サクリファイス (2)
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瞬は生きることも死ぬことも何とも思っていない。
それどころか、死に対する恐怖すらない。
どうして瞬があんなに透明なのか、ほんの少し解ったような気がした。
瞬は、あいつは間違いなく異質だ。
あいつは、オレがあのまま手に力を込めても構わないと思っていたのだ。
ゾクリと背筋が寒くなった。
奴はオレ達には理解できない思考の持ち主なのだ。
嫌悪なのか。恐怖なのか。
オレは掌にまだ鮮やかに残っている瞬の細い首の感触を振り払おうと、わざと乱暴にそばの岩壁を殴りつけた。
じんと拳がしびれる。
岩壁はびくりともしない。
それが悔しくて、オレは再び岩壁を殴りつけた。
「…………」
深く深く息を吐いて、オレはその場にしゃがみ込む。まったく何をやっているのだろう。
気が付くと、オレの頭の上には、見事な南十字星が輝いていた。
いつの間に夜になったのだろうか。
かなり冷え込んできているのに気づき、オレは手を突っ張って立ち上がり、天を振り仰いだ。
きっと他の奴らはすでに寝床に潜り込んでいるだろう。
明日も早朝から訓練は開始されるのだ。休めるうちに休んでおかなければ身体がもたなくなる。
「…………?」
そう思って歩きだそうとしたオレは、次の瞬間、ふと足を止めた。
何かの気配を感じる。何だろう。
神経を研ぎ澄ましてみる。
誰かいる。間違いない。こんな時間に、自主訓練だろうか。
オレは、そっと気配を殺しながら、辺りの様子を探った。
海岸沿い。突き出た岩場のある向こう側。
小宇宙が爆発するようなチリチリする感覚。
あそこだ。
オレはダッシュで岩場の方向へ走った。
「…………!?」
その時、信じられない光景が、オレの目に飛び込んできて、オレは自分の目を疑った。
「……なんで……あいつが?」
そこに居たのは瞬だった。
瞬はよほど自分の意識に集中しているのか、オレが来たことに気付きもしないで、じっと目の前の岩を見据えていた。
瞬の回りに陽炎が立ちこめる。腕に絡めた鎖がザワザワと波打ち出す。
空気がビリビリと張りつめていくのが感じられる。
やがて、瞬はすっと右手を岩の方に差し出した。すると鎖の動きが同時に激しくなる。
瞬が何をする気なのか解り、オレは愕然とした。
「……あいつ……」
瞬は目の前の岩を砕く気なのだ。
馬鹿な。
いくらなんでもあんな巨大な岩。先生だって出来るかどうかわかったものじゃない。
それをあいつは。
瞬の回りを包む小宇宙が強さを増す。
そして、次の瞬間、目の前の大岩が消し飛んでいた。
「…………」
衝撃さえほとんどない。
寝ている奴らは絶対に気付かないだろう。
それくらい静かに。まるで何事もなかったかのような楽な態度で、瞬は岩を消した。
まさしく、消したのだ。
カラン……。
おもわず後ずさったオレの踵に当たって小石が転がる。
ようやくオレの気配に気付き、瞬がはっとなって振り返った。
「レダ……?」
知らなかった。
瞬がこんなに強いなど。ちっとも知らなかった。
桁が違うというのは、まさにこのことだろう。
小宇宙の巨大さ。威力。
そして、ほんの一瞬妖しく光った異様な目の輝き。
悔しいと思うことすらバカバカしく感じられるほどの、圧倒的な力の差。
「レダ……どうして……こんな時間に……」
言外の意味。
どうして此処に。今の光景を見たのだろうか。
瞬の表情はまさしく見られてはいけないものを見られてしまった者のそれだった。
オレが、完全に岩の影から姿を現し、瞬のもとへ歩み寄ると、瞬は少し怯えたような目をして一歩後ずさった。
もう一歩近づくと、瞬は再び後ろへ後ずさる。
先程の威力と、今の瞬の表情のあまりの落差にオレはつい可笑しくなって笑いだした。
「レダ……?」
「まったく、さすがのオレもかなり驚いたぜ」
「…………」
「まさか、お前がこんな力を隠していたなんてな」
苦しそうに瞬は目を伏せる。ふわりと揺れた髪は少女のようで、瞬はやはりオレの目に天使のように映った。
それも楽園を追放された天使。ルシファーに。
強く、神々しいほどに美しい堕天使。
そう、さっきの姿は美しかったと思う。今まで見たどの瞬よりも。
「瞬、何が理由で隠しているんだ。その力」
「…………」
「本気をだせばいつでも倒せるからって、オレ達を馬鹿にしてるのか」
「そんな……」
「昼間、オレに抵抗しなかったのだって、いつでも逆転できると思ってたからか」
「……それは……」
「オレなんかに自分が殺されるとは思わなかったからか」
「違う……!」
僅かに怯んだ隙を見て、オレは一気に瞬の元へ走り寄り、奴の頬を張り飛ばした。
パシンっと小気味の良い音が辺りに響く。
瞬は多少よろけたものの頬を赤く腫らしてオレの方に向き直った。
「気にいらねんだよ、お前は」
「…………」
「いつもいつも冷めた目をして。何も期待してません、何も望んでませんって、聖人君子みてえな面してさ。生きる事への欲望すらないような顔して。ふざけるんじゃねえよ。お前は知ってただけじゃねえか。あれくらいで自分は死なないって事……」
「レダ!!」
奴にしては珍しいくらい強い口調で、瞬はいきなりオレの言葉を遮った。
オレはとっさに身構えながら、口を閉じ、じっと瞬を見つめ返した。
こいつは少しは怒ったのだろうか。
今のオレの言葉で、少しは心が動いたのだろうか。
そう思ったのに、次に瞬の口から出た言葉はオレの予想とは大幅に違うものだった。
「レダはどうして戦いたいの?」
「…………?」
「今だってレダは充分強いと思う。これはお世辞じゃなく。なのに、どうしてそれ以上強くなろうと思うの? 誰かと戦いたいの?」
「…………」
「今までだって、これからだって、僕等が戦わなければならない理由なんて何処にもない。理由もないのにどうして、僕等は戦わなくちゃならないんだろう。女神の聖闘士って、戦うことを目的として集められるんだろうか。それなら平和のためになら人を殺しても、それは正しいことなんだろうか」
「……!?」
「ごめん……そうじゃない。何言ってるんだろう」
瞬は困惑したように瞳を伏せた。
「オレ達が戦う理由ならあるぞ」
ポツリとオレが言うと、瞬は驚いたように顔をあげた。
「オレはお前を倒したい。何故ならオレはもっと強くなりたいから。オレは強くなってもっと上を目指したい」
「……上?」
「オレは自分の力の上限を知りたい。自分が最高に強いんだって思える瞬間が欲しい。今のままで満足している道化にはなりたくない」
しばらくの間、じっとオレを見つめていた瞬の瞳がふっとやわらいだ。
「……レダは強いね」
「…………」
「レダはちゃんと生きてる。自分の力で生きようとしている。強いね」
「な……何言ってんだよ。お前だって生きてるじゃないか」
「うん、そうだね。僕は死なない。少なくとも君に殺されるわけにはいかないんだ」
「…………」
「僕を殺していいのは、兄さんだけだから」
「…………!?」
まるで、当たり前のように。
そう、指を切ったら赤い血が流れるという事と同じくらい当たり前の事のように、瞬は言った。
背筋がぞっと寒くなって、胸がムカムカした。
何故だろう。悔しくて悔しくてしかたなくなって、オレはまともに瞬の顔を見ることすら出来なくなっていた。