RE:スタート -第2章:消えた記憶−(4)

「それが、許せないと言うのか……お前は」
当麻の問いかけに、烈火は唇の端で笑った。
「烈火としての肉体を失った時、俺は初めてその事実を知った。膨大な記憶と、俺達の戦いの歴史と共に」
正人の中で、烈火の瞳が赤く燃え上がった。
「信じられないと言う気持ちより、確かにお前ならそうするんだろうと、妙に納得した気持ちの方が大きかった。お前はいつだって俺達の智将であり、軍師だったんだから」
「…………」
「お前はいつだって戦いのことを考えていた。どうすれば勝てるのか。勝つ為に何をすればいいのか。いつもいつも……」
「…………」
「教えてくれ、天城。本当にそこまでする必要があったのか? 俺達は、愛する者をこの手にかけてまで戦わなければいけないのか?」
「……それ…は……」
返す言葉が見つからず、当麻が口ごもる。正人はそんな当麻の態度など、とうの昔からわかっていたというかのように、揶揄するような視線を向けた。
「なあ、お前は何の為に斎を殺した?」
「なんのためって……それは」
「お前は、失いたくなかったんだよな。斎の能力を」
「…………!?」
ギクリと当麻の表情が強張った。
「戦い続ける為に、斎の力が必要だったんだ。なんたって、それがお前の使命だから」
「……違う」
「違わない。お前は、斎の力が欲しかったから、彼女を転生させる為、殺したんだ」
「……違う。そんなつもりじゃない…………オレは……」
「違わない。何故なら彼女は戦いなど望んでいなかった。なのにお前の身勝手な使命感の所為で、無理矢理戦いに巻き込んで……その結果がこれだ」
「…………」
「斎だけじゃない。伸もそうだ。水滸の戦士は、いつだって戦いなんか望んでいなかった。いつだって彼らは平和に穏やかに生きることをのみ望んでいたんだ。違うか?」
違わない。
何度転生しても、どれほどの乱世に生を受けても、それでも水滸の願いは変わらなかった。
いつか。
いつか、平和な地で。
戦いのない平和な地で。
心から大切に想う相手と一緒に暮らすこと。
「……何が悪い。伸を戦いから遠ざけることの何が悪いっていうんだ。あいつはもともと戦うべき人間じゃないのに」
「確かにそうだ。伸も斎も水凪だって、確かに戦いを好んでなどいなかった。でも、だからといってあいつは戦いを放棄したりしない。……あいつの望む平和は、遠くの戦いを高見で見物しながら、偽りの平和の中にいる事じゃない」
必死で反論する当麻の声には、やはり力がない。
「あんただってそうだろう。戦いを疎んでいたのは皆だって同じだ。でも、あんたは戦った。水凪を……大切な人を護る為に、ちゃんと戦っていたじゃないか…………オレ達は戦いの為に戦っているんじゃない。誰かを護る為に戦っているんだ。そう言ったのはあんただ」
当麻の言葉を、正人がじっと聞いている。ただ、その瞳の奥で烈火が何を思っているのかは当麻にはわからない。
「オレはずっと、そんなあんたを見てきた。オレの頭の中にはそのすべての記憶がある。オレはあんたの想いをずっと見てきた。柳の斎への想いも、烈火が水凪を見ていた想いも……ずっと、ずっと」
「…………」
「あんたの中に柳の記憶がなくても、それでもあんたが水凪の中に斎の面影を見ていたことだって知ってる」
烈火の瞳が闇に揺らめいた。
「……オレの手は斎の血で汚れている。それは永遠に消えることはない。……あんたのやり方とは違ったかも知れないが、オレだって斎を護りかたかった。大切な妹を護ってやりたかった…………どちらを選んでも後悔するのなら、せめてあいつの望む通りに……その為にオレがこの先ずっと生き地獄を彷徨うことになっても構わない。そう思った。……永遠に妹殺しの罪を被ろうと思っていた」
もし、あの時、斎をそのまま生かしていたら、自分は後悔しなかっただろうか。
烈火は、水凪を生かした事を、後悔しなかったのだろうか。
「だから……頼む……伸を……伸を連れて行かないでくれ……あいつの記憶の中から、オレを消さないでくれ」
雨の中、斎の死に顔はたとえようもなく美しかった。
後悔なのか何なのか、涙を流すことも忘れ、雫はずっと自分に訪れた死の瞬間まで、斎の死に顔を見つめていた。
「ダメなんだ……あいつがいないと……あいつがそばにいないとダメなんだ……頼む、あいつのそばにいさせてくれ」
震える拳を握りしめ、絞り出すような声で、当麻が言った。
「その言葉、まんまお前に返すよ」
だが、しばらく後に放たれた正人の言葉は、そんな言葉だった。おもわずギクリと当麻の表情が強張る。
「伸のそばにいたかったのはオレも同じだ。伸の笑顔を大切にしたかったのも同じだ。オレとお前の違いは、ただひとつ。その為にあいつを殺すか生かすかの選択肢において、どちらを選ぶか」
どちらを選ぶか。
いや、選んだか。
「だから、あれはオレにとって一世一代のチャンスだったんだ」
気が付くと、いつの間にか今まで前面に出ていた烈火が影を潜め、当麻の前には正人の印象的な瞳があった。
「オレは死にたくなかった。なぜなら、あんなところでオレが死んだら、伸は絶対に自分を責める。周りが何を言っても聞く耳を持たないだろう」
「…………」
「言ってやりたかった。お前の所為じゃないって。オレは伸を楽にしてやりたかった。ずっとずっと。死ぬ間際、オレが考えていたのはそのことばかりだった」
他の何も望まない。
考えていたことはひとつだけ。
「泣かせたくなかった。伸にはいつだって笑ってて欲しかった。オレはあいつの笑顔が本当に好きだった。それなのに、オレは伸を死ぬほど苦しめた。最悪だ」
「……あれは……伸の所為じゃない」
「そんなことは分かってる。オレもお前もみんな分かってるんだ。でもただ一人、伸だけは分かってくれない。一番分かってほしい奴だけが、どんなにしても分かってくれないんだ」
だから伸の背中の傷は治らない。
「お前達のそばに居たんじゃ駄目なんだ。わかるだろう。駄目なんだよ。あいつはあいつ自身の記憶によって、どんどんボロボロになっていく。あれだけ近くにいたんだ。お前にだってわかるだろう?」
わかる。悔しいほどにわかる。
だから。
正人のその気持ちが。その想いが。烈火と重なったのだのだということも。
「だからこれがオレ達、オレと烈火にとっての最善策だ。誰にも文句は言わせない」
烈火が死んだあとの水凪の状態は酷いものだった。
誰とも口を聞かず、食べ物も口にせず、ただただ衰弱していった。
そして伸も。
あらゆる物事が重なっていく。烈火の死と正人の死。水凪と伸の中の罪の意識。
「烈火の時は、ただ見ているしかなかった。でも今度は違う。オレという媒体を通して、烈火の力を使えば、伸を救えるんだ。やっと救うことが出来るんだ」
「…………」
「だからもうお前は必要ない。分かったらとっとと帰れ」
一気にそこまで言い切ると、正人は当麻の答えを待たず、そのまま背を向けて行ってしまった。
他の、もっと良い方法。そんなものがあれば、とっくに実行している。
変えられた過去。死ぬことのなかった正人。
水凪を生かした烈火。斎の命を奪った自分。
消えない記憶。罪の意識。
だったら、それも含めて何もかも全部消してしまうしかない。
「分かってるよ。そんなこと」
もう見えなくなった正人の背中に向かって、当麻が低くつぶやいた。

 

――――――「当麻から連絡が来たって?」
転げるように階段を駆け下りてくる二人の足音に、征士はとっさに持っていた受話器に手で蓋をした。
「それで、当麻は何て言ってるんだ? 伸は見つかったのか?」
駆け下りてきた勢いそのままに遼は征士の方へ詰め寄ってくる。若干言いにくそうに征士が後退った。
「あ……ああ。見つかるには見つかったらしい……」
「……で?」
「私達の事は、何も覚えていなかったみたいだ」
「……そう……なんだ」
とたんに遼の顔から笑顔が消えた。
「で、どうするって?」
秀が聞く。
「まさか、諦めて帰ってくるなんて言ってないよな?」
「……それは……」
遼が不安気に顔をあげて征士を見上げた。
征士の頭の中には、先ほどの電話口での当麻の様子がぐるぐると駆け回っている。
「征!!」
開口一番、当麻は征士をそう呼んだ。
「征……助けてくれ…………征……」
受話器の向こうで泣いているんじゃないかと思う程、当麻の声は苦し気だった。
いつも自信家で、出来ない事など何もないように何でもこなし、物事を冷静に判断する力を持っている当麻なのに。その当麻が、あれほどどうしようもなく頼りない、ただの少年に思えたのは征士にとってはじめてのことだった。
「征士……?」
征士の迷っているような態度に何かを感じたのか、いきなり遼は征士の手から受話器を奪い取った。
「もしもし、当麻」
「…………!」
通話口から、微かに当麻が息をのんだ音が伝わってきた。
「諦めんなよ。伸は絶対オレ達のこと思い出すから」
「…………」
「オレだって思い出したんだから。伸の好きな色」
当麻の返事を待たず、遼は話し続ける。
「伸は水色が好きなんだ。空じゃなくて海の色。それから珈琲はちゃんと豆から挽くのが好きで、お気に入りはマンデリン。売ってる店が少ないから、いつも珈琲専門店へ行くんだ」
「……遼……」
「さっき、書斎から伸の好きそうな本を選んで伸の部屋の本棚に移動させた。もちろん掃除もした。水色のカーテンも付けた。いつ伸が帰ってきてもいいように、ちゃんと準備してるんだ。だから……」
「…………」
「だから…オレ……もう一回伸に出逢いたい」
電話口で当麻に向かって話し続ける遼の肩にそっと征士が手を置いた。
「伸に……逢いたい」
「………」
「逢いたい……」
「……と、いうことだ。当麻。わかったか?」
遼の手から受話器を受け取り、最後を秀が締めくくる。
「了解…した」
受話器の向こうから、そう答える小さな声が聞こえてきた。
当麻の声にはまだ逡巡が見える。でも、皆の気持ちは伝わったはずだ。
それをどんなふうに伸に伝え、伸がどう答えるかは自分達が決めることではない。
秀から受け取った受話器を知らずきつく握り締めていた征士は、ようやく意を決したように通話口に口元を寄せた。
「すまないな、当麻」
「…………え?」
「お前にばかり辛い選択を押しつけてしまって」
「征……」
「だが、私達のことは気にするな。お前は、お前自身が一番楽な方法を考えてくれていい。どんな結果になろうと構わない。お前が選んだ選択が、私達にとっての最善の方法だと思っているから」
「…………」
「だから、無理はするな。しなくていい」
「……わかった。サンキュ。ありがとな、征士」
小さな声でそう答え、当麻がそっと電話を切った。そのカチャンという音を確認して征士のほうも受話器を置く。そして、そのまま視線を心配げにこちらを窺っている遼の方へと向けた。
「……遼……」
「何だ?」
「頼みがある」
「…………?」
「遼、伸を呼んでくれ。心の中で、伸の名を呼び続けて欲しい……」
「……征士?」
遼を見る征士はいつになく不安げだった。
「お前が呼べば、必ずその声が伸に届く。……頼む、遼……伸を……」
「わかってる。わかってるよ、征士」
静かに遼が言った。
そして、ひとり二階へと上がっていった遼は、伸の部屋へと入り、先ほど新たに取りつけた海の色のカーテンをひらき、部屋の窓を開けた。
目を閉じて空気の匂いを嗅ぐと、木の葉の擦れ合う音が風に乗って飛んでくる。
「伸……」
声に出して呼んでみる。大切な仲間の名前を。
「伸……」
心の中で呼んでみる。大切な大切な人を。
早く戻っておいで。もう一度出逢うために。もう一度巡り逢うために。
両手を広げて、遼は繰り返し伸の名を呼んだ。
この想いが届くよう、願いを込めて。

 

――――――伸がふと顔をあげた。そして、何かを探すように、首を巡らせる。
“…………?”
頭の中で声がした。誰かが自分を呼んでいる声だ。
くり返しくり返し、聞こえてくる懐かしい声。誰の声だろう。
「…………遼…?」
小さなつぶやきが伸の口から漏れた。
「……え?」
自分で自分のつぶやきにはっとなり、伸はおもむろに立ちあがると部屋の窓を全開にした。
「…………」
何も聞こえない。あたりまえだ。
もうすっかり日が落ち、星の瞬く空の様子を眺め、伸はひとつため息をついた。
今日は本当に妙な日だった。
見覚えのない当麻と名乗る少年。どんなに振り払おうとしても振り払えない何か。つかめそうでつかめない欠片。
心の中のもやもやは、やはりどうしても態度に出てしまうようで、好物の多い夕食だったにも関わらず箸の進まない伸に、姉の小夜子も“身体の具合でも悪いの?”と聞いてきたほどだった。
伸の心に引っかかってるのは、当麻というあの少年の声。宇宙の色をそのまま映した様な、深い色の瞳。真剣な眼差し。
「………あ」
ぼんやりと外を眺めていた伸の目が、ひとつの場所で止まった。
伸の家から少し離れた所にあるバス停の小さなベンチ。そこに一人の少年が座っていたのだ。
当麻だった。
もうとうに帰ったと思っていたのに。まだ居たのだ。しかもこんなに近くに。
伸の心の中に、複雑な感情が浮かぶ。
当麻がまだここにいる。自分はそれを喜んでいるのだろうか。悲しんでいるのだろうか。
どちらでもあってどちらでもない気がした。
それにしても、当麻はこんな時間まであんな所にいてどうするつもりなのだろう。
今の時間帯、すでに最終のバスは終わっているはずである。ということは、あの少年はもう来ないバスを延々待ち続けてでもいるのだろうか。
どうしよう。
迷ったのは、ほんの一瞬だけだった。
伸は窓を全開にしたまま部屋を出ると、ダッシュで階段を駆け降りた。
「伸? 具合悪いんじゃないの? どうしたの?」
小夜子がリビングから顔をのぞかせる。
「ちょっと出てくる」
廊下を駆け抜けながらそう答え、伸は玄関のドアを開け、外へと飛びだした。そして、まっすぐにバス停を目指して走り始める。
ちょうど伸の部屋から見える位置にあるバス停のベンチ。ということは向こうからも伸の部屋の窓が見えるということだ。当麻はそれを分かっていて、あえてあの場所に腰を据えたのだろうか。
でも、だったらどうして家に来ない。窓を眺めているだけでは何も始まらないというのに。いったいどういうつもりなのだろう。
「……そんな所で何してるの?」
バス停に着いて開口一番、伸は当麻に向かってそう訊ねた。
「……別に何もしてない。あえて言うならお前の住んでる家を見てた」
「それ、立派なストーカーだよ」
呆れた口調でそう言って、伸はがっくりと肩を落とした。
昼間、当麻は小田原から来たと言っていた。ということはどう考えてももう帰りの列車はないということだ。
それなのにこんな時間にまだこんな所にいるということは、当麻に帰る気はまったくないということだと思った方がいいのだろうか。でも、だからといって、どこかに宿を取るといったことを当麻が考えているようにも見えない。
伸は、わざとらしく大きなため息をついた。
「いったいどういうつもり? ずっとここにいるわけにはいかないだろう」
「別にここにいることは苦にならないよ」
「そんなわけにはいかないだろう。このベンチで寝るわけじゃないだろうし」
「その心配は無用だ。オレ、寝ないから」
「そういうことを言ってるんじゃ……って、寝ないってどうして?」
「眠っちまって、もしお前のことを忘れたら困る」
「……は?」
今度こそ本気で当麻の言ってることの意味が分からない。
「何? 眠ると記憶がなくなるの?」
「可能性はある」
「意味わかんないんですけど」
「…………」
伸が少し怒った口調で言っても当麻の態度は変わらない。冗談を言っているようにも見えない。さすがに困り果てた伸は、それでもそのまま見捨てることは出来ず、諦めて当麻の目の前に手を差し出した。
どうせ最初からそのつもりだったのだ。窓から当麻の姿を見つけたあの瞬間から、伸は自分がそう言ってしまうことを予測していた。
「とりあえず、家に来る?」
「…………え?」
当麻が驚いて聞き返してきた。思った通り信じられないといった表情をしている。
「いくら寝ないといっても、一晩中こんなところにいたら風邪ひいちゃうよ。だから……」
「…………」
「一晩くらい泊めてあげる。僕の部屋でよければ」
「……行っていいのか?」
「いいから誘ってるんだよ。別に嫌ならいいけど」
「嫌なわけあるか」
「じゃあ、おいで」
誘っているにしては、あまりにも不機嫌そうな態度で、それでも伸は当麻を家へと招き入れた。

 

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