キャスト パズル(6)

どこかで頭を冷やしたかった。でも、どこへ行けばいいか全然分からない。
勢いのまま保健室を飛び出した伸は結局何処へも行けず、仕方なく教室へ戻ろうと三年生の教室のある三階へと向かった。
当麻に酷いことを言ってしまったという自覚はある。
でも、当麻から言われたことも大概酷いのではないか。
「つまりそれって、お互い様ってこと……か?」
思わず足を止め、伸はひとつため息をついた。
遅かれ早かれ、家を出ることや、正人とルームシェアする予定であることは、当麻に話さなければいけないと思っていた。
ある意味、最悪の状況でバレたのかもしれないが、今が最悪であれば、今後これ以上落ちることはないとも言えるだろう。
そう考えれば少しは気持ちも落ち着くだろうか。
そんなことを考えながら、ぼうっと歩いていた伸の目の前に突然チケットを持った手が差し出された。
「お、毛利。ようやく会えた。これ、よかったらどーぞ」
顔を上げると、鷹取がにやりと笑いながら伸の行く手を塞ぐように立ちはだかっている。
どうやらいつの間にか、教室のそばまで戻ってきていたみたいだ。
「……何? これ」
「オレ達のクラス、和風喫茶だって言ったろ。それの珈琲券。1杯分タダになるから、あの天才児誘って来てくれよ」
「当麻と?」
「そう」
「どうして当麻? 征士じゃなく?」
「伊達は…言わなくても来てくれるだろうし……ってか、そのチケットは謝罪の代わりなんだ」
「謝罪? 謝罪って…何か……あ…」
言いかけた伸の言葉が止まった。
そう言えば、先程、当麻は鷹取から、自分が大学進学に合わせて家を出るという事を聞いたと言っていた。鷹取が言っているのは恐らくそのことだろう。
「悪かったなと思ってさ。まさか知らないとは思わなかったから、つい苛めちまった」
「苛めてって……」
「だから一応、詫びのひとつくらいしとこうかと」
「なるほどね」
「悪かったな。お前にも謝っとくよ」
「僕も別に口止めしてたわけじゃないし、君が気にする必要はないよ」
「でも、喧嘩したろ?」
「…………!?」
伸が一瞬言葉に詰まった。
「お前もあいつも素直じゃないからな。ま、仲直りのツールとして使ってくれればいいから。その珈琲券」
やはり鷹取に誤魔化しは効かない。伸はひとつ大きく息を吐いた。
仲直りのツール。
うまくいくかどうかは微妙だが。それでも、きっかけの一つにはなってくれるだろうか。
「……そんな落ち込んだ顔すんなよ。で、来てくれるのか? どうなんだ?」
「それは……もちろん行くよ。当麻がOKって言ってくれればだけどね」
「何言ってんだ。言うに決まってんだろう。あいつ、お前にベタ惚れだぞ」
「…………」
思わず伸は顔を上げてマジマジと鷹取を見上げた。
「何きょとんとした顔してんだ。まさか自覚がないとかふざけたこと言う気じゃないだろうな」
「あ……いや、それは……」
「ちょっとくらい喧嘩しても、すぐ折れてくるだろ? 目に浮かぶよ」
鷹取の顔には呆れたような笑顔が浮かんでいる。
当麻とはほとんど接触のなかった鷹取がここまで断言出来るなんて。それほどまでに、当麻が本気で伸を好きなのは一目瞭然なのだろうか。
だとしたら、一番当麻を信じていないのは、伸自身ということになってしまう。
本当に。どうして疑わなくてはいけないのだ。嫉妬する意味が分からない。
バカバカしくなって、ほんの少し笑いたくなった。
「ホント、お前ってばみんなに愛されてんだよなぁ」
「なんだよ、それは」
呆れたように肩を落とす伸を見て、鷹取は可笑しそうに笑うとくしゃりと伸の髪を掻き回した。
「そう言えば、お前、大学のこと隠してたの、あいつにだけだったのか?」
「え?」
「オレ、てっきりあの家の奴らはみんな知ってるもんだと思ってたからさ。少なくとも伊達は知ってたろう?」
「そう…だね。征士達には話してたけど……でも、だからって、それが何?」
「いや、何っつーかさ」
「…………?」
「だとしたら、お前よっぽど……」
「……何?」
乱れた髪を直しながら、伸は伺うように鷹取を見上げた。
「よっぽど……何なんだよ」
「何でもないよ。さみしがり屋の毛利姫」
「…………!?」
伸の頬にすっと朱が走る。
なんだ、こんなに分かりやすかったんじゃないか。姫の気持ちも。
自分の勘の悪さに、改めて鷹取は苦笑を漏らした。

 

――――――「こんな所で何をしているのだ」
「お前こそどうしたんだよ」
旧校舎にある倉庫の扉の前と中で、当麻と征士が向き合って同時に声をあげていた。
「私は、荷物を置きに来ただけだ」
「オレは休んでいただけだ」
「休んで…ではなく、サボっていた、だろう」
「うるせぇ。余計なお世話だよ。お前のほうこそ、この倉庫、荷物置き場にしていいのか?」
「許可は取ってある。鷹取先輩に」
「……なんで、許可を取る相手としてその名前が出てくるんだ?」
今、一番聞きたくない人物の名前が当然のように征士の口から出てきたことに、少しだけムカついた様子で当麻は不満気に口を尖らせた。
「それは、この倉庫を頻繁に利用しているのは先輩だからだ。だいたい貴様もこの場所は先輩に教えていただいたんだということを忘れたのか?」
「はいはい、すいませんねえ。じゃあ、来年からはオレに許可取ってもらえるのでしょーか?」
「まさか。お前の許可など必要ない。ここはあの方の場所だ」
「……随分と扱いに差があるな」
「そうか?」
悪びれない征士の態度に当麻は小さく肩をすくめた。
以前から征士が鷹取のことを随分尊敬もし、好いてもいたことは知っていたが、最近の心酔ぶりは、征士にしては異常な程だ。
きっかけは鷹取のあのバス事故からだとは思うが。それにしても。
「お前さー」
「何だ?」
「もしかして、あの主将にマジで惚れてる?」
「…………は?」
「っていうか、あの野郎となんかあった?」
当麻の問いかけを無視し、征士は持っていた荷物を乱暴に床に降ろした。
「当麻。教えてくれ」
「…………」
「人は必ず誰かを選ばなくてはならないのか?」
「………え?」
「私は、言い寄る求婚者をすべて捨てて月へ帰っていくかぐや姫なのか?」
「お前……何言って」
「教えてくれ、当麻。私の態度は、あのかぐや姫と同じなのか?」
かぐや姫。
月からの使者が来たとたん、すべてを忘れ、捨てていった美貌の姫。
言い寄る求婚者のうち誰も。そうだ。あの帝でさえ、彼女をこの地球に留めておくことは出来なかった。
残酷なほどに美しい姫。
「私には、誰かと誰かを比べてどちらを取るとか取らない等の選択はどうしたって出来ない。そういった意味で人に優劣をつけるなど考えられないのだ」
「………」
「でも、そういう私の態度は、もしかしたら、相手へ誠実ではないということになってしまうのだろうか」
「オレにそれを聞くか?」
当麻の返答に、征士は驚いたように振り返り、次いで困ったように視線を落とした。
「すまない。どうやら私は見当違いな質問をしてしまったようだ」
俯いた征士の黄金の髪が揺れる。
当麻はひとつため息をついて小さく首を振った。
「オレは独占欲の強い男だ。自覚してる。だから、好きな奴には、自分だけ見てて欲しいと普通に思うような奴だよ」
「当麻……?」
「……でも」
言葉を区切り、当麻はマットの上に座ると足を組んだ。
「でも、お前の言うことも分かる。選べない相手ってのはいるよ。確かに」
「…………」
「……ということに、実はついさっき気付いた」
「……え?」
自分だって選べない。
聖香と伸のどちらかを選べと言われたら、自分は迷うことなく伸を選ぶ。
でもだからといって、もし、聖香がまた、あんなふうに泣いていたら、自分はきっと同じことをするだろう。
今まで、好きとか嫌いとか、そんな視点で考えたことすらない相手だったはずなのに。それでも。
泣かないで欲しいと思った。
そして、伸も。
自分と正人のどちらかを選ぶなんて、きっと出来ないだろう。
優劣をつけるには、あまりにも種類が違いすぎる。
すれ違うことさえない異なった場所に立つ舞台上で、どうやってお互い競い合えというのだろうか。
「仕方ないじゃないか。立ってる舞台が違うんだ。選べっつったって選べるわけない。だから、それは決して不誠実ということではないと、オレは思う」
「…………」
「こんな言い方でいいか?」
「ああ。感謝する」
微かに征士が笑った。ふわりと黄金色の髪が揺れる。
でも確かに、これだけ綺麗であれば、独占したくもなるよな。
ふと、それだけは思った。
「なあ、征……オレもお前に聞きたいことがあるんだけど、教えてくれるか?」
「……何だ?」
「あのさ……お前は知ってたか?」
「何をだ?」
「伸が、家を出るつもりだってこと。で、正人と一緒に住むつもりだとかなんだとか」
「ああ、そのことか」
当然のように頷いた征士に、思わず当麻は驚いて立ち上がった。
「知ってたのか!? いつ聞いた?」
「最初に聞いたのは、今年の春だ」
「春……? そんな前に……?」
「春休み、秀の家へ手伝いに行っただろう。あの時にそんなことを言っていた」
春休み。自分が大阪へ戻っていた時期、伸は秀の家の手伝いに駆り出され、そこにあとから征士も合流した、あの時。
珍しくバラバラに過ごした春。桜の木の下で再会した。
でも、あの時、伸はそんなこと少しも言っていなかったはずなのに。
「じゃあ、もしかして秀も知ってる?」
「もちろん。秀と一緒に、その話を聞いたのだ。あの時」
「………まさかとは思うが、遼は……?」
「家を出ることはどうか知らないが、正人が戻ってくることは知っているぞ。なにせ正人のことは遼から聞いたのだからな」
「なんだと……?」
征士や秀だけじゃなく、遼までもが知っていた。
本当に、知らなかったのは自分だけだったのだ。
「どういうことだよ。つまり知らなかったのってオレだけってことじゃねえか。差別だ」
「……差別? 意味が分からんが」
「なんで分かんねえんだよ。どう考えたってオレだけ除け者にしてるじゃねえか。これが差別でなくて何なんだよ」
「お前に告げなかったのは、寂しかったからではないのか?」
「…………え?」
あまりにも当然のように放たれた征士の言葉に、当麻の動きがピタリと止まった。
「あの春休み。お前が戻ってくるまでの間、伸の様子はかなりおかしかった。原因はなんだと思う?」
「伸の様子が? 原因って言われて…も……」
「……伸は何かを紛らわせようと必死で働いていた。秀の話によると、お前と電話で話をしてからそうなったと聞いたが?」
「……それって」
「…………」
「もしかして、オレのドイツ行きの話が原因なのか?」
「もしかしても何も、それ以外ないだろう」
「…………」
「あの時、伸はお前と離れることに恐怖を感じていた。もちろん今回は外国とは違うのだから逢おうと思えばいつでも逢える距離だ。それでも」
「それでも……」
「あの時感じた寂しさや恐怖が、伸を躊躇させている一番の原因だ。だから伸は自分自身を追い詰めた。もう後戻り出来ない所まで来てしまった段階でないと、恐らく言えないと思ったんだろう。お前には」
離れたくない。言葉にしてしまうと、もう止まらなくなる。
永遠の別れではないことくらい分かっている。
それでも。それでも寂しいのだ。
「そういうことだと私は思うが」
言わなかった原因は正人ではない。
もちろん、正人がいてくれたおかげで、行動を起こす決心がついたということはあるだろうが。
だからと言って、正人と一緒に暮らすということは、伸にとって後ろめたいことではないのだと。
そう考えても罰は当たらないのだと思ってもいいのだろうか。
「征…お前、最高だ」
「ふむ…貴様に褒められてもあまり嬉しくはないな」
そう言いつつ、征士は安心したようにフッと笑みを浮かべた。

 

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