螺旋階段(3)

「じゃあ、行くけど、あとの事、大丈夫?」
「ああ」
「鍋の中の煮物、しばらくはもつと思うけど、今年中には食べちゃってね。あと、お米はおひつの中と、パンが1斤棚の中に残ってるから、それに冷蔵庫の中の物はちゃんと賞味期限が来る前に食べる事と、洗濯物はため込んで来年まで持ち越すなんてもってのほかだから……あと……」
「わかったわかった。ちゃんとやっとくから」
放っておいたらいつまでも続きそうな伸の言葉を慌てて秀が遮った。
「こっちの事は気にせずゆっくりしてこいや」
「うん」
「征士は明後日。オレ達はその次の日に帰る予定だけど、そのあとの事もちゃんと当麻に言っとくから」
「…………」
「じゃ、良いお年を」
にっこり笑って手を振る秀に促され、伸はスポーツバックを肩に担いで、ようやくバス停に向かって歩き出した。
見送りは3人。
伸が出発する朝、当麻は結局、書斎から顔を出しもしなかったのだ。
やはり気になるのか、ふと柳生邸を振り返った伸の元へ、遼が息を切らせて駆け寄ってきた。
「遼!?」
「オレ、やっぱり駅まで送るよ」
「えっ?」
「駄目……かな?」
上目遣いに覗き込んでくる遼の大きな瞳に僅かに伸がたじろいだ。
「駄目じゃ……ないけど、そんな、わざわざいいのに」
「オレが送りたいんだよ。迷惑なら諦めるから」
「そんな迷惑だなんて」
「おーい!! 遼、駅まで行くなら、夕食の材料買ってきてくれー!!」
ポンッと財布を放り投げ、秀が叫んだ。
「OK」
見事に財布をキャッチしてダッフルコートのポケットにしまうと、遼がにこりと伸に笑いかけた。
「街へ行く用事もできたことだし。一緒に行こう、伸」
「……まったく」
言葉とは裏腹に嬉しそうに微笑むと、伸は遼と肩を並べてバス停へと向かった。
ちょうど来たバスに乗り込み、最後部のいつもの席に並んで腰をかけると、外の寒さが嘘のように暖かい車内の空気にほっと息をつき、伸は肩のバックを足下へと置いた。
「何時頃、家へ着けるんだ? この時間だと」
遼が窓の外を駆け抜けていく景色を眺めながら、伸に訊く。
「うーん。列車の乗り換えがスムーズにいったとして、夕方かな? とりあえず小郡へ着くのが3時頃だとして、そこから何回か乗り換えもあるし……6時までに着けば良い方?」
「……ホント長旅だな」
「悪かったね、辺境の地で」
「別に辺境だなんて言ってないぞ、オレ」
「そう?」
軽口をたたき合いながら、二人は声をたてて笑った。
グンっとバスが速度を増し、後ろに見えていた柳生邸が完全に見えなくなる。
「…………」
そっと見えなくなった柳生邸を振り返って、遼がぽつりと言った。
「当麻の奴、結局見送りにも出てこなかったな」
「そうだね」
少しだけ遼の顔が不満気にくもる。
「あ、でも、別にしばらく帰郷するだけなんだし、そんな大仰に見送る必要なんてないよ。気にしてないし、僕は」
慌てて伸がそう言うと、遼は更に不機嫌そうに伸の顔を覗き込んだ。
「でも、喧嘩したまま離れるのって嫌じゃないか?」
「……喧嘩……?」
コクリと遼が頷く。
「だって、お前ら昨日からまともに口きいてないだろ。当麻もなんかずっと態度悪かったし」
「…………」
「こんなに早く帰る気になったのは当麻の所為だって、征士が怒ってた。昨日お前が夕食早々に切り上げて部屋へ行っちまったあと」
「…………」
「だから……」
「喧嘩じゃないよ。遼」
そっと伸が言った。
「別に当麻がどうこうって訳じゃないんだ。言っただろう。姉さんがうるさかったんだよ。早く帰って来いって。色々忙しいらしくてね。猫の手も借りたいって心境みたい」
「……じゃあ、当麻のこと、別に怒ってないんだ」
遼がほっと安心したように息を吐いた。
「当麻のこと?」
伸がちらりと遼を見る。
「うん。だから、当麻の事で怒って帰省を早めた訳じゃないんだろ」
「それはそうだけど、当麻のことは怒ってるよ」
「……へ?」
「怒ってるよ。僕」
当然の事のように伸が言った。
「当たり前だろ。あいつったら、人の好意を聞きもしないで無下にして。迷惑かけたくないってのは解るけど、あれが正しい断りかただとでも思ってるのかな。これだから、理数系の頭しか無い奴は始末が悪いんだ。話し方教室にでも通ってもう少し人との接し方を覚えろっていうんだよ、まったく」
一気にまくしたてる伸を見て、遼が唖然と目を見開いた。
「……伸ってホントに当麻相手だとずけずけ物言うんだな」
「そ……そうかな?」
「……いいな」
独り言のように遼がつぶやいた。
「オレ、当麻が羨ましい」
「……えっ?」
「…………」
「遼……?」
「あ……何でもないよ」
遼がそう言ってにこりと取り繕ったような笑顔を向けた時、バスがカーブを曲がり大きく揺れた。
「…………!!」
トンっと二人の肩がぶつかり、遼の鼻先をふわりと伸の柔らかな髪がかすめる。
一瞬頬を染め、遼は誤魔化すように伸から顔を背けると、白く曇った窓ガラスに手を当てた。
「萩の方って、雪とか降るのか?」
「山梨ほどには降らないよ。海辺だし」
「そっか。オレ、西の方ってあんまり行った事ないんだよな」
「鳴門とか秋吉台とか行ったじゃない」
「あれは別」
遼が窓ガラスを手でこすると、そこだけ霜が水滴に代わり外の景色が見える。
ちらほらと降り出した粉雪を見ている遼の横顔は少しだけ寂しそうに見えた。
「……そのうち……行こうか」
「えっ?」
「みんなで旅行とか。ただ純粋に楽しむためだけの旅行」
伸が言うと、遼がそっと振り返り、嬉しそうに笑った。
「そうだな。楽しそうだな。みんなで行くの」
「うん」
戦いも、何もかも忘れて。
ただ純粋に。
5人が一緒に居ることが、戦いのためだけじゃないと、そう信じられる日が早く訪れますように。
運命も宿命も使命も関係なく、ただ愛しい人の隣に居ることが自然に感じられますように。
バスの外、降り出した雪が少し激しさを増した。

 

――――――「行っちまったぜ。伸」
書斎の扉を開け、開口一番秀がそう言った。
「ああ、知ってる」
「ったく。知ってたんなら玄関までくらい見送りに行けよ」
「別に必要ないだろ」
振り返りもせず、当麻はパソコンに向かっている。
「無事出かけて行ったんなら、何も問題ないじゃないか。それとも伸が何か言ってたのか?」
「伸がそんな事でいちいちオレ達に何か言うわけないだろ。それに遼がお前の分まで別れを惜しがって、駅まで見送りについてってるよ」
「遼が? よかったじゃないか。喜んでたろ、あいつ」
「…………」
興味なさそうに当麻はひたすらキーボードをうち続けている。
「お前はいいのかよ」
「何が?」
「……ホント、意地っ張りだよな、お前。ガキの頃とちっとも変わらない」
「…………」
キーボードを打つ当麻の手が早くなった。
「本当はお前も見送りに行きたかったんじゃないのか? 駅まで」
「オレが? ごめんだね」
「冷たい奴だな。それとも何か? 伸の顔見てにっこり笑って行ってらっしゃいって手を振る自信がなかったのか?」
「……!!」
ピタッと当麻の手が止まった。
目の奥に焼き付いているのは怒ったように見開かれた伸の瞳。
木枯らしの吹く枝の上で自分の放った言葉に傷ついた伸の顔。
「……あ……悪い」
失言に気付き、秀が申し訳なさそうにうつむいた。
「……なあ、当麻」
「…………」
「……あの……さ……」
「……ん?」
「寒く……ないか?」
「えっ?」
ぽつりと言った秀の言葉に反応して当麻が振り向いた。
「秀?」
「あ……なんでもねえよ。そうだ、今日は伸の代わりにオレがめちゃくちゃ美味い中華食わしてやるから楽しみにしてろよ」
「……ああ、期待している」
「んじゃ」
逃げるように書斎を出て、扉を閉じると、秀は乱暴に髪をかきむしった。
誰もいない廊下はやけに寒く感じた。

 

――――――伸と遼が駅に着いた頃、粉雪はすでに牡丹雪にまで変わっていた。
「結構降ってきたね。大丈夫? 寒くない?」
ふわりとダッフルコートのフードを被せてやりながら、伸が寒さのため少し赤くなってきた遼の顔を覗き込んだ。
「オレは大丈夫。伸こそ、手、めちゃくちゃ冷たいじゃないか」
微かに触れた伸の指が氷のように冷たくなっているのに気付き、遼は慌てて伸の手を両手で包み込んだ。
「なんで手袋しないんだよ」
「あんまり好きじゃないんだよね。手袋とか」
「だったらせめてポケットに手を突っ込んで歩けよ」
白い伸の手を両手でこすりながら遼が言うと、伸はふふっと笑って肩をすくめた。
「今度から気をつけるよ」
「とか言いながら、お前絶対やらなさそうだな」
「そう?」
小首をかしげると伸の柔らかな髪がふわりと揺れる。
「…………」
「じゃあ、行くね」
「…………」
そっと微笑む伸。いつもの笑顔。
遼に対してはいつもいつも穏やかで優しい伸。
そのことに不満などあるわけではないのだが、時々それが寂しいと感じるのは何故だろう。
「……遼……?」
急に黙りこんだ遼を気遣い、伸が駅の改札口を通る前に、もう一度振り返った。
「どうかした……?」
優しく覗き込んでくる緑の瞳。
その色が、こんなに切なく見えるなんて。
初めて出逢ったあの頃は、こんな気持ちなど知る由もなかったというのに。
「……遼?」
「何でもないよ。しばらく会えなくなるんだなあって思ったら、ちょっと寂しくなっただけだよ」
「……」
目を細めて笑顔を作る遼を見て、伸はすっと腕をのばし、ほんの一瞬だけ遼の身体を抱きよせた。
遼の周りをふわりと海の香りが漂う。
「行って来るね、遼。でも、すぐ帰ってくるから。僕らの場所へ」
「オレ達の場所……?」
「うん」
コクリと伸が頷く。
「秀が言ってた。あの柳生邸は、やっと辿り着いたオレ達の居場所だって」
遙かなる長い旅路の果てにようやく見つけた自分達の場所。
大切な大切な場所。
「じゃあ、また」
「……うん」
「来年、逢おう」
「うん」
小さく遼が頷くと、伸が嬉しそうに微笑んだ。
「また……な。伸。元気で」
そう言って、遼は改札口を通る伸に手を振った。

 

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