螺旋階段(10)

突然伸が窓の外を見て声をあげた。
「当麻! 雪だ」
「えっ?」
「ほら、どうりで冷え込んできたと思った」
見ると、窓の外、白い雪がちらほらと降り出している。
「今年最後の雪がそのまま新年の最初の雪になるんだね」
伸がそっとささやいた。
そういえば、時計はもうすぐ12時を回る。
しんとした部屋の中、雪の降り積もるしんしんという音まで聞こえてくるようだ。
なんとなく、お互い言葉を発することすら勿体ないような気がして、しばらくの間、二人はそのまま静かに降り続く雪を眺めていた。
一面の銀世界。というには程遠い量ではあるが、降りしきる雪というのはなんだかとても優しい気持ちになれる。
当麻は気づかれないように、隣に居る愛しい人の横顔を盗み見た。
柔らかな栗色の髪。澄んだ緑の瞳。懐かしい海の匂い。
ほんの数日逢わなかっただけで、どうしてこんなに愛しさが増してくるのだろう。
「……やっぱり冷えてきたね。具合はどう?」
当麻の視線に気づいたのか、伸がそう言って振り返り、そっと当麻の額に手を当てた。
「あ、熱はさがってきたみたいだ。よかったね」
「…………」
「大丈夫? 寒くない?」
「寒くないよ。お前がいるから」
当麻が愛おしそうに伸を見つめた。
「お前がそばにいればちっとも寒くない」
「…………」
まっすぐに伸を見つめて当麻はそう言った。
「と……当麻……?」
ずっと、ずっと、逢いたかった愛しい仲間。
自分が自分であることを認めてくれる大切な仲間。
そっとのばされた当麻の手が伸の頬に触れる。
少し熱いその手は何だかとてもとても優しくて、伸の胸が微かにドキンと鳴った。
「…………」
そっと、そっと、まるで壊れ物を扱うかのように、当麻の指が伸の髪をからめ取る。
と、ふいに当麻が手を離し、そのまま伸の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「……!!」
引っ張られるままにバランスを崩し、伸の身体がふわりと当麻の腕の中に倒れ込む。
はっとして顔を上げた伸は、思いがけないほど近くにある当麻の顔に一瞬息を飲んだ。
「……と…………」
底の見えない程深い宇宙色の瞳。
本当にいつもいつも、どうして当麻はこんな目で自分を見つめるのだろう。
あまりの真摯な眼差しに視線を逸らすこともできず、伸はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……伸……」
微かな声でささやき、当麻は伸の顎に手をかけ上を向かせると、ゆっくりと唇を近づけた。
「……あ…………」
当麻の唇が触れるかと思われた瞬間、伸が僅かに瞳を伏せた。

と、その時。
突然、部屋の中からクラッカーの割れる大きな音がした。
「……!!!!」
「Happy New Year!! 当麻!!」
「りょ……遼!?」
「秀か!?」
ガバッと当麻の腕の中から逃れ、伸がまっ赤になって室内を見回した。
割れんばかりの大音響と共に遼と秀の元気な声が部屋中に響き渡っている。
「元気にしてるか? 当麻!! この時間、お前が何処にいるかわかんなかったから、とりあえず部屋と居間と書斎にスピーカー仕込んでタイマーかけておいたんだけど、もちろんどっかで聴いてるよな」
「……スピーカー……?」
そういえば、声は部屋の隅に置いたステレオのスピーカーの中から聞こえてきている。
微かに二階や書斎の方向からも音がもれているのが解った。
「独り寂しく新年を迎えている可哀想な当麻君に、オレ達から愛のメッセージを送らせてもらいますっ!!」
「当麻、明けましておめでとう! オレ、お前と出逢ってから本当に楽しかった。今までの人生の中でお前達と出逢えた事が一番最高の出来事だと思ってる。お前には色々迷惑かけちまって本当に悪いと思ってるけど、どうかこれからも宜しくな。3日にはそっちに帰るからな」
遼の少し緊張した声に伸がおもわず笑みを洩らした。
「当麻! この意地っ張り野郎。どうせ今頃、やっぱオレん家行けばよかったと思ってるだろう。と、いうわけでだ。良かったら今からでも横浜来いよ。店は休みだけど、お前が来た時だけ特別に開けてもらえるよう母ちゃんに頼んどいたから。美味い飯食わせてやるからな」
「……あいつら……」
あまりのことに目を丸くして当麻がつぶやいた。
「いつの間にこんなもの仕込んでやがったんだ」
部屋の中には楽しげな遼と秀の声に重なって「HappyHappyGreeting」という曲が流れている。

♪OH!Happy Happy Greeting
 おめでとう おめでとう New Year!
 何かがはじまる きっと いいことある 予感で胸が騒ぐよ
 OH!Happy Happy Greeting・・・・

「なかなか嬉しい事をしてくれるじゃない。二人とも。ね、当麻」
「ああ、まあな」
にっこりと笑って伸が振り返ると、当麻は少しだけ複雑な顔をして頷いた。
「……どうせならあと1分遅くタイマーかけろってんだ。くそ……」
「何か言った? 当麻」
「何も」
すねた顔で、それでも何だかとても嬉しそうな当麻の表情を見て、伸は満足気に頷いた。
トゥルルルル……
その時、二人の耳に電話のベルの音が聞こえた。
「…………!!」
「電話だ」
同時に顔を見合わせ、伸がくすりと笑う。
「誰からの電話か当ててみせようか、当麻」
「律儀だよな相変わらず。新年明けたとたんだぜ」
くすくすと笑いながら伸がカチャリと受話器を取った。
「もしもし、征士。明けましておめでとう」
「……伸か? どうしてそこに……」
受話器から征士の驚いた声が聞こえ、伸は更におかしそうに笑った。
「ちょっとね。早めに帰って来たんだ。そしたらね、このバカ、足首捻挫して動けないって倒れてたんだよ。しかも風邪までひいて」
「伸! いいから貸せよ、電話」
慌てて当麻がソファから身を起こして手をのばした。
「はいはい。じゃ、征士、当麻にかわるね」
まだ笑いを引きずりながら伸がポンッと受話器を当麻の方へ投げてよこした。
「……もしもし、征か?」
ふっと当麻の表情が和らぐ。
伸は、少し照れたような当麻の様子にもう一度くすりと微笑み、お粥を作った小鍋とお椀の乗ったトレイを手にキッチンへと引っ込んだ。
流しにお椀と箸を置き、蛇口のコックをひねると、勢いよく冷たい水が流れ出し、ぱっと水しぶきが顔に飛ぶ。
「…………!」
ちょうど唇の上に飛んだ水滴をそっと拭い、伸は水に濡れた指先をじっと見つめた。
ふと、伸の耳にさっきの少しかすれた当麻の声が響く。
少しの緊張と溢れるほどの想いを込めた当麻のささやくような声。
あんなふうに名前を呼ばれたのは初めてかもしれない。
「…………」
そして、すぐそばにあった当麻の顔。あと少しで触れそうだった唇。
当麻の。
「何考えてるんだ。僕は」
ぶんぶんと頭を振り、伸は冷たい水に両手を浸した。

 

――――――「何だって? 征士」
洗い物を終え居間に戻ってくると、伸は当麻から受話器を受け取った。
「ん、帰りは3日か4日になるってさ」
「そう」
「ホントはオレの様子如何では2日くらいに帰って来ようと思っていたらしいが、せっかくの伸との逢瀬を邪魔しては悪いから予定をのばすって」
「嘘つけ。征士がそんな事言うわけないだろ」
ゴンと受話器で当麻の頭を小突き、伸が言った。
「言い方は違っても意味はそういう事だったぞ」
小突かれた頭をさすりながら、当麻が口をとがらせる。
「どうだか」
呆れた口調で言い放ち、伸は受話器を置いた。
そんな伸の背中を見つめて当麻が眩しそうに目を細める。
「…………」
”良かったな。当麻”
征士はただ一言、そう言った。
”良かったな”
本当に安心したようなその言葉の響き。
当麻はそっと目を閉じて、先程の征士の言葉を反復した。
「……なあ、伸」
「…………?」
「明日、初詣に行かないか?」
唐突な当麻の言葉に伸が目を丸くする。
「初詣? でも、足は……」
「痛みも随分引いたし、歩けるよ。なんなら松葉杖使ってもいいから」
「そう? なら僕は構わないけど。でも、何か君が初詣に行くって意外だな。あんまり神頼みとかしそうにないのに」
「まあな。確かに今までまともに初詣とか行った事はないな」
「じゃあ、なんで今年は行きたいの?」
不思議そうな顔で伸が振り向いた。
「何か心境の変化って奴?」
「いいや。願いたい事ができたんだ」
「願いたい事?」
「ああ。来年もこんなふうにお前と一緒に新年を迎えられますようにって」
そう言って、当麻は真っ直ぐに伸を見つめた。
「……来年も……?」
ほんの少し戸惑ったような声で伸が尋ねる。
「来年だけじゃない。もちろん再来年も、その先もずっとずっと」
「…………」
「ずっと10年先も20年先も、毎年お前がそばに居てくれますようにって」
「当麻……」
「ずっとずっと、お前と一緒に居られますようにって」
「それって……僕等が30歳になっても?」
思わず伸はそう訊いた。
「ああ、もちろん」
そう言って、当麻が嬉しそうに笑った。

FIN.      

2000.11 脱稿 ・ 2002.02.09 改訂    

 

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