握りしめた真実(7)

「痛てえってば、川越。お前、あんま引っ張るなよ」
「こういうのって揉んでりゃ治るのかな?」
明和FCグランドの近くの土手に座り込み、2人の少年がなにやら話し込んでいた。
そろそろ日も翳りだし、暑い暑い夏の日差しがようやく和らいで来た時間帯。
ちょうど道場に常備するための薬の買い出しの帰りだった愁は、つっとその少年達に近寄り、声をかけた。
「君たち、もしかして明和FCの選手?」
「…………はい?」
突然の事に、少年達が驚いて愁を見上げる。
「あ、ごめん、突然。・・・そのユニフォーム明和FCだよね。うちの弟もそこに入ってるから」
「弟って……」
しばらくキョトンとした顔で愁をみあげていた少年のうちの小柄な方の1人が突然、愁に向かって指を指しだした。
「あーー!! 解った!! 若島津の兄ちゃんだろ!!」
「若島津って……えーー!?!」
隣の少年も大声をあげて愁を見た。
「おまっ、指さすなよ、川越!失礼だろ」
「何言ってんだよ、沢木。お前こそ大声出してんじゃないか」
ひとしきりお互いを罵りあっていた少年達は、くすくすと肩を震わせて笑っている愁に気付き、真っ赤になって俯いた。
「すいません! ……オレ、沢木昇っていいます」
「オレは川越刑二。はじめまして」
緊張しながら自己紹介をしだした2人を見て、愁はようやく笑いを押さえて軽く頷いた。
「はじめまして。健の兄、若島津愁です」
「やっぱり、そうだと思ったんだ。若島津そっくりだもんな」
川越と名乗った少年がそう言って、隣の沢木に目で合図する。
「そうだ、若島津の具合はどうなんですか?」
川越の言葉にうんうんと相づちを打ちながら、沢木が真面目な顔で愁に訊いてきた。
「この間、やっとギプスが取れたんだけど、リハビリが大変そうでね。文句も言わずに頑張ってるみたいだから、また今度、病院に顔出してくれたら、あいつも喜ぶよ」
「はい。じゃ、明日練習早上がりだから、みんな誘って伺います」
にこりと笑って答えた沢木がそのまま立ち上がろうとして、少し顔をしかめてしゃがみ込んだ。
「あれ? 足、どうかしたの?」
愁が沢木の足下に目を留め、訊いた。
「あ、ちょっとぐねっちゃって……」
下までおろしたハイソックスの為、むき出しになっている足首が心なしか腫れている。
「練習中に?」
「はい。変なふうに転んじゃって」
「……ちょっと見せてもらっていいかな」
そう言って愁は沢木の足下にしゃがみ込み、足首にそっと触れた。
少し熱をもった足首は、一カ所色が変わっており、触ると腫れている部分がよく解る。
愁は持っていた冷湿布をひとつ取り出し封を開けた。
「これ、ちゃんと冷やした?」
「一応水はぶっかけたけど」
横から川越が言った。
「こういうのはくせになるから、ちゃんと冷やして固定しておかなきゃ駄目だよ」
笑いながら愁は手際よく沢木の足首に湿布をはり、テープで固定した。
「ホントはあんまり歩くのもいけないんだけど、無理だろうから、なるべく足首は動かさないように気を付けるんだぞ」
「はい」
大きく頷いた沢木は、次いで隣の川越を思いっきり肘で小突いた。
「ほらみろ。こういうのは揉んだら駄目なんだよ。でたらめ言うなよな、川越」
「何言ってんだ。お前だって治療の仕方なんか知らなかったくせに」
再び始まった2人の言い争いに、また愁が笑い出した。
「まあまあ、そんな喧嘩しないで。それより川越君、沢木君の家まで肩貸してあげられるか?」
「別に構いませんよ。家、近所だし」
「悪いな、川越。」
「いやいや、これでお前にひとつでっかい貸しが出来るわけだし。このくらい」
意地悪そうにそう言って、川越がにやりと笑った。
「ねえ、お兄さん、これ、すぐ治りますか?」
そんな川越をおもいっきり無視して、沢木が愁の顔を見上げた。
「さほど酷くはないから、2〜3日で、痛みも腫れもひくと思うよ」
「よかったーー!」
とたんに2人の口から安堵の吐息がもれる。
「……そっか、もう予選始まってるんだっけ」
昨日、健が悔しそうに試合に出たいともらしていたことを思い出し、愁が言った。
「ええ、今回、若島津はいないし、日向さんも予選くらいお前らだけで勝ち上がってみろって試合に来てくれないんで、もう大変なんです」
「日向君が、試合に来ない?」
「ええ」
愁が驚いて聞き返すと、2人は顔を見合わせて頷いた。
「でも、仕方ないんです。全国大会行ったら、しばらくバイトも出来なくなるんで、今、日向さんも大変なんです。それに、本当にやばくなったら、きっと来てくれるから」
「……随分信頼してるんだね」
「そりゃ、もう。あの人、我が儘だし強引だし意地っ張りだし、怒らすと手が着けられなくなるし、他人の意見訊かないとこあるけど……でもさ、他人に厳しい以上に自分に厳しい人だし、不器用だからうまく態度や言葉には現れないけど、本当はすごく優しい人なんだ。みんな、それ知ってるから、あの人が多少無茶言っても、大抵のことは聞いてやろうって思ってるはず」
「先輩達とはかなり衝突してたけど、今明和に残ってるみんなは、ちゃんと日向さんの事、解ってる奴らばかりだよ。でなきゃ、全員一致であの人をキャプテンになんかしないって」
「ホントホント」
「…………」
グランドでのきつい目をした小次郎の姿と、病室で眠っている健を見下ろしていた小次郎の優し気な瞳がやっとひとつに繋がった気がした。
健が彼に惹かれたのは、決して彼の強さの所為だけではないのだ。
チームメイト全員の信頼を受け、それに応えようと気を張って、きつい目をして。
「だから、日向さん、なんだ」
「えっ?」
「少しね、不思議だったんだよ。同い年のはずなのに、何で彼だけ“さん”付けなのかなって」
「ああ、そういえば……」
今まで考えもしなかったように、沢木と川越はお互いを見合った。
「誰がそう呼び出したんだ?」
「誰だっけ……? なんか、いつの間にかって感じだよな」
「うん」
「あの人は……日向さんは特別なんだ」
ぽつりと沢木が言った。
「特別?」
「オレ達とは違って、きっとあの人は将来、世界を相手にサッカーするんだ……家の為とか、金の為とか言ってるけど、きっと違う。日向さん、本当にサッカーが好きなんだ。今はオレ達の力が及ばなくて、日向さん1人で頑張らなきゃいけない状況が多いんだけど、そのうち、サッカー名門校から声がかかって、もっとずっとハイレベルな環境でサッカーが出来るようになって……そしたら、もっともっと、日向さんはサッカーを楽しめるようになるんだ」
「君は……?」
そっと愁が訊いた。
「沢木君、君はどうなの? ちゃんと楽しんでる?」
「…………」
沢木が顔をあげてじっと愁を見つめた。
「……オレ、日向さんと同じポジションなんだけど、だからかな……時たま、すごい哀しくなる。なんで敵わないんだろうって。オレは日向さんのようには決してなれないから」
川越が心配気にちらりと沢木の様子を窺った。
あまりにも強烈な才能のそばで、かすんでしまう自分自身。
愁は、ふと、沢木に微笑みかけた。
「別に君が日向君のようになる必要なんてないと思うけどな」
「…………?」
「君の目指すサッカーと日向君の目指すサッカーが違っていたって、別に構わないじゃないか。沢木君は沢木君にしかできないサッカーを目指せばいい。そうだろ」
「…………」
「君に日向君のような力強い強引な突破が無理なら、フェイントを巧く使えるようになればいい。日向君がボールを1人でゴールまで持っていくのが得意なら、君はチームメイトにパスをもらうため、ポジショニングに気を付けるようになればいい」
「…………」
「そうしているうちにきっと見つかるはずだよ。君自身のサッカーのタイプが。それに、きっと何処かに必ず、少なくとも1人は君のサッカーが好きだって言ってくれる人がいる」
「…………」

『私、愁の空手が一番好きだな』

「きっと、いるから。大丈夫」
じっと、愁の言葉に耳を傾けていた川越が感心したように息を吐いた。
「本当に若島津が言ってたとおりだ」
「……? ……健が……何?」
不思議そうに愁が訊ねると、川越は一瞬言って良かったのかな、という顔をして、何でもないと首を振った。
「あ、別に。前、若島津がお兄さんのこと話してた事があって……」
「健が? オレの事?」
「はい」
大きく頷いた川越の肩につかまって、沢木が立ち上がった。
「じゃ、オレそろそろ帰ります。湿布有り難うございました」
「あ、ああ。気を付けてね。無理しないように」
「はい。明日行くって若島津に伝えておいていただけますか?」
「了解」
「じゃ、本当に有り難うございました」
少しびっこをひきながら、家路につく沢木と川越の後ろ姿を見送ると、愁は予定を変更して健のいる病院へと向かった。
夕陽が土手を赤く染めていた。

 

――――――「あれ? 今日は来ないって言ってたのに、どうしたの、愁兄」
「なんだ、せっかく来てやったのに、お前はそういうことを言うのか?」
荷物を脇に抱えて病室に入ってきた愁を見て、健がベッドから身体を起こした。
「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃないよ。来てくれてありがと」
相変わらずの人なつっこい笑顔で、健は愁に笑いかける。
「ほら、頼まれてた『サッカーダイジェスト』。持ってきてやったぞ」
「サンキュ」
嬉しそうに愁から雑誌を受け取り、健はパラパラとページをめくった。
今回の特集は西ドイツが誇るGK、ハラルト・シューマッハーである。
瞳を輝かせて記事を読む健を見て、愁が言った。
「そういえば、さっきお前のチームの沢木君と川越君にあったぞ」
「ホント? 何処で?」
雑誌から目を離し、健が愁を見上げた。
「河川敷の土手でな。練習の帰りみたいだったけど、明日、みんなで見舞いに来るからって」
「ホントに?」
ぱっと健の表情が明るくなった。
毎日辛いリハビリばかりの健にとって、チームメイトの顔を見るのは一番の元気の素になるのだろう。
「はやくよくなって、試合に出なきゃ」
必死になって勝ち続けている彼らの為に。彼らの信頼する小次郎の為に。
そして、なにより、自分自身の為に。
健がパシンと握りしめた拳を胸の前であわせた。
「……健、お前さ、明和のチームメイトにオレの事、何て言ってるんだ?」
ふと、先程の2人の様子を思い出して、愁が訊いた。
「何って……別に。なんで?」
「さっき、川越君に言われたよ。お前が言ってた通りだって」
「…………」
「何て言ってるんだ?」
「……別に、そんなたいしたこと言ってないよ。オレの兄貴は世界一だって言っただけ」
「…………!?」
「な、たいしたことじゃないだろ」
そう言って健は弾けるように笑った。
「愁兄の言葉って不思議なんだ。聞いてると自然と元気が湧いてくる。愁兄の声を聞くと頑張ろうって気になる。また頑張って走んなきゃって気持ちになる。最高の兄貴だって」
「……お前な……」
呆れたようにつぶやいた愁を見て、健が更に声をたてて笑った。

 

――――――それから二週間。
リハビリに精を出していた健の元に、明和FC地区大会優勝の知らせが入ってきた。
沢木達が予想していたとおり、小次郎は準決勝の会場に突然現れ、見事に勝利をもぎ取ったのだそうだ。
何も言わなくても、きっと何処かで見ていて、本当に必要なときは駆けつけてくれる。
彼らの目に見えない強い絆と信頼関係に、愁の胸が熱くなった。

「じゃ、行って来るね。愁兄」
それから、更に二週間後、一足先に全国大会の為、東京へ向かった小次郎を追いかける形で、健は東京行きの列車のホームに立った。
「お前、本当にそんな格好で東京行く気なのか?」
せっかく涼子が用意してくれた新品のユニフォームには目もくれず、健は相変わらずのボサボサ頭に帽子をかぶり、すり切れたユニフォームを着て出発した。
「こっちのほうが動きやすいんだ。涼子姉には謝っといてね」
「まったく……」
医者も驚くほどの回復力の早さ。
リハビリを愚痴ひとつこぼさず黙々とやっていた健の執念がやっと実ったのだ。
「今からだと準決勝には間に合うのか?」
「んー、今日の13時キックオフだから、ぎりぎり間に合うかどうか……でも、明日の決勝には出るよ、必ず」
今日、勝つことを疑いもしない様子の健に、愁はたまらず笑い出した。
「お前、今日の試合、負けるかもなんて、欠片も考えてないんだな」
「そんなの日向さんがいるのに、負けるわけないじゃないか。何言ってんだよ、愁兄。あの人はきっと勝つよ。そう約束したんだから」
「…………そうだな」
いつか、世界を相手にするだろう、日向小次郎のサッカー。
健はずっとそんな彼の姿を見続けていく気なのだろうか。

その時、駅のホームに東京行きの列車が滑り込んできた。
人々のざわめきにかき消されながら、構内アナウンスが聞こえてくる。
「じゃ、頑張って言ってこい」
「うん」
列車に乗り込んだ健の後ろ姿に、愁がそっと声をかけた。
「健」
「…………?」
「行って、自分の大切な場所を取り戻してこいな」
「…………うん!!」
愁の言葉に大きく健が頷いた。

好きなもの。なりたいもの。将来の夢。
迷うことなく自分の好きなものを告げる健の姿を、初めて羨ましいではなく、誇らしいと思えた。
頑張れ、健。
素直にそう言える自分に多少驚きながら、愁は列車が見えなくなるまで、小さく手を振って見送った。
列車は決められたレールの上を従順に走り続けていく。
人は、決められたレールの上ではなく、自分で決めた道を走って行くのだ。
愁は力強く自分の拳を握りしめた。
飛んでいった夢を掴む為。自分自身の真実をこの手に掴む為。

真っ白な画用紙を前に、あらゆる色のクレヨンを持ち、自分の好きな夢を描く。
さあ、何の絵を描こうか。
無限に広がる夢を前に、愁がくすりと微笑んだ。

FIN.      

2000.9 脱稿 ・ 2000.12.29 改訂     

 

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