眠りの森(5)

朝の眩しい光が目に飛び込んで来て、夜光は顔をしかめながら身を起こした。
ズキズキと痛む腕をさすりながら入り口を見あげると、烈火が笑いをこらえたような表情でにこにこと夜光を見下ろしている。
「烈火……?」
「ようやくお目覚めか? コウ」
至上の幸福を絵に描いたような笑顔で烈火は夜光の顔を覗き込む。対する夜光は反対に苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。
「なんだ、まだ痛むのか?」
「当たり前だ。あれだけしたたかにやられてしまったんだ」
「鋼玉も手加減を知らないからな。もっとも、お前があまりにムキになるから加減出来なかったんだろうけど」
「手加減など望んではいない。第一、加減されたら修行にはならないだろう?」
「そりゃそうだ」
にっと笑って、烈火が頷いた。
鋼玉と名乗る男がこの烈火の住む村に来たのは、5ヶ月ほど前、夜光が村に住み着くようになってから5年程経った頃のことだ。
剣技や棒術に長けていた鋼玉に、剣の稽古を付けて欲しいと頼み込んだのは、烈火が先だったか夜光が先だったろうか。以前、北方の地で用心棒のような事をしていたというだけはある素晴らしい腕前の持ち主だった鋼玉に、2人は先を争うように剣の教えを請うたのだった。
稽古を始めたばかりの頃は、2人の剣はいくら頑張っても鋼玉の身体に触れもしなかった。毎日毎日増え続ける打ち身や痣に身体中から悲鳴をあげながら、それでも2人は根を上げることなく、剣の稽古に励んでいた。
「昨晩は結構良いところまでいったと思ったのだがな……」
「ああ、惜しかったよ。確かに。鋼玉も昨日はかなり本気で焦ってたし」
「焦って……?」
「成り行きとはいえ、本気でやってしまったって」
言いながら、烈火はやけにニコニコと満面の笑顔を見せている。
「…………?」
一瞬、眉間に皺を寄せた夜光は、その時、烈火の立つ入り口から覗く太陽がかなり高い位置にあることに初めて気付いた。
「もしかして、朝稽古はもう終わったのか?」
「ああ」
「…………」
もう一度じっと烈火の顔を見あげ、夜光は探るような口調で聞いた。
「まさかとは思うが、お前、やけに機嫌がいいな」
「ああ」
「それは……つまり、そういうことか?」
にっこりと笑って烈火は大きく頷いた。
「ご名答。今日から10日間、水汲みはよろしく頼むな」
「…………」
再び苦虫を噛みつぶしたような表情になって夜光は大きく肩を落とした。
「予定では、今日私が鋼玉から一本取ってお前にその言葉を言うはずだったのに……」
「世の中そう甘くない。何なら見に行くか? さすがにうめき声ひとつあげなかったけど、かなり見事に決まったから、鋼玉の横っ腹には大きな痣が出来てるはずだ」
「…………」
今朝、初めて鋼玉の身体に木刀を打ち込むことが出来た烈火は心底嬉しそうだった。2ヶ月前は身体にかすらせることすら出来なかったことを考えると、この成長ぶりはかなりのものだろう。
「まったく……敵わないな、お前には。最初は私の方が強かったはずなのに、いつの間に追い抜かれたんだろう」
独り言のように呟き、夜光はようやく寝床を整え、外へと出た。
雲一つない真っ青な空が広がっている。
大きく息を吸い込んで深呼吸すると、夜光は黒曜石の瞳を持つ友を振り返った。
「烈火、そんなに急いで強くなって、どうする気だ?」
「なんだ、負けた言い訳か?」
「そうじゃなくて」
「コウ」
静かに夜光の言葉を遮り、烈火は腰に差した木刀を握りしめた。
「オレは、強くなりたいんだ。なるべく早く」
「……何故だ?」
「それは……」
しばらく躊躇した後、烈火はきっぱりと言った。
「お前を死なせない為にだ」
「……!?」
僅かに目を見開いて夜光は烈火を見つめた。
「それは……どういうことだ?」
「…………」
「烈火」
「じゃあ、オレもお前に聞きたい。お前は何故強くなりたいんだ?」
「…………え?」
「お前は、いつか、敵を討とうと思ってるんじゃないのか?」
今度こそはっきりと驚きを示し、夜光は唾を飲み込んだ。
「お前が此処に来て5年。毎日毎日何を見ているのか、オレが気付いていないと思っていたのか?」
「…………」
「オレはお前を見殺しにしたくない」
「…………」
「お前がいつか、あそこに戻りたいと言いだした時、オレはお前を引き留めることは出来ない。だから、せめて共に行こうと思った。共に戦おうと思った。だから強くなる。オレは、お前を死なせないために、強くなる」
夜光はじっと烈火の言葉に耳を傾け、やがて、ぽつりと聞いた。
「いつから知っていたんだ? お前は最初から知っていて私をこの里に誘ったのか?」
「いいや。そうじゃない」
瞬きもせず、烈火はじっと夜光を見つめ返した。
「お前に隠し事をする気も、嘘をつく気もない。お前が山の彼方を見ているのは知っていても何を見ているのかは知らなかった。ただ、お前の心が此処にはないことだけは知っていた」
「…………」
「そして、この間、その理由がようやく分かった」
風が夜光の髪を揺らした。
「此処から東に数里ほど離れたところにある城が落とされたのは5年前。オレとお前が出逢った日の前日だ。まさかと思った。城の城主含め一族皆殺しの目に遭ったというのに、生き残りがいたのだろうか、と。それにもしそうだとしても距離が離れすぎている。子供が一晩で移動できる距離じゃない。否定するべき事象は数え上げればきりがないくらいにあった。それでも……」
そこで言葉を途切れさせ、烈火は静かに息を吐いた。
「それでも、お前がそうなのだと、そう考えればすべてつじつまが合ったんだ」
「…………」
「本当の事を問いただそうとして、お前を探しに行った。そうしたら、お前はいつものように東の山々を見あげてじっと立っていた。その姿を見た時、すべての欠片が繋がった」
「烈火……」
「オレは、いつお前が此処を出ると言い出すのか気が気じゃない。だから、せめて手遅れにならないように早く強くなりたい」
強く。
「烈火。ひとつ聞かせてくれ」
「…………」
「今、お前は一族皆殺しだったと言ったな。それは事実か?」
「…………」
烈火は言葉に詰まって、思わず夜光から目をそらした。
「城主も奥方も、近親者もすべて、殺されたというのだな」
「…………」
烈火の沈黙はそのまま肯定の意味を夜光に伝えてくる。
何年経っても記憶の中から少しも色褪せることない最後に見た母の姿。声。
夜光は再び、そびえ立つ東の山々を見あげた。

 

――――――「とりあえず、状況を整理しよう」
そう言って正人は周りに集まった皆の顔をぐるっと見回した。皆も正人の言葉に頷く。
場所は征士と当麻の部屋。
本当であれば、居間にでも集合したかったのだが、正人が来た後、何となくそのまま全員が征士と当麻の部屋に集合していたのだ。
当麻のベッドには正人が座り、その隣に伸、征士の机の椅子には遼。征士の邪魔にならないように眠っている征士のベッドの端に秀が腰掛け、当麻は自分の椅子にまたがり、背もたれで頬杖をついていた。
正人はひととおり今までの征士の状態を聞くと、ゆっくりともう一度皆の顔を見回した。
「征士は昨日からずっと眠ったきりだって聞いたけど、こういう現象は前にもあったんだって?」
「……征士じゃなくオレのことだけどな」
ポツリと当麻が答えた。
「で、そん時、お前は過去を追体験したんだな」
「……そうだ」
「ってことは、今の征士の状態も同じだと考えればいいのか?」
「…………」
ちらりと秀が当麻を見た。当麻はひどく答えづらそうに、小さく頷く。
「だとすれば、別に今回の事はお前等にとって初めての事件でも何でもないってわけか……っつーか、そうなると、オレが何で呼ばれたのかよくわかんねーんだけど?」
「……それは……」
やはり答えづらそうに当麻は言葉を濁す。
「征士が烈火の名前を呼んだんだよ」
遼が当麻の代わりに言った。
「だから征士が会いたがってるんじゃないかって。だよな? 秀」
「……ああ」
「…………」
正人はちらりと征士の方へ視線を移した。
「烈火にね……つまりそれってオレに会いたいってことなのかな?」
「それ以外何があるんだよ」
正人の言葉にすかさず秀が言い返した。正人は苦笑しつつもう一度征士の寝顔を見おろす。
「確かに、オレも久しぶりにコウに逢えて懐かしかったから……そういう事でいいんだろうな」
「……コウって……夜光に?」
「ああ……」
呟くように頷いて、正人は目を閉じた。
「オレもさっき征の夢に同調したみたいなんだ。あれは、ちょうど鋼玉が村に来て少し経った頃だった」
「……って、オレ?」
「そう」
自分の顔を指差した秀を見て、正人はにこりと笑った。そして、仕切り直すように顔をあげる。
「で、征士はこのまま放っておいても大丈夫なのか? 羽柴の時はどれくらいで目を覚ましたんだ?」
「うん……当麻の時は、まる1日って程度だったよ。だから特に騒ぐこともなかったし、そもそも眠る前に当麻自身が大丈夫だからって言って寝に入ったわけだから……」
「そっか……」
伸の答えに、正人は思案顔で頬杖を付いた。
あの時の当麻と、今回の征士の現象は似ているようで微妙に違う。
何よりも当麻は自分の意志で過去世の記憶を取り戻そうとしたのだ。
では、征士は?
当麻を除く全員が征士へと視線を向けた。
そして、口火を切ったのはやはり正人だった。
「どうする? このまま自然に目を覚ますのを待つか? それとも無理矢理叩き起こすか?」
正人の提案に、当麻がピクリと反応した。そんな当麻をちらりと盗み見て、秀が口を開く。
「でもなあ、正人。無理矢理っつっても、どうやって起こすんだ? オレ達は征士に触ったら一緒に夢に引きずり込まれるんだぜ?」
「まあ、それはそうなんだけど、方法は色々あるだろう。それこそ文字通り叩き起こすか、或いは夢の中から引き戻すか」
「引き戻す?」
「そう。確実とは言えないけど、もしかしたら出来るかもしれない。オレ、コウの夢の中でも結構自我が残ってたから」
「……え?」
秀が不審気に眉を潜めた。
秀が夜光の夢の中に入った時、秀の意識は夜光の中に収納されたような状態だったはずだ。夜光の目を通して何かを見、夜光の手を通して何かに触れて。
もしうまく精神だけ抜け出せたのだとしても、自分の意志であの世界に何か影響を及ぼすことなど出来そうになかったはずなのに。
「でも、自我があっても夜光の中から動けねえだろ?」
「コウの中? いや、オレの意識は烈火の中に入ってたぞ」
「…………え?」
「もちろん、あの頃の烈火の意志や記憶の方がでかいわけだから、オレが何もしなくても烈火は烈火として行動してるんだけど、やろうと思えば、オレはオレの意志で烈火に言葉をしゃべらせることが出来そうな気がしたけどな」
「…………ってことは」
自分が夜光の夢に入った時、夜光はまだ鋼玉に出逢っていなかった。
だから秀の意識は入るべき場所が見つからず、夜光の中に収まっていたということだったのだろうか。
でも、だとしたら。
「そう、夢の中の夜光に直接語りかけることが出来れば、そのままあの世界から連れ出すこともきっと出来ると思わないか? 試してみる価値はあるだろ? どうだ、やるか?」
言いながら正人はベッドから腰を上げた。そのまま征士の方に手をかざす。
「ちょ…ちょっと……待ってくれ……」
正人の手が征士の身体に触れる寸前、征士と正人の間に秀が割って入った。
「秀?」
遼が怪訝な顔を秀に向ける。
「どうしたんだ?」
「ちょっと……ちょっと……待ってくれ」
「…………」
俯く秀を見て、正人は征士の方へと伸ばしていた手を引っ込めた。
「分かった。じゃあ、今日のところは中止だ。まだそこまで焦らなくても大丈夫だろうし」
秀がほうっと息を吐く。
「なあ、羽柴」
そのまま正人はくるりと当麻の方へと向き直った。
「予測でいいから教えてくれ。征はあとどれくらい眠り続けると思う?」
「……正確なことはわからんが、早ければ明日……明後日の朝ってのは都合良すぎかな?」
実際、当麻が鎧珠を手にして記憶を辿った時は、丸1日で目を覚ました。征士が眠りだしてからは、今の時点ですでにその時間は過ぎている。やはりそれぞれの時間を辿るスピードが違うということなのだろう。
ただ、先程、正人は夜光が烈火に逢って5年後の時間を見たと言っていた。ということは、このままのスピードで進めば、あと1〜2日で夜光の人生は幕を閉じる。征士の夢もそこで終了ということだろう。
「OK。じゃあ、とりあえずこの場は様子見ってことで。昏睡状態が1週間以上も続くってのなら、さすがに体力的な問題もあるから、点滴だけでも打てるように医者呼ぶか、無理矢理起こすしかないけど」
「…………」
秀が唇を噛んで、征士から目を逸らせた。
「では、一旦解散ってことにしよう。もう時計の針もてっぺん過ぎてるし。実はオレも時差ボケはいって、かなりしんどいんだ。伸、風呂使っていいか?」
「あ、ああもちろん」
「さんきゅ。じゃあ、遼は早めに部屋帰って寝ろ」
真っ直ぐに遼を見て、正人はにこりと笑った。対する遼は何故自分が名指しなのか分からず不思議そうな顔で正人を見返す。
「分かった……けどなんで?」
「今、お前に具合悪くなられたら一番哀しむのは征だぞ。それは分かるだろう?」
「…………」
「お前には元気でいて欲しい。他の誰より、お前だけは元気でいて欲しい。それは征の望みだ。違うか?」
はっきりと正人は断言した。遼は正人の言葉に素直に頷く。
「……分かった」
「なあ、オレ、今日は此処に居たい。いいか?」
秀は正人を見て伺うように首をかしげた。
「ああ、いいよ。今夜はお前が付いててやれ」
「さんきゅ」
安心したように頷いて、秀が征士の寝顔に視線を落とす。
ふと、伸の中に不思議な感覚が湧いた。
普通に考えれば、この部屋は征士と当麻の部屋なのだから、本来であれば、此処に居たいという許可は当麻にこそ取るべきなのかもしれない。でも秀は、まっすぐに正人にそれを聞き、正人も当然のように秀に答えた。
それが自然な形だった。
なんだか、そうすることが当たり前なんだと、自分も含めて、今ここにいる全員が思っていたのだ。きっと。
正人は征士の眠るベッド脇に立って、じっと征士を見つめている。
「征……帰ってこい。オレ達の居場所に」
そう呟く正人に烈火の影が重なって見えた。
「…………!?」
伸は一瞬息を呑む。
懐かしい烈火。自分達のリーダーだった烈火。
ああ、そうなのだ。
正人は自分達のリーダーである烈火なのだ。だから、誰もがリーダーに伺いを立てる。当然のこととして。
分かっている。
今、正人の中にいるのは烈火なのだ。あれほどに逢いたいと望み続けている烈火なのだ。
逢いたくて仕方なかった、懐かしい彼の人。
それなのに。
なんだか、胸が苦しかった。何故だろう。とてもとても苦しかった。

 

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