銀の月 (1)

9月4日。ヨークシンシティ。
一応、本当に一応としか言いようがなかったが、クラピカと旅団とのとりあえずの決着がついた日、クラピカが倒れた。それは極度の緊張から解放された為か、それとも、まだまだ続くであろうこの先の地獄に、心底絶望した為なのか。
とにもかくにも、クラピカは一昼夜目覚めなかった。
高熱にうなされ続けるクラピカのそばをレオリオは一時も離れない。ずっとつきっきりで食事もまともにとらないまま看病している。
ゴンは心配のしすぎでとんちんかんな発言をしたりもしたが、何度か様子を見に行ってはうなだれて帰ってきていた。
っつーか、こいつはクラピカに目覚めて欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだ。
ゴンはこのまま目覚めなければ、クラピカは幻影旅団と争わなくて済むかも、なんて調子のいいこと言ってるけど、恐らく、それは不可能。
絶対に不可能。
今じゃなくても、いつか。そう、またいつか、クラピカは蜘蛛と対決する。
その時、オレはどうするんだろうなって、ふと思った。
今回のことで奴らがどれだけすっげえ奴らかは身に染みて分かった。親父が手を出すなって言ってたのも理解できる。
だけど、オレは…。
「おい、キルア」
目の下に隈の跡をくっきりつけたレオリオが、やっと捕まったとでも言いたげな表情でオレを見下ろして溜め息をついた。
「……何?」
横目でちらりと見上げ、オレはわざと素っ気なく答える。レオリオが言いたいことくらい分かってるけど、今のオレにはどうしようもない。
「何? じゃないだろう。お前」
レオリオは大げさに頭を抱える仕草をした。本当は立っているのもやっとなくらい疲れ切っているのだろうに、頑張るね。このご老体は。
オレが微妙にくすりと笑っちまったんで、レオリオは更に不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「お前さー、いくらなんでも冷たくねえか?」
「冷たい? オレが? なんで?」
っつーか、オレが他人に対して冷たいのっていつものことじゃん。今更何言ってんだか。
「………じゃ……ねえのかよ………」
良く聞こえない程小さな声で、レオリオは口の中でモゴモゴと言葉を発した。
「え? 何?」
分かっているのに、オレはわざと声を大きくしてレオリオに問い返す。思った通りレオリオは苦虫を噛みつぶしたような表情でオレを見下ろした。
「お前、なんでクラピカに会おうとしねえんだ? あいつのこと心配じゃねえのかよ」
「……ああ、そうゆうことね」
すっと目をそらせてオレは肩をすくめてみせる。わざと。
分かってる。レオリオ。
いくら他のこと、グリードアイランドの事で頭が一杯だからって、一度も様子を見に行こうとしないオレの態度は、いくらなんでもあんまりじゃないかって、そう言いたいんだろう。
分かってるよ。
でも、駄目だ。それはオレ自身が一番よく知ってる。
今、クラピカに会うわけにはいかないんだ。駄目なものは駄目なんだ。どうしても。
理由なんか話したって、絶対理解してもらえない。
この感覚はオレと……オレとクラピカにしか分からないだろう感覚だから。
だから、会うわけにはいかないんだよ。
オレは、ばれない程度に微かに溜め息をついた。

 

――――――思い返してみると、オレがクラピカとまともに口をきいたのは、ハンター試験の最中。トリックタワーの中。50時間を過ごしたあの小部屋が最初だった。
此処での試験内容は塔の中に収容されている囚人と対決し、時間内に地上まで降りると言うもの。オレは別に相手が囚人だろうが殺人鬼だろうが、負ける気は全然なかったんで、こんな所は楽勝だと思ってた。
ケチがついたのは、囚人の一人が自分は幻影旅団の一員だなんて嘘をついたためだ。
ずっと冷静なお堅いだけの奴かと思ってたクラピカがその名を聞いてぶち切れた。それだけでも面倒くさかったのに、そのあと対戦したレオリオのおっさんがまた間抜けな奴で、勝てもしない賭けの勝負で50時間もロスしやがった。
そう、レルートとの賭けに負けて足止めを食ったオレ達は、何をするでもなくその無駄な時間を小さな小部屋ですごさなきゃならないはめになったんだ。
50時間っていうのは、思ったよりも長い時間だったようで、最初はオレもそれなりにゴンと遊んで時間を潰した。でも、やがて遊び疲れたのかゴンは部屋の隅で大の字を書いて寝転がり、大きな寝息をたてだした。
考えてみると、このタワーに入ってかれこれ10時間以上。外の時間で考えれば今は真夜中。皆眠る時間帯のはずだ。
どうせ何も出来ないのだから、眠ってしまったほうが時間も早く経つ。体力も温存できる。
すやすやと気持ちよさそうな寝息をたてるゴンの隣でレオリオもいびきをかきだしたのを聞き、オレも横になろうとうーんと伸びをしたその時だ。
クラピカが遠慮がちにオレに声をかけてきたんだ。
「キルア。少しいいか?」
「…………?」
はっきり言って、ここに来るまで、オレはゴンとしかまともに口をきいてない。
そりゃまったく口をきかなかったわけじゃないが、オレにとって他人ってのはどうでもいい存在でしかなかったから、別に親しくなる気もなかったし、何とも思ってなかった。
今まで見てきた限り、このクラピカって人も、恐らくオレと同人種。他人とあまり関わり合いを持とうとしないタイプに見えた。まあ、レオリオとはよくしゃべってるのを見かけたが、でもそれは、どっちかっていうとレオリオのボケにおもわず突っ込んでるだけの会話であり、進んで一緒にいるわけではないっていうか。なんつーか、ゴンもそうなんだけど、あのおっさんも、そばにいると自分のペースをみだされるっていうか、あのボケに巻き込まれるっていうか。
つまりはオレ達と正反対の位置にいる人種。
「…………」
あれ。オレ達って。
オレ、いつの間にこのクラピカと自分を一括りにして考えるようになったんだろう。
「キルア?」
「ああ、ごめん。何?」
オレはすっと身体を横にずらしてクラピカが座る場所を空けてやった。
クラピカは小さく頭を下げ、オレの隣に腰掛ける。ふわりとなんだか良い匂いがしたような気がした。
「結構遅い時間だぜ。あんたは寝ないの?」
「ああ、まだ眠くはない。キルアは大丈夫か?」
「オレは平気。いつでも寝れるし、いつまでだって起きてられるから」
「そうか……」
言いながら、クラピカはすっと俯いた。
なんだよ。何か話があって声をかけたんじゃないのかよ。
何も話し出そうとしないクラピカにオレはしびれを切らした。
「何? なんかあるの?」
「あ、ああ……その……」
なんだかはっきりしない。普段のこの人の態度じゃないな。いつもだったらもっとパキパキしてるのに。どうしたんだろう。
「キルア」
かなりの間沈黙が続いた後で、ようやくクラピカが口を開いた。
「何?」
「人を……」
「…………」
「…………人を…殺すとき……どんな気持ちなんだ……お前は……」
「…………?」
人を?
それが聞きたかったのか?
「どんなって……別に。何か考えなきゃいけないの?」
オレは質問の意図が分からず、オウム返しにそう聞き返す。クラピカは、そうじゃないんだがと言葉を濁しながら、苦笑を洩らした。
「いや、その……そうじゃないんだが……」
そうじゃないんだったら、何なんだよ。
「何も……考えなくて…いいんだろうか」
「……え……?」
クラピカは真剣な目でオレを見た。碧眼の光が射るように刺してくる。
「何も考えずにすむんだろうか……」
そのままクラピカはオレの隣で俯いた。オレはわけが分からなくて、おもわず顔をしかめる。
なんなんだよ、いったい。何が言いたいんだよ。
「いや、すまない。話題を変えよう。キルアは……今まで、どれくらい……人…いや、仕事をしてきたんだ?」
「仕事?」
「その……ゾルディック家での……」
「ああ、暗殺家業ってこと?」
「そ……う……」
ゾルディック家で請け負った仕事ね。つまりは暗殺。人殺し。だったら全然話題転換になんかなってないじゃないか。なんなんだよ、この人。
「覚えてないよ。んなのいちいち数えてないから」
素っ気なく答えると、クラピカはそうだよなと苦笑いした。そして、そのまま目を伏せて小さく溜め息をついた。
本当に分からなかった。何が聞きたくてそんなことを言い出してるのか。そして、なんでこの人はこんなに苦しげな表情をするのか。
人を殺す……か。
その言葉でオレは思いだした。そうだよ。この人、クルタ族だとか言ってたんだよ、確か。
そして、幻影旅団、蜘蛛に復讐するためにハンターの資格がいるのだとか何だとか。
復讐ね。つまりはそういうことか。
蜘蛛の話は小さい頃親父に聞いたことがあった。めちゃくちゃ強い奴らだって。
馬鹿馬鹿しい。じゃあ、敵うわけないじゃん。なのになんで復讐なんて、そんなことしたいんだろ。
復讐なんかしてどうなるんだろう。だって、もうこの人以外にクルタ族っていないんだろ。
なのに何で、いない奴らのために、何かしなきゃいけないんだろう。わけわかんねえ。
だって、全然楽しくなさそうじゃん。苦しそうじゃん。
こんな顔して、何か考えなきゃ人も殺せないんなら、しなきゃいいじゃん。
嫌なら殺らなきゃいいじゃん。
だって、この人は、クラピカはオレとは違う。オレの場合は仕事だったんだし、ああいうことに好いとか嫌とかなかったし、オレ、一応プロだし。
オレ。
「……あれ?」
「どうした? キルア」
突然オレが素っ頓狂な声をあげたので、クラピカが驚いて顔をあげた。
「あれ? オレ……」
「キルア?」
「オレ……」
好いとか、嫌とか、なかった。
なかったのか? 本当に? 本当になかったのか?
じゃあ、オレは何で、何の為に殺しをやってたんだろう。
どっかで抜け落ちてないか? オレの感情。
だって、殺ることが当たり前で、選択権なんかなくて。
そうだよ。日常、食べたり寝たりするのと同じくらい、オレにとってそれは当たり前の行為であって。
でも、オレ。
オレは。
「ううん、何でもない」
これ以上考えたら頭が痛くなりそうだったんで、オレは考えるのを止めた。
そう。無理矢理、思考を止めた。

 

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