銀の月 (6)

そして、そのあと届いた悪魔の囁き。最悪のメール。
まるでクラピカの心を反映するように、メールが届いたと同時に雨が降り出した。
「何? 誰からのメール? ヒソカ?」
「……ああ」
オレの問いに、クラピカは苦々しげにそう答えて頷いた。
「死体は偽物だと……」
「偽物?」
オレもゴンもレオリオも言葉を失った。
やっぱりそうだったんだ。蜘蛛は死んでいなかったんだ。誰一人として。
死体は偽物。
オレ達は、蜘蛛の偽物に踊らされただけだった。
奴らの中には具現化系能力者がいる。それもかなり強力な。だったら、死体の偽物をつくって誤魔化すことなんか簡単だ。そうだよ。何故、最初からその可能性を考えなかった。
クラピカは悔しそうに唇を噛んでうつむいた。
つまり、何一つ解決していない。何一つ好転していない。
何もかもが、まだ、これからなんだ。
クラピカの置かれた状況に吐き気がした。いっそのこと、全部止めて諦めて、何もかも無しにしちまいたかった。だって、奴らはやばい。本当にマジで、やばい。
それなのに、ゴンはすっかりクラピカの手伝いをする気満々でどんなことでもやると息巻いていた。レオリオも多少ビビってはいても反対する気はないだろう。
オレは?
オレはどうすればいいんだろう。考えても何も浮かんでこなかった。
実際問題、蜘蛛にかけられた懸賞金が白紙になったということは、オレ達自身が蜘蛛と闘う理由は何処にもない。自分のことだけ考えれば、命を危険にさらすのは無駄というものだ。
自分に不利益になることをオレはしない人間だったはずだ。自分勝手で我が侭で、マイペースで、それがオレだったはずなのに。
それなのに。
この場を立ち去れないのは何故だろう。一抜けたって言って、知らんぷりすることが出来ないのは何故だろう。
ゴンに釣られて。レオリオに同調して。それが理由。無理矢理そんなことを考えてみる。
そして、結局流されるようにクラピカの手助けをすることになっちまったオレは、皆で考えた計画を実行することになった。
オレは中継係。レオリオはクラピカの護衛兼運転手。ゴンは攪乱係。
綿密にとは言い難かったが、それでもいちおうの計画があった。成功する確率はかなり低い。でも、それでもやらなければ何も変わらない。
オレが蜘蛛の動向を探るため、一足先に皆と別れて蜘蛛のアジトの方向へと走った頃、蜘蛛も何か情報をつかんだのか、いくつかのグループに別れて行動を開始しだしちまった。オレ達はお互いに状況を確認しながら、なんとかチャンスが来るのを待つ。少しでも計画の成功率を上げる為に必要なのは慎重な行動とお互いの協調性。
オレはクラピカに紹介されたセンリツっていう念能力者の女の人と一緒に蜘蛛の後をつけていた。奴らは電車に乗り、街の中心街を北西の方向へ向かって行く。
駅を降りたところで報告の電話を入れると、クラピカ達も奴らを見つけたらしく、信じられないことに、今まさに奴らを追ってクラピカはすぐそこま来ているんだと返してきた。
おいおい。オレがちゃんと監視してるんだから、その報告を待ってて貰わなきゃ話にならないってのに、クラピカは奴らの姿を発見したとたん暴走を始めたってことかよ。
どうする気なんだ。これじゃ、計画の進行はぐちゃぐちゃになっちまうぞ。誰も彼も勝手に動き回って。どうなっても知らねえからな。
そして、思ったとおりの最悪の事態。
蜘蛛の頭が率いる一団がゴンとクラピカの尾行に気付き、足を止めた。
ほらみろ、言わんこっちゃない。ただでさえ、命張らなきゃ対峙できない相手なのに何やってんだ、あの人は。
オレは怒りと焦りと呆れの入り交じった感情のまま現場に急行した。
そして、狭い路地裏で蜘蛛から身を隠し、息を潜めるクラピカの姿を見つける。今にも爆発しそうなほどの緊張感が辺り一面を覆っていた。
やばい。瞬間そう思った。
クラピカの手にした鎖がジャラっと小さな音をたてる。
その時だよ。クラピカのかけている大きなサングラスの隙間から、あの眼が見えたんだ。
「…………」
オレは思わず目を見張る。そして、苦笑した。
理屈じゃない。
こんな時に、そんな言葉を思い出す自分が、自分で可笑しくなった。理屈じゃない。
もしかして、そうなのかも知れない。こんな時、そう思うのかも知れない。
理屈じゃないんだ。きっと。
そうなんだよな。クラピカ。ようやくはっきりとあの時のクラピカの言葉の意味が自分自身に反映した。
護りたい。助けたい。救いたい。
オレ自身の手で、この人を救いたい。
この、落ちていくしかない暗闇から、この人を救いたい。
例えその為に自分自身を犠牲にしなくてはならないとしても。それでも。
この人の為に何かをしたい。
この綺麗な碧を護るために。その為に自分の身を危険にさらす事は、当然の事なのかも知れない。だって、オレに出来るのはそれだけだから。
そう、だからオレはあんたの代わりに蜘蛛の前に立とう。蜘蛛はきっとオレの姿を見て、自分達を尾行してきたのはオレだと勘違いするだろう。
もしかしたら、その勘違いは、オレの死に繋がる勘違いなのかも知れないけど。
それでも。
「……キル……」
オレはクラピカの横をすり抜け、大通りへと飛び出した。蜘蛛のメンバーの目の前に。
すれ違う一瞬オレを見たクラピカの碧眼はやっぱり綺麗だなと思った。
それだけで、オレは自分の行動を後悔なんかしないんだって。そう分かったんだ。

 

――――――色々と予想外の出来事が沢山あったが、うまい偶然と、何とか冷静さを取り戻したクラピカの機転が利いて、蜘蛛のリーダーを捉える事が出来た。
オレとゴンは一時期蜘蛛の人質になっちまったけど、結果的には解放された。そして、クラピカは蜘蛛のリーダーに念の刃を刺した。
旅団との接触を断たせ、念の使用を禁ず。それがクラピカが蜘蛛の頭に負わせた枷。
良かったのか悪かったのか。もう、今となっては分からない。ただ。
ただ、これで終わったわけじゃないんだってこと。それだけは分かる。
そう、きっと永遠に終わらない。終われない。この闘いは。
何故なら、クラピカには蜘蛛は殺せない。絶対に。今回のことで更にその考えに確信が持てた。
念の刃はクラピカ自身を縛る鎖。
これがなければクラピカは立っていることも出来ないくらい、ボロボロになるんだろう。
だって、今クラピカが闘っている相手は、実体のない闇だから。これはこれからも続く闘いの為の予行演習なんだ。果てしない闇との闘い。
何処までも落ちていきそうな、真っ暗な闇との闘い。
本当に吐き気がする。
「クラピカの目が覚めたんなら、さっさとどっかへ連れ出しなよ、おっさん」
蜘蛛との対決後にぶっ倒れ、寝込んだ日から、まる2日。ようやく目を覚ましたというクラピカの所から出てきたレオリオにオレは思わずそう言った。
「連れ出すって……目を覚ましたからって言って、今、動かせる状態なわけないだろうが」
レオリオが、何も分かってねえなあと言った口調でオレに言う。
違うって。そういう意味じゃねえよ。おっさん。オレは皮肉な笑みを浮かべた。
連れ出さなきゃいけないのは、この闇の中から。そう、レオリオなら光の元へ連れ出せるだろうに。
オレと違って。
「あんたが連れ出せないんなら、オレがクラピカを連れて行くぜ」
闇の奥へ。
「…………」
半分嘘で、半分本気。
壁を通してクラピカの気配を感じる。必死で闘っているクラピカの鼓動が聞こえる。
そして、オレの後ろには闇。
何処までも続く闇。
悔しくて歯がゆくて、苦しかった。

 

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