螺旋階段(4)

「なかなかいけるぞ、秀」
「ああ、ホント美味しいよ」
「そっか?」
長い時間をかけて悪戦苦闘の末、やっと完成した秀自慢の中華料理は遼と征士にかなりの好評を得ることが出来た。
「とりあえず中華だけは良い味がだせるようになったのではないか?」
口の端で笑いながら征士が言う。
「へっ、まともにみそ汁も作れない奴に誉められてもなあ」
「なんだと。人が素直に力を認めてやろうと言ってるのに、なんだその言いぐさはっ」
「まあまあまあ。征士も秀もやめとけよ。喧嘩なんかしてたら、オレが全部くっちまうぜ」
遼がわざと明るい笑顔を向け、大きな口を開けて、海老チリを頬張った。
「でも、ホント美味いよ、これ。これなら、店を継ぐのも夢物語じゃなくなるよな。なっ当麻」
ずっと黙ったままの当麻に話題をふり、遼が少し窺うような視線を投げた。
「当麻……?」
当麻は相変わらず黙ったままのろのろと箸を動かしている。
かちゃりと手にしていた器を置き、征士が当麻の前に手をかざした。
「当麻? どうした?」
「…………ん? 何か言ったか?」
反応も鈍く、ようやく皆の視線が自分に集中していることに気付き、当麻が箸を置いた。
征士の眉がすっとひそめられる。
「聞いてなかったのか? 今の話」
「…………?」
「当麻?」
「悪い、ぼーっとしてた。何の話だ?」
「いや、秀の作った料理もなかなかいけるなって話してたんだけど、当麻もそう思うだろ」
遼が取り繕ったように言うと、当麻は少し眉を寄せ、ぽりぽりと頭を掻いた。
「美味い……んじゃないかな。うん」
「なんだよ、それは」
ムッとした表情で秀が当麻を睨み付けた。
「んな全然美味そうじゃない顔で言われたって嬉しくない。不味いんなら不味いってはっきり言えよ」
「…………」
「当麻。何黙ってんだよ。不味いんだろ。オレの料理」
「そうじゃない……ただ……」
「…………?」
秀の表情がどんどん険しくなる。
思わず征士と遼がお互い目を合わせて天井をふりあおいだ。
「そうじゃないなら、なんなんだよ、当麻」
「よく……解らない。」
「はあ?」
とうとう秀がテーブルに手をつき、立ち上がった。
「何がよく解らないんだよ。美味いか不味いかってそれだけの事だろ」
「それが解らないんだ。味が……」
「ああ、もういいよ。どうせお前にとっちゃ伸の作る料理以外は、味なんかどうでもいいんだろう」
「そうじゃない、秀」
慌てて当麻も立ち上がる。
「本当に……悪い。悪いと思うんだが、本当によく解らないんだ」
困ったようにそう言う当麻を見て、秀がついに大きくため息をついて、ドカッと椅子に腰を下ろした。
「いい。解った。オレもそんなに美味いって思ってないから。この料理」
「そ……そんな事ないぞ、秀」
慌ててフォローしようとする遼を遮って、秀が諦めたように肩をすくめた。
「違うんだよ。遼」
「…………?」
「料理自体がどうこう言うんじゃないけどさ、やっぱり美味しくはないよ。今日の夕食」
「…………」
「5人そろってなきゃ。美味しくないんだよ」
「……あっ……」
遼がはっとしたように口をつぐんだ。
いつもより一人少ないダイニングテーブル。
なんだか、それを忘れるために必要以上にはしゃいでいたような気がする。
「以前、当麻がしばらく入院してた時と同じ。あん時も伸の料理が美味しく感じられなかった。同じだよ」
「……秀……」
確かに。
それほど口数の多い方ではなかったはずの伸。
いつもふらっと自分勝手に行動していたはずの当麻。
さほど居るときは気にならなかったのに、居ないときは、居ないというだけで、何故これほど存在を感じるのだろう。
不在という名の存在。
秀が小さくため息をついた。
明後日には征士がこの家からいなくなる。
その次の日には秀と遼。
そして、一人残った当麻は、この不在という存在を、直接生身で嫌というほど感じなくてはならなくなる。
ちらりと秀が当麻の横顔を窺った。

 

――――――コンっと聞こえるか聞こえないかくらいの小さなノックをして、征士は静かに書斎のドアを開けた。
「やはりな」
小さくつぶやき、腕に抱えた毛布を持ち直しながら音をたてないように扉を閉じると、征士はパソコンデスクの上に突っ伏したまま眠り込んでいる当麻のそばへとやってきた。
微かな寝息と同時に僅かに上下に動く肩の上にふわりと毛布をかけてやると、当麻がほんの少し身じろぎをする。
「…………」
起こしてしまったかと、慌てて征士が寝顔を覗き込むと、当麻は特に目を覚ます気配もなく、再び寝息をたてだした。
昨日、一昨日。当麻はほとんどの時間をこの書斎で過ごしていた。
それは、まるでわざと皆と顔をあわせずにすむようにと気を遣っているようで、その理由は一目瞭然。独りに慣れるためであることは容易に想像できた。
わざと独りの時間を多く作るのは、これから過ごさねばならない本当の孤独の日々の予行演習。
征士は起こさないよう細心の注意を払いながら、そっと睫毛にかかった当麻の少し長目の前髪を払い、もう一度しっかりと毛布を肩の上にかけ直してやった。
「……サンキュー……伸……」
「…………!?」
毛布を掴んだまま征士の動きが止まる。
当麻の起きる気配はない。
「……寝言……か…………?」
もしかして、今当麻の夢の中で、彼に毛布をかけてやったのは自分ではなく伸だったのだろうか。
ふっと息を吐き、征士は当麻のいつもより多少幼く見えるその寝顔を覗きこんだ。
「当麻……しばらくの辛抱だ。お前の伸はすぐ戻ってくるから」
征士のささやきが聞こえたのか、当麻が安心したように表情をほころばせた。
再び当麻の寝息が規則正しくなったのを確認し、ようやく征士は意を決したように立ち上がった。
バスの出発時刻が迫ってきている。
もう一度当麻の寝顔を見下ろし、書斎をあとにしようとした征士の視線が、ふとパソコンのディスプレイの上で止まった。
「……海に……降る星……?」
一面に広がる夜の海と、眩しいほどの流星群。
僅かに目を見開き、征士はじっとパソコン画面を見つめ直した。
静かに波打つ海。
恐らくこれは、伸だ。
そして、優しく降り注ぐいくつもの星の光。宇宙。
昼間ではなく、夜の景色ということは、空ではなく宇宙を描きたかったのだ。
天空から海へ星を降らせ、当麻はどんな想いでこの画面を見つめていたのだろう。
いつも、いつも、そうやって、当麻はどんな瞬間でさえ、伸の事を想っているのだろうか。
伸の元へ降り続ける、ありったけの星の光を見つめて、征士は思った。

 

――――――「そろそろ時間か?」
バッグ片手に居間に現れた征士を見て、秀が読んでいた雑誌から顔をあげた。
「ああ」
「当麻は?さっき様子見に行ってたろう」
「よく眠っていたので起こさないでおいた。あとで宜しく言っておいてくれ」
「了解」
バサリと雑誌をソファの上に放り投げ、秀が立ち上がった。
「征士、もう出発か? バス停まで送るよ」
パタパタと遼も2階から駆け下りてくる。
「ほら、荷物そこまで持ってやるよ」
言いながらさっとバッグに手を伸ばした遼の脇から、別の手がすっと征士のバッグをかすめ取った。
「……オレが持つよ」
「……!?」
「当麻!?」
少し眠そうな目をして、バッグを肩に担ぐ当麻を見て、征士が目を丸くする。
「お前、寝てたんじゃないのか?」
「今起きた。征士、毛布ありがとうな」
「えっ……あ……ああ」
とまどった顔で征士が返事を返すと、当麻はおかしそうに笑い玄関のドアを開けた。
「じゃ、バス停まで送るよ」
「…………」
あんぐりと秀が口を開ける。
「珍しいな。当麻。どういう風の吹き回しだ?」
「別に。毛布のお礼だよ」
にっと笑って当麻は征士を見た。
「そんなたいした事ではないだろう。毛布ごときで」
「いや、おかげで少し寒くなくなった」
「…………」
「助かったよ」
つぶやくようにそう言って、当麻は皆の先頭にたって歩き出した。
慌てて征士達が後を追う。
外へ出ると冬の微かな日差しが雲の隙間から顔を覗かせており、風もないためか、少しだけ寒さも和らいで感じられた。

「じゃあ、よいお年を」
「ああ、よい年を」
挨拶を交わし、征士はバスに乗り込んだ。
静かに去っていくバスを見送り、秀が心の中でつぶやく。
これで2人目。
明日、当麻は一人きりになる。
「なあ、当麻」
バスが見えなくなり、家へ戻ろうと歩きだした当麻の背中に秀が声をかけた。
「……ん?」
「あのさ、今更だとは思うんだけどさ」
「…………」
「お前、オレん家、来ないか?」
「…………」
「ほら、ガキん時、一回来たろう。別に遠慮するような家じゃないし……その……」
「ホント、今更だな」
振り返り、当麻がくすりと笑った。
「何を気にしてるんだ? 秀らしくないぞ。オレが正月独りで過ごすのなんか、今に始まったことじゃない。子供の頃にだって何度もあったじゃないか。何を今更……」
「あの頃は知らなかったから平気だっただけだろ……!!」
おもわず秀は叫んだ。
「…………」
「知っちまったら、平気なわけない。お前は……暖かいって事がどういうことか知っちまった。寒くないっていう事がどれだけ幸せか知っちまった」
「秀。」
ふっと当麻がその宇宙色の瞳をくもらせた。
「ありがとな。秀。でも、やっぱ、いいや」
そう言って当麻は首を振った。
「この……意地っ張り野郎」
小さく秀がつぶやいた。

 

――――――次の日、秀と遼が家への帰路についた。
冷蔵庫の中に伸と秀が作り置きしてラップをかけておいた食料を残し、秀は最後まで少し不満そうな顔をしてバスに乗り込んだ。
バスの窓から身を乗り出して、遼が必死で手を振る。
「じゃあな。当麻。年明けにはすぐ戻ってくるから」
「何言ってんだ。ゆっくり親父さんに甘えてこい」
追い立てるようにそう言って、当麻は余裕の笑みを見せた。
「オレは優雅に独りの時間を楽しんでるから」
「…………」
「元気でな」
冷たい風が頬をなぶる。
小さくなってゆくバスを見送ったあと、当麻はゆっくりと柳生邸を振り返った。
いつも見慣れていたはずの柳生邸が、何故かやたらと大きく見える。
疲れたように息を吐き、当麻は冷たい空気を押し分けるように進むと、玄関のドアを開けた。
ギーっといつもは気にならない軋み音がやけに耳障りに当麻の耳に届く。
何処かで誰かが聞き耳をたてているのではないかと思うほど、しんとした廊下は張りつめた空気が漂っていた。

まったくどうかしている。
独りになる事など、慣れていたつもりだったのに。
これくらい何ともないと思っていたのに。
どうしてこんなに寒いのだろう。
背筋に悪寒が走る。
ぶるっと身を震わせて、当麻は居間のソファに深々と身を埋めた。
「…………」
いつも座るこの位置から見えるのは、真正面に伸の柔らかな笑顔。
そして、その隣で明るい笑い声をたてている遼。
斜め後ろから見える征士の端正な横顔と秀の大きなくりっとした瞳。
「……大丈夫……寒く…なんか……ない……」
つぶやく当麻の耳の奥に風の音が聞こえた。
耳障りなその音が、当麻の神経を逆なでした。

 

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