キャスト パズル(4)

ギギっと耳障りな音を立てて、当麻と入れ違うようにして屋上へ顔を出したのは遼だった。
自分の予想と違っていたことに驚きながらも、聖香は慌てて立ち上がり大きく首を振る。
そうなのだ。
自分を屋上まで捜しに来ていたのは、伸だけではない。遼もだという可能性を失念していた。
「違うの! 遼くん。さっきのは別に……」
「……え?」
「私…羽柴くんとは何もないから……!」
「当麻? 当麻がどうかしたのか?」
「…………!?」
遼は不思議そうな顔で首をかしげている。
聖香は思わず言葉を失って一歩後退った。
さっきのことを遼は見ていなかったのだろうか。それとも見ていて、その上でのあの表情なのだろうか。
「…………?」
遼は、聖香の言ったことには関心がなさそうに、でも充分すぎるほど心配気な表情でじっと聖香を見つめていた。
「如月さん? 大丈夫?」
何だか、もう、どちらでも良くなっていた。
たとえどっちだろうと遼にとっては同じだろう。
自分が、誰と、何処で何をしていようと、遼の心を揺らすことなんて出来ないのだ。
それなのに。
こんなことであたふたしている自分が、とてつもなく滑稽に思えた。
最低だ。
何をやっているんだろう。こうなることは分かっていたのに、何をまだ自分は期待していたのだろう。
「如月さん?」
さっき、ようやく当麻のおかげで止まっていた涙が再び聖香の頬を濡らした。
「如月さん!?」
聖香の涙に遼が慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたんだ。大丈夫か?」
遼の手が聖香の肩に触れる寸前、聖香は力いっぱいその手を振り払った。
「触らないで!!」
「……!?」
「ごめんなさい。もう触らないで」
「…………」
「もういい。もういいから……分かってるから……」
そう言って泣き続ける聖香を目の前にして、遼はどうすることも出来ずに立ち尽くしていた。
どうすればいいのか分からない。
聖香が泣いている理由が分からない。
でも、たぶん、いやきっと、それが駄目なんだ。
聖香は誰よりも遼に自分を分かってほしいと願ってる。それくらいは分かる。
それなのに。自分は何も分からない。分からないということに危機感を覚えていない。
何よりも。そのことが一番駄目なのだ。
それくらいは分かる。分かるのに、何も出来ない。
最悪だ。
もし、ここにいるのが、当麻だったら、きっとうまく聖香を慰めてあげられるのだろう。
いろんな事が分かっていてもいなくても、それでも一番彼女が必要としている言葉を聖香に与えてあげられるのだろう。
それなのに。
どうして自分はこんなにも駄目なんだろう。
自分が最悪であることは分かっていた。
目の前で泣いている女の子を前に、何もしてあげられない甲斐性なし。
男として自分はきっと最低の部類に入るのだ。
「あの……」
「いいの。もう」
「でも……」
風が冷たくて。
もう夏も終わりなのだと、そんなどうでもいいことが頭を過ぎった。

 

――――――「随分大きな荷物だな。何処へ持って行くんだ?」
征士が抱えている大きな段ボールを指さして鷹取が聞いた。
征士は、ほんの僅かだけ目を伏せ、答える。
「……あの倉庫…です」
「あの…って、あの?」
「あ……はい」
「……そうか」
ふっと鷹取の顔に笑みが湧いた。
「明日の為にクラスの皆が持ち寄ったものなのですが、使用しないことになりまして。ただ、今日持って帰るのは大変だということで、期間中何処かに置いておいてもらえないか…と」
「なるほどね。で、あそこをお前が提案したんだ」
「はい。あの…しばらくの間だけなので、使用させていただいてよろしいでしょうか」
「別にあそこはオレが管理してるわけじゃない。許可なんていらないだろ」
「そう…なのですが、やはり……」
そこでまた、ほんの僅かだけ征士は言葉を発するのを躊躇した。
「やはり…あそこは、あなたの場所だと、思うので」
呟くようにそう言った征士と鷹取の視線が一瞬絡まりあったように見えた。
「…………」
この学校には、倉庫と呼ばれる箇所はいくつかある。俗称も含めると両手の指でも足りないだろう。
一番広い体育館の倉庫に始まり、化学準備室や音楽室脇の小部屋。使わなくなった旧校舎にもいくつかそういった部屋がある。
それなのに、鷹取と征士は、”あの倉庫”と言っただけで、それが何処を指すのかお互い理解している。
そして、おそらくその場所は、二人にとって、意味のある場所なのだ。
またか。
秀の頭の中に、ふとその言葉が浮かんだ。
彼らには、彼らの間だけに共通している想いがある。
そして自分はそれを知ることは出来ない。
いつも。いつもそうだ。
自分は見ているだけ。
欲しいものは、いつも必ず誰かに先を越されて、手の届かない所へ行ってしまう。
自分は触れることすら叶わなかったというのに、紅を抱いた奴がいた。
自分が最後まで何も告げる事が出来なかったのは、夜光の中に永遠に消えない人の姿があったからというのは、ただの言い訳だろう。
臆病になっているのは自分。
最後の最後で躊躇して、結果何も出来ないのは自分。
何度繰り返しても、結局同じなのだろうか。
未来は変わる。変化していくのだと。
繰り返しそう言ったのはほかならぬ自分なのに。
もしかしたら、それを一番信じてないのは、実は自分自身だったのかも知れない。
「なんだ。太陽。不満そうだな」
「……んなことねえよ」
ぼそりとそう言って、秀はうつむいた。
なんだか自分に腹がたってやり切れなかった。
「さっきの話の続きだけどさ」
軽い口調のわりに、やけに真っ直ぐな目をして鷹取は秀を見下ろした。
「お前は、”その程度”で壊れるのか?」
「……まさか」
挑むような目つきで、秀は鷹取を見上げる。
「絶対ありえない」
「……そうか」
鋭い一瞥を最後に、秀はそのままくるりと踵を返すと、自分の教室へ向かって走り去って行った。
征士は、しばらくの間、秀の背中を不安そうに見送っていたが、結局何も言わずに視線を鷹取へと向ける。
鷹取は僅かに唇の端を上げ、肩をすくめてみせた。
「あれも一種の宣戦布告だな」
「宣戦布告……とは?」
「分からないか?」
「はい」
「分からない…か。それもまた問題かもな」
「……?」
「なあ、ひとつ聞きたいんだけどさ。伊達は、誰かを好きになったこと、あるか?」
「……え………?」
征士の瞳が戸惑ったように揺れた。
「言っとくが、親友とか、仲間としてってことじゃないぞ。恋愛のことだ」
「……れ……恋愛…ですか?」
「そう。恋愛。相手の性別は問わないけど、感情に関しては、”愛”だ」
「よく……分かりません。あまり突き詰めて考えたことがない…ので」
「……だろうな」
自嘲気味に鷹取は唇の端を上げた。
「そうだったよな。お前は言い寄る求婚者をすべて捨てて月へ帰っていくかぐや姫だった」
「……先輩?」
「悪かったよ。変なこと聞いて」
「…………」
くるりと踵を返し、鷹取は征士に背を向けた。
「先輩……?」
「さっさと行けよ。引き止めて悪かった」
もう征士には用がないとでも言うように、鷹取は足早に階段を上っていく。
「…………」
「……お前は、誰のことも選んではくれないんだ。結局」
低いつぶやきが征士の耳に届く。
征士は、キュッと唇を噛み締め、でももう鷹取を追おうとはせず、荷物を抱えたまま下の階へと歩きだした。
何をやっているのだろう。
誰もいなくなった階段の踊り場で、鷹取は一人、溜め息をついた。
絶対ありえない。
秀が断言したとおり、彼らの関係性が、絆が、壊れることは恐らくないだろう。
そんなことはとっくの昔に承知している。
それでも一石を投じたいと思ってしまうのは。
何処かに切れ目はないのかと、無意識に探してしまうのは。
たぶん、自分は欲しているのだ。
歩調をゆるめ、ゆっくりとゆっくりと鷹取は階段を上っていく。その自分の足音がやけに耳に響いて不快だった。
気がついたら独りだった。
両親も誰もいなくなり、自分は独りになった。
だから、羨ましいのだ。
どんな時でも、そばに誰かがいる、ということが。
いや。正確に言うと、誰かではない。
あいつだ。
誰でもない。あいつにそばにいて欲しい。
「ヤバイな。ここまでマジ惚れするなんて……」
誰にも声が届かないことを確認して、鷹取は自分自身に向かって苦笑した。

 

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