眠りの森(6)

結局、今夜、征士のそばには秀が付いていることに決まったので、遼は正人に言われたとおり早々に部屋に引き上げていった。
正人はそのまま風呂へと直行し、伸はキッチンで後片付けの残りと明日の仕込みを行った後、居間へと向かう。とりあえず今日、正人は秀のベッド、つまりは自分達の部屋で眠ることになったので、居間に置きっぱなしになっていた正人の荷物を部屋に持っていこうと思ったのだ。
「あれ? 当麻?」
居間に顔を出すと、まだ当麻が起きていて、ソファに半分身体を沈めたままじっと何か考え事をしているようだった。
「まだ寝ないの? あ、秀にベッド取られた所為?」
「いや、それだったら遼の所の空いたベッド貸してもらうことになってる」
「だったら……」
当麻の表情が暗い。伸はどうかしたのだろうかと思い、一旦持ち上げかけた正人の荷物を床に戻すと、当麻の隣にストンと腰を降ろした。
「何だ?」
当麻が何か用かといった口調で伸に目を向けた。
「別に」
言いながら伸は小さく息を吐いた。
「眠れない? 征士のこと、心配?」
「……そうだな」
伸の問いに当麻が頷いた。
「だが、大丈夫だろう。あいつが戻って来たんだから」
「随分信頼してるんだね。正人のこと」
「オレじゃない。コウが烈火に逢いたがってただけだ。オレはただの橋渡し」
「…………」
「違うな……そうじゃない……やっぱり、オレは最低な奴かもしれない……」
「…………?」
当麻の言っている言葉の意味を汲み取れず、伸は首を傾げた。
「……当麻?」
「オレは何をしてるんだろう……本当に、秀に殴られてもこれじゃ永遠に反論なんか出来ない」
伸は無言のままじっと当麻の横顔を見つめた。
「烈火が来ることを望んだのは、夜光だ。だからオレは烈火を呼んだ」
「…………?」
「夜光を繋ぎ止めるために、烈火という存在が必要だと思ったんだ」
「よく……分からないんだけど……?」
伸が困ったようにそう呟くと、当麻は苦しげに顔をしかめた。
「秀が……秀があの時正人を止めたのはオレの所為なんだ」
「あの時って? ……もしかして、正人が征士を起こそうとした時ってこと?」
「ああ……」
そういえば、やるならさっさとやってしまおうとばかりに腰を上げた正人を制止したのは秀だった。
いつもの秀なら、そのまま一緒になって早く征士が目覚めることをこそ望みそうなのに、確かに妙と言えば妙だった。
でも、何故。
「別にあれは、あれでいいんじゃないの? 正人の言ってたとおり、1週間も2週間も昏睡状態なんだったらともかく、そこまで焦らなくてもいいんだったら、どちらかというと征士が目を覚ましたあとのフォローをどうするかってことを考えれば……」
「そうじゃない」
「……え?」
「そういうことじゃないんだ」
「……じゃあ……どういうこと?」
最初はただ単に征士のことが心配で寝付けないだけなのかと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。当麻の様子がいつもと少し違うことに気付き、伸は当麻の顔をよく見ようと身体をずらして正面から当麻の顔を覗き込んだ。
「オレ達があいつの所へ行った時、秀は最初、すぐにでも征士を起こそうとしたんだ。だが、オレはそれを止めた」
「…………」
「秀が言ったんだ。征士が夜光の人生を追体験したら、こいつは夜光になるのか? って」
「……え?」
夜光になる。
「オレは答えられなかった。もしかしたら、そうかもしれないと思ったからだ」
「…………」
「違う。それじゃ正しくない。そうであったらどんなに……」
そこで言葉を切って、当麻は唇を噛みしめた。
伸は眉間に皺を寄せる。当麻の真意がよく分からない。
「秀は、征士を起こそうとした。夜光の世界から征士を引き戻そうとしたんだ。だからオレは止めた」
「…………」
「オレ……夜光に消えて欲しくないと思ったんだ。そうだ。オレは無意識に夜光を庇ったんだ。征士が戻ってくることで、代わりに夜光が……」
「……当麻……」
「夜光は言った。いつか再び。遥かなる時の彼方。いつか再び相まみえようと。オレはその言葉を信じてる。何年後でもいい。それこそ百年でも千年でも待とうと思った。いつか再び逢えるのなら、いつまでも待とうと思った。思えた。でも……」
そう言って当麻は大きく息を吐き出した。
「でも……消えちまったら……そのいつかは永遠に来なくなる。オレは永遠に夜光を失う。それが怖かった。どうにかなりそうなくらい怖かったんだ……」
長い長い。信じられないほどの長い時を経て。それでも構わないと。
どれほどの時間が必要であろうと、それでも、いつか逢えるのなら、それでも構わないと。
それほどに。
「オレは、いつも征士に酷い仕打ちをしている。いつもいつもだ」
「…………」
「オレはちゃんと征士のことも見ているつもりだ。大切な仲間だと思ってる。やつにもはっきりそう言った。あの言葉は嘘じゃない。絶対嘘じゃない。でも、その同じ心でオレはいつまでも夜光を、夜光に再び逢えることを欲してるんだ」
「…………」
「これは征士に対する裏切りだ。オレは、最低な奴だ……」
夜光に逢いたい。
そうか。
そういうことか。
伸は深く息を吐き、そっと当麻に聞いた。
「……それが、昨日秀に殴られた理由?」
「ああ」
寂しくて、哀しくて、今の当麻はまるで独りぼっちで泣いている子供のようだ。
そばにいるのは自分なのに。一番近くにいるのは自分なのに。
当麻の目は遠い彼の人を見ている。
そっと手を伸ばして、伸は当麻の頭を包み込むように抱えた。
「どっちをなんて選べない。分かるよ。僕だって同じだ」
「…………」
「同じだよ」
「…………」
「だから、もし。もしも……願うだけでも罪なのなら。ただ、そう思っていることすら罪なのだとしたら、2人で地獄に流されよう」
「……伸」
当麻はゆっくりと伸の腕から離れ、顔をあげて伸を見つめた。そして、そのまま当麻の手がそっと伸び、伸の頬に触れる。
「……すまない」
「どうして君が僕に謝るの?」
「……分からない」
呆れたように伸は微かに笑った。
当麻は伸ばした手をそっと伸の背中にまわし、伸の身体を自分の方へと引き寄せた。
「……とう……?」
そして、静かに唇を重ねる。
伸は一瞬驚いて目を丸くしたが、そのまま大人しく目を閉じた。吐息が洩れる。
当麻の指が伸の栗色の髪を梳いた。優しい手つきだった。
「ごめん」
「だから、何謝って……」
言いながら、伸は当麻から身体を離す。と、その時、うしろで小さな物音が聞こえた。
「……!?」
慌てて振り返ると、風呂からあがってそのまま来たのだろうか、頭にタオルを乗せたままの正人が居間の入り口に立っていた。
「正人……!?」
さっきまでシャワーの音が続いていたと思ったのに、いつの間に風呂からあがったのだろうか。
廊下を歩く足音は聞こえなかったのに。
「……あ……」
「荷物、居間に置いたままになってたと思って……ああ、これか」
そう言って正人は足下に置いてあった自分の鞄を持ち上げた。
「伸、じゃあ、先に部屋に行ってるぞ。風呂はちゃんと水で流しておいたからな」
正人の口調は軽い。見られてはいなかったということなんだろうか。
「あ、うん。ごめん、すぐ行く」
「羽柴もお休み。とっとと寝ろよ」
「……あぁ」
軽く手を振り、正人はトントンと二階へ上がって行った。
「どう……思う?」
小声で伸が聞いた。
「見られた……かな?」
「……さあ」
当麻がくしゃりと前髪を掻きあげて聞いた。
「今でも嫌か? 奴に知られるのは」
「知られるも何も、正人は最初から知ってるよ。七夕の時に言われた」
当麻の問いかけに、伸はそう呟いた。

 

――――――「あの……正人」
部屋に戻ると、正人はすっかりくつろいだ状態で、伸のベッドに大の字になって寝転がっていた。
「何だ?」
「……その……」
言いにくそうに視線をはずす伸を見て正人はくすりと笑い、ベッドの上に起きあがった。
「あ、こっちは自分のベッドだから退けってこと?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ何? オレに確認したいことでもあるのか? って、そういう聞き方は嫌味か」
「…………」
バツが悪そうに伸はそっぽを向いたまま正人の方を見ようとしない。正人は呆れたように小さく肩をすくめた。
「相変わらずだなぁ、お前」
「…………」
「さっきの見たのか見てないのかってことなら、悪い、全部見ちまった」
「……!!」
伸が正人を見ると、正人はもう一度、悪いなぁと言いながらニヤッと笑った。かあっと頬が熱くなる。
「伸……お前、顔が真っ赤だぞ」
おかしそうに正人が笑う。
「わ……笑い事じゃないよ、正人」
正人はベッドの上で、身体をくの字に曲げて笑いだした。
「正人!」
「大丈夫。大丈夫。オレは頭の固い父親じゃないから、娘の恋愛事情に口を出したりしないって」
「なっ……何言って……」
「いや〜安心したよ。奥手だ奥手だと思ってた子供が……いつの間にこんなに成長してたんだろう」
「正人!」
思わず伸は走り寄ってベッドに乗り上げ、正人に詰め寄った。
「ふざけないでよ」
「ふざけてねーよ。オレ」
そう言って正人は伸の腕を掴んだ。
「まさ……と?」
「ふざけてる余裕なんかないよ。だって……」
腕を掴む手に力がこもった。いつの間にか正人の表情が真剣なものに変わっている。伸は眉をひそめた。
「正人? どうし……?」
「すっげえ妬けた」
「……え?」
「あいつとお前がキスしてるの見て、信じられないくらい妬けた。嫉妬で気が狂うかと思った」
「正人……? 何言って……」
「伸。オレ、お前が好きだ」
「正人……? 冗談だろ? 何言って……」
「冗談なんかじゃねえよ。オレは、お前が好きだ」
正人はそう言って、握りしめた手に力を込めた。

 

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