銀の月 (3)

復讐という言葉の持つ意味。クラピカの気持ち。
なんとなくだったけど、それが分かったような気がしたのは、あの軍艦島でだった。
ハンター試験の会場であるゼビル島へ行く前に寄った、古い軍艦が船舶している海の上の岩場。此処は試験会場じゃないからゆっくりと休んでくれなんて言いながら、実はあれも試験のひとつだったんだとあとで気付いた、あの軍艦島についた最初の夜だよ。確か。
船の中の客室を確保するために、オレ達は昼間、宝探しに熱中した。
見つけた宝の価値で客室のレベルが決まる。それはハンターの実力を見定める試験以外の何物でもない。真っ先にそう言っていたはずのクラピカは、途中で宝探しを棄権した。
理由は、近くに難破したクルタ族の船を見つけてしまったからだ。
見つけたクルタ族のお守りを換金する気も、客室の用意をしてもらう気もないから。だから知っていることを教えて欲しい。何でもいいから、クルタ族が背負ってしまった運命について、知っていることを教えて欲しい。クラピカはそう言っていた。
他に何もいらない。
欲しいのは一族の話だけ。
自分自身の利益も、安泰も、平穏も何もいらない。欲しいものはひとつだけ。
本当に、この人はクルタ族のことしか考えていないんだなあって思った。自分の一族の復讐を果たすためだけにしか生きていないんだなあって。
それって、つまらなくないんだろうか。息苦しくないんだろうか。
オレには分からなかった。そこまで他人の為に何かしようという、そんな気持ちが。
だけど、あの時。
ああ、もしかしてって、そう思ったんだ。
宝探しが終了し、無事みんなの部屋割りが決定したあと、暇をもてあましたオレとゴンは船の探索を始めた。客室や船長室。面白い物はたくさんあった。
そして、動力か何かのボタンだと思って間違って押しちまったあのボタン。船の汽笛。
突然響いた大きな汽笛の音に、一斉に鳥が飛び立った。夕焼けの空に向かって。
慌ててオレ達は周りを見回した。
その時、船の上から見えたんだよ。クルタ族が乗っていたという、例の船に火を放ち、それが沈むのを見守っていたクラピカとレオリオの姿が。
真っ赤な炎にクラピカの金糸の髪が染まっていて、オレはなんであの人はいつも、何をするにしても、あんなに儀式めいた事をするんだろうって思ったんだ。
朽ちていく船。佇む二人の姿。それは、まるで失ってしまった過去への追悼の儀式のようで。
復讐。
口の中で、オレはあの時、その言葉を飲み込んだ。
クラピカは言っていた。理屈じゃないんだと。
分かってはいても、どうしようもない想いもあるのだと。
どうして。
どうしてクラピカはああなんだろう。
そうまでして。自分をがんじがらめにしてまで。何で必死なんだろう。
不思議で不思議で。
そんな時、そのクラピカをじっと見つめてるレオリオの視線に気付いたんだ。
そのとたん、何故か、ザワッと腹の中で妙な感覚が動いた。
そして、ちょっとだけ分かった気がした。
何がって言われるとうまく説明できないんだけど、ちょっとだけ何かが分かった気がしたんだ。理屈じゃない何かが。
自分に対して、あんな目を向けてくれる相手がいるのなら。それなら。もしかして、その相手の為に何かしてもいいと思えるのかも知れない。復讐だとか敵討ちだとか、考えなくもないのかも。なんて。
オレは、今まであんなふうに自分を見てくれる人に会ったことがない。
家族でさえも、オレをあんなふうには見なかった。だから分からなかった。他人のために何かをするという感覚。何かをしてあげたいという感覚。
仲間のために復讐をしようとするあの人の気持ち。本当に分からなかった。
でも、あの時。
ようやく、少しだけ、ほんの少しだけ分かったような気がした。
誰かが誰かを想うということが、どんな意味をもつのか。
耳が痛くなるほどの汽笛の響きの中で、オレはそんなことを思っていた。

 

――――――そのあと、軍艦島に取り残されたオレ達は、全員で力を合わせて船を動かし、脱出を試みる羽目となった。
ただ、何人かは個人行動を起こしたために死んだ。
別に死んだ奴らに同情する気はないが、その夜、嵐が来ることを計算してオレ達を軍艦島に寄越したんだとしたら、今年の試験官達はかなり性格の悪い奴らなんじゃないかと本気で思う。まあ、とにもかくにも、ハンゾーをリーダーに、クラピカをサブリーダーにしてオレ達は無事軍艦島からの脱出に成功した。色々な意味でかなりギリギリ状態ではあったが、とりあえず試験はクリアしたってわけだ。
嵐が去ったあとの空は、ムカつくくらい真っ青で。なんだか、クラピカのあの碧い眼を見ているような気がした。胸の中がもやもやして、でも目を離せなくて。オレはしばらく首が痛くなるほどじっと空の彼方を見つめていた。
そんな時だよ。クラピカが甲板にいるオレのところにやってきたんだ。
「キルア」
声をかけてきたクラピカは、少し血の気の失せた顔色をしていた。
ずっと緊張が続いていた為だろうか。ただでさえ色の白いクラピカの頬はなんだか透き通るように白かった。
「キルア。有り難う」
そう言ってクラピカはオレに手を差し出した。
「何? わざわざ全員に御礼言ってまわってんの? サブリーダー」
オレがからかい口調でそう言うと、クラピカはいちおうな、と笑った。
「こうやって皆が無事に島を脱出できたのは、私や、ハンゾーだけの力ではない。全員がそれぞれ、きちんと自分達の役目を立派に果たしてくれたおかげだ。皆にはいくら感謝してもしたりない」
ほんと相変わらず律儀な人だ。
なんだかクラピカの笑顔が眩しくて、オレはすっと目を細めた。普段はやけに冷静でクールなところが目立つのに、こういう時のこの人は本当に素直で優しい笑顔をする。それがやけにくすぐったくて、妙な感じがした。
「あ、でもお前には特に念入りに礼を言おうと思ってたんだ。キルア。本当に感謝している」
「へ? なんで?」
きょとんとしたオレの表情をどう捉えたのか、クラピカはにこりと口元をほころばせて言葉を続けた。
「竜巻を撃てと、アドバイスをしてくれたのはお前なんだってな。先程、ハンゾーに聞いた」
「ああ、あれか」
「最後の最後、お前のアイデアが皆を救ってくれたんだ。有り難う。それに比べて、私はまだまだ駄目だな」
「なんで?」
らしくない自嘲気味な台詞にオレは思わず顔をあげ、じっとクラピカを見つめた。そして、その時初めて気がついたんだ。クラピカの頭に真っ白な包帯が巻かれていることを。
どうりで血の気のない顔色しているわけだ。
「それ、どうしたの? 怪我?」
オレが包帯を指さして聞くと、クラピカはああ、と小さく呟いて頷いた。
「いつ?」
「ちょうど船が岩礁に乗り上げた時だった。大きく揺れただろう。舵をとっていた私はバランスを崩して壁にたたきつけられたんだ。そして、そのままずっと気を失っていた」
「ああ……だから」
ハンゾーがいくら呼んでも反応しなかったんだ。
「つまり私はあの惨事の最中、ずっと伸びていたというわけだ」
あれ。でもじゃあ、あの時。
「誰が操縦してたの?」
「…………」
クラピカは気絶していた。オレとハンゾーは船倉にいた。ポックル達は電源室、スパーは砲台だし、ゴンやレオリオはようやく海からあがってきたばかりでぶっ倒れていたはずだし、そばについてたトンパも違う。アモリ三兄弟は論外だし。
「分からないんだ。気になって私も何人かに聞いたんだが、皆自分は知らないと言っていて……」
「ふーん。まあ、でも結果よければ、それでオッケーなんじゃない?」
「確かにそうではあるが、自分としては大事な時に力になれなかった引け目はかなり大きい。まったく、これでよくサブリーダーが務まったものだと思うよ」
「そう? クラピカがサブリーダーで正解だったとオレは思うよ。ああいうのって頭使わなきゃ駄目じゃん。オレなんか絶対無理だもん」
「適材適所ということか」
「そうそう」
にっと笑いながら言葉を返し、オレはちょっと苦笑した。
適材適所。そうだよ。みんなに指示を出すのがクラピカであったことは間違ってない。だってクラピカが自分の立場を見失ったのは、あの瞬間だけだったはずだから。
そう、レオリオが海底から戻って来なかったあの瞬間。
海底に潜ったまま連絡を絶ってしまったレオリオ。今すぐ行動を開始しないと自分達の命も危うい。でも行動を起こすと言うことはレオリオを見捨てるということで。
あの時、クラピカに課せられた二者択一の選択。レオリオを取るか、残りの全受験生をとるか。
理屈じゃない。どちらを取るべきか理屈では分かっていても、それでも選べないのは。
どうしても選べないのは。
「そういえばおっさんは?」
「向こうの甲板にいるはずだ。さっきトンパ達と一緒に居たから」
「その包帯は? おっさん?」
「いや、違う。私もレオリオかと思って聞いてみたんだが、違うと言われた。恐らくこの傷の手当てをしてくれた奴が、私が気絶している間に舵を握ってくれていたのだろうと思うのだが、誰なのか見当がつかない」
「……ちょっと傷見せて? 包帯は取らないから」
「ああ」
すこし屈んで、オレの目線に合わせてくれたクラピカの額に巻かれた白い包帯。そっと触ろうとしたとたん、オレの手にビリッと電流が走ったような気がした。
「…………!?」
なんか、妙な胸騒ぎがした。なんだ。この感じ。思わず手を引っ込めたオレに、クラピカが不審気な目を向けた。
「どうかしたのか? キルア」
「あ、ううん別に」
オレは必死で首を振った。まさか。違う。そんなはずない。
でも、それじゃあ、何で。
「あのさ、それ……もしかして……」
言うつもりのなかった台詞がオレの口をついて出た。
「…………?」
「ヒソカ……ってこと……ないよね?」
「え……まさか……」
あまりにも意外で考えつかなかったといった表情でクラピカがオレを見た。
「まさか……ね」
言ってしまったあとでオレも自分の考えを否定する。まさか。あり得ないって。
そう言いつつ、心の何処かでまだ何かが引っかかってる。ヒソカじゃない。でも、何だかとても近いものを感じる。なんだろう。この感じ。
あの時はそのまま考えるのを止めちゃったんだけど、今思えば、あれは兄貴だったんだ。
あの包帯に残っていたのは、兄貴の念だったんだ。
気付いていれば。
あの時、気付いていれば、何かが変わったのかな。
考えてもどうしようもないくせに、オレは、いまだについそんなことを考える。
あの時点で気付いていれば。第四次試験だって、最終試験だって、もっと気をつけていられた。
そこまで考えてオレは苦笑する。
だからって。
気をつけて、オレが試験に合格していたとしても、結局は変わらない。
オレは家に戻っただろうし、クラピカは蜘蛛に復讐するための修行にはいったはずだ。
何も変わらない。
でも。それでも。
あの時が、あの頃が、クラピカにとっての最後の平和な時間だったのかなあ。
ちらっと、そんなことを思う。
オレは兄貴に連れ戻される前で。
クラピカの復讐もまだ、ほんの少し先の話で。
あの瞬間が、一番穏やかでいられた瞬間だったんだ。
知らず、オレの口から深い溜め息が洩れていた。

 

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