眠りの森(11)

「で、つまりそれを信じろって言いたいのか? お前は」
「出てきて自分の目を見て話せたらどんな事でも信じてやるって言ったのはそっちじゃねえか。だから来てやったのに」
剣道部が使用している建物の近くの芝生。以前体育祭の時、応援団が練習場所に使っていた広場で、剣道部主将の鷹取と対面して秀は不機嫌そうに言い放った。
「今、征士はこっちに出てこられる状態じゃない。話も出来ない。だから征士から事情を説明するのは無理だ。そう言ったら、お前が言ったんだぞ。オレに出てこいって」
電話口で鷹取は言った。そういうことなのだったら、太陽、お前が伊達の代わりに出てこい。
「………………」
鷹取はひどく長い間、じーっと秀の顔を見つめ続けた。まるで睨み付けるかのような鋭い視線に、居心地悪そうに秀も鷹取を睨み返す。
お互いに睨み合うような形でしばらく時間が経った後、ようやく鷹取がふっと力を抜いた。
「……なるほど。分かった。全部信じるよ」
「……え?」
鷹取の答えに、秀は思わず素っ頓狂な声を挙げた。
「信じる? マジで?」
「……なんだよ。さっきまでは信じろって言ってたくせに、やっぱり作り話なのか?」
「そうじゃない! そうじゃない……けど」
「本当なんだろ。全部。だったら信じるさ」
当たり前のような口調で鷹取はそう言うとニヤリと笑った。
「…………なんでだよ」
秀が鷹取に話したのは、自分達の前世にまつわる過去世の話である。
今の征士の状態を説明するためには避けて通れないと判断し、秀は結局洗いざらい、自分に語れる全部のことを鷹取に話して聞かせたのだ。
でも。
いくら何でもこれがすんなり信じられる話などではないことは秀自身が一番分かっていたのに。
秀は信じられないと言った表情で、鷹取の顔を見あげた。
そうなのだ。自分でさえ初めて当麻に話を聞いた時は、信じられなかった。
自分達の前世のこと。戦いのこと。生まれ変わりのこと。使命のこと。当麻の言葉を疑いはしなかったが、それでも、話を租借して、自分自身で納得が出来るようになるまで随分時間がかかった。ようやくしっくり納得できるようになったのは、それこそ夢を見て記憶が戻り始めてからだ。
それなのに。目の前のこの男は、当たり前のようにあっさり信じると宣言した。どうして。
朝、当麻でさえ言ったのだ。
普通に考えたら、こんな荒唐無稽な話はないぞと。
そうだ。こんな当事者の自分達でさえ理解するのに時間のかかることを、何の関係もないはずの一般人が、どうやったら理解できるというのだろう。
「なんだなんだ、その目は。お前はオレに信じて欲しいのか? 欲しくないのか?」
「そりゃ……」
言いながら秀が口ごもる。
「でも……信じて……もらえるなんて……思ってなかったから……」
「信じるさ。あいつのことに関してお前は絶対嘘は言わないだろ?」
ニヤリと笑って鷹取はそう言った。同時におかしそうに秀の顔を覗き込む。
「あいつの中に嘘という言葉は存在しない。どんな時でも、どんな事でもだ。あいつはいつだって本当の事しか言わない。だったらお前もそうだ。あいつの中に存在しない事は、お前にとっても論外だろ? 他の奴の事ならともかく、あいつのことに対してお前が嘘をつくことはあり得ない。オレはそう判断した。間違ってるか?」
「…………」
いつの間にか鷹取の表情は、真剣なものへと変化していた。真っ直ぐに見据える瞳は、恐らく自分と同じ目で征士を見ているということなのだろう。
征士の持つ本当の事だけを見つめている目なのだろう。
「ありがとう……」
ポツリと洩らされた秀の言葉に鷹取が苦笑する。
「別にお前に感謝される筋合いはないと思うが」
「そ…それは……そう……だけど…さ」
秀の態度にくすりと笑みを洩らすと、鷹取はうーんと大きく伸びをした。
夏の日差しが眩しい。サーッと吹いてきた風がやけに心地よかった。

 

――――――「天城……待て!」
夜光が小さく制止する声を無視して、天城はその身を駕籠を護る警備の馬の前にさらけ出した。
突然目の前に躍り出た影に驚き、馬が前足を高くあげて嘶く。
「どうしたのです!?」
駕籠の中から凛とした声が響き、そのまま引き戸がすっと開いた。
「姫様、いけません。お出になられては」
「申し訳ございません。子供が……」
一人の従者が答えるのを最後まで聞かぬうちに、姫はそのまま駕籠から飛び出した。
「怪我をしているのではないですか!?」
「姫様!?」
慌てる乳母を押しのけるようにして、姫は倒れている天城へと目を向け小さく悲鳴を洩らした。
馬の前足がかすったのか、天城の額から血が流れ落ちている。酷く痛そうに天城は顔を歪めて、ゆっくりと身体を起こそうとした。だが痛みのためか、立ち上がることが出来ず、再び地面へと蹲る。
傍の草むらに身を潜めていた夜光は、天城がそのままその場を動こうとしないので、意を決し街道の中央へと飛び出した。
「天城!」
夜光の声に驚いて、姫は一瞬足を止めたが、そのまま急いで天城達のそばへと駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「…………!?」
一足早く天城の元へ辿り着いた夜光が天城の身体を抱え上げると同時に、姫が心配気に天城の顔を覗き込んでくる。夜光が姫を振り返り、2人の視線が混じり合った。
距離は、ほんの半歩。手を伸ばせば届く距離だ。
お互いの顔を見つめ合い、2人は言葉をなくして立ちすくんだ。
「…………」
ほんの一瞬、時間が静止したように思えた。
「姫様! 駕籠にお戻り下さい!!」
駕籠のそばで、乳母の悲鳴に近い金切り声が響いた。
「あ……あの……」
「あ……この子は大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ない」
思わず早口でまくし立てるようにそう言って、夜光は小さく頭をさげた。
「……え……いえ……」
「姫様!!」
乳母の声が更に大きくなり、姫は戸惑ったように一瞬後ろを気にしたが、その場から立ち上がろうとしなかった。さらりと流れる黒髪を見て、夜光は眩しげに目を細める。
天城が催促するように夜光の脇を肘で突いた。
「今聞かないと、後悔するぞ。夜光」
「…………」
思わず夜光はマジマジと天城の顔を見おろした。先程まであれほど痛がっていたはずの天城の表情は、今、不思議なほど飄々としている。
「天城……お前、もしかして……わざと……?」
話をするきっかけを与えるために、この少年はわざと馬の前に身を投げ出したのだろうか。
夜光は決心したようにフッと息を吸い込むと、心配気な目を向ける姫の方を振り返った。
「この先の城へ輿入れされるというのは真実ですか?」
「…………!?」
ビクリと姫の顔が強ばった。
「姫様!」
とうとう乳母が駕籠から離れ、姫の元へと歩きだす。
焦ったように後ろを振り返り、姫はもう一度夜光へと視線を戻すと小さく頷いた。
「本当……です」
「いつ……祝言はいつですか」
「ふ……二ヶ月後……に……」
「望んで……?」
「……え?」
「あなたはその男に望んで嫁がれるのですか?」
姫の瞳が大きく見開かれる。
「いいえ……いいえ」
激しく頭を振って姫は縋るような目を夜光に向けた。
「違います。決して……望んでなどいません。私は……」
「姫様!!」
「……私は……」
乳母がとうとう姫の元へと駆け寄り、その腕を取った。
「さあ、姫様。お早く。そんな何処の者とも分からぬ輩と口など聞いてはなりません」
引っ張られるように駕籠の方へと下がりながら、姫は夜光を見つめ、声に出さず口の動きだけで微かな言葉を綴った。
「助けて……ください」
「…………」
「助けて……」
姫の言葉は誰の耳にも届かなかったが、夜光と天城の目には確かに届いていた。
姫が乗り込んだ駕籠の周りをさらに警備の兵が固め、ようやく駕籠は再び動き出す。
じっと黙って目の前を通りすぎる駕籠を見送る夜光の横顔を、天城は窺うように見あげた。

 

――――――トントンという軽いノックの音と同時に静かにドアが開き、伸が顔を覗かせた。
征士のベッドに俯せになって眠っていた正人がその音と伸の気配に気付き、目を覚ます。
「……あれ、伸?」
「正人? 何? 寝てたの?」
「あぁ、少しだけ……な。ちょっと征に同調してた」
目をこすりつつ、正人は征士の腕から手を退け、立ち上がった。
「何、どうした?」
「あ、ちょっと……ね」
そのまま伸はドアを半分だけ開けて、すいっと後ろを向いた。
「じゃあ、入ってもいいけど……征士はまだ眠ったままなんで、一応静かにしてね」
「ああ」
「……?」
聞き慣れない声がドアの向こう側で伸に返事をしている。
誰だろう。正人はドアの方へ目を向けた。
「何? お客さんか?」
「うん、そう。お見舞いだって。うちの学校の剣道部主将で……」
「鷹取謙司という。突然押し掛けてすまないが、少しだけいいか?」
そう言って伸の後ろから姿を現したのは、精悍な顔をした長身の男だった。
剣道部主将を務めているというので、一瞬袴姿でも出てくるのかと思ったが、その男が着ていたのは、白いカッターシャツに紺色のズボンだった。恐らく伸達の高校の制服だろう。
だが半袖から見える腕は、いい具合に筋肉の付いた浅黒い肌だった。
「征士の……見舞い?」
「ああ、邪魔はしない。ちょっと顔見に来ただけだから。事情はこいつに全部聞いたし」
「……こいつ?」
見ると、鷹取の後ろには秀が立っていた。
「ああ、なるほど。じゃ、どうぞ。オレちょっと下行ってるから、ごゆっくり」
「悪いな」
正人と入れ替わりに部屋に入ってきた鷹取は、眠り続ける征士のそばに立ち、じっとその寝顔を見おろした。ふと鷹取の目が心配気に細まる。
そんな鷹取の様子を見て正人が口を開いた。
「眠り姫はまだ目を覚まさないみたいだぞ。お前はいばらの森を抜けてきた王子か何かか?」
「王子ねえ……どっちかって言うと、かぐや姫の帝目指してるんだがなぁ、オレは」
困ったように鷹取が呟く。確かに、彼は洋装より和装の帝の方が似合いそうだ。
「でも、この際王子でもいいか。……じゃあ、試してみようかな? キスしたらこいつ、目、覚ますかなぁ?」
「いいねぇ、応援するぜ」
「正人!」
何をバカなこと言ってるんだとばかりに、伸は正人の襟首を掴んで部屋から追い出した。
慌てて秀が部屋の中に足を踏み入れる。
正人はちらりと秀の背中を見送ると、パタンとドアを閉じた。振り返ると、伸が呆れ顔で腕を組んでいる。
「ジョークだよ、伸」
「分かってるよ。そんなの」
伸が苦笑した。
「でも、だからってわざわざ波風立てないの」
「はいはい。でも、ってことはあの主将、結構本気なのか?」
伸が眉間に皺を寄せた。
「やっぱ、うちの別嬪さんはモテるんだな。お前がいなかったら羽柴もあっち行ってたろう?」
微妙な表情で伸が固まった。
「……え……?」
「何たってわざわざ逢いに行くくらいだからなぁ……殊勝なこった」
伸の表情に気付かない様子で、正人は言葉を続ける。
「ま、オレも久しぶりに逢えて懐かしかったからな。気持ちは分かるけど」
「久しぶりにって……夜光に……?」
「まあな」
伸がふと視線を落とした。
「……そ、そういえば、当麻も、こっちに来てたんだよね?」
「あいつなら、ちょっと前に目を覚まして出てったよ」
「あ……そう」
ホッと伸が息を吐いた。安心したのかため息なのか微妙な息づかいだ。
ふと正人は目を細め、そんな伸をじっと見つめた。
そういえば、当麻の心が、征士ではなく夜光を欲していること、伸はどう思っているのだろう。
ふと、そんな疑問が湧いたが、なんとなく聞く気になれなくて、結局正人はそのまま口をつぐんだ。
夜光と征士。
夜光を消さないために、当麻は正人を呼び、秀の手を止めさせた。
ということは、今眠っているのは本当に征士なのだろうか。
それとも。
正人は伸の隣をすり抜けると、先に立って階段を降りだした。
「正人?」
伸も正人を追いかけるように階段を降りる。
「なあ……」
「…………」
階段の途中で伸は足を止めた。正人も三段ほど下で立ち止まっている。
「なあ、伸」
「……な、何?」
「オレは誰だと思う?」
「…………」
眠っている征士は征士なのか夜光なのか。では、今ここにいる自分は。
自分はいったい。
「……オレは……」
「君は正人だよ。何言ってんの。名前忘れるほどボケるにはまだ早くない?」
怒ったようにそう言って、伸は正人を追い越して階段を駆け下りた。
「そんなことより暇だったらキッチンへ来てくれる? 手伝って欲しいことがあるんだ」
「いいけど……オレの手、汚れてるぞ」
自分自身の血で。
「もちろんちゃんと手を洗ってね」
伸は正人の顔も見ず、背中越しにそう言い放ってキッチンへと姿を消した。少し怒ったような口調である。
ひとり残されて、正人はもう一度自分の手を見る。
もちろん血など付いていない。
「……何やってんだ、オレは」
「…………」
「ホント、相変わらず修行が足りないなぁ……」
低く呟いて、正人も伸を追うようにキッチンへと入っていった。

 

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