眠りの森(10)

「なあ、コウがどうしていつまでもあの姫様のこと忘れなかったのか分かるか?」
「え?」
突然の正人の言葉に戸惑って、遼は視線を眠る征士へと向けた。
征士は相変わらず微かな寝息を立てて眠っている。そばの当麻もだ。
正人も遼に倣うようにちらりと眠る2人を見てから、視線を遼へと戻した。
「コウが姫様を忘れられないのは、姫様が夜光の目の前で死んだからだよ」
「…………!?」
遼が目を見開く。正人は自嘲気味とも思えるような表情で軽く肩をすくめた。
「お前はよく知らないかもしれないけど、コウとあの姫様はほとんど口をきいたこともないような間柄だったんだ。いや、口をきくどころか逢ったことすら、一生の中で数回。片手の指で足りる程だ」
「…………」
「それなのに、ずっと引きずるほど焦がれるってのも妙だと思わないか?」
「それは……一目惚れっていうか……」
口の中でモゴモゴと、若干不明瞭な言葉で遼は正人に対抗した。
「なるほどね。じゃあ、聞くが、遼。お前、一目惚れってどう思う?」
「どうって……」
「オレ、思うんだけど、一目惚れってのは、結果論じゃないのか?」
「……結果論……?」
「そう。一目惚れして好きになっても、それはまだ単なるきっかけ。それから更に何度か逢って相手の人となりを知って、ようやくそのきっかけは本物になる。一目逢っていいなあと思っても、最終的にそれがどうなるのかは結果を見てみないと分からないじゃないか」
それは確かにそうなのかも知れない。ぼんやりと遼は思った。
何故なら、初めて逢った時は、今の自分の気持ちなんか想像もしていなかったのだから。
出逢って、相手を知って、恋をして。
恋をして。どうしようもなく恋をして。
確かにそれは1度や2度逢っただけで成立するようなものじゃない。
成立したとしたら、それは妄想。自分自身の心の中だけで完結するようなものである可能性のほうが高い。
でも、だからといって遼は征士の、いや夜光の気持ちがそんな嘘ものだとは思えなかった。
「もちろんあのまま姫様が死なないでずっと生きてたって同じように夜光と恋に落ちたかもしれない。今以上に2人の繋がりは強くなったかも知れない。でも、そんなのただの予測……いや、希望的観測ってやつだ」
「じゃあ……どうして……」
「だからだよ。それはつまり、目の前で死なれた事実が、夜光の心に傷痕を作ったってだけなんだ」
「傷……?」
「そう。傷だ」
目の前で死ぬ。いなくなる。永遠に自分の元から消えて無くなってしまう。
「一目逢って……惹かれたその瞬間に目の前から相手が永遠に消えるんだ。これ程の傷痕はない」
「…………」
「その傷は一生残る。失恋なんかよりずっと引きずるんだ。だから……」
呟いて、正人は睨み付けるように遼を見た。一瞬ギクリとするほどの鋭い目に遼は思わず唾を飲み込み背筋を正す。
「だから……何?」
「だから、烈火は自分が死ぬ場所にあそこを選んだんだよ」
「…………え?」
一瞬正人の言った言葉の意味が分からなかった。理解できなかった。
眉をひそめて遼は正人を見つめる。
「烈火の死は自殺じゃない。そこまで計算高くはないさ。でも、烈火の……いや、オレの頭にあの瞬間、その考えが過ぎったのは紛れもない事実なんだ。水凪の目の前で死ぬ。そうしたら、烈火はあいつの心を永遠に手に入れられる」
「……何……言って……」
頭が、何かで殴られたようにズキンと痛んだ。正人の言葉を理解したくないという拒否反応なのかも知れない。
遼は思わず手でこめかみを押さえた。血がドクドクと流れているのが分かり更に気分が悪くなる。
「事実、オレが死んだあと、水凪の心を占めたのは烈火のことだけだった。その傷痕は今でも残ってる。作戦は大成功ってわけだ」
「……作戦って……」
「つまり、あれは烈火にとって千載一遇のチャンスだったんだよ」
「そんな……」
「最悪だろ。反吐が出る。本当に最悪だよな」
そう言って正人は目を伏せた。
「オレもそうだよ。これ以上ないくらいあいつの目にオレの死を焼き付けて去った。でなきゃオレなんて地元にいた頃のただの幼馴染みってだけで、それ以上でも以下でもない存在だったはずなんだ」
「…………」
「オレは烈火を嫌ってる。でもこれって同族嫌悪なんだろうな」
「正人……」
「最低だろ? オレ……オレ達って。最悪だ」
「…………」
「だから、オレみたいな奴にその鎧珠を持つ資格はない。分かったか? 分かったら行け」
「正人……」
「ほら、退出」
そう言って正人は無理矢理遼の手に鎧珠を握りこませると、遼の腕を抱えて立ち上がらせた。
「正人……」
遼は泣きそうな目をして正人を見あげた。でも、正人はにっこりと悔しいくらい爽やかな笑みを浮かべると、そのまま遼の腕をひっぱり部屋から追い出すようにドアを開けた。
「じゃあな。遼。オレはもう少しここにいるから」
「正人」
「バイバイ」
遼の背中を押し、完全に部屋から追い出すと、正人はパタンとドアを閉じた。
ひとつため息をつく。
自己嫌悪のため息。
と、とたんにそれを待っていたかのように正人の背後からぼそりと小さな声が聞こえてきた。
「ったく……そう言うところが嫌いなんだよ。何爽やかに自分を卑下してるんだ」
「なんだ、起きてたのか? 羽柴」
正人がくるりと振り返ると、当麻が不機嫌そうに眉間に皺を寄せてじろりと正人を睨み付けていた。
「うしろであれだけ延々しゃべられてたら嫌でも目を覚ますっての」
「何言ってんだ。普段はもっと寝穢いくせに」
「うるさい」
クシャリと前髪を掻き揚げ、当麻は身体ごと正人に向き直り、顔をあげた。
対する正人は、戸口の所から微動だにせず、当麻の視線を真っ正面から受け止める。
「…………」
しばらく睨み合うように視線を絡ませていた2人だったが、やがて当麻は正人からすっと視線を外して立ち上がった。そしてそのまま無言で正人の脇をすり抜けてドアへと向かう。
「……何も言わないのか?」
正人の言葉に当麻の足が止まる。
「オレに何を言って欲しいんだ?」
「別に。何も言わないでいてくれるならオレの心も傷つかずにすむんで有り難いっちゃあ、有り難いけど」
「…………」
ムスッとした表情のまま当麻は正人を振り返った。
「オレはお前に何も言うつもりはない。認めたくはないが、オレにはお前の気持ちが分かる」
「…………」
「オレはもう一度斎に逢いたかった。だからこの手であいつを殺した。お前はあいつの心に永遠に住まうために自分自身を殺した。オレの手は斎の血に染まっている。お前の手は自分自身の血に染まってる。オレ達は同じ罪人だ。もし神が存在するなら、オレ達2人のどちらに捌きの鉄槌を振り下ろすのか。オレには判断がつかない」
「…………」
「オレ達は同じ罪人だ。オレ達の手には消えない血が今もこびりついている」
もう一度当麻は呟くように言った。
「同じだよ」
ふと、正人が目を伏せる。
「目の前から相手が消えるのは恐怖だ。それは心に一生消えない傷を残す。この後一生会えないとしても、相手が何処かで生きているのか、それとも死んだのかで、対する気持ちは変わる。その通りだ。悔しいことにその通りなんだよ。オレだってそれくらい知ってる」
そう言って当麻はちらりと眠る征士を見つめた。
「…………羽柴」
「…………」
「コウには逢えたのか?」
「……ああ」
ゆっくりと当麻は頷いた。そして、そのまま静かに部屋を出ていった。
残された正人は、ゆっくりと息を吐き出し、疲れたようにその場に蹲った。
征士が目を覚ます気配はない。征士はまだ懇々と眠り続けていた。

 

――――――烈火達の待つ隠れ里へあと半分程の距離になったところで夜光は惜しむようにもう一度振り返り立ち止まった。
「別にこれで見納めってわけじゃないんだろ?」
天城の問いに頷きながら、夜光は山の彼方、もう豆粒ほどにしか見えない城を胸に刻み込むように見つめた。
自分が育った城。5年前、逃げ出した場所。
次、此処に戻る時、自分はどうなっているのだろうか。あの町は、あの城はどう姿を変えているのだろうか。
何もかも同じようでいて、まったく違って見える景色。
夜光は深く息を吸い込んだ。
「夜光、気を付けろ。誰かいるぞ」
「……!?」
天城の警告に慌てて振り返り、夜光は歩いてきた道から外れ、草むらの中に身を潜めた。
「……女……?」
見ると、一人の娘が立っていた。
いつから立っていたのだろう。気付かなかった。
それは、上等そうな萌葱色をした着物を着た女。いや、女というにはまだ若い、綺麗な顔立ちをした少女だった。
「…………!?」
少女の顔を見た夜光の目が驚きに見開かれた。
「……あれは……」
「……?」
隣で天城が不審気な顔をする。
「どうした? 夜光……?」
「まさか……」
天城の止めるのも聞かず、夜光は思わず身を乗り出すようにして少女の顔を凝視していた。
卵形の輪郭に大きな潤んだ瞳。桜色の唇。艶やかな黒髪。
「……まさか……」
「…………?」
夜光の気配に気付き、少女の瞳がこちらを向いた。
「……!?」
少女の瞳も驚きに見開かれる。
まるで吸い寄せられるようにお互いの視線が絡まり合った。
と、その時、少女の後ろから数名の足音が近づいてくるのが聞こえ、夜光は天城に引っ張られるように再び地面に身を潜めた。
「どうしたんだよ。あんたらしくない」
夜光の頭を押さえ込んだ状態で天城が呟く。
見ると、少女は、あっという間に従者らしき者達に取り囲まれてしまっていた。
そして、その従者の輪の中から一人の年輩の女性、恐らく乳母か何かであろう女が少女の前に進み出た。
「姫様。我が侭もいい加減にして下さい。気分が悪いというので、少しばかり外に出ることをお許し致しましたが、勝手に歩いてもいいとは申し上げておりません」
「でも……」
「口答えは許しませんよ」
「…………」
「まったく、嫁入り前だというのに、こんな所で……誰かにお姿を見られでもしたらどうなさるおつもりですか?」
姫と呼ばれた少女は俯いて肩を落とした。華奢な肩が微かに震えている。
「……少しだけ……少しだけ外の空気が吸いたかったの。狭い籠の中で息が詰まりそうだったから……それに城へ入ってしまったらもうこんなふうに外へ出ることも出来なくなるのでしょう?」
「……それは……」
乳母が口ごもり、僅かに身を引いた。
「ねぇ……乳母や。どうして私は顔も知らない方の元へ嫁がなくてはいけないのですか?」
「……仕方ありません。それに姫様もそのことはご理解いただいた上で決心をなさってくださったのでございましょう?」
「…………」
草むらの中で、夜光が天城を見た。目でどういうことか知っているかと問いかける。
天城は小さくため息をついた。
「近々、あの城の城主が嫁取りをするという噂を聞いた。相手は隣国の幼い姫君だとか」
「……では、あの方が?」
「恐らく」
「…………!?」
夜光が身じろぎをした。草むらがガサリと揺れる。
「誰かいるのか!?」
従者の一人がめざとく見つけ叫びをあげる。
「大丈夫、人ではありません!」
少女の凛とした声が響き渡った。
「姫様……?」
「先程、そこで子鹿を見かけたのです。だから……きっと」
声を合図にでもしたかのように、夜光と天城の後ろで鳥が数羽飛び立った。
町にほど近い森ではあるが、ギリギリこの辺りであれば、まだ動物が降りてくることもあるのだろう。
従者が構えていた槍を降ろした。夜光と天城もほっと胸をなで下ろす。
少女は夜光達が身を潜めている草むらを見つめ、微かに微笑んだ。
「そう……子鹿が……いたの……とても綺麗な目をした子鹿が……」
「何を言っているのです? 姫様?」
「いえ、違う……あれから5年も経っているのですもの。もう子鹿じゃないわね」
そう呟いた少女の目から涙がこぼれ落ちた。
「……姫様? どうなさったのです?」
「何でもありません。大丈夫……戻ります」
そう言って、少女は乳母や従者を従え、街道の道へと戻っていった。見ると、少し先に豪華な駕籠が姫の戻りを待っているのが伺えた。
ちらりと夜光を見あげ、天城はようやく隠れていた草むらから身を起こした。
「夜光……あんた……城から逃げたあの夜、あの姫さんに逢ってるのか?」
「……お前は勘がいいな」
「いいのは勘じゃなくて頭だよ。ちょっと考えれば想像はつく」
「そうか……」
酷く心配そうに、天城は夜光の顔を伺った。
夜光はじっと、動き出した姫の一行の姿を目で追い続けていた。

 

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