銀の月 (2)
分からない。人の命の重さなんて。
普通、人を殺す時は、相手を人間だと思うなとよく言われるという。人間だと思ったら殺せなくなるから。あれは違うんだと。物なんだと思い込めって。でも、オレは兄貴にそういった考え方は一切教わらなかった。
だって、相手を人間だと思うな、なんて言ったって、事実相手が人間だった場合、それは違うなんて思い込めるわけはない。そんな自己暗示なんて出来るわけない。自分が対峙してる相手はどう見たって人間なんだから。自分の心に嘘を教え込めったって、そりゃ無理な話だよね。
だから、兄貴はオレに言ったんだ。
相手を人間だと思わないんじゃない。人間は殺していい生き物だと思ってればいいんだ、ってこと。
人間は殺してもいい生き物。
そう。だって人の命なんて軽いものだから。
そんなものに対し、いちいち感傷的になる必要はない。
兄貴はそう言ったんだ。
オレはきっと兄貴が死んでも悲しんだりしない。兄貴もオレが死んでも泣いたりしないだろう。
それは何故か。
オレも兄貴も人の命を軽いものだと思っているから。死ぬことも生きることも、さほど重要なことだとは考えてないから。
だから。
だから、オレは平気で人を殺せる。人の命も、自分の命もなんとも思わない。
家を出てからだったかどうか忘れたけど、どっかで人の命は地球より重いなんて言葉を聞いた。けど、そんなの嘘だ。人間の命が重いわけない。あんなに軽いのに。簡単に奪えるのに。重いわけない。
掴んだ心臓は温かかったけど、それもすぐに冷めていく。人の魂だって、そんなふうにすぐに冷めていくものなんだ。それなのに。
「そういえば、あんたはどうなの?」
「…………え?」
突然、そう問いかけたオレに、クラピカは一瞬身を固くして目を向けた。
「逆にこっちが聞きたい。あんたは、クラピカは相手を殺すとき何を考えるの?」
「私は……」
クラピカは脅えたようにオレを見た。そして次の瞬間、クラピカはくしゃりと顔を歪めた。まるで今にも泣きそうに。
「わから……ないな。私はまだ人を殺したことはないから」
「でも、これからやるかもしれないんだろ?」
「あ、ああ」
クラピカの表情が緊張する。
いつか来るであろう蜘蛛との対決の時を考えているのだろうか。
「だったら……」
「キルア」
オレの言葉を遮って、クラピカはその時になってみないとわからないともう一度低くつぶやいた。オレは肩をすくめる仕草をする。なんだ。自分だって分からないんじゃないか。だったら、そんな難しいことオレに聞かないで欲しい。
「でも」
ぽつりとクラピカが呟いた。
「目の前で人の命が亡くなる瞬間に考えたことは覚えている」
「それって、クルタ族の虐殺の時?」
「お前は言いにくいことをずばっと聞いてくるね。まあ、そこがキルアらしいのかもしれないが」
苦笑したままクラピカは言葉を続けた。
「あの時は、一瞬頭の中が真っ白になって何も考えられなくなって、そして、その後、悔しくて歯がゆくて、苦しかった」
「悔しいの? なんで?」
よく、意味が分からない。悔しいって、なんで?
「私は、自分自身の非力が悔しかった。そして、復讐を決意した」
「復讐って……旅団相手に? いくらなんでも無茶だとは思わなかったの?」
「思ったさ」
「じゃあ、分かるじゃん。相手の幻影旅団は子供だったあんたが敵う相手じゃない事くらい一目瞭然。悔しがるなんて、馬鹿馬鹿しいよ」
「そういうものか?」
「だって、アリは象に踏みつぶされても、悔しいなんてきっと思ってない」
そう兄貴が言ってたんだ。確か。
圧倒的なまでに力の差がある場合、悔しがること程、馬鹿な事はない。悔しがる奴は自分の力を過信している大馬鹿者だけだって。
それに、親父も言ってた。蜘蛛の事。あいつ等にだけは手を出すな。お前が敵う相手じゃないって。それは無論「今のオレじゃ駄目だ」ってことなんだろうけど。でも、今のオレで駄目なら昔のクラピカなんか論外じゃないか。倒せるような相手じゃない。100%無理。つまり悔しがるレベルの話じゃない。
殺れるか。殺れないか。それだけで考えれば、おのずと答えは出てくる。
「もしかして、あんたってかなりの自信家?」
アリであるくせに、象に立ち向かおうと思うほど。
「別にそうではない。私もさすがに自分の分はわきまえているつもりだ」
オレの言いたいことが通じたのだろう。クラピカは自嘲するように髪を掻き揚げた。すると、さらりと金の糸が指の隙間からこぼれ落ちた。
「あれは理屈じゃないんだ。理性がいうことを聞かないというのは、ああいうことを言うのだろう。頭では理解している。これは悔しがれるレベルの話じゃない。でも、それでもどうしても止められない。どうしても……だ」
理屈じゃない。
何故だか、その言葉が心の奥に響いてきた。
クラピカの決意を後押しするように、碧眼の光が強くなる。
なんか、綺麗じゃん。
ふと思った。
有名な緋の目なんかより、この碧眼のほうが、綺麗じゃん。ずっとずっと綺麗じゃん。
そう思うと、なんか心がざわついた。
「出来るの?」
「え?」
「ひとつ言っておくよ。人を殺すことに躊躇いを覚えるようじゃ、一生かかっても蜘蛛はやれない。絶対に」
「絶対に……か」
オレの言葉にクラピカは顔を歪める。
「ああ、絶対に」
絶対に、無理だ。
だって、この人は、オレとは違う。人を殺して平気でいられない分、オレとは違う。
全然違う。同じ場所には立ってない。
だから、オレの側に来ちゃいけない。絶対に。絶対にだ。
なんでだろう。そう思うとなんだか胸が苦しくなった。
――――――「レオリオ」
声をかけると、レオリオは酷く疲れた目をしてこっちを見た。
やっぱりクラピカはまだ目を覚まさないらしい。
「クラピカは?」
それでも確かめる為に聞くと、レオリオは最高に不機嫌そうな表情でオレを睨み付けて言い放った。
「心配なら自分で見に行け」
それは、いまだにクラピカの様子を見に行こうとしないオレへの怒りの言葉。
オレは小さく肩をすくめた。
「無理だよ。だってオレ、おっさんと違って闇に好かれてるから」
「……え?」
とたんにレオリオの顔が引きつったように強ばった。
「お前……それって……」
「おっさんだって分かってんだろう。今、クラピカが何と戦ってるのか」
レオリオはオレの言葉に沈黙で答える。
そう、これほどまでにクラピカの熱が下がらない原因。
医者の卵であるレオリオならとっくに気がついている。
このことの意味。
「クラピカは今、自分の中の闇と戦ってる。オレなんかがそばに行ったら、余計闇を引き寄せちまうよ。それが分かんないあんたじゃないだろ?」
「だから?」
レオリオの声はひどくしわがれて聞こえた。
「だから、お前はクラピカのそばに行こうとしないのか?」
「…………」
オレは小さく溜め息をついた。
「なんかあったら知らせてよ。じゃね」
軽く手を振り、オレはレオリオに背を向ける。レオリオは刺すように鋭い目つきで、じっとオレの背中を見つめていた。