銀の月 (4)
そして、9月。
ハンター試験が終わり、無事試験に合格してハンターになったみんながそれぞれの地へと旅立つ時に、再び集合しようと約束をした日。
約束通りヨークシンシティに着いたオレ達は蜘蛛と対峙した。そして、同時に知りたくなかった事実が目の前に突きつけられた。
蜘蛛のひとりは鎖野郎に殺られた。そう奴らが言っていた。鎖野郎が蜘蛛を殺した。
つまり、クラピカが、とうとう人を殺したんだ。
この街には来ているはずなのに、仕事が忙しいとか何とか言って、まともに連絡を寄越そうとしなかったクラピカ。今頃、何処で何を考えているんだろう。
昔、まだ殺しをしたことはないから分からないと言っていたあいつは。
蜘蛛を殺して。人を殺して。
何を考えたんだろう。何を思っているんだろう。
ようやく繋がった電話口でゴンが言った。「オレ達もあいつらを止めたいんだ」って。
クラピカは答えなかった。答えられなかった。何も。
クラピカから感じるのは完全なる拒絶。絶対に誰のことも心に踏み込ませまいと必死で張り巡らしている防御壁。なんだか腹がたって腹が立って仕方なかった。
自分が何に対して腹を立ててるのか分からないくらいに、腹が立った。
ついにしびれを切らせたレオリオが電話口に出たとたん、クラピカは電話を切った。そして、そのまま電源まで落として、オレ達との接触を断った。
いや、正確にはレオリオの声を断ち切ったんだろう。自分が弱くならないために。
そうまでして必死に。必死にクラピカは自分自身を追いつめてる。
クラピカが念を覚えたのはオレ達と同時期のはずだ。ウィングさん以上のすげえ師匠がついていたとしても、ここまで差が開くなんて普通じゃ考えられない。じゃあ、何故。どうやってクラピカは、そこまで強くなった。
ひとりで蜘蛛を倒して。ひとりで闇を抱え込んで。
いや、違う。強くなんかなってない。むしろ脆くなった。そしてその脆さをカバーするために、クラピカは鎖で、長い長い鎖で囲いを作ったんだ。自分の脆さを隠すための囲い。
くそっ。なんでこんなことになったんだ。
「…………?」
気がつくとレオリオが妙な顔をしてじっとオレを見つめていた。
「……何? おっさん」
オレが眉間にしわを寄せると、レオリオはくしゃりと顔をしかめて髪をかき回した。
「いやさ……お前、変わったなと思ってさ」
「変わった? オレが?」
オレの何処が変わったっていうんだろう。
「いや、まあ、考えてみたらそれがお前の本来の姿なのかも知れねえんだけどさ」
「……だから、何?」
「いや…さ……お前の口から「仲間」なんて言葉があんなにすんなり出てくるようになるとは、正直言って思わなかったからさ」
「あ……」
お前がオレ達のこと仲間とも対等とも思えないなら。
確かにさっきオレはクラピカに向かってそう言った。仲間も友達も知らなかったオレが。知ろうともしなかったオレが。
思わずオレはぽかんと口を開けた。もしかしたら、かなり間抜けな表情だったかも知れない。
思った通り、レオリオはおかしそうに唇の端を持ち上げてにっと笑った。
「それに、そんな無防備な表情。昔はあんま見せなかったろう。良い傾向だな」
良い傾向? なんだよ、それ。
「お前等、あれからずっと一緒にいたんだろう。それが良かったのかもな」
「…………」
「お前が家に戻っちまった時はどうなることかと思ったけど、ゴンが無事お前を連れ出すのに成功して、本当に良かったってことだ」
「ゴンが……?」
オレが変わったのはゴンのおかげ。ずっとゴンと一緒にいたから。
ゴンがオレを変えてくれた。
ゴンと一緒に過ごした日々。天空闘技場での戦いの時も、クジラ島でミトさんに会った時も、ゴンはずっとオレのそばにいてくれた。
だから、オレは「仲間」という言葉を知った。「友達」という言葉を知った。
憧れて憧れて憧れて。
誰も。家族の誰一人として教えてくれなかったたくさんの言葉を、ゴンはオレのそばに居続けることで教えてくれた。
だから、オレは変わったんだ。変われたんだ。
そうだよ。その通りだよ。オレは、ゴンがいたから。ずっとゴンがそばにいたから変われたんだ。
でも、じゃあ、何で。
それなのに、なのに、何で。
「だったら……」
知らず、オレの口から言葉が飛び出す。
「だったら、なんで……なんであんたは居てやらなかったんだ……!?」
腹が立った。さっきの比ではないくらいに腹が立った。
オレが変われたように、あいつにもあんたが、レオリオがいてくれたら。きっと変われたんだ。
いや、違う。
変わらずにいられたんだ。それなのに。それなのに、なんで。
「分かってるよ! オレが変わったのはゴンのおかげだ。オレはゴンがいたから変われた。なのに、なんであんたは………!!」
そばに居てやらなかったんだ。
「キルア……?」
レオリオが驚いた顔でオレを見下ろした。
「あんたが居てくれたら……そうしたら……」
「…………」
「……何で……何で、こんなとこに居るんだよ……レオリオ……何やってんだよ、あんた……こんなとこで、何やってんだよ……!!」
クラピカ。なあ、クラピカ。知ってるよな。あんたは頭がいいから、もうとっくに気付いているよな。
オレ達は。
オレ達は似ているんだよ。クラピカ。
オレ達は、一人きりでいたら、どんどん闇の中に落ちていく性質を持ってるんだ。
誰も信じず、自分一人の殻の中で、どんどん視線を狭めて。そして、落ちる。
闇の中に。どんどんどんどん。
どんどん落ちていく。
先の見えない真っ暗闇に。落ちていく。
そういう種類の人間なんだ。
でも。
ゴンがいれば。レオリオがいれば。
光を背中に背負ってるようなこいつ等がそばにいてくれたら、オレ達は闇に落ちなくてもすむ。彼等にブレーキをかけてもらえる。それなのに。
「お前、本当に変わったな」
もう一度レオリオが言った。
「お前、クラピカのこと、本当にちゃんと仲間だと思って、心配してくれてるんだな」
「………………」
「有り難う」
「なんでオレがおっさんに御礼言われなきゃなんねえんだよ。意味わかんねえ……」
オレが吐き捨てるようにそう言うと、レオリオは罰が悪そうに、くしゃりと再び髪を掻きあげた。
――――――分かっていた。これは八つ当たりだ。
レオリオはずっと。それこそオレなんかよりずっとずっとクラピカのことを考えていた。
そばにいてやれない歯がゆさも。手を差しのべることすら出来ない無力感も。自分自身への憤りも。何もかも、オレなんかとは比較にならないくらい心に抱えて、そうやって過ごして来たんだ。
このヨークシンシティに来て、レオリオは何度もクラピカを探しに外に出て行っていた。
平気な顔をして、冗談ばかり言って、それでもレオリオの心の隅には、いつもあの金糸の髪と碧い真っ直ぐな瞳があった。
それくらい知ってる。
レオリオじゃなきゃいけないことくらい、オレは充分知ってる。
「…………」
なんか、悔しくて仕方ない。
オレはクラピカの心を理解出来る。
今は、特に。
クラピカの手が血に染まっちまったから。
クラピカの心が闇に染まりかけてるから。
人の命をこの手に握る感覚を、オレは知ってる。
知ってるから、理解できる。それは知ってしまった奴にしか分からない感覚だから。
でも。
でも、だからこそ。
「オレじゃ駄目なんだよな」
クラピカを救えるのは、同じ側にいる人間じゃない。
対岸にいる奴なんだ。
それが、悔しい。なんだか、とてもとても悔しくて仕方なかった。