RE:スタート エピローグ−

――――――柳生邸の玄関口にチャイムの音が響いたのは、ちょうど日が沈みかけた夕暮れ時だった。
「誰だろう……?」
当麻はすでに昼過ぎには戻ってきており、事のあらましを伝え終えた後は、書斎に引きこもってしまっている。そして、その当麻の話からすると、伸は多少記憶が戻ったとはいっても、もう自分達の所へ帰ってくることはないだろうということだったはずだ。
だからそれを期待することは出来ないはず。
過度な期待は、すればするほどそれが叶わなかった時の絶望感が大きいのだから。
そんなことを思いながら、居間を出ようと扉を開けかけた征士の前を、ものすごい勢いで遼と秀が走り過ぎていった。
「なにごとだ?」
「伸が戻って来たんだ!」
叫びながら、遼が廊下を駆け抜けていく。
「……まさか」
信じられないといったふうに征士がおもわずつぶやいた。
当麻が書斎に引きこもったと同時に、遼と秀も伸の部屋、つまり新たに秀の荷物を移動させた二人部屋にこもっていたはず。確かに、二階の伸達の部屋からは玄関前が見下ろせる。遼達は二階の窓から伸の姿を見たとでも言うのだろうか。
まさか。そんなことが。
半信半疑のまま、それでも精一杯急いて征士が玄関へ向かうと、遼が玄関のドアを開け、外へ飛び出していくのが見えた。そしてそのあとを追うように秀も。
「……伸?」
そしてそのさらに向こう側にいたのは、笑顔でたたずんでいる伸の姿だった。
ドアを全開にしたまま、ゆっくりと遼が伸の元へと歩み寄る。
「……あ……あの……伸……」
そして声を詰まらせながら、遼がその名を呼ぶと、伸は以前と変わらない柔らかな笑顔で、遼を見つめ返した。
「お出迎え有り難う。遼。にしても、自分の家なのにチャイム鳴らすのってなんか照れるね」
「あ……えと……」
「……ん?」
伸が遼になにかを促すように僅かに小首を傾げた。
「伸……」
「……なに?」
「えと……お…おかえり……伸……」
その言葉を待っていたのだというように、伸の顔にぱあっと笑みが広がる。そしてその視線が優しげに遼に向けられ、次いで秀、征士へと移動し、最後に他のみんなよりひと足遅れて玄関から飛び出してきていた当麻の前で止まった。
「なんで……」
当麻の声が震える。
「なんで……戻って来たんだよ」
当麻の言葉に僅かに眉をひそめ、伸はすっと当麻の正面に立った。
「ほんっと君って真性の馬鹿だよね」
そう言って、伸は呆れたように小さくため息をつく。
「なんで……どうやってここに?」
「どうやってって、そりゃ、新幹線と電車とバスを使って帰ってきたに決まってるだろ」
「そういうことじゃなく……」
言いかけた当麻の言葉を遮るように伸は人差し指を唇の前に立てる。そして悪戯っ子のように笑って言った。
「そんなことより、先に言うべき言葉があるだろう」
「……え?」
「おかえりなさい、は?」
「…………」
「言ってくれないの? おかえりなさいって。遼はちゃんと言ってくれたのに」
「あ……えと……」
「それとも、君は僕に帰ってきてほしくなかった?」
「そ、そんなことは……」
「じゃあ……言ってよ」
「……お……」
伸が無言で促すように当麻を見つめた。
「……おかえり。伸」
「ただいま。当麻」
言葉と同時に伸が当麻の首に腕をまわして抱きついた。
呆けたように棒立ちのままになってしまっている当麻を囲むように遼と秀が寄ってきて、二人ともの身体を抱きしめる。征士もそばに寄ると、嬉しそうに当麻の髪をくしゃりと掻きまわした。
「ただいま。みんな」
もう一度、伸が言った。

 

――――――「本当に以前のままに戻してくれたんだ」
伸は自分の部屋を改めて見回して嬉しそうに息を吐いた。
水色のカーテンがかかった大きな窓からは、夕方の少し冷えた、それでも充分に柔らかい風が吹きこんできている。
「伸……」
「なに?」
「正人は……? あいつは……いいって言ったのか?」
おずおずと当麻が尋ねると、伸は少し困ったように眉をよせて自分のベッドに腰を下ろした。
「とっても楽しかったんだ」
「……え?」
「萩で、正人と過ごした時間。とっても楽しくて倖せだった。もし、僕が何も知らず、戦いも知らなかったら、きっとあんな風に正人と高校生活を過ごして……笑って、はしゃいで、未来のことを語り合ったりしたんだろうと思う」
「だったら……なんで」
「これ…正人にも言ったんだけど」
そこで伸は言葉を区切り、当麻へと目を向けた。
「それでも僕は、僕の仲間であるみんなに出逢いたい」
「…………」
「だから戻ってきたんだ」
「それで……奴は納得したのか?」
当麻の問いに、伸は答えなかった。
その代わり、伸はふっと当麻から目をそらし窓際に行くと、新しい水色のカーテンを背に振り返った。そして手の中に握っていた小さな光る珠を掲げて見せる。
「伸…それ、鎧珠……?」
こくりと伸が頷いた。
「正人が? あいつがお前に渡したのか? それ」
「渡されたっていうか、返されたっていうのが正しいよ」
そう言って、伸は真っ直ぐに顔をあげて当麻を見つめた。
「……僕は正人を助けたかった。彼を守ることが出来るなら、こんな命いらないと思ってる」
「…………」
「戦いは嫌いだ。もう二度と誰も傷つけずにすむのなら、どんなにいいか……でも、僕は思い出した。妖邪の事も、阿羅醐の事も。……それと、この戦いで得たかけがえのない仲間の事も。ずっとずっと遙か昔から、出逢うべき宿命の、同じ使命を持って戦う大切な仲間」
鎧珠を懐にしまうと、伸は窓を開けて気持ちよさそうに外の空気を胸に吸い込んだ。
「失っていいはずはない。この記憶は僕にとって、必要なものだ」
伸の瞳は迷いのない、一点の曇りも見えない、澄んだ光を放っていた。
「この出逢いは、僕が、僕自身で選んだことだって信じてる。僕は、強くなる。大切な人を護る為に、何度でも転生して、何度でも戦う。……そして、もしまた、大切な友に何かあった時は、地の果てまでも飛んでいって護る」
「……伸……」
「護るよ。この命かけて」
もう一度、伸が言った。
失いたくない、大切な記憶。かけがえのない仲間。
たとえ、その先に何が待っていようと、構わない。出逢うべき宿命の仲間と、再び相見える為なら。
「ごめんね、心配かけて」
伸の緑の瞳が当麻を見つめる。その瞳が当麻を映し、その口が当麻の名を呼ぶ。
当麻にはもう、他に欲しいものなど何もないと思えた。
「それと、正人ね……もうすぐイギリスに留学するんだ」
「……え?」
「学校で交換留学生の話が出て、それを受けることにしたみたい。だから……」
「…………」
「本当は、もう一枠人数増やしてもらって、僕も一緒に行くことになってたんだけど。って言っても、その話があったのって君が家に来る前のことだから、単に記憶だけがそういうふうに変えられてたのかもしれないけど」
「じゃあ……」
「でも、正人が行ってしまうのは本当だよ」
遠く、海を越え。イギリスへ。
もしかして、だからよけいに正人は伸を自分の元へつれ戻したかったんだろうか。
「この夏が終わったら、もう正人は日本にいない。だから、君にも、もう会うことはないだろうって言って、伝言を二つ預かってきたんだ」
「伝言?」
「二度目はないからなって」
ピクリと当麻の眉が痙攣する。そんな当麻を伸はカーテンに描かれた海のイラストを背にして伺うように見上げていた。
「……で、もう一つ」
当麻はゴクリと唾を飲み込み、伸の次の言葉を待つ。
「頼んだぞ……って」
「…………え?」
「だから、頼んだぞって」
「……それだけ……?」
「それだけ」
正人からの伝言。
頼んだぞ。
何を。いや、正しくは誰を、だ。
誰を。決まってる。伸を、だ。
伸を頼む。
もう、そばにいてやれない分、代わりに伸が倖せになるように。
誰よりも誰よりも倖せになるように。
もう二度と、自分を責めて闇に落ちることのないように。
伸のことを頼む。
「……あいつ…」
烈火の想いと正人の想いが重なった瞬間、烈火と正人は同調した。
死を悟った瞬間、水凪に生きろと言った烈火と、死の瞬間、伸の未来を考えた正人。
本当に、偶然というには驚くほどに、深いところで彼らは似ていたのだ。
そして、似ているがゆえに重なった。
恐らく、長い長い時間のはざまの中、時を越え、時空を越えて、烈火は水凪を探し続けていたのだろう。
転生することを阻まれた自分が、どうやったら水凪に逢えるのか。
どうやったらこの少年を護れるのか。
遙かに、時を越え。
そして同時に、あの時正人を助けたいと思った伸の心と、烈火を護りたいと思った水凪の心と、何よりもお互いを求め、逢いたいと願った心が交差して。
それらすべてが交わり絡み合い、奇跡が起こった。
出逢うための奇跡。巡り逢う為の奇跡。
もう一度、この目で見、この手で触れるための運命という名の奇跡。
「それで……正人の奴、それ以外はお前に何も言わなかったのか……?」
「……えっ? 何もって?」
「烈火のこと……とか」
「え…と。僕が思い出すきっかけになったのは烈火の名前だったけど……そういうこと?」
「……いや……」
ずっと、当麻のことを睨みつけるような目で見ていた正人。
黒曜石のようだと征士が評した、烈火と同じ漆黒の印象的な瞳。
もし、こんな出逢いでなければ、友人になれたのだろうか。それは分からない。
分からないけど。
「……あいつは……正人は……」
「……?」
正人は烈火なんだ。
今、烈火の魂は正人の中にあるんだ。
喉まで出かかったその言葉を、当麻はそのまま飲み込んだ。
「……何でもない……」
「当麻?」
不思議そうな顔で、伸が当麻を見上げた。そしてその瞳が当麻を見つめる。柔らかな栗色の髪が風になびく。
「……どうかしたの?」
「なんでもない。それより今日の夕飯は何だ?」
もうやめた。悩むことも。追求することも。
「帰って来てさっそくっての、相変わらずだね」
「しかたないだろ。ここんとこずっとお前の手料理食えなくて、みんな禁断症状出てんだよ」
「みんな?」
「そう。筆頭は遼だ」
「遼も? だったら頑張って最高のもの作らなきゃ。何かリクエストある?」
そう言って、伸は柔らかな笑顔でふわりと笑う。
それは、いつもと変わらない、今まで通りの伸の姿だった。

 

第2章(最終章):FIN.      

1999.12 脱稿(旧作) ・ 2019.8.18 大改訂    

 

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