眠りの森(9)

「どうするつもりなの?」
「とりあえず学校行って話してくる」
「話すって、どこまで?」
「…………」
珍しく食が進まない様子で、秀は伸が温めなおしてくれた味噌汁を一口飲んだ。
剣道部主将の鷹取との電話で、結局秀は直接学校へ話しに行くということになったらしい。
電話が終わったその足で家を出ようとした秀を、せめて朝食を食べてから行ってくれと、伸は無理矢理キッチンへと連れてきた。
話を聞いて当麻が一緒に付いていこうかとも提案したのだが、秀は少し考えたあと、結局その申し出を断った。どうやら鷹取が、口のうまい奴に来られて煙に巻かれるのは嫌なので、秀一人で来いというような意味のことを言ったようなのだ。失礼と言えば失礼な言い分ではあるが、分かる気はする。
「で、どう話すつもりなんだよ。秀」
「……突かれたら誤魔化す自信ないし……全部話しちまうかもしれない」
「そっか……」
秀の真正面の椅子に腰掛けて当麻が頬杖をついた。
「駄目……だと思うか?」
「別に駄目とは思わないが、下手したらどこの小説大賞に応募する気だ? とか、お前、これじゃないのか? とか言われる可能性あるんじゃないか?」
そう言って当麻は自分の頭の横で指をくるくると回した。
伸が呆れたようにため息をつく。
「それは言い過ぎ。彼をバカにしてるように聞こえるよ」
「……お前はそう思わないのかよ。普通に考えたら、こんな荒唐無稽な話はないぞ」
「そりゃそうだけど」
当麻の反論に伸も困ったように肩をすくめた。
「でも、鷹取主将ならちゃんと秀の話を聞いてくれると思うんだ。だから大丈夫じゃないかな……って」
伸の言葉に当麻と秀が意外そうな顔をする。
「随分、あの主将のこと信用してるんだな。お前、そいつと知り合いだったっけ?」
探るように当麻が聞くと伸は違うよと首を振った。
「同じクラスになったこととかはないからね。直接には知らないよ。話したこともないし。でも」
そこでちょっと言葉を止め、伸は思案顔で中空を見つめた。
「たぶん、少なくとも彼は征士という人がどういった人間かを知ってる人の一人だと思うんだ」
「…………」
「だから……大丈夫なような気がする」
ふと秀が入り口を振り返り視線を上へと上げた。
誰もいないその場所に、征士が立っているのではないかと思っているかのように。
何となく釣られるように、伸と当麻もキッチンの入り口に目をやる。もちろんそこには誰の姿もない。
ただ、誰もいないはずのその空間に、ふわりと風が吹いたような気がした。
「……じゃ、行ってくる」
誰に告げるでもなく、そう呟いて秀は食べ終えた茶碗をまとめると席を立った。
「あ、気を付けて」
慌てて視線を戻し、伸は秀から空になった茶碗を受け取る。
「何かあったら、マズいことになる前に止めて連絡しろよ」
秀を追うようにキッチンを出て廊下まで行き、当麻が声をかける。
秀は、そんな2人に軽く手を振ってそのまま玄関を出ていった。
「大丈夫かな? 秀の奴」
当麻が伸に向かってポツリと問いかけた。
「……大丈夫。そう信じてあげようよ」
「…………」
「それに……もしかしたら……今日、彼に会うことは秀にとっても良いことかも知れない」
「え?」
くるりと踵を返しキッチンへ戻る伸を目で追った当麻の頭の中に先程の伸の言葉が反復された。
“鷹取は征士という人がどういった人間かを知ってる人の一人”
征士という人間。
それは表面的な容姿ではなく、きちんと征士という人間の中身を見て、理解して相対してくれる人という意味だろう。
ふと当麻の視線が二階へと注がれた。
眠り続けている征士。
征士という人間。
いや、違う。
今眠っている彼は、誰なんだろう。
もう二度と逢えないのは、どちらなのだろう。
「気になるなら行ってくれば?」
そのままキッチンへ引っ込んだとばかり思っていた伸が、入り口の所で立ち止まってじっと当麻を見ていた。
当麻が少しギクリとして振り返る。
「……気になるって……?」
「逢いたいなら行ってくればって言ったんだよ」
「…………」
「だって、そろそろ君と出逢ってる頃なんじゃない?」
「…………!」
当麻の表情が強ばる。それをちらりと見て、伸は続けて言った。
「行ってきていいよ。後片付けは僕一人でやっておくから」
当麻を見あげ、にこりと伸が笑った。そして、押し出すように当麻を廊下から階段へ、そして二階へと追いやる。
逢いに行く。
誰に。
そんなこと決まっている。
ずっと逢いたかった彼にだ。
どれほど待ち続けても構わないと思っている彼の人にだ。
当麻は一瞬戸惑うように伸を見たが、結局そのまま階段を上っていった。
伸はそのまま階段下に佇んで、二階の征士達の部屋へと向かう当麻の背中をずっと見送っていた。

 

――――――「ここは……?」
「墓」
ぽつりと天城は答えた。
「それは……分かるが……」
「あの時死んだ人々は、ほとんど全員此処に埋められたんだ。あんたの父上や母上も首検分されたあと、ここに埋葬された。といっても此処に埋まってるのは、焼かれた後の灰くらいだろうけど」
「……焼かれ……た?」
「ああ」
湿った風が吹き抜ける墓地の中で、夜光は苦しげに息を吐いた。
裏切りに遭った城主の末路は、そんなものだろうと想像出来たはずなのに、いざ目の前に現実を突きつけられると胸が痛む。
立派な墓など期待してはいなかった。
でも、こんな。
こんなふうに無惨な状態になっているなど、思いたくなかった。
父上も母上もまともに葬ってもらうことも出来なかったのだ。そして、自分達を慕ってくれていたはずの臣下の者達も、新しい城主の圧力に押さえつけられ、何も出来ず今に至るということなのだろう。
悔しい。自分自身に何の力もなかったことが。
ただ逃げることしか出来なかったあの頃の自分の無力さ加減が悔しくて仕方ない。
でも、もうすべては終わってしまった。
夜光は静かに目を伏せ、心の中で祈りを捧げた。
力及ばなかった自分の未熟さを詫びると同時に、約束通り生き延びることだけは出来た今の自分を母様に見せる。
母の願いを叶えるために、自分はこの後も生きるのだといういうことを告げる。
それが今の自分に出来る唯一のことなのだ。
地面の下の母に別れを告げ、夜光は視線を空へと上げた。
どこまでも澄んだ空だった。
「もう……大丈夫か?」
少し不安そうに天城が夜光を見あげた。
「ああ、私は大丈夫。連れてきてくれて感謝している」
天城に目を向け、夜光はふっと笑みを見せた。
夜光の紫水晶の瞳が光を反射する。
ああ、この瞳だ。
いつも変わらないこの瞳だ。
天城は眩しそうに目を細めた。
「そういえば、何故、お前は私の正体を知っていた?」
ふと出てきた夜光の問いに、天城は小さく肩をすくめた。
「……噂を聞いたんだよ。ここの城主、あ、以前のってことな。つまりあんたの父上様。その息子の一人に不思議な瞳の色をした奴がいるって」
「…………?」
「その息子は、紫水晶と呼ばれる鉱石のような色の瞳をしているのだと。だから、あんただけは生き延びているはずだと、そう思ってた」
「どういうことだ?」
「紫水晶の瞳。オレはそれを知っていた。本当にあんたがその瞳の持ち主なのだとしたら、まだ死ぬわけはない」
「……まだ……とは?」
天城が何を言っているのか、よく意味が掴めない。
夜光は眉間に皺を寄せて、隣に立つ天城を見おろした。
「だって、まだ逢ってもいないのに死ぬわけがないだろう? まだ、誰にも出逢えていないのに」
「…………」
「オレ達の使命は出逢ってからようやく起動し始める。まだ出逢ってさえいないうちに終わりを告げることなんて考えられない。」
「もしかして、お前はずっと我等を捜していたのか?」
「…………!?」
初めて天城が顔をあげてまっすぐに夜光を見あげた。
「そうなのか?」
確かめるように夜光がもう一度聞く。天城は一瞬迷うように視線を泳がせ、次いでコクリと頷いた。
「そう……だ。捜していた」
「ずっと……?」
「そう……ずっと……だ」
「逢いたかった……?」
「…………」
天城は俯いて言葉を濁した。
「オレにだって、いつ出逢えるのかなんて、さすがにそんな予測は立てられなかった。少なくとも前回全員が揃ったのは、オレが成人してからだ。だから焦る必要はないと思ってた。でも……」
「…………」
「こういうのは子供の時分が一番駄目なんだ」
どう見てもまだまだ子供の顔のくせに天城は大人びた口調で話をする。その均衡の悪さが余計に天城の脆さを際だたせているように、夜光の目には映った。
「……手がかりは少なかった。それこそほとんどは偶然に頼らなければいけないほど」
紫水晶の瞳。それがつまり。
「その少ない手がかりのひとつが、私の瞳の色ということか……」
「…………」
今度ははっきりと天城は頷いた。
「あんたの特徴的な瞳は、オレ達の目印のひとつだ。オレは藁にもすがる気持ちでその噂の真実を確かめようとここまで来た。と言ってもオレがここに来た頃、あんたはもう生死も分からない状態で消えていたんだけどな」
夜光は、天城の目線に近くなるように屈むと、真っ直ぐにその紫水晶の瞳を天城に向けた。
「でも、私は生きていた」
「…………」
「お前は私がここへ戻ってくることを信じて待っていたのか?」
「…………」
「有り難う」
「……え?」
僅かに天城が目を見開いた。その天城の目の中に、夜光がふっと微笑む姿が映る。
「私がお前の捜し人であったことを、心底嬉しいと思うぞ」
「や……こう?」
「大丈夫。もうお前はひとりで待ち続ける必要はない」
そう言って夜光はスクッと立ちあがった。
「だから我等の里へ行こう」
「……え?」
「恐らくそこにお前の逢いたい者が揃っているはずだ」
驚いて天城は目を丸くした。
「……仲間がいるのか?」
「ああ、いる。私とお前の仲間だ」
「……オレ達の仲間? 本当に?」
恐る恐るといった口調で天城が聞いた。
「そうだ。一番先にお前に逢わせたい者の名は烈火」
「……烈火?」
「炎という意味だと、本人が言っていた」
「烈火……炎……」
間違いない。それはきっと。
舞い散る桜の下にいた、黒曜石の瞳をした若者。彼の事だ。
「では行こう。再び巡り逢う為に」
「…………」
「もう一度、皆が巡り逢うために」
そう告げた夜光の黄金の髪がさらりと風になびく。それはとても綺麗に見えた。

 

――――――カチャリと征士達の部屋のドアを開け、遼が顔を覗かせると、正人が振り向いて軽く唇に指を立てた。
「しー」
「え……何?」
クイッと指を曲げ、正人は征士のベットを指す。
見ると、当麻が征士の上に覆い被さるようにして寝息を立てていた。その手は征士の腕を軽く掴んでいる。
「ね……寝てるのか? 当麻」
「ああ」
「いつから?」
「さっきいきなり入ってきて、何も言わずに征に触れて、そのまま落ちやがった。最初は遠慮したほうがいいのかとも思ったんだけど、だからって出てくのも何だったんで、結局こいつもまとめて面倒みてる」
「……なんで……当麻……?」
「さぁ……多分、コウに逢いに行ってんじゃないか? こいつ」
「……え?」
「だってさ、ほら」
正人がクイッと首を曲げて当麻を差すので、遼は静かにドアを閉めて当麻のそばに近寄った。
起こさないようにと静かに覗き込むと、眠っている当麻の目尻がほんの少し少し濡れているように見えた。
「え……泣いて……る?」
普段、当麻の泣き顔などほとんど見たことがない。なのに、何故。
「どうし……て……」
「こいつ、不思議なほどコウに懐いてたからな」
「…………」
もう一度、遼は眠る当麻の顔を見おろした。
「そっか……夜光に逢ってるのか。今」
「…………」
当麻と夜光。自分には入り込めない何かが、あの2人の間にあった。
でも、当麻、つまり天城が夜光に懐いていた事など自分は知らない。それは、永遠に思い出すことのない他人の記憶の中にある。
「やっぱ、オレじゃ駄目だな……」
苦笑しながら遼はポケットの中から小さな珠を取りだした。
「正人、これ正人が持っててくれないか?」
「……?」
何だろうと遼の手元を覗き込んだ正人の表情が強ばった。
「これ……烈火の鎧珠じゃねえか……なんで?」
「正人が持っている方が正しいと思うからさ。持ってきた」
遼の手の中にあったのは鎧珠だった。ほんのりと淡く光ったその珠の中には仁の文字が浮き上がって見える。
正人は驚いてマジマジと遼を見た。
「お前……それは……」
「この珠の正当な持ち主は烈火だ。だからこれは正人のものだと思う」
そう言って遼は正人の手の中に鎧珠を押しつけた。慌てて正人はその珠を遼の手へと戻そうとする。
「違うって。これは烈火の戦士、つまり仁の心の持ち主のものであって烈火自身のものじゃないだろう?」
「……しー」
思わず大きな声を出しかけた正人に対し、遼は唇に指を立てて制止した。
「……遼……」
「もし、烈火って存在が本当に此処から消えてしまったんだったら、この珠はオレが持ってなきゃいけないと思ってた。でもそうじゃなかった。どんな形であれ、烈火が復活したならオレの役目は終わりだ。今の時代での戦いは一応終結した。もしこの後の世でこの珠が必要になる時が来るとしたら、それはオレじゃなく烈火の記憶を持った誰かの手に渡るべきなんじゃないのか?」
「………………」
「オレはそう思った。何か間違ってるか?」
遼の言葉に長いため息をつき、正人は頭を抱えて座り込んだ。
「お前は……お前等は烈火を買いかぶりすぎてる。あの男はそこまで立派な人間じゃないぞ」
「でも、烈火は皆の中心的存在であり、リーダーだったんだろ」
「だからって……!」
再び声を荒げかけ、正人は慌てて手で自分の口を塞いだ。
「……正人?」
「無理だよ。烈火は珠を手放したんだぞ。戦いを放棄したんだ」
「……それは、色々理由があって……苦しんでたからだって。戦いを厭う気持ちだとか、そういうのはオレ達だって分かる。だからそんなことで烈火を責める奴なんていないだろう?」
「それだけじゃないんだ」
「…………え?」
「もし、あの時、烈火が何を考えていたのか知ったら、誰もそれを許さない。少なくともオレは……」
「…………」
正人の様子を見て、遼はふと眉を潜めた。
「正人……お前……もしかして……烈火が嫌いなのか……?」
「…………」
思わず遼を見て、正人は脅えたように唇を震わせた。
「オレが……?」
烈火を嫌っている。否、疎ましく思っている。本当は、烈火の魂になど入り込んできて欲しくなかったと思ってる。
「オレは……」
そうなのかも知れない。いや、きっとそうなのだ。
正人はギュッと唇を噛みしめた。

 

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