キャスト パズル(3)

「……ったく、何騒いでんのかと思ったら」
「……!?」
三階の廊下の端から呆れた声と共に、鷹取が階段の踊り場に姿を現した。意外な人物の登場に、さすがの当麻も一瞬表情を強張らせる。
「ま、オレがあいつでも同じこと言うかな。確かに、お前さんにだけは言われたくないわ」
「お前……なんで」
「先輩相手に、お前とか言うか? ま、いいけどさ」
にやりと笑って鷹取は後方を指差した。
「オレのクラスの教室、すぐそこ。和風喫茶をやるんだ。味の保証は出来ないけど、よかったら明日寄ってくれよ。伊達か毛利を誘ってくれると、客寄せになってこっちも助かるんだが」
「そんなことより、今の……」
「大丈夫。教室までは何話してたかは聞こえてないよ。あっちはあっちで準備で大騒ぎしてるし」
「……じゃあ、なんで……」
「ちょっと息抜きに屋上にでも行こうかと出てきたら、先約がいたってだけのこと」
「………」
苦々しげな表情で当麻は小さく舌打ちした。
対する鷹取は、呆れた表情のまま階段を上り、当麻のすぐ近くまで来ると、にやりと笑みを浮かべた。
「にしても、そうだったとは意外だな」
「何が」
「毛利姫の相手って、てっきり木村のほうかと思ってたからさ」
「………!?」
一瞬、当麻は引きつったように息を吸い込んだ。
鷹取が正人と会ったのは、夏休み。征士の見舞いに来た時だ。
伸を含めて3人でずいぶん長いこと居間で話し込んでいたのだというのは、あとから聞いていたが。その時、何を話していたのかは知らされていない。
共通の話題は征士のことのはずだが、もしかしたらそれ以外でも、何かあったのか。
いや、そうであってもそうでなくても、伸と正人の態度を見て、何かしら感じるだけの何かが、あったことは事実なのだろう。
「正人は…あいつは伸の幼馴染だ」
「らしいな」
鷹取は素直にうなづく。
「でも、実家にいた頃から、今まで。それこそ海を越えて続く友情ってのもすげえなあと思ってさ。それに、あいつ、もうすぐこっちに戻って来るんだろ」
「…………え?」
「大学はこっちにするんだって。で、来年になったら今の家を出て、あいつら、一緒に住む予定だと。この間毛利に聞いたぞ」
「…………!?」
当麻の顔面から血の気が引いた。
「あれ? 聞いてなかったのか? 毛利の奴、東京の大学に進学考えてるらしいんだけど、さすがに小田原から毎日通うのは不便だから、近くにアパートでも借りなきゃなって」
「だからって、なんで正人が」
「さあ、詳しいことは知らねえけど、どうせこっちの大学に進むなら、一緒のとこか、近いとこ狙ってるんじゃね?」
「……だとしても……」
「東京でアパート探すなら、一人より二人のほうが安上がりだろうし」
「そうじゃない。なんで……」
戻ってくることも、まして柳生邸を出て、二人で一緒に住むことも、何も自分は知らない。聞いてない。
それなのに。
「なんであんたが知ってるんだよ」
「……3年生同士は色々進路のことで相談しあうもんなんだよ。2年坊主」
「…………!!」
目の前が一瞬真っ白になったような気がした。
あまりのことに当麻は鷹取を押しのけるように踊り場から身を翻し、走り出した。

 

――――――分かっているのに、胸がズキズキしている。どうしても止まらない。
伸は、呆然とした表情のまま、ゆっくりと階段を降りていた。
本当は3年生の教室のある三階で曲がり、自分たちの教室へ向かわなくてはいけないというのに、その気すら起きない。
早く聖さんに聖香が無事見つかったことを伝えなくてはいけないのに。もう大丈夫だから、安心してくれと言いにいくべきなのに。
それなのに。
今、どうしても顔を見たくなかった。
聖の顔を見たら、たぶんすぐに見抜かれる。
どんなに隠しても、何かあったと感づかれる。
そして、自分はそのことを心のどこかで期待している。
何より、それが嫌だった。
「あれ? 伸?」
ひどく沈んだ顔付きで階段を降りていく伸の様子を見かけ、秀は作業の手を止めて立ち上がった。
「なんかあったのかな……?」
そう言えば、さっき遼が聖香を探しに教室を回ってきた時、伸の教室からいなくなったとか言っていたような気がする。
それと関係してるんだろうか。
「伸……!」
「……秀?」
秀の呼び止める声に伸がゆっくりと足を止めて振り返った。
「どこ行くんだ? 3年生の教室は上だろ? それともまだ如月さん見つからないのか?」
「あ……いや、如月さんは見つかったよ」
「そっか。さっき遼が血相変えて探してたから、心配してたんだけど。何があったんだ?」
「彼女は大丈夫だよ。当麻が付いてるから」
「当麻? なんで当麻が……」
「…………」
秀の問いかけに答えることもせず、伸はそのまま背を向ける。
「お…おいっ! ちょっと待てよ」
「…………」
足は止まったが、伸は振り返ることもしない。
ひとつため息をついて、秀は階段を駆け下り、伸の真正面に立ちはだかった。
「どした? また、当麻の奴がなんかしたのか?」
心配気に覗き込んでくる秀の顔を見て、伸は小さく息を吐き、フルっと頭を振った。
何をやってるんだろう。自分は。
聖だけじゃない。これでは会った人間全員に不審がられて当然だ。
当麻は何もしていない。
彼がしていたことは、泣いている少女を慰めていたことだけだ。
人として当然のことだし、褒められこそすれ、非難されるようなことではない。
そんなことは分かっている。
ただ、はじめて見ただけだ。当麻のあんな困ったような、それでいて優しそうな顔。
ただ、知らなかっただけだ。当麻が、聖香に対して、あんな表情を見せるなんてことを。
そして、あんなに優しく、あんなに自然に、キスをすることを。
だから、これは。理不尽な感情なのだ。
とても醜くて、理不尽な、最悪の感情なのだ。
「当麻は何もしてないよ。別になんでもない」
「じゃあ……」
なんでお前はそんな顔してんだよ。と、秀の目がそう言っていた。
「ちょっと疲れてるだけ。だから保健室行って頭痛薬でももらってこようかと思って」
「……伸!」
「大丈夫だから。じゃ…ね」
秀の脇をすり抜けるように通り越し、伸はスタスタと階段を降り、角を曲がって行ってしまった。
さすがにこれ以上追いかけるのも気が引け、秀はその場にしゃがみこみ、頬杖をつく。
「……ったく、何なんだよ」
誰に聞かせるでもない言葉が口をついて出る。
と、そこに原因のもう一方の張本人、当麻が階段を駆け下りてきた。
「秀、伸を見なかったか?」
「…………」
教えてやるべきかどうか、一瞬迷ったが、結局秀は素直に階下へと向けて指をさした。
「保健室行って頭痛薬もらうとかなんとか言ってたぞ。ホントかどうか微妙だけど」
基本的に伸はあまり薬が効かない体質なのだとか言って、何かあってもあまり薬に頼ることはしない。
まして頭痛薬など、飲んでいるところなんか見たことがない。
「分かった。行ってみる。サンキューな」
それでも、当麻はそのまま階段を駆け下りて行く。
「うーん」
もらう、もらわないに関わらず、伸は保健室へ行くと言ったのだから、たぶん行ったんだろう。
当麻はそう受け取ったのだ。
あれこれ詮索するのもどうかと思う一方で、事情が何も分からないというのも、ちょっと気持ち悪い。
「遼…か、如月さんに聞けば分かる…かな。でもなぁ……」
このまま教室へ戻るか、それとも当麻を追って下へ行くか、或いは上か。
しばらく悩んだあと、秀はすくっと立ち上がり、階段を登りだした。
そして、自分達の教室のある二階の踊り場で少しだけ足を止める。
心が残ったままなのが気持ち悪く、秀はちょっとだけ、と階段から身を乗り出して上の階を見上げた。
「……あ」
「……あ」
そこには、ちょうど秀とは正反対に、やはり階段から身を乗り出して下の階を覗き込んでいる鷹取の姿があった。
なんとなくお互い気まずそうに一度は体を引っ込めたが、やはり、再び同時に身を乗り出す。
「なんで、そこにいるんだよ。先輩」
「そっちこそ、そんな所でサボりか?」
「……違げぇよ」
「あ、そうだ」
再び体を引っ込めた鷹取は、そのまま階段を降りはじめ、身を乗り出さなくても秀と対面できる所まで来ると、階段の縁に腰掛けた。
「お前にちょっと聞きたいんだけどさ」
「……んだよ」
「あの天才児って、けっこう面倒くさいタイプ?」
「………はぁ?」
秀の眉間に一気にしわが寄る。
「なんだよ、それは」
「いや、そうだったら、ちょっとマズったかなあと……」
「……もしかして、てめえが原因か!?」
思わず秀は憤って大声をあげた。
様子がおかしかった伸。そして、必死で後を追いかけて行った当麻。二人共、上の階から降りてきた。
ということは、この男、鷹取と接触して何かがあったと考えるのが妥当だ。
「伸に何した!?」
「ち…ちょっと待てよ。毛利って?」
「とぼけんな。何か言ったか、したか、したんだろう」
「いやいやいや…何、誤解してんのか知らねえけど、オレ、今日は、一度も毛利を見かけてないぞ」
「……見かけて…ない?」
「ああ。会ってもない奴に、オレが何するって言うんだ」
「……じゃあ……」
それでは。いったい何が。
ただでさえ何も分からない状態なのに。更に秀の頭が混乱した。
「じゃあ、当麻がどうとか…って何なんだよ」
「ああ、さっきちょっと…な。まさか知らないとは思わなかったからさ……」
「知らない?」
何を。
鷹取は何のことを言っているのだろう。
「ま、でもいっか。オレが気にしてもしょうがないし。だいたいあれで壊れるなら、その程度ってことだ」
そう言って、もう話は終わったと言うように、鷹取は立ち上がると、くるりと秀に背を向けて階段を上りだした。
「お…おい、ちょっと……」
思わず伸ばした手が、空中で所在無げに止まる。
チラリと後ろを振り返った鷹取は、僅かに肩をすくめて立ち止まった。
「それとも何か? 知らないってことだけですぐに壊れるような関係性なのか? あいつらは」
「……………」
鷹取が何のことを言っているのかは分からない。
でも、鷹取が言う”そんなこと”程度で、壊れるような二人ではない。それだけは確信が持てる。
「……なら、大丈夫じゃねえか?」
ニヤリと鷹取が笑みを浮かべた。
と、その時。
「…こんな所で何をしているのだ? 秀」
そう言って、征士が大きなダンボール箱を両手に抱えて階段の踊り場にやって来た。
「…………」
思わず鷹取が息を呑む。
それに気づいて、征士が上を見上げた。
「………鷹取…先輩?」
鷹取を見上げて、征士が小さく呟く。サラリと揺れる黄金色に鷹取はフッと目を細めた。

 

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