サクリファイス (6)

「ねえ、レダ。聖書の言葉にある『目には目を』って知ってる?」
唐突に瞬が言った。
「目には……?」
「そう」
「確か……目には目を…歯には歯を……」
正確な意味など知らない。オレはクリスチャンじゃないから。
でも、言葉のニュアンスから察すると、単純にやられたらやり返すって解釈していいのではなかっただろうか。
オレがそう言うと、瞬はやっぱりねというように笑って頷いた。
「うん。正確には、『目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない』……つまり、目を奪ってしまったら、その目と同等のものを相手に与えなければならないっていうものだけどね」
「やり返すんじゃなくて、与える側の話なのか、それ」
「まあどっちの人間を対象にして考えるかってことだから、それはどちらでもいいんだろうけど」
「…………」
珍しくやけに饒舌な瞬の態度が、何故かオレの不安をかき立てた。
「で、そんな小難しい言葉をだして、オレに何を言いたいんだ。お前は」
「うん」
小さく肩をすくめて、瞬はオレを見た。
「レダ、言ったよね。僕のこと、人殺しだって」
「……!?」
「僕は本当に人殺しなんだ。本当に。だから、僕はあの人に僕の命を与えなくちゃならないんだ」
「…………瞬……?」
「なんてったっけ? 彼。僕が殺してしまった……駄目だな……名前も思い出せない」
「…………」
とつとつと、昔語りを語るように瞬は言葉を綴っていった。
「あの頃、僕はようやく気付いた。僕が他の子と少し違うって事を。もともとそれが僕の素質だったのかわからないけど、僕の小宇宙の大きさは、あの頃すでに先生を超えていたんだ」
「なっ……」
まさか。
いくら何でもそこまで。
「もちろん、正式に試したわけでも、先生と戦ったわけでもないから正確なことは解らないけどね。でも、僕はあの頃、先生を倒せる自信があった」
「………………」
「解るんだよ。それはもう理屈じゃない。ただ、解るんだ。怖いくらいに」
瞬の目は、相変わらず澄んだままだ。
なのに、その輝きは、いつもの瞬ではなかった。
「夜中、みんなが寝静まった頃、僕は時々この砂漠を散歩した。もちろん先生にも内緒でね」
「…………」
「ちょっとした岩を砕くのなんか、簡単に出来るようになった。訓練用の鎖も自由自在に動いてくれた。まるで自分の手足のように。僕は自分の力が日に日に強まっていくのを肌で感じていたんだ。そして、そんな時、彼が来た」
「…………!」
彼。
瞬が殺した相手。
「彼ね。ほんの少し、雰囲気が兄さんに似てた。強くて大きくて。なんだか兄さんが僕の様子を見に他人のふりをして現れたんじゃないかと思ったくらい」
「そんな相手を……お前……何で……?」
「殺したかって?」
ふっと笑った瞬は、ゾクリとするほど美しく見えた。
「最初は嬉しかったはずなんだ。話しかけられると、ドキドキした。兄さんがそばにいるような気がしたから。少しでも彼のそばにいたくて仕方なかった」
「………………」
チクリと心が痛くなる。
「彼が好きだった。そして大嫌いだった」
「……え?」
「兄さんに似ている所が好きで、兄さんに似ている所が大嫌いだった」
「……どう…いうこと…だよ」
「どうしてだろう。息が出来なくなるんだ。苦しくて、苦しくて……そのうち僕は彼のことが疎ましくて仕方なくなった……」
「……瞬?」
「僕は、彼が疎ましかった。兄さんであって兄さんじゃない彼が。だから、僕はわざと怯えたふりをした」
わざと?
オレは、瞬の言葉の意味がよく解らなかった。いや、解りたくなかっただけかも知れない。
洞窟の外では珍しく雨が降り出していた。
「………………」
「…………あの日も雨が降ってた」
雨の音にかき消されそうなほど微かな声で瞬が言う。
「本当に、何がどうなったのか、記憶が断片的なものしか残ってない」
「…………」
「なんで、あんなことになったんだろう…………思い出せないことが多すぎる」
地面に寝転がったまま、瞬は髪を掻き上げた。
「彼は、僕を倒そうなんて思ってなかった。むしろその逆だ。彼は、僕の事を心配してくれていた。いや、ちょっと違う。彼は僕の心が解らなくって戸惑ってたんだ。」
「…………」
「素直だったんだね。あの人と同じ。僕を縛り付けて離そうとしないあの人と」
縛り付けて。
「解らないって彼は言うんだ。オレが気に入らないのかって。どうしてそんなふうに怯えた目をするんだって。可笑しいね。彼は僕の本当の心なんて一切わからなかったんだ。わからないまま、ただ、僕に手を差し伸べようとしてたんだ。僕は言った。そばに来ちゃいけないって。僕は貴方を殺せる力があるから、だから、そばに来ちゃいけないって」
「…………」
「僕が本当の事を言っても彼は信じなかった。彼には僕が何を言ってるのか解らなかったんだ。呆れたように笑って言った。何をバカなこと言ってるんだって。そんな力があるなら見せてみろって。そうして彼は僕のほうへ手を伸ばした」
「…………」
「解ってたよ。彼は僕を傷つける気なんかこれっぽっちも無かった。僕の鎖が勝手に僕の心をよんで反応しただけなんだ」
「鎖が……?」
「今日と同じ。といってもあんまり覚えてない。何をしたのか。どうなったのか。ただ、覚えてるのは、僕は彼を僕の目の前から消したいと思っていたことだけ。兄さんであって兄さんじゃない彼を、僕の心が疎ましく思っていたことだけ」
「…………」
頭の中が真っ白になった。
「僕は残酷な人間なんだ。兄さんの幻影に怯えていたくなくて、ただそれだけの為に人を殺せるんだ」
「瞬……それじゃよくわからない。そんな言い方じゃ……わからない……そんな……」
「知りたい?」
「……えっ?」
ギクリとした。
「彼がどんなふうに何を言って、僕がどうなって彼を殺したか。そんなに知りたい?」
「…………」
「彼は言ったよ。立つんだ瞬って。まるで兄さんと同じ口調で。僕はそれが気に入らなくて、彼の口をふさごうとした。彼の暖かな目が気に入らなくて、彼の目を閉じさせようとした。彼の大きな手が気に入らなくて、彼の……」
「瞬!!」
「彼の身体が冷たい塊になっていくのを僕はじっと見ていた。身体が痙攣して、死後硬直が始まったのがわかった。彼の唇はどんどん青ざめて土気色になって……」
「瞬……やめろ!!」
「僕は固くなった彼の身体を引きずって崖から突き落とした。誰にも見つからないように。彼の身体は荒れ狂う波に木の葉のように舞って、沈んでいった。そして、二度と浮かんでこなかった……」
「やめろ! 瞬!!」
他に方法がなくて、オレは力一杯瞬を抱きしめた。
瞬の言葉を止めたかった。
だから、オレは瞬の口をふさいだ。そうすることでしか、オレは奴を止められなかった。
「……!?」
オレの腕の中で瞬の身体が硬直するのが解る。
触れあった唇は暖かくて柔らかくて。
オレはそっと重なっていた唇を離し、同時に瞬の身体も突き飛ばした。
支えを失ったマリオネットのように瞬の身体が地面へ崩れ落ちる。
オレは瞬の唇の感触を乱暴にぬぐい去り、血の滲むほど唇を噛みしめた。
「ごめんね。レダ」
再び瞬がぽつりとつぶやいた。
「瞬……」
「目には目を。歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を……」
「瞬、いい加減にしろ」
「僕、何で生きてるんだろうね」
ポツリとつぶやいた言葉は、瞬の真実の言葉だった。

 

前へ  次へ