RE:スタート -第2章:消えた記憶−(3)

天城というのは、当麻の前身の名だ。
だから今、自分のことを天城と呼ぶ男を当麻は一人しか思いつかない。
もちろん記憶バンクである当麻の中には、自分の前身であった頃の天城という名前も記憶として残っている。しかし現世に転生した彼らの中にはまだその名前は定着していない。そこまで過去世と同調している者はいない。
だから、今の当麻を昔の、前身の名前で呼ぶ者がいるとすればそれは、過去の記憶を完全に保持したまま転生をせず、彷徨っている者。
それは、つまり。
「烈火……なのか……? 本当に……」
当麻の口が懐かしい彼の人の名を呼んだ。
伸の部屋。ひるがえったカーテン。
伸を愛おしそうに見つめるひとつの影。漆黒の髪。黒曜石の瞳。
正人と同じ黒曜石の瞳。
今まで、正人と烈火の存在は別だと思っていた。そのことを疑いもしなかった。
でも、本当はそうなのだったら。
正人が烈火本人なのだとしたら。
確かに、そう考えればすべてのことに納得がいく。いくのだ。
「なんで? どうやって? いつ覚醒したんだ? 転生したのに記憶は残ってるのか? ってかそもそも伸の幼馴染として転生したのは偶然か? 故意か? 集結の日の前日に亡くなったのは、その時点ではまだ烈火の意思が目覚めていなかったということなのか?」
矢継ぎ早に繰り出される当麻の問いに、正人は笑いながら首を振った。
「そうではない、天城。正人は烈火じゃないよ」
「……え?」
「いや、正確に言うと、烈火ではなかった、と言うべきか」
「……説明してくれ」
答えるように、烈火が小さく頷いた。
「お前も気付いていただろうが、今の世で仁の珠を受け継いだ者。つまり今回の戦いに参加した仁の戦士は烈火である俺の転生した姿ではない」
「……ああ」
今回の戦いに参加した、今、現世で仁の珠を持つ者。真田遼。彼は烈火の転生者ではない。
烈火はこの世に転生をしなかったのだ。
「あの時……戦線を離脱した俺には、転生の機会は巡って来なかった」
しなかった理由はひとつ。
烈火が自分の意志で自らの命を絶ったから。
自殺は神への冒涜だから。その行為を行った者は二度と転生し、この世に生を受けることはない。
誰に言われたわけでもないが、それは当麻の記憶の奥深くに刻み込まれた事実として認識されている。
そして、そんな当麻の記憶の中の忘れられない光景のひとつ。
炎の中で燃え尽きた烈火の命。
そしてそのそばで、赤ん坊を腕に抱き、立ちすくんでいた伸の前身である水凪の姿。
あの時、烈火の死を認めることが出来ず、その場を動こうとしなかった水凪を、天城が必死で救い出した。
“烈火! 烈火ー!!”
炎の中。ずっと烈火の名前を呼び続けていた水凪。
あの時は、あの声が。あの言葉が、水凪の最後の声に、言葉になるなんて思ってもみなかった。
「炎の中で赤ん坊を助け、水凪に託した後、俺は自力で脱出することを諦めた」
「…………」
「身体が動かなかったんじゃない。動かそうという意思がなかったんだ」
知っている。
「俺は疲れていた。あらゆることに疲れ切っていたんだ」
そんなことは、とうの昔に知っていた。
「気が付くと、仁の珠はもう俺の手にはなく、代わりに水凪が抱いている赤ん坊の手の中にあった。さすがにそれがどういう意味を持つのかは俺にだってわかる」
そう。
遼は烈火ではなく、あの時烈火が救い出した赤ん坊が転生した姿だ。
「……炎の戦士、烈火が、よりによって炎の中で死ぬわけはない。もしあるとすれば、それは烈火自身が珠を捨て、死を望んだ場合だけだ。あんたはそれに気付いて、わざと珠を手放した」
「そうだ」
「そのあんたが何故、今此処にいる。自ら命を絶った者は、転生などされないはずなのに」
「そのとおり、俺は何処にも行けず文字通り彷徨っていたんだろう。そしてそのまま消滅するはずだった」
消滅。永遠に消える。
「それなのに今、俺は此処にいる。これがどういうことかわかるか?」
「…………」
新宿で起きた事故。爆発で生じた亀裂。
あの亀裂は、時間軸を捻じ曲げ、同時に伸の中にずっとあった後悔や罪の意識までもを、一緒に切り裂いた。そしてその亀裂が、最終的に遥か彼方、烈火の所まで届いたとでもいうのだろうか。
「あの瞬間、俺はすべての記憶と共に正人の中で覚醒した」
「……それって……正人の意識の中にいきなりあんたの意識が入り込んだってことか?」
「厳密に言えば、そういうことだ」
「なんだってそんな」
「わからない。ただ……」
「ただ?」
「これが正しい答えかどうかはわからないが、恐らく、あの瞬間、正人の願いと俺の願いが、ぴったりと重なったからじゃないかと考えている」
同じ願い。
当麻の頭の中に先ほどの正人の言葉がよみがえる。
「じゃあ、あんたも正人も伸の中からすべての記憶を一切なくすことを願ったってのか?」
「そういうことになるな」
「それが伸のためになると思ったってのか?」
「ああ」
「なんで? 伸はオレ達の仲間だ。ずっとずっとかけがえのない時を共に過ごしてきた大切な仲間だ。それなのに、なんで記憶を全部リセットする必要があるんだよ」
「…………」
正人は瞬きもせず、当麻を見ていた。烈火と同じ瞳をして。
「だいたいあんたは一度あいつを…水凪を突き放したじゃないか。それなのになんで今更」
「突き放してはいない。俺はただ、あの子に生きて欲しかっただけだ」
「……生きて?」
あれが。あの状態が生きていたといえるのか。
当麻はぎりっと血がにじむほど唇を噛みしめた。
「どんな状況であれ、俺はあの子を手にかけることは出来ない。水凪がどんなに望んでいても、あの魂を死へと導くことなんか出来ない。お前と違って」
「何だと……それは、どういう意味だ」
「どういうも何も、言ったままだ。俺が知らないとでも思っていたのか? お前の手が斎の血で染まっていることを」
「…………!!」
当麻が大きく息をのんだ。
「……い…つき……?」
「そうだ。斎だ。遥か昔、お前が手にかけた、お前の最愛の妹。斎の巫女だ」
「何故……それを……そこまで……」
「言っただろう。俺はすべての記憶と共に正人の中で覚醒したのだと」
すべての記憶。
つまり烈火としての記憶だけではなく、そのさらに前、さらに前。自分達が戦士として戦ったすべての記憶をということなのか。
それではまるで自分と同じ。
記憶バンクだ。
「…………」
いつの間に夜になっていたのだろう。月が雲に隠れ、僅かに残っていた明るさがなくなった。
闇の中で、当麻は正人の中に、烈火の更に前身の姿である柳の顔を見た。

 

――――――烈火の前身。柳。
それはまだようやくこの世が戦乱の世と呼ばれ始めた時代に生を受けた仁の戦士。
阿羅醐とカオスの出会いから数えると、何度目の転生者だっただろうか。
あの時代、柳は信の珠を持つ少女、斎に恋をしていた。
一度も鎧をその身に纏うことはなかった水滸の戦士。斎は、あの時代の天空、雫の妹として生を受け、生まれついての不思議な力で、傷ついた戦士達の身体を癒してやっていた聖なる巫女だった。
争いを嫌い、早く平和が訪れることを心から願っていた優しい妹。
その斎に、烈火の戦士、柳は恋をしていたのだ。
“俺が貴女を護る。命かけて護る。だから一度でいい、俺だけに微笑みかけて欲しい”
桜の舞い散る中、柳は斎にそう言った。
それが不器用なあの男の最初で最後の恋の告白だったことに気付いたのはいつだっただろうか。
斎の笑顔を護る為、それが報われない恋でも構わなかった。彼女さえ、幸せでいてくれるなら。
覚えている。
戦いの最中。柳が逝った事を、斎はその鋭い感覚ですでに知っていた。
鎧戦士達が最期の力を振り絞って結界を張った後、雫が斎の元へたどり着き、柳の死を告げた。その時、斎は黙って頷いただけだった。
「……柳が散った。……紅も禅も、もう生きてはいまい。俺も、もう長くない。……済まない……斎……」
身体中にうけた槍や刀の傷と流れる血に、もう少しで意識を手放しそうになりながら、雫は言った。
「お前を残していく俺を許して欲しい」
「……兄様、斎の最後の我が儘を訊いて下さい」
やがて来る死を少しでも穏やかなものにしようと、雫の傷口にそっと手を当て、斎が言った。
「……斎……?」
「私の最後の我が儘です。兄様……私を殺して下さい」
「……!!」
斎の透き通るような緑の瞳が雫を見つめた。
「斎……何を言って……」
「私を殺して下さい」
何も言えず、雫は妹の瞳をのぞき込んだ。
「皆が逝ってしまって、私独りで残りの生を生き抜く自信がありません。自ら命を絶ってしまうと転生出来ないのなら、次の世でまた兄様に逢えるように、私をその手で殺して下さい」
「…………」
「兄様に殺されることが、私の願いです」
一点の曇りもない瞳。それは死を決意した為なのか、斎は何も恐れてはいないようだった。
戦乱の世。独り生き残ってしまったら、この後、斎はどんな運命を辿るのだろうか。見つかって殺されるのか。慰み者になるのか。
もう、そばにいてやれないのなら。
もう、斎を護ってやる事が出来ないのなら。
せめて、次の世でも、また出逢うために。転生して巡り逢うために。
「……怖くはないのか? ……斎」
「兄様と共に逝くことが私の本望です」
斎の瞳を見つめたまま、雫はゆっくりと己の刀の柄に手をのばす。
いつの間にか雨が降り出していた。
戦いの炎が少しずつ水の中に沈んでいく。目の前が少し霞んで見える。
その中で、一際鮮やかに澄んだ瞳をして、斎は兄である雫を見つめていた。

 

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