眠りの森(14)

「こらっ! もう打ち止めだって言ったろう」
これで最後だからと伸ばされた手をバシッと叩かれ、正人はつまみかけていたクッキーを皿の上に落としそうになった。
「あとは征士が目を覚ましてから。せっかく作ったのに全部食べちゃってどうするの」
「全部なんか食べてないだろう」
皿の上にはまだまだ大盛りのクッキーが残っている。
作るの手伝ったんだからご褒美があっても良いだろうにと正人が口を尖らすと、伸はあきれ顔で、ご褒美分はさっきので充分食べただろうと言い返してくる。
正人は恨めしそうに一度は手に取ったクッキーを皿に戻した。
本来、これは征士が目を覚ましたときに、とりあえず何かつまめるものがあったほうがいいだろうと、伸が作ったものである。さっき仕上げだけ手伝ったとはいえ、正人はほとんど何もしていないのも同然。発言力は伸のほうが大きくて当然なのだ。
「鷹取にはどんどん食べろって言ってたくせに」
「彼はお客様。君もそう扱って欲しいの? 違うだろ」
「…………」
伸が勧めるまま、それなりに食べ、鷹取は先程帰っていった。
鷹取は、征士の所属している剣道部の主将だと言っていたが、その態度は、単に部員の一人が休んでいるので仕方なく見舞いに来たというものではなかった。少し話をしただけで、鷹取にとって征士がどれだけ特別なのか分かったし、きっと征士にとっても鷹取はただの先輩以上の者なのだ。
でも。
それでも、鷹取は自分達にとっては『お客様』なのだ。
当たり前なのだが、その言葉が正人の胸にずしんと響いた。
「正人? どうかした?」
急に黙った正人を気にして、伸が正人の顔を覗き込んできた。
「正人?」
「何でもないよ。ちょっと考えただけ。オレも一歩間違うとあいつと同じ立場だったんだろうなぁって」
ポツリと正人が言った。
「同じって?」
「同じ過去世を持たない人間はお前達の絆の中には入れないってこと」
一瞬、伸の表情が強ばった。
確かに、もし正人の中に烈火が入らなければ、当麻が正人を呼ぶこともなかっただろうし、皆が正人を頼ることもなかったのかも知れない。
ということは、もしかしたら、正人が烈火でなければ、今ここに正人はいなかったかも知れないのだ。
いや、もしかしたら、じゃない。確実にいなかったのだ。
「でも……だからって、変わらないよ。僕にとっては」
「…………」
「僕にとっては正人は正人。幼馴染みの正人だよ」
幼馴染み。
「……幼馴染み……かあ」
噛みしめるようにそう呟いて、正人は立ち上がり、先程の鷹取の口調を真似た。
「幼馴染みはすべからく特別な存在なんだから、「ただの」幼馴染みなんてものはこの世に存在しない」
「極論だよね」
「ああ」
伸の言葉に正人は頷いた。
極論である。とても。
でも、その言葉に少なくとも自分達は救われたのだ。
幼馴染みというのが、すべて特別なのだとしたら。今、こうやってお互いに抱いている感情に目をそらす必要はない。
必要はない。そう信じたい。
「そういえば秀はまだ征士のとこにいるのかな?」
紅茶のカップをまとめ、トレイに乗せながら思い出したように伸が言った。
まとめたカップの数は4つ。1つは使われないまま残されていた秀の分のカップだ。
鷹取を誘った時、あとで降りて行くと言っていたのに、結局秀は姿を現さなかったのだ。
「ちょっと見てくるよ。奴にもいちおうクッキーの味見させてやらなきゃ。あとが怖い」
「そうだね」
「遼と羽柴には声かけなくていいのか?」
「遼は暗室に籠もるって言ってたから、今は食べないよ。当麻も書斎では食べないし」
「なるほどね」
「じゃあ、すぐに僕も征士の部屋行くから、先に行ってて」
「了解」
トレイを持ってキッチンへ向かった伸と別れ、正人は二階への階段をあがった。
征士の部屋は相変わらずしんと静かで、物音一つしない。でも、部屋を出てきた気配はしなかったはずだから、秀はまだこの中に居るのだろう。
「……ったく……」
秀はそうやってずっと黙って征士のそばに居続ける気なのだろうか。それとも。
ガチャリと部屋のドアを開け、正人はおや?っと首を傾げた。

 

――――――力任せの鍔迫り合いに負け、烈火は弾かれるように壁へと叩き付けられた。
「烈火!!」
慌てて夜光と天城が烈火のそばへと駆け寄る。少し離れた位置で鋼玉は周りへと視線を巡らせた。
4人の目の前に立ちはだかるのは1人の男。
漆黒の鎧を身に纏ったその姿は、禍々しい光を放っている。
「コウ……もしかして、こいつが……?」
「……あ、ああ……」
烈火の言葉に、夜光は戸惑ったように頷いた。
目の前の男の顔には見覚えがある。
幼い頃、見たあの顔だ。あの夜、謀反を起こし、夜光の父と母を殺したあの男だ。
確かにそうなのに。
何故だろう。記憶にあるものと印象が違う。
数年振りにこの城の外観を見たときと同じ。
目を背けたくなるほどの禍々しさ。吐き気を催すほどの重圧感。
なんだこれは。
睨み付ける夜光を面白そうに見おろしていた男の視線が、ふと隣にいる烈火へと移った。
「……? お前……」
男の目がすっと細められる。
「お前が、烈火か?」
「……!?」
烈火の目が驚愕に見開かれた。
「何故、オレの名を知ってる……?」
「……名前?」
男は微かに首を傾げ、次いで引きつったような掠れた笑い声をあげた。
「なんだ。お前、名前も烈火というのか? それはそれは……」
「…………?」
男が笑う意味が分からない。
眉をひそめた烈火の目の前へ、男は無造作に刀を振り下ろした。
間一髪のところで身をかわし、烈火がザッと後ろへと飛び去る。
「青いな。まだまだ幼いひよっこ同然だ」
「……なんだと……!」
「今のお前ではオレは倒せん。烈火の戦士」
「…………!!」
後ろで小さく天城が息を呑んだ。
「どうせならもっと強くなれ。以前のように」
「どういう……意味だ……?」
「……烈火、あいつは……」
思わず天城が烈火のそばに駆け寄ろうとしたとたん、烈火はそれを阻止するように左手で天城を制した。
「天城、鋼玉。コウを頼んだ」
「烈火!?」
「コウ! 行け! ここはオレが抑える」
そう言って烈火は立ちあがると、剣を構え直した。
「烈火! 無茶だ。1人で残るなんて」
「お前の目的はなんだ? ここにいる男と戦うことか? 違うはずだ」
「…………」
「目的を見失うな。早く行け!!」
烈火の迫力に押されるように夜光は対峙する2人の脇をすり抜けるように走り出した。
夜光を目で追う男の眼前に烈火は遮るように立ちはだかった。
「お前の相手はオレがする。不本意だろうが、了解してもらう」
「……天城、行くぞ」
鋼玉は夜光の後を追う体勢に入っている。
一瞬躊躇した後、天城も2人の後を追うように駆けだしかけた。が、ふと立ち止まり、烈火を振り返る。
「烈火。隙を見て逃げろ。絶対に無理をするな。まだ今は時期尚早だ」
「……?」
「気を付けろ。そいつが敵だ」
「…………!?」
刀を構えたまま、烈火がちらりと天城を見た。
「そいつが、これから先のオレ達の、本当の敵だ!」
烈火が小さくコクリと頷いた。

 

――――――キッチンで洗い物をすませた伸が征士達の部屋の前まで来ると、正人が測ったようにドアから顔を覗かせた。
「あ、正人。秀は? まだいるの?」
「どうしよう、伸。あいつ家出した」
正人はそう言って困ったような顔を伸に向けた。
「え? 家出?」
突然、どういうことだろう。出ていった気配などなかったはずなのに。
伸が思わず部屋の中を覗き込むと、秀はちゃんと部屋の中にいて、征士に覆い被さるように眠っていた。
「……いるじゃないか」
ほっと胸をなで下ろし、伸は正人を見る。
「違うよ。ほら」
でも、正人は伸に首を振って、目の前に一枚の手紙らしきものを差し出した。
「……何?」
「だから、家出の書き置き」
「……は?」
見ると、確かにそこには秀のものらしき筆跡で何かが書かれている。伸は正人から紙を受け取ると書かれた文面に目を通した。
「え……っと、しばらく行ってきます。時間かかるかもしれないけど心配しないで下さい……って。え? 行くって何処へ?」
「あっち」
正人はクイッと腕を曲げて部屋の中を指した。
「あっちって……」
「ほら、夜光の世界への家出」
「…………」
秀は征士に覆い被さるようにして眠っている。そしてその手はしっかりと征士の腕を掴んでいた。
「な……何やってんだよ。秀……」
秀も征士も規則正しい寝息を立てている。そういう意味でいえば心配することはないのかも知れない。
いや、だがしかし。
起こすべきかこのまま見守るべきか伸が迷っていると、当麻がのっそりと二階へ上がって来て部屋に顔を出した。
「何騒いでんだ? お前等」
「別に騒いでるわけじゃ……」
「秀が家出したってだけだよ」
当麻の問いに、伸と正人が同時に答えた。当麻は一瞬妙な顔をして部屋の中へ足を踏み入れる。そして、ちらりと眠っている秀を見るとそのまま真っ直ぐに正人に視線を向けた。
「家出って何だ」
「言葉通りだよ。ほら、伸。こいつに秀の書き置き見せてやれよ」
「書き置き?」
伸に手渡された紙に目を通すと、当麻は再び秀に目を向けた。表情が険しい。
「いつだ……?」
「え?」
「今こいつらはいつの時間にいるんだ?」
「……?」
思わず正人は伸と顔を見合わせた。伸はよく分からないようで、微かに首を傾げている。
「……確か、さっき、っつっても1時間くらい前だけど、オレが見た時はコウがお前を連れて里に戻ってきた頃だったぞ」
鷹取が見舞いに来る直前、夜光の夢に同調していた正人がその時のことを思いだしつつ答えた。
「…………」
当麻の表情がますます険しくなった。
「……駄目だ」
低くそう呟いて当麻はツカツカと2人が眠るベッドに歩み寄った。
「当麻?」
「今は駄目だ。起きろ! 秀!!」
大声で怒鳴り、当麻が秀の身体を揺さぶった。
「ちょっと……当麻!?」
「起きろ! 秀!」
「どうしたんだよ!? 当麻?」
伸が止めるのも聞かず、当麻は更に激しく秀を揺り起こそうとする。
「止めろ! 羽柴!」
とうとう横から正人が当麻の腕を取り、秀から引きはがした。
「何やってんだ! お前!」
「うるさい! なんで止めるんだよ! 知らないくせに」
「……え?」
再び当麻が秀と征士の方へと向き直った。
「秀、起きろ」
「…………」
「起きろ」
「もう……好い加減にしろ。天城」
「……!?」
ビクリと当麻の肩が震えた。
静かな口調にも関わらず、正人のその声は不思議なほど大きく部屋の中に響き渡った。
伸が大きく目を見開く。
正人の姿に重なるようにして、もう一つの影が見えたような気がした。
長い黒髪が風もないのにふわりとなびく。クセのある長い髪。
懐かしい彼の人の。
「決めたのは秀だ。オレ達に口出しする権利はない」
ゆっくりと当麻が振り返った。
「もう一度言うぞ。決めたのは誰でもない、秀自身だ。」
「…………」
「分かるな。天城」
正人を見つめ、当麻は何か言いかけては口を閉じ、やがて絞り出すように言った。
「……あんたは見てない」
「…………」
「あんたは見てない。あの時、あそこにいたのはオレ達3人だ。あんたは遅れて到着したから見てないんだ」
「…………」
「だから……そんなこと……」
「そうだな。そうかも知れない」
「…………」
「すまない」
当麻の視線が彷徨うように宙へ向き、次いで音をたてるようにストンと落ちた。
部屋の中が沈黙に沈む。重い、重い沈黙。
「オレは……無神経なことを言ったのかもしれないな。すまない」
「なんで謝るんだよ……」
床に座り込み、当麻はくしゃりと前髪を掻き上げる。
「あんたはいつもそうだ……そんなだからオレは……」
俯いた当麻は、次の言葉を続けなかった。
正人は静かに伸の方を振り返った。
「……行くぞ、伸」
そして顔をあげて伸を見る。伸は無言のまま、ガチャリと部屋のドアを開けた。
正人は最後にもう一度だけチラリと当麻を見ると、伸の脇をすり抜けるように廊下へと出ていった。伸もあとに続こうとしたが、部屋を出る寸前、立ち止まって心配気にそっと当麻を振り返った。
「……当麻……?」
「…………」
当麻は無言で床に座り込んだまま膝を抱えている。伸の声にも顔をあげようとしない。
「…………」
何か声をかけるべきなのだろうか。
ふとそんな思いが過ぎったが、どんな言葉をかければいいのか何も思いつかず、結局伸は諦めたように小さくため息をつくと、そのまま部屋を出た。
静かにドアを閉じる。
正人は部屋を出たすぐの所で立ち止まって伸が出てくるのを待っていた。
「……正人」
「もうすぐ」
「…………」
「もうすぐ、夜光の姫が死んじまうんだよ」
「……え?」
何だか、泣き笑いのような表情で正人はそう言った。

 

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