ悔しいんだ。後悔してんだろ?」
「今更? それこそ愚問だ」
「…………」
「ちょっと、一応どういうことか説明してほしいんだけど?」
真昼が腕を組みながら、聖と鷹取に詰め寄った。
二人はお互い顔を見合わせて、小さく肩をすくめてみせた。

 

――――――保健室の扉を開け、転がり込むように走りこんできた当麻に、保健医の浩子先生が呆れたような目を向けた。
「あら、早かったのね。羽柴くん。毛利くんはまだ眠ってるから、もう少しあとでもよかったのに」
「浩子先生、伸の具合は?」
「大丈夫。ちょっと風邪気味のところ、無理して走って、しかも雨に降られちゃったから熱があがっただけ。さっき飲んだ解熱剤が効いて眠ってるわ」
「……そう」
ようやくホッとしたように当麻が肩を落とした。
「倒れたって聞いて、何か大事かと焦っちまった」
「珍しいわね。あなたがそんな早とちり」
早とちりというか、これは、わざと焦るような伝え方をした鷹取が原因ではないか。あの男は自分が慌てるのを見て面白がっていたんだ。間違いない。
まんまと乗せられた自分に軽く舌打ちをしつつ、かと言って浩子先生に愚痴るわけにもいかなくて、当麻はおとなしく保健室の奥、伸が眠っているベッドの所へ向かった。
「いちおう大事を取って早退させたほうがいいと思ってね。ただ、一人で帰すわけにもいかないから、あなた達の誰かを呼んで付き添ってもらおうってことになったのよ」
白いパーテーションの向こう側から浩子先生が言った。
自分達のうちの誰か。
つまり、柳生邸で暮らしてる者であれば、自分じゃなくてもよかったということだ。
あの二人であれば、自分より先に征士に声を掛けそうなのに、いったいどういう風の吹きまわしだろう。
ベッドのそばのパイプ椅子に腰をおろし、当麻は眠る伸の顔を覗き込んだ。
熱の所為か、ほんのりと頬が紅潮している。
ここのところ、しばらくまともに顔を見ていなかったからか、なんだか伸の寝顔が懐かしく見えた。
「…………」
そっと頬に触れる。
薬が効いている所為なのか、伸に目覚める気配はない。
つい…と、当麻はそのまま撫でるように指を滑らせた。
頬。鼻筋。額。そして唇。
「そこまでで止めておいた方が賢明だと思うぞ」
「………!?」
慌てて手を引っ込めて当麻が振り返る。人が入って来た気配など感じなかったというのに。
見ると鞄を2つ手に提げた鷹取が当麻を見て苦笑していた。
「ホント、お前ってガキだよなあ。そのうち歯止めが効かなくなって後悔するぞ」
「……なんでここに……」
「なんでって、人をパシリに使ったのはお前の方だろうが」
そう言って、鷹取はポンっと手にしていた鞄を投げて寄越してきた。
「ほら、お前等の鞄、持ってきてやったぞ。っつってもバスの定期くらいしか入ってないけどな」
「あ……ありがとう」
「意外と素直だな、お前」
「…………」
にやりと笑う鷹取を当麻は嫌そうな顔で見返した。
「残りの荷物は後で伊達に頼んでおくから、とりあえずそいつが起きたら一緒に家まで連れ帰ってやってくれるか?」
「あ、ああ」
受け取った鞄を抱え直し、当麻が伸の方へと視線を戻すと、僅かに伸が身じろぎをした。
もしかしたら目覚めるのは、もうすぐかもしれない。
「なあ、なんでオレの所へ来た?」
視線は伸に向けたまま当麻がぽつりとつぶやくように聞いた。
鷹取は面白そうに当麻の横顔を見つめ返している。
「そりゃ、普通はあのまま聖センセが付き添って連れ帰るのがベストだろうけどさ、お前、それは嫌だろ?」
「…………」
ちらりと当麻が視線を向けた。
「それに、たぶん伊達も嫌だって言うんじゃないかと思ったし」
「……征士も?」
「あいつ、お前のこと心配してたぞ。お前が不安になって荒れると他の奴らが気にしてさ。それが回りまわってオレの所にまでしわ寄せが来るんだ。覚えとけ」
「…………」
「ま、オレは別にお前を応援する気はないし、どっちかって言うと、木村正人の方が、安心出来ると思ってんだけどな」
「…………」
ここであえてその名前を出すか。
そんなこと分かってると言いたげに当麻は眉間にしわを寄せた。
「だが、ひとつだけ良いことを教えてやろう」
「いいこと……?」
「さっき、毛利が言ってたんだ。相手に触れたいと思ってるのは、自分も同じだってさ」
「……え?」
「そいつが誰のことを考えてその台詞を言ったのかは知らないけどさ。一応、伝えておく」
「…………」
「せいぜい頑張れよ」
ニッと笑みを浮かべ、鷹取はそのままさっさと保健室を出て行ってしまった。
なんだか初めて見る温かい笑顔に見えたのは気のせいだろうか。
「……ちぇっ……」
当麻が困ったように前髪を掻きまわした。

 

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