サクリファイス (8)

外は激しい暴風雨だった。
昨夜から降り続いた雨は台風を伴ってこの島に上陸したらしい。
瞬はまわりの止めるのも聞かずにサクリファイスを受けるため、海へ出ていった。
たった1人、荒れ狂う波の狭間で、今、瞬は何を考えているのだろう。
「いくら何でもムチャだよ。瞬が死んでしまう」
一段と強くなってきた雨に、ついにいたたまれなくなってか、ジュネが立ち上がった。
「ジュネ。これは瞬自身が望んだことなのだ。だから誰も手出しはできない」
さすがにアルビオレ先生は冷静な表情を崩さずにじっと座ったまま腕を組んでいる。
もしかして、先生は知っているのだろうか。瞬の小宇宙の大きさを。
まさか。
オレは小さく首を振った。
そんなことあるわけがない。昨日の勝負だって、オレの方が負けるなど、誰も思ってなかったと。先生も驚いていたとスピカが言っていたのを聞いた。
瞬。
望まない力を得た瞬。
力をもてあまして、死ぬことすら出来なくて。
じっと海を見続けていた瞬。
そうだ。
あいつが海を眺めて待っていたのは死だ。
自分の命を受け取ってくれる相手を瞬はずっと待っていたのだ。
自分が海に投げ落とした命。
兄であって兄でないひとつの命。
決して届かない想いを瞬はじっと抱えていた。
だから、あんなにも透明で。だから瞬はあれ程に天使なのだ。
生と死を司る天使なのだ。
「何処へ行くんだい。レダ」
突然立ち上がったオレの背中にジュネの声が突き刺さる。
多分、ジュネはオレが瞬をそそのかしてサクリファイスを受けさせようとしたとでも思っているのだろう。
オレは振り返りもせず無言でその場を立ち去った。
「レダ!!」
ジュネの声はあっという間に風の音にかき消されて聞こえなくなる。
オレはゆっくりと海岸へ向かって歩きだした。
雨が頬に当たって痛い。
普段滅多に雨など降らないカラカラに乾いたこの島にこんなに雨が降ったのは、オレが覚えている限り初めての事だった。
もしかして、これも瞬の力の一部なのだろうか。ふと、そんな事まで頭をよぎる。
岩だらけの海岸にでると、瞬の小さな身体が波間に見え隠れしていた。
雨と波に体力を奪われ、ぐったりとなって、傍目には死んでいるのではないかと見える。
微かに揺らめく小宇宙の揺らぎが、まだ瞬がかろうじて生きていることを告げていた。
「瞬……」
届かないことが解っていながら、オレは小さく奴の名を呼んだ。
「瞬……!」
瞬は、戻ってくる気があるのだろうか。
ふと、不安がよぎる。
精も根も尽き果てた朦朧とした状態で、瞬は何を考えているのだろうか。
今でも。
今、この瞬間でさえ、あいつは死を望んでいるのだろうか。
叶えられないことが嫌と言うほど解っている死を。
「瞬、戻ってこい。生きて戻ってこい」
知らず、オレの声が大きくなる。
「なにぐずぐずしてやがるんだ! さっさと戻ってこいってんだ。バカ野郎!」
オレの声を波がかき消していくのが解ったが、それでもオレは大声を上げ続けた。
「オレ、強くなるから……! このままこの島に残って修行して、もっとずっと強くなるから。お前を簡単に殺せるくらい強くなってみせるから!!」
波間に瞬の小宇宙が揺らめく。
「瞬! 聞こえるか!? 瞬!!」
雨と風にかき消されながらも、オレは瞬に向かって叫び続けた。
「瞬! 戻ってこい!! お前だったら、そんな鎖簡単に抜けられるだろう!? ぐずぐずしてねえで、はやく戻ってこい! 戻ってきて、もう一度オレの前に姿を現せよ、バカ野郎!!……兄貴に命与える必要なんてねえよ! オレがちゃんと貰ってやるから。お前の罪も、お前の血も、お前の命も何もかも、オレがちゃんと受け取ってやるから!!」
僅かでもいい。
瞬に、この声が届くように。
オレは血を吐く思いで叫び続けた。
「大丈夫、オレがちゃんとお前を殺してやるから……!」
瞬。
「ちゃんと、殺してやるから!!」
瞬。
「だから……!!」
天を貫くような小宇宙の爆発。大きく波が割れて、瞬が真っ直ぐにオレの方を見た。
確かに見た。

 

――――――いつの間にか雨が止んでいた。
ゆっくりと砂を踏みしめる音が近づいてきて、オレはようやく顔をあげた。
瞬は、何だか泣き笑いのような表情で、オレに向かって微笑みかけた。
瞬の手には見事なアンドロメダの鎖がある。
鎖からポタリと垂れた滴が、太陽の光を浴びてキラリと光った。
成功したのだ。
海は穏やかに波打っていて、先程までの嵐が嘘のようだった。
「瞬……」
成功したのだ。
瞬は戻ってきたのだ。
アンドロメダの聖衣を手にして。
「レダ」
「…………」
くしゃりと瞬が顔を歪める。
「レダの声が聞こえた。はっきりと聞こえたよ」
「…………」
瞬の髪がさらりと揺れる。
揺れた髪の隙間から光がこぼれ落ちてくるようだった。
やはり、瞬は天使に見えた。
何処までも何処までも透明な、天使に見えた。
「僕、レダが好きだな。とっても」
オレはじっと瞬を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「レダは優しい。僕、此処で君に逢えて良かった」
「…………」
「僕、本当にレダのこと好きだな」
「オレはお前のことなんか嫌いだよ」
「うん。解ってる」
やはり表情ひとつ変えずに瞬は素直に頷く。
「…………」
「有り難う。レダ」
「…………」
「有り難う」
トンっと瞬はオレの肩に顔を押しつけた。
ふわりと瞬の柔らかそうな髪がオレの鼻先をかすめる。
「レダ」
「…………」
「行くね」
「…………」
「僕は、行くね」
何処へ。
などと訊く必要はなかった。
オレは寄りかかってきた瞬の肩を抱いてやることも出来ず、ただ、阿呆のようにそのままじっと瞬の細い肩を見つめていた。

その日の夕方、瞬はアンドロメダの聖衣を手に、日本へと帰っていった。

FIN.      

2002.6 脱稿 ・ 2002.10.12 改訂    

 

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