眠りの森(13)

祝言の日取りが決定した。
その情報を聞いたとたん、再び東へ向けて旅だった夜光の隣には、烈火、鋼玉、天城の3人がいた。
先日、夜光が黙って出ていった事に対しては怒る気持ちを隠す気もない烈火だったが、夜光の言った「姫を救い出したい」という計画には反対する気持ちはなかったようだ。
倒れていた夜光に水を与えてくれた心優しい姫。言ってみれば、その姫は夜光の命の恩人であるとも言える。であれば、彼女を救い出したいと思うことに何の迷いもない。
「夜光、見えてきたぞ。城だ」
一足先を走っていた天城が振り返って言った。
「烈火も見えるか? あそこだ」
「…………?」
天城が指差す先を見て、烈火が眉をひそめた。
「あれが……城?」
禍々しい。その表現がこれほど似合うなんて。何年も前のこととはいえ、ほんの一時でも、あそこに夜光が居たことがあったなど信じられないくらい、その城は禍々しく見えた。
「コウ……本当にあれなのか?」
「……ああ」
「オレが近くを通った時より、なんか異様さが増してるみたいだぞ。あの城の城主ってどんな奴なんだ?」
鋼玉が走るスピードを僅かに落として、夜光のそばに寄ってきた。
「私が覚えている限りでは、謀反など起こしそうにない男だったはずだ。だから父上も不意をつかれてしまったのだ」
「そんな奴が?」
信頼できるかどうかと問われれば、幼かった夜光にはそこまでの思い入れも記憶もなかったが、少なくとも今あの城の城主として君臨している男は、小心者の小物だった。力には逆らわず、自分自身の身の安泰を第一に考える。謀反を起こして城を乗っ取ろうなど、間違っても出来そうにない。たとえ一瞬考えたとしても行動に起こす度胸もなさそうな、そんな男だった。
「……そんな奴がどうして。突然の心境の変化があったとしてもあり得なくないか?」
「あり得ない事が起こった。その男は文字通り乗っ取られたんだよ。きっと」
鋼玉の言葉に、やけにきっぱりと天城は答えた。
「操ってるのはあの男の後ろにいる奴だ。あいつ自身じゃない」
「……操る?」
烈火がどういうことだと眉間に皺を寄せて天城を見た。
「お前は何か知ってるのか? 天城」
「オレは知ってるんじゃない。覚えてるだけだ。そのうちあんた達にも分かる」
「…………」
夜光に連れられて里に現れたこの細身の少年は、まるで生まれたときから知っていたかのように、自分達の中に入って来た。違和感も何もなく。それを厭う気持ちはもちろんない。
だが、何か不安だった。
何がと聞かれれば答えることなど決して出来ないのだが。
そんな烈火の不安を見越したかのように、天城はふっと寂しそうに笑った。

 

――――――「よかったらお茶でも飲んでく? クッキー焼いたんだけど」
征士の部屋から出てきた鷹取に、そう伸が声をかけてきた。
少し前から家中になんだか良い香りが漂っているとは思っていたが、伸が手製の菓子を焼いていたのだとは。
「すげぇ……噂には聞いてたが、本当に料理全般得意なんだ。毛利って……」
「得意っていうか、ただの趣味だよ」
聞くと、秀はまだ部屋に残っていると言うので、鷹取は伸に誘われるまま、ひとりで居間へ降りて行った。居間には、大皿に盛られた美味しそうなクッキーがどうぞ食べてくださいとばかりに鷹取を待っていた。思わず頬が緩む。
見ると、そこでは正人がすでにクッキーを頬張っており、鷹取は勧められたソファに腰を降ろすと、隣の正人に軽く挨拶の声をかけた。
「さっきはどうも」
「こちらこそ」
「見かけない顔だけど、うちの高校?」
「いや」
「じゃあ……?」
確かここの家の住人は5人だったはずだ。しかも全員同じ高校。では、この少年は。
鷹取の疑問の視線に答えるように正人は笑った。
「オレは木村正人。ここの奴等とは色々事情があってね。今回の件で羽柴に呼びつけられた」
「へぇ……」
ということは。
「お前も例の過去世からの仲間ってことか?」
「さすが、勘がいいねぇ」
にこりと笑い、正人はクッキーを頬張った。鷹取も正人に倣って、早速一枚を手に取ってみる。
まだ焼きたてのクッキーはほんのりと温かく、甘い香りがした。
「これはセサミ?」
「そう。あとクルミ入りと、抹茶もあるよ」
伸が答える。
「抹茶? そんなのまで焼けるんだ?」
「抹茶は征士が好きだからね。今回は多めに焼いたんだ」
伸はポットからお湯を注ぎ、紅茶を煎れると、鷹取の前のテーブルに置いた。ふわりと良い匂いが香る。
「こんな所でご相伴に預かれるなんて、オレ、お前のファンに恨まれそうだな」
「なんだよそれ。ファンって」
「知らないのか? この間の人魚姫観て、うちの部でもお前の隠れファンがかなり増えたんだぞ」
「なっ……!?」
思わず手に取りかけたクッキーを取り落とし伸が硬直した。正人が面白そうに身を乗り出す。
「人魚姫? 何?」
「なんだ見てないのか? あれは一見の価値有りだぞ。うちの映研がこの間撮影したやつで、伊達と毛利が出演してるんだけどさ」
「へぇぇぇ……」
「この間、試写会があって、剣道部員全員で伊達の晴れ姿を拝みに観に行ったんだけど、思わぬ収穫があったって大騒ぎ」
「……ちょっと……」
「毛利の姫でオンリー版とかないのかって交渉してる奴までいたくらいだから……」
「君達かっ! 校内販売云々の元凶は!!」
とうとう真っ赤になって叫んだ伸を見て鷹取は可笑しそうに笑いだした。
「そう怒るなよ。人気があるってのはいいことだろ? 実際お前の人魚姫姿、すげえ良かったんだから」
「人魚姫は海野さんだろ? 僕はただのスタントなんだから関係ないじゃないか」
「…………」
呆れたような目で鷹取は伸を見た。
「あのさ。自覚症状がないってのは、この家の奴等の専売勅許か何かなのか?」
「…………」
グッと伸が言葉に詰まる。
「それ、オレも同感」
正人が鷹取の隣で手を挙げた。伸がじろりと正人を睨み付ける。
鷹取はまったく気にする様子もなく、2枚目のクッキーに手を伸ばした。
「それに、海野はもう売却済みだろ。今更手を出せる奴はいないよ」
「売却って……それ崎谷のこと言ってるの?」
「奴以外に誰がいるんだ?」
「あいつはただの幼馴染みって言ってたよ」
「あのな、毛利。幼馴染みの中に「ただの」なんてものは存在しない。お前「タッチ」を読んでないのか?」
「意味わかんない」
「分からなかったら何度でも読め」
「いや……そういう意味じゃ……」
伸の反論などものともせず、鷹取は美味しそうにクッキーを頬張り、紅茶を飲んだ。
諦めた伸も改めてクッキーをひとつつまんでみる。
「なあ、幼馴染みに「ただの」ってのはないってどういう意味だ?」
正人が伺うように鷹取を見た。
「どうって、そんなの当然じゃないか。だいたい、幼馴染みって物心付いた時からずーっと一緒に居るんだろ。それこそ良いところも悪いところも全部お互い見てて、それでも一緒にいる奴等が初めてお互い幼馴染みって名前で呼び合うんだ。ただのご近所さんやクラスメートとは違うんだよ。それだけで幼馴染みってのは特別なんじゃないか?」
自分の分の紅茶をつぎ足す手を止めて伸が正人を見た。正人も伸を見つめ返す。
「…………そんなに……違う?」
「違うだろ。オレにだって偶然小学校からずっと同じ学校だったって奴が何人か今の高校にもいるけど、別にそいつ等と幼馴染みなんて名称で呼び合ったりしないしさ。そりゃ、会えば会ったで一緒に遊んだりもしたし、クラスで隣の席になったりしたらノートの貸し借りだってやったさ。でも……でもそれだけだ。そいつ等は友人であり、クラスメートであって、幼馴染みじゃない。そういう呼び方はしないんだ」
「…………」
「お互いを幼馴染みだって認めた瞬間から、その相手は特別な相手となる。オレはそう考えてるけど?」
そう言いながら、鷹取は今度は抹茶のクッキーに手を伸ばす。
「………へぇ………」
一口囓ったあと、びっくりしたように鷹取がクッキーをしげしげと眺めた。
「何? どうした? 美味しくない?」
一瞬鷹取が驚いたような表情をしたので、伸は慌てて皿の上のクッキーをひとつ取りあげた。
焦がすようなミスはしなかったはずだから、生地を作るとき何か間違えたのだろうか。
「あ、いやそうじゃない。美味しいよ。美味しすぎてビックリしたんだ。そこら辺で売ってる抹茶の香りだけ付けたような甘ったるいのとは全然違うからさ」
「ああ、この味は征士の好みなんだ。征士は甘いの苦手だから、甘さも抑えめにしてるしね」
不味かったわけではないと分かり、安心して伸も手に取った抹茶クッキーをそのまま口に放り込んだ。
「そうか……伊達って、甘いの駄目なんだ?」
「全然駄目ってわけじゃないけどね。遼や秀は甘い方が好きだから、普段はもう少し甘くするんだけど。今回は征士が目を覚ました時用の作り置き目的だから。征士の好みに合わせてみただけ」
「ふーん。じゃあ、あの天才児は?」
「当麻は基本何でも食べるよ。文句は言わないかな? 珈琲はブラックを一番好んで飲んでるけど、甘いものも嫌いじゃないし……」
「もしかしてお前の頭の中には、この家の住人の味の好みの全データが入ってるのか?」
「そんなたいそうなものじゃないけどね。一緒に暮らしていたら自然と分かってくるよ」
「……そうか……」
何となく羨ましそうな顔で、鷹取は伸を見た。
「そうだよな。一緒に住んでるんだもんな。色々知ってて当然か。オレなんかとは根本的に違うってことだ」
「……え?」
笑顔の中にほんの少しだけ違う色が見えて、伸は思わず鷹取を見た。
「今日、秀麗黄が色々教えてくれて、オレは初めて伊達がどうしてああいう奴なのか理解したんだ。オレ、これでも少しは知ってたような気になってたんだけど、本当は全然何も知らなかったんだなあって、オレはどう足掻いてもよそ者なんだって、嫌な現実突きつけられちまった」
ちらりと正人も鷹取を見る。
「お前達の間には誰にも入り込めない絆がある。それが何なのかようやくその理由が分かった。実際、目の前が暗くなったよ」
「……全部聞いたのか? 秀に」
「ああ、たぶん全部じゃないかな? 他に隠してる様子もなかったし」
「……結構ヘビーな内容だったろう? よく信じたな。秀の話」
正人の言葉に鷹取が苦笑した。
「確かに、冷静に考えれば、普通、信じないよな。あんな荒唐無稽な話」
「でも、君は信じてくれたんだよね」
そう言って、伸は鷹取に笑いかけた。
「ま……まあな」
「やっぱり」
そう言って、伸はやけに嬉しそうに軽く頷いた。
対する鷹取は、意外そうな目で伸を見つめ返し、呟くように聞き返す。
「やっぱり……って?」
「え?」
「いや、今、お前、やっぱりって……」
「それは、別に、やっぱりって思ったから言っただけで……」
「どうして?」
「……?」
伸がきょとんとした表情で首を傾げた。
「どうしてって何が?」
「何がも何も。普通、信じないと思うのが当たり前の反応だろう? オレ、もしかしてアクションヒーローが好きとか、二次元依存症だとか思われてたり……するのか?」
「まさか。そんな理由じゃないよ」
「じゃあ……」
鷹取の隣で、正人は面白そうに展開を眺めている。
「別に、僕は思ってただけだよ。君は必ず信じてくれるって。冗談だとか、夢物語だとか、そんなふうな捉え方じゃなく、現実として信じてくれるって」
「必ず?」
「うん」
「……どうして?」
「どうしても」
「……その根拠は?」
聞き返す鷹取の目が少しだけ真剣味を帯びた。
「別に深い理由はないよ。ただ、征士が君のこと誉めてたから。素晴らしい人だって」
「…………!?」
鷹取の顔が一瞬かあっと赤く染まる。意外な反応がやけにこの男らしくなく見えて、隣で正人がほくそ笑んだ。
「まいったな……」
困ったように呟き、鷹取は前髪をくしゃりと掻き回した。
そして、まるで自分のそんな表情を見られたくないかのように俯いて視線を床へと向ける。でも、その両耳はまだ少し赤いままだ。
「伊達ってさ……綺麗な奴だよな」
「…………?」
「オレ、初めてなんだよ。あんなに綺麗な奴に会ったの。顔の造形の事だけじゃなくって」
「…………」
「最初は何考えてるのか分からない奴だなあと思ってたんだけどさ。少し分かってくると、全然印象が違って」
伸と正人は黙って鷹取の言葉を聞いていた。
「オレ、思うんだ。あいつくらい真っ直ぐで、嘘をつかない男はいないんじゃないかって。自分の感情も、何もかも、どうしてそこまでってくらい素直に表情にだす。読み方を覚えたら、もういちころだ。何を考えてるのか手に取るように分かるんだ。それだけ素直なんだよ。だから、あいつのことに関しては誰も嘘をつけない。嘘をつく人間は、自分の醜さを見せつけられるようで、あいつのそばには居られなくなるんだ。きっと」
「……そうだね……そうかも知れない」
そう言って伸はゆっくりと頷いた。
やっぱりこの男は、征士の本質を見て、その上で征士のそばにいてくれる男なのだ。
なんだかとても安心した。
「征士が目を覚ましたら、真っ先に知らせるからね」
「有り難い。頼んだぞ」
伸の言葉に、鷹取は嬉しそうに頷いた。

 

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