螺旋階段(6)

「はい、これが問題。どうかな?」
一見すると、いろんな数字の羅列や、沢山の図形が目に飛び込んでくる。
当麻はさっと机の上に置いてあった鉛筆を取り上げ、頬杖をついた。
「これ、正しい答えの番号書けばええの?」
「そうだよ。じゃあ、時間も計ってるから、終わったら教えてね。用意ドン!」
当麻の視線が問題用紙の上を走っていく。
問題を解いていく当麻の手元をちらりと覗き込んだ白衣の男の表情がハッと硬くなった。
「……!?」
しばらくの間、しんとした室内には当麻が鉛筆を走らせる微かな音だけが響いている。
当麻を見つめる男の目が信じられないといったように更に見開かれていった。
「出来たで」
「あ……ああ」
ほんの数分しかたっていないはずなのに、当麻はびっしりとあった問題すべての解答を書いた紙を男に手渡した。
「さ……さすがだね。随分早かったじゃないか」
「そうなんか?結構じっくり考えたんやけどな」
「…………」
震える手で解答用紙を受け取り、男はゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうかしたんか? おじさん」
「えっ? いや……その……む、難しかったかい? 問題は」
「別に。さっきおじさんが言ったとおり、パズルゲームみたいなの多かったし。そんな難しなかったよ」
「そ……そうか」
まじまじと当麻の宇宙色の瞳を見て、白衣の男は手に持った解答用紙を綺麗に折りたたむと、取り繕ったような笑顔を向けた。
「じゃ、約束だ。当麻君は誰に逢いたいんだね?」
「あ……」
先程までの強気な態度がすっと影を潜め、当麻の目に不安が過ぎった。
「……?」
「逢いたいのは……」
「……」
「……コウ……」
「……えっ?」
「あ、何でもない。そう、あの……今度な、枚方パークでウルトラマンショーやるって訊いたんやけど、チケット手にはいるやろか」
「ウルトラマン? ああ、そういう事か。なるほどね」
やはり子供だなという笑みを浮かべ、白衣の男がふっと安心した顔つきになった。
「大丈夫。じゃあ、お父さんかお母さんに連れて行ってもらえるよう、入場券2枚用意してあげるよ」
「……おおきに」
お礼を言って当麻はうつむいた。
一体、自分はこの男に何を言おうとしていたのだろうか。
情けなさそうに当麻はひとつため息をついた。

 

「当麻君。この間、源一郎君の研究所で知能テスト受けたんだって?」
それから2日程後のことである。突然、母親がそう訊いてきた。
「……えっ? あれ、知能テストやったんか?」
「何? 知らないで受けたの?」
「別に、パズルゲームみたいなもんやって言っとったから」
「………………」
母親が呆れたように向かいのテーブルに頬杖をついた。
「何か、まずかったんか?」
「……別に、まずいわけじゃないけどね。どうも、きちんとした試験じゃないから正確じゃないけど、あなたの知能、常識を遙かに超えてたらしくって、研究所内大騒ぎだったらしいわよ」
「…………」
「もしかして、IQ200超えてるかもしれないって言うんで、今度正式にテスト受けてくれないかって。それで、出来たら脳波も測らせて欲しいって」
「……で?」
「丁重に鞄でぶん殴って断っておいたから」
母親はそう言って悪戯っぽくウィンクをした。
「ぶん殴ってって……ええんか? そんな事して」
「だって腹がたったんだもの。ちょっと頭の回転が速いからって、実験動物にされちゃたまんないわよ」
「…………」
「源一郎君も源一郎君よ。あなたの覚えが早いからって、まだ学校にも行ってないのに色々余計なこと教えこむんだから」
「嫌なんか? オレが頭いいのん」
当麻の目が母親をじっと覗き込んだ。
母親は、当麻の視線をしっかりと受け止めた上で、真剣な表情で頬から手を離して、当麻の幼い顔を見つめ返した。
「当麻君。私は別に、あなたが自分の判断で知識を増やしたいとか、勉強したいっていうのなら、それを止める気はないわ。逆に、あなたが勉強なんかより泥だらけになって遊び回るのが好きでも、それを駄目だと言って、無理に勉強しろとも言わないわ。あなたは、あなたが自分で本当に必要だと思うことを、あなた自身で判断してくれればいいの」
「……随分、放任主義やな」
当麻が呆れ顔で言い返す。
「放任主義じゃないわ。私は、あなたの意志を尊重したいの。だから、これは放任主義じゃなくって、自己尊重主義って言うのよ」
「自己尊重主義……?」
「そうよ。当麻君だって、他人が自分の能力を面白がって研究材料にしようなんていうのは嫌でしょ。他人に強制されてやる勉強だって楽しくなんかないはずだし。自分の能力は自分の意志で伸ばしていってもらって、自分の意志でどうやって生きていくか判断して欲しいの」
「…………」
やはりこの母親は、他の子供の母親達とは少し違うのだ。
他の子達の母親は、来年になったら、ちゃんと学校で勉強しなさいと口をすっぱくして言っているのだということをよく耳にする。
それが、この人はこんな5歳児にまで、まるで大人に対するように、自分で生き方を判断させようとする。
当麻は、そんなこの母親をとても好きだなあと改めて思った。
「ごめんな」
ぽつりと当麻が言った。
「オレが軽率やったんや。もう、あんな口車にはのらへんようにするから。堪忍な」
「……当麻君……?」
「オレもどうかしてた。ちょっと考えれば解ることやったのに。あん時は……」
「…………」
「もう、やらへんから」
そう言って、当麻は立ち上がった。
これからはあまり研究所へも行かないようにしよう。
だいたい、自分は何を期待してあの男についていってしまったのだろう。
当麻の願いなど、誰にも解るわけはないし、叶うはずもないというのに。

逢いたい人。
言ったところで逢えるわけなどない。
逢いたいのは……仲間。
自分のことをちゃんと解ってくれる仲間。
コウ。優しい光輪の戦士。
金剛の暖かい笑顔。
水滸。
そして……炎の中の烈火。
烈火。
もういない烈火。何処に居るのだろう。あの人は。
コウは。あの優しい光輪の戦士はどんな姿で転生したのだろうか。
金剛は変わらずにいてくれているのだろうか。
そして、水滸は。
あの少年は、今、何処に居るのだろうか。幸せに笑っていてくれているのだろうか。
それとも哀しみに押しつぶされたまま、まだ暗闇の中をさまよっているのだろうか。

逢いたい。
逢いたいんだ。

伸……!!!

 

――――――目を開いた当麻の目尻から、涙が一筋流れ落ちた。
やけに天井が高く見える。
堅い床の感触に背中がギシギシと鳴る。
足の痛みは少しもおさまらない。
動けない。
何処にも行けない。
当麻は両腕で顔を覆った。
独りで居ると、ろくな事を思い出さない。ただでさえ、こんなに寒いのに。
自分の腕にかかる息がやけに熱いのを感じ、当麻はまたぼんやりと天井を見上げた。

 

――――――「あんた、変わんないな。そういうところ」
烈火の心に共鳴するかのように、炎の勢いがふっと強くなる。
「あんたにとって、水凪は特別な存在なんだ。今でも。」
「天城……?」
烈火が不思議そうな目で天城を見た。
特別。
あの人だけは特別。
たとえ覚えていなくても。それでも。
たとえ届かなくても。
想いだけは失われず受け継がれていく。
「桜が……」
「…………・?」
「桜が散るな。もうすぐ」
唐突な天城の言葉に烈火が一瞬きょとんとした表情を見せる。
「桜が……うかしたのか?」
「いいや。別に」
この青年はずっとずっと想い続けているのだろうか。彼の人の事を。
桜が散るたび思い出すのは、一人の少年の事。
届かない想いを胸に散っていった一人の少年の事。
もういない。
彼女はもういないのに。
「…………」
そう、彼女はいない。自分がこの手で殺した。
なのに。
「天城……?」
これ以上烈火の顔を見ていられない。柳と同じ瞳で水凪を見る烈火を。
天城は烈火から目をそらし、外へと逃げだした。
烈火を見るたび、自分の罪を思いだす。
永遠に消えない自分の罪を思いだす。
“私を殺してください。兄様”
聞きたくなかった。
“私を殺してください”
そんな言葉、聞きたくなどなかったのに。

「天城……? どうかしたのか?」
夜光の声にビクッとして振り向いた天城は、酷くおびえた表情をしていた。
「……天城……」
「……!!」
すがるように伸ばされた腕を夜光がとった瞬間、ふいに天城の目から涙が溢れ落ちた。
「……あ…………」
夜光の着物の袖をきつくつかみ、天城は声を殺して泣いた。
年齢不相応なほど大人びたこの少年の初めての涙に多少動揺しながらも、夜光はそっと赤子を抱くように天城の身体を抱き寄せた。
「大丈夫だ。天城。いつか、きっと何もかも良くなる時がくる」
「…………」
「お前がこんな辛い思いをしなくても、楽に生きていける時がくる。私達でそんな時代を築いていこう。」
「……夜……光……」
月の光の中で、夜光が静かに微笑んだ。
「夜光……」
ようやく顔をあげて、天城が少し照れたように頭を掻いた。
「なあ、夜光」
「…………?」
「あんたの事、コウって呼んでもいいか?烈火が呼んでるみたいに。」
天城が窺うように夜光の端正な顔を覗き込む。
夜光はいつもの微笑みをたたえたまま、ゆっくりと頷いた。

 

前へ  次へ