RE:スタート -第2章:消えた記憶−(2)

「伸、お友達が見えたわよ」
階下からの姉小夜子の声に、伸は埋もれていた英和辞書の間から顔をあげた。
「友達……? 正人?」
聞き返してから、正人だったら、もう勝手知ったる他人の家という感じで、何も言わずそのまま部屋まで上がってくるはずである事を思い出す。
だとすれば誰が来たのだろうかと、伸は首をひねりながら本を閉じて立ち上がると、ドアを開けた。
「初めて見る子だけど、伸、あんたいつの間にあんな美形と友達になったの?」
廊下では小夜子が興味津々という顔でにやりと笑みを浮かべていた。
「……誰だって?」
「なんか随分古い友達みたいな事、言ってたわよ。細身のなかなかの美少年」
「そう、わかった」
まったく、結婚を間近に控えた女が何を言ってるんだと、内心あきれながら、とりあえず伸はそのままパタパタと階段を駆け下りていった。
ダイニングの前を通り過ぎ、廊下を曲がると、玄関先の戸口の前に1人の少年が立っているのが見えた。姉の言うとおり、細身のなかなか整った顔立ちの少年である。少しうつむいた横顔は随分と思い詰めたような、少し苦しげにも見える表情をしている。
ただ、その顔は、伸には覚えのない顔だった。
古い友達ということは、小学校時代の同級生だろうか。でも、そんな、もう顔も覚えていない同級生がいきなり家に訪ねてきて、しかも古い友達と名乗るというのも妙な話だ。
本当にいったい誰なんだろうと思いながら、伸が玄関先に向かって行くと、少年が伸の足音に気付き顔をあげた。
「……!?」
突然、何か懐かしいような不思議な空気が伸の身体を包みこんだ。
「伸……!」
眩しそうに伸を見つめて少年が伸の名前を呼ぶ。
伸の足が止まった。
少年は深い宇宙の色の瞳をしていた。吸い込まれそうなその瞳は、懐かしそうに伸を見つめている。
「伸……元気だったか……?」
その少年の声は少し低めの、とても響きの良い声だった。
何故か伸の胸がざわりとざわめいた。
「…………」
心がざわめく。無下に追い返す気持ちにもなれない。でもその理由は自分にもわからない。
何故なら、目の前のその顔は、やっぱりいくら考えても見覚えのない少年の顔なのだから。
「伸! 上がってもらったらどう?」
突然の二階からの小夜子の声に、伸は戸惑ったような顔をして少年を見た。少年も少し困った表情で伸を見返している。
「えっと……」
「……ちょっと、出れないか?」
少年が言った。
「……いいよ」
命令でもない、哀願でもない、その少年の口調に伸は自然に頷いていた。
「姉さん! ちょっと出かけてくる!」
二階にいる小夜子に向かってそう告げると、伸は少年と共に外へ出た。そして二人は日差しの照りつけるアスファルトを無言のまま歩きだす。
伸は隣を歩く少年を、横目でそっと盗み見た。
やはり、覚えはない。では、何故自分はこうも素直に、この少年と肩を並べて歩いているのだろう。隣に居ることを不自然に感じないのだろう。
そんなことを思いながらも、さすがに伸のほうから話しかけるわけにもいかず、伸は無言で少年の隣を歩き続けた。
お互い口を聞かないまま、時間が過ぎる。そして、先にしびれを切らせたのは伸の方だった。
「……あの……君は……?」
伺うように少年の横顔を盗み見ながら、伸は話をしやすいようにと僅かに歩調を落とした。
「オレの事、覚えてないか?」
ようやく少年が口を開いた。
「えっ……?」
「オレの事、覚えてないか?」
もう一度同じことを言う。
伸は、さらに歩く速度をゆるめ、今度はちゃんと正面から少年の顔を見た。
身長は伸より少し高いようだ。ほんの少し見上げる位置に顔がある。身体つきはどちらかというと細身だが、ガリガリという印象じゃないのは、ちゃんと筋肉がついているせいだろう。
ちょっと長めの前髪から覗く眼差しは、真っ直ぐに伸を見据えている。吸い込まれそうな深い宇宙色の瞳。先ほど姉が言っていたとおり、確かにそれなりに整った、綺麗な顔立ちをしている。
ただ、やはり見覚えのない顔だった。
いくら考えても覚えはない。
「ゴメン。誰でしたっけ……?」
困ったように伸が首を振ると、少年は一瞬の逡巡の後、思い切ったように口を開いた。
「……名前は……羽柴……当麻だ」
羽柴当麻。自分の毛利という苗字も大概だと思っていたが、それと同程度には珍しい名前に類するだろう。だからもし、本当に知り合いなのだとしたら、忘れそうにない名前だと思う。
「……あの、もしかして人違いしてない?」
「…………」
当麻が歩くのを止めて、じっと伸を見つめた。
「え…と、僕は毛利伸っていいますが、……ゴメン、君のことは知らないと思う。きっと誰かと間違えてるんだよ」
「…………」
「あの……誰か探してるんなら、協力くらいするから……君、何処から来たの?」
「今、住んでるのは小田原だ」
「小田原?」
とっさにどの辺りなのかさえ想像のつかない聞きなれない地名に、伸の頭はさらに混乱した。
「えっと……じゃあ、その探してる人とは、いつ、どこで知りあったの?」
「オレ達は、半年前、新宿で出逢った。いや正確に言うと新宿で再会した」
当麻の言葉におもわず伸は目を見開いて、まじまじと当麻を見つめた。
「……新宿って東京の? っていうか再会って……」
そういえば小田原というのも関東近辺の地名だったということを思いだし、今度こそ伸は呆れたように肩をすくめた。
「なんだ……じゃあ、間違いない。人違いだよ。僕、新宿なんか行ったことないもの」
新宿も東京も小田原も、伸にはまったく縁のない場所であり地名だ。
「…………」
「僕が東京へ行ったのは、修学旅行の時。それも東京タワーに登って降りるためにちょっと寄っただけ。だから他の所なんか一切行ってないし」
「…………」
「ごめんね、人違いで」
少しほっとしたように言って、伸は当麻に背中を向けた。
「……本当に? 本当に覚えてないのか? 伸!」
「えっ?」
振り向くと当麻が真剣な眼差しで、伸を見つめていた。そして強い力で伸の腕を掴む。あまりの強い力に一瞬伸の顔が苦痛に歪んだ。
「本当にお前の心の中に、オレの記憶は欠片も残ってないのか?」
「……何……?」
「ほんの少しもオレの記憶はないか? オレじゃなくてもいい。征士や秀や遼と過ごした日々を覚えてないか?」
「征…? なに? 誰のことを言ってんだよ、君……」
「ほんの少しでいい。……みんなと過ごした日々も、柳生邸での事も、オレ達の戦いも、ほんの一欠片もお前の中に残ってはいないのか?」
「何、言ってんだよ、君……!」
「思い出せるはずだ。必ずあるはずだお前の中に……」
「言ってる意味が解らない。何、言ってんだよ!!」
「伸!!」
「気安く名前を呼ぶな!!……僕は君なんか知らない!!」
叫んでから、伸はとっさにしまったと思い、口をつぐんだ。
当麻が凍り付いたような目で伸を見ている。見開かれた目は、驚きよりも哀しみと絶望に縁取られていた。
「あ………」
傷つけてしまった。恐らく自分が考えている以上に。この当麻という少年を傷つけてしまったという思いが、伸の全身を駆けめぐった。
「伸? こんなところで何してんだ?」
その時、突然二人の頭上から声がかかった。
驚いて振り返り見上げると、上り坂の途中の道路脇で一人の少年が自転車にまたがり、こちらを見下ろしている姿があった。
「正人?」
伸がその少年の名前を呼ぶと、当麻が弾かれたように顔を上げ、正人と呼ばれた少年を食い入るように見つめた。
対する正人は、自分を見上げる当麻に不思議そうな目を向けている。
「誰だ? そいつ。知り合いか?」
正人が伸に尋ねた。伸はちらりと当麻を見て、困ったように首を振る。
「何でもない。道を聞かれただけ。正人こそどっか行くの?」
「これから図書館行くんだけど、なら、つき合う気あるか? 伸」
「OK。行くよ」
そう言うと、伸はまたちらりと当麻を見て“もう、いいよね”と目で訴えると、逃げるようにその場を去ろうとした。
こうなるだろうということは当麻にも分かっていた。
今ここにいる伸は、当麻達とは出逢うことのない時間を過ごしているのだ。だから伸の中に当麻と過ごした記憶はない。
いや、ないのではなく、最初から存在しないのだ。
最初から出逢っていない。最初から知らない。だから、思い出すこともない。
わかっていても打ちのめされる。
「……伸!」
それでも。
一縷の望みをかけて当麻は伸の名前を呼んだ。
「伸……少しでいいから思い出してくれ……! オレのことが分からなくても、征士のことは覚えてないか? 秀のことは? 秀がお前の料理、もう一度食いたいって言ってるんだ。覚えてないか?」
背中越しにかけられた当麻の言葉に反応したのか、伸の足がほんの僅か、止まるようにヨレた。
「伸!」
まだ当麻に背を向けたままではあったが、それでも確実に伸の足の進みが遅くなる。
「伸!!……遼が……遼が、お前に話したいことがたくさんあるって……出逢えなかった時間の分だけ、お前に伝えたい事が、たくさんあるって……!」
「……遼……?」
突然、伸の周りを包む空気の色が変わり、伸の足が今度こそ完全に止まった。そしてその口が大切な護るべき者の名を綴る。
「…………」
やがて、ゆっくりと振り向いた伸の目が、当麻の方へと向けられかけた。
その瞬間。
突然、空気を突き破るように、正人が叫んだ。
「何やってんだ、伸。早く来ないと置いてくぞ!」
「…………!」
正人の声にビクリと反応した伸は、結局そのまま当麻の方を振り返ることはなく正人の自転車のそばに駆け寄り、荷台に飛び乗った。
「お待たせ。行こうか」
正人は、伸が荷台にまたがったのを確認すると、勢い良く自転車をこぎだした。
今度こそ伸は振り返りもしない。
ただ、当麻の姿が完全に見えなくなる所まで来てから一度だけ、伸はちらりと後ろを振り返った。

 

――――――「何ぼーっとしてんだよ、さっきから」
図書館で本のページを開いたまま、いっこうにめくる気配のない伸を見かねて、正人があきれたように声をかけた。
「うん……」
対する伸の気のない返事に、大きくため息をつき、正人は伸の呼んでいる本を横から奪い取る。
「ちょっ……何するんだよ正人」
「読む気がないなら、読むなよ。本が可哀想だ」
「……ごめん……」
素直に謝る伸に、正人は拍子抜けしたような顔をして、まじまじと伸の顔をのぞき込んだ。
「やっぱ変だぞお前。何? さっきの奴のこと気にしてんの? それとも出発前からもうホームシックか?」
「違うよ、別に」
怒った声で、乱暴に正人から本を奪い返すと、伸はまた読みもしないページをめくった。
「さっきのは道を聞かれただけだって言ったろ。なんで僕が気にするんだよ」
「じゃあ、本当に知り合いとかじゃないんだ」
「違うって言ってるだろ」
「だったらなんで嘘つくんだ」
「………え?」
思わず強張った表情を浮かべた伸を見て、正人がこれ見よがしにため息をついた。
「お前さ、嘘つく時、瞬きの回数が多くなるの知ってる?」
「…………」
伸がひとつ瞬きをする。
「ほらね」
「い……今のは違う……」
「…くないよ。お前さっきからずっと瞬きしっぱなし。奴のこと気にしてるんだ」
「そんなこと……」
「そういえば、あいつ、名前はなんていうんだ?」
「え…と。確か羽柴……」
「ほら、やっぱり」
「何がやっぱりなんだよ」
「道聞かれただけで、なんで名前まで知ってんだよ。わざわざ名乗ってから道聞く奴なんて聞いたことないぞ」
「……引っかけたな」
「そんなすぐに引っかかる方が悪い」
「…………」
反論出来ず、伸はうつむいた。
正人に指摘されなくても自覚している。確かに自分は嘘をついていた。逃げるようにあの場を離れてからずっと。ずっと気になっている。どんなに頭を振っても意識から離れない。
でも。
本当に思い出せないのだ。どんなに考えてもやはり、知らない顔なのだ。
顔も名前も声も。記憶の中のどこを探しても見当たらない。それなのに、何故こんなにも心に引っかかるのだろう。あの当麻という少年の事が。
彼は、何故あんな瞳をして、自分を見つめるのだろう。
彼の瞳を見ていると、胸が痛む。心の奥で、何かが叫んでいるような気がする。
“思い出してくれ! 伸”
何を。一体何を思い出せと言うのだろう、彼は。
頬杖をつき、物思いに耽っていることを隠さなくなった伸を、正人はもう追求することなく隣でじっと様子を伺うように見つめていた。その瞳の奥で、静かな炎が微かに揺らめく。
そして正人は、諦めたようにひとつため息をついた。
「悪い。俺、先帰るわ。誘っといてなんだけど」
「……え?」
突然そう言って立ちあがった正人に伸は驚いた目を向けた。
「正人……?」
「ちょっと用事思い出した」
「あ、じゃあ…僕も……」
「お前はもう少しここにいろ。んで、帰る時は北口から帰れ」
「…………」
正人の言い方に、おもわず立ちあがりかけた伸の動きが止まる。
いつもの正人はこんなふうに命令口調で何かをいうことは滅多にない。だからこそ、そういう時は何かしらの意図があるのだ。
意志の強い正人の目を見て、伸は再び椅子に腰を下ろした。
「わかった」
「じゃあ、またな。伸」
正人が去って行った先を見送り、そのまま窓の下に目を向けて、ようやく伸は正人が急に帰ると言った、その理由を知った。
窓の下。
図書館の正面入り口にあたる門のそばに、当麻の姿があったのだ。そして、正人はそのまま真っ直ぐに図書館の正面の門へと向かい、当麻の所に駆け寄って行った。
「…………」
二人が知り合いだとは思えない。さっきの二人の間にそんな様子はなかった。
それに、そもそも知り合いなら知り合いだと言えばいい。わざと知らないふりをする必要はないはずだ。そんなことで正人が自分に隠し事をするとも思えない。その程度にくらい、正人との付き合いは深いと自覚している。
では、何故。
もしかしたら、自分には、思い出せていない何かが、本当にあるのかもしれない。
忘れてはいけない大切な記憶があるのかもしれない。
伸は自身に湧いてきた不安を押し隠すように、胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。

 

――――――図書館の正面入り口の門の前。
「待ってても伸は来ないぞ」
突然そう声をかけて駆け寄ってきた正人に、当麻はじろりと睨み付けるような視線を向け、もたれていた門柱から身体を起こした。
「伸は?」
「帰ったよ。北口から」
にやりと口の端に笑みを浮かべ、正人が斜め後ろを指さした。その指の先に一回り小さな通用門が見える。
もしかして正面入口に当麻がいるのに気付いて、わざわざ他の出口から出たのだろうか。
「それはあいつの意思で? それともお前の指示か?」
当麻が正人を睨みつけた。その視線の鋭さに閉口したように正人が肩をすくめる。
「なんだよ。気分悪いな。最初からケンカ腰ってのは」
「先にケンカ売ったのはそっちだろ」
「……オレが? いつ?」
分かっててとぼけているのか、本当に覚えがないのか、正人の表情からはうかがえない。
「なんで伸を連れてった」
「なんでって? 伸はお前に道を聞かれただけだって言ってたじゃないか。だからオレはてっきり用事はすんだんだと思っただけだし」
「…………」
「だいたいオレとお前は初対面だろ。だったらケンカより先にやることがあるだろうが」
「……なにをやるんだ」
「はじめましてのごあいさつ…とか? ちなみにオレは木村正人」
「知ってる」
「へえ、知ってるんだ」
ちっとも驚いたふうもなく正人が言った。当麻のこめかみがピクリと痙攣する。一気に警戒心が高まった。
「で、そっちは……確か羽柴っつーんだって?」
「だったらなんだ」
「ってことは関西出身? 京都か…伏見辺り?」
「大阪だ」
「やっぱり」
正人が口元に笑みを浮かべる。
「なにがやっぱりなんだ」
「こっちの話。ってかじゃあお前、太閤殿下の系列ってことか」
「……そうだが」
「記憶は残ってるのか?」
「何のことだ?」
「やっぱ残ってるんだ。だったら話が早い。お前、血の臭いがするって言われたことないか?」
まるで日常会話の続きのような気さくさで正人が言った。
「…………!?」
さすがに当麻が絶句する。
「お前だけじゃない。あそこにいる奴ら全員だ。でも、お前が一番その臭いがきつい。自覚はあるだろ」
「……何を……言って……」
「自覚がないなら、今すぐ自覚しろ。そんなだから、伸がまた戦いに巻き込まれるんだ」
すうっと正人の表情が冷たくなった。瞳の光が強くなる。
「あのままだったら伸がもたない。それはお前だって感じたはずだ、羽柴」
当麻の背筋をつーっと冷たい汗が流れ落ちた。
「……お前……何者だ。いったい何をした」
「何って……オレが一番望んだことは、伸の中からすべての記憶を一切なくし、リセットすることだよ」
「リセット……?」
「そうだ」
小さく息を吐き、初めて正人が視線をそらした。
「伸はずっと自分を責めていた。自分さえいなければオレが死ぬことはなかったと言って、あいつはそれを死ぬほど後悔していた」
そんなことは知っている。当麻は無意識に唇を噛みしめた。
「だから、オレは自分が助かったことでもう大丈夫だと安心してたんだ。オレを助けることが出来たから、伸はもう自分を責めない。もう伸の心に罪の意識はなくなった。そう思ってた。それなのに」
それなのに。
「なのにどうだ。あいつは全然解放されない。背中の傷は治らない。伸の罪の意識は残ったままだ」
「…………」
「だから考えた」
「考えた? なにを」
「どうすれば伸を救えるのか。罪の意識から解放させられるのか」
「…………」
「伸の中にある罪の意識を完全になくさせるためには、お前達のそばには置いておけない。戦いも、お前達との関係性も、すべてをなかったことにして記憶もリセットする。そうしなければ伸を救えない。それ以外、方法はなかったんだ」
「…………何をしたんだお前は」
「単純な事さ。鎧珠を消した。この世界、少なくとも今回の現世にはもう現れないように細工した。そうすれば伸の水滸としての目覚めはない。戦いもない。伸は水滸としての輪廻の輪から解放される」
「そんなこと……」
つぶやきかけて当麻ははっとしたように正人を凝視した。
これはいったいどういうことだ。正人はふつうの人間だったはずだ。たとえ伸の幼馴染だとしても、自分達のことや鎧珠、戦いの使命を知っているはずはない。知らないからこそ、正人はあの時、あの場所で命を落としたのだから。
「……お前は誰だ」
低い、押し殺したような声で、当麻は正人に聞いた。
「…………」
正人は答えない。
「もう一度聞く。お前は誰だ」
「わからないか? 天城」
「……えっ……?」
当麻の目が正人を睨み付けたまま、大きく見開かれた。
「……あんた……まさか……」
正人の瞳が当麻を真っ正面から見据える。
その印象的な黒曜石の瞳が、闇に照らされて光っていた。

 

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