サクリファイス (3)

「あのさ……余計なことかも知らないけど、あんま、瞬には関わらない方がいいと思うぜ」
ある日、突然スピカがオレにそう言った。
「オレは別に関わってなんかいねえよ、あんな奴」
「そっか? ならいいんだけどさ。いちおう忠告しておこうと思ってさ」
「忠告? なんだよそれは」
「いや……さ……ちょっと気になる噂があるんだけどさ……」
「噂? どんな?」
「いや……だからさ……その……」
なんだか、奥歯に物の挟まった言い方をするスピカが気にいらなくて、オレは不機嫌な顔のままスピカの胸ぐらを掴みあげた。
「なんか、気にいらねえ言い方するな、お前。何か言いたいことでもあるのか?」
「言いたい事って……別に。ただ……」
「ただ、何だよ」
「あいつ。瞬はやばいんだって」
「は?」
言ってる意味が解らない。
「だから……これは単なる噂なんだけどさ」
「だから噂はわかったから、どんな噂なんだよ」
「あいつさ……瞬……」
こっちがイライラするほど言いにくそうにスピカはくしゃりと顔を歪めた。
「瞬が何なんだよ」
「いや……だから……あいつ。」
「あいつ?」
「実はさ……瞬の奴……昔さ……」
「…………」
「昔……人…殺したことあるんだって」
「……!?」
オレは自分の耳を疑った。
瞬が、人殺し? あの虫も殺さないような顔をした瞬が?
あまりのことに、オレは掴んでいたスピカの胸ぐらを離し、突き飛ばした。
「何だよ、その馬鹿馬鹿しい噂は。どこの誰がそんな事言いだしたんだよ」
「だから噂だって言ってるだろ。オレも大元の話は知らねえよ。ただ、火のない所に煙は立たないっていうから、何かはあったんだろうって」
「だからって殺人ってのは穏やかじゃないぞ」
「オレだってびっくりしたさ。だけど消えた奴がいたのは事実なんだから」
「消えた……奴?」
コクリと頷いて、スピカは大きくため息をついた。
「オレがこの島に来た1ヶ月くらい前の事だけどさ。この島から消えた奴がいたんだ。オレ達と同じ聖闘士候補生だったらしいだけど」
「聖闘士候補生?」
「そう。身体もでかくて、力もあって、一番の実力者だって言われてたんだけどさ。そいつがある日突然この島から消えたんだ」
「…………」
「絶対逃げ帰るような奴じゃなかったのに、ある日忽然といなくなって、先生も随分探したらしいんだけど、結局見つからなくって、聖域には脱走者としてそいつの事を報告したそうだ。瞬はそいつが逃げた翌日から、高熱をだして2週間ぶっ倒れてたらしい」
「……だ……だからって、なんでそれが瞬の所為になるんだよ」
「そこんところがオレにもよく解らないんだけどさ。なんか、その消えた奴、瞬とごちゃごちゃあったらしいし、消える前、最後に一緒にいたのは瞬だったっていうし、瞬はその事件があってから、あんまりみんなと口聞かなくなったっていうし」
「…………」
だからって。
だからって、そんな事。
ふいにオレの脳裏にあの夜の瞬の姿がよぎった。
もしかして、あいつの、あの力を使えば、人を殺すことなど簡単な事なのかも知れない。
でも。
「なあ、スピカ。お前がこの島に来たのって、いつだよ」
「えっと、5年くらい前かな?」
「5年前。っていうことは、瞬はたった8歳で人を殺したのか?」
「そう……いうことになるな。」
憮然とした表情で、スピカはそう答えた。

 

――――――瞬。
あいつは、いつ頃から、あれ程の力をつけたのだろう。
あの夜の瞬は、自分の力を試しているふうでも、まして力をつける為のトレーニングをしているふうでも無かった。
どちらかというと。
なんだか、あいつのは。あれはまさに強くなりたくない為の究極の方法のように見えた。
あいつの小宇宙の大きさは計り知れない。
それがあいつの望むものではなかったのだとしたら。
その力を抑えつける為に必死なのだとしたら。
必死で力を抑えつけて。抑えつけられた力は行き場がなくなって更に強さを増そうとする。
強さを増して瞬を力で支配しようとする。
そして、瞬はその力を暴走させない為にさらに必死に力を抑えつけて。
抑えきれなくなった力をああやってたまに解放してやる。
そうしてやることで、なんとかそれ以上の暴走をくい止めることに成功する。
だが、一度解放された力は更に強さを増そうと、その威力を強めるだろう。
瞬の意志に関係なく。
そうして。
そうやって月日が流れる。
まるでいたちの追いかけっこだ。
堂々巡りで。更に更にあいつは自分に追い打ちをかけているのだ。
最悪。
そんな言葉がおれの頭をかすめる。
本当に最悪でしかない。
あいつが力を欲していないのだとしたら。
此処は最悪の環境で。最悪の場所で。
なのに、何故あいつは此処を逃げだそうとしない。
あいつは、瞬は、何を望んで此処にいるのだろう。
まるで羽根をもがれた天使のように。
天へ帰れもせず、あいつは地上に縛り付けられてでもいるのだろうか。

波の高い晩。瞬は1人岩だらけの海岸へと向かう。
それは、いつもの見慣れた光景だった。
切り立った岩場のひとつに腰を降ろし、じっと奴は彼方を見つめる。
海の向こうにいるのは、奴の兄なのか。それとも他の誰かなのか。
少なくとも瞬の目はこの島を見てはいない。
奴の意識は、此処にはない。
奴は此処の誰のことも考えていない。想ってもいない。必要ともしていない。
それが、何だか悔しくて、歯がみするほど悔しくて。
だから、オレは本気で奴を殺してやりたかった。
ほんの少しでも奴の心にオレの名前を刻みつけるために。それだけの為にオレは奴を殺してやりたかった。
「レダ……」
瞬がオレに気付いて顔を向ける。
潮風に何の抵抗もなく揺れる瞬の髪はとても柔らかそうで、オレはまた瞬と天使を見間違えた。
「何を見てるんだ。お前」
「海」
「そんなの見りゃわかるよ。オレが訊いてんのは……」
「うん。そうだよね」
困ったような曖昧な笑みを浮かべて瞬は再び海へと目を向ける。
スピカ達はこうやって海を見ながら、瞬は兄の事を考えているのだと言っていた。
「こんな所で待ってても兄貴は迎えにこないぞ」
「知ってる」
間髪を入れずに瞬は答えた。
その声の意外な鋭さにオレは一瞬ギクリとなって瞬を見る。
「………………」
「兄さんは此処へは来ない。兄さんに逢いたかったら、僕が兄さんの場所まで行かなきゃいけないんだ」
「兄貴の場所までって」
「兄さんの場所は遠い。僕は、僕の嫌いな僕にならなきゃあそこまでたどり着けない」
「何だよ、それは。わけわかんねえぞ」
「うん。僕にも解らない」
潮風が瞬の髪をもてあそぶ。
瞬が何を考えているのか、やはりオレには解らなかった。
「……辿り着いて、兄貴に逢って、そしてお前はどうするんだ」
「さあ、どうするんだろうね」
そう言った瞬は何だか不思議な表情をしていた。
瞬の表情は、ただ単に兄貴に会いたいとか、兄貴が好きだからまた一緒に暮らしたいとか、そんな感じには見えなかった。
だからといって、では、どんな感じだと訊かれると返答に困る。
でも、何故か、オレには瞬の中に渦巻いている兄貴への感情は、確実に愛情とはかけ離れたもののように見えた。

 

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