キャスト パズル(2)

「如月さん、何処へ行っちまったんだろう?」
「とにかく捜さなきゃ。僕は上の階から順に見てみるから、遼は下の階から順にお願いしていい?」
「分かった」
伸と遼は、階段の所で上の階と下の階へと別れ、走り出した。
突然教室を飛び出してしまった聖香。
他のみんなにはそれとなく誤魔化しつつも、聖はそっと伸と遼に妹の捜索を頼んだのだ。
四階建てであるこの学校の教室配置は、上級になるほど上の階となる。つまり3年生の伸の教室は三階であり、2年生の遼達の教室は二階だ。
そして、最上階である四階には、視聴覚室や音楽教室などの特別教室が集まっている。
二人で手分けをするなら、自分達の学年の階に近い、一・二階を遼が、三・四階を伸が担当するのが効率的だ。
そして、聖香の兄である聖は伸の教室に残っている。
本当は聖も行くと申し出たのだが、校内を探すのはやはり在校生の方が都合がいいということで、聖には聖香が戻って来た時のことを考えて教室で待機してもらうことにしていた。
そのまま周りを気にしながら四階へ向かった伸は、廊下の端からぐるっと周囲を見回した。
見える範囲に聖香の姿はない。
いちおう各教室を覗き、それらしい姿を見かけなかったか尋ねながら、反対側の階段までたどり着き、再び逆周りで戻ってみる。
「駄目だ……何処にもいない」
聖の話では、急に立ち上がって駆け去ってしまったということだったので、理由も目的も曖昧だった。
話の内容も、たわいないことだったというので、何が原因かもはっきりしない。
ただ。
その時話題に出ていたのが、当麻の名前だったというのが引っかかる。
周りの目もあったので、当麻の何を話題にしていたのか、詳しいことは聖も話してくれず、とにかく、聖香を捜すことの方が先決だと判断したのだった。
でも、具体的にどんな話だったのかは分からないにしても、聖香が当麻の名前に反応したというのは、どう解釈すればいいのだろう。
聖香と当麻は、昨年からずっと同じクラスで、比較的仲も良いと聞いている。遼がもらった手紙の差出人が聖香であったことをいち早く見抜いたのも当麻だった。筆跡を覚えるほど聖香との付き合いが深いというのは、少なくとも数回以上、ノートの貸し借りなどがあったことは間違いない。恐らく、聖香は当麻がさぼった授業の分のノートを貸してくれたりもしていたのだろう。
「……って、だから何だって言うんだ。僕は」
誰に聞かせるでもない独り言を洩らし、伸は階段の踊り場でため息をついた。
とりあえず四階にはいなかった。次は三階を捜そうと階段を降りかけた伸は、ふと立ち止まって上を見上げた。
「そういえば、屋上って可能性もあるか……」
伸は普段屋上へ行くということは滅多にない。でも、当麻がたまに屋上でサボったり、昼食を取っていたりするというのは聞いていた。
もしかしたら聖香も、そんなふうに普段から当麻と同じように屋上へ行ったりしていた可能性はあるだろう。
伸はゆっくりと階段を上がり、そっと屋上の扉を開けた。

 

――――――「来ないでよ。でないと私、どんどん嫌な子になっていっちゃう」
当麻が歩いてくるのに気付き、聖香はぎゅっと膝を抱えた。
「……如月」
「私、駄目なの。醜いの。卑怯なの。でも、止まらないの」
「……何を聞いたんだ? 如月」
「…………」
「如月」
聖香のすぐそばまで近づき、当麻は膝を折って聖香の正面にしゃがみ込んだ。
聖香は当麻から顔を背けるようにしてうつむいている。ただ、その瞳からは涙の雫が絶えず流れ落ちていた。
「お願い。向こうに行って。放っておいて」
「……そんなこと出来るかよ」
「駄目、今、羽柴くんにそばにいられたら、私、何言うかわかんない」
「…………」
「きっと私、あなたに酷いこと言っちゃう。だからもう私に構わず行っちゃって」
「別にいいよ」
「………え?」
「お前にならちょっとくらい罵られても我慢するよ。言ったろう。愚痴だったらいつでも聞いてやるって」
「違う。こんなの愚痴じゃない。ただの八つ当たりよ」
「それでいい。オレに八つ当たりして、お前の気が晴れるなら本望だから」
「…………」
ゆっくりと聖香が顔をあげると、当麻の心配そうな瞳がすぐ目の前にあった。
吸い込まれそうな宇宙色の瞳。
いつも飄々としていて、他人のことに無関心で、マイペースの当麻が、誰かの為にこんな表情をするなんて思わなかった。
「羽柴くん……毛利先輩のこと…好き?」
呟くように聖香が聞いた。
「……え……あ、ああ」
僅かに戸惑ったように当麻が頷くと、聖香はやっぱりねといったように再び顔を伏せた。
「毛利先輩も…よね」
「……それは……」
「いいの。聞かされるまで気づかなかった私が鈍感なの。確かに、そのとおりだったのに」
当麻に渡すお弁当を持ってわざわざ教室へ出向いてきた伸。
伸が当番の日を狙って、毎回図書室へ行っていた当麻。
確か、去年の体育祭、怪我をした伸を保健室へ連れて行ったのも当麻だったと聞いた。
だから、当麻が伸のことを好きなのは分かっていたのだ。
でも、伸のほうの気持ちは考えたことがなかった。
それはきっと。考えると、何かが壊れそうな気がしたからだろうか。
「貴方たちがお互い想い合ってるのは構わない。むしろ素敵なことだと思う。でも……」
「…………」
「それをずっと傍で見てるのに……全部分かってるのに……それでも、諦められないものなの?」
「…………」
「ほんの少しでも希望があるんなら仕方ないだろうなあ…って思ってたけど、そうじゃないなら……そうじゃないのに、どうして駄目なの?」
「…………」
「どうして……?」
「……どうしてって……」
「……どうして………どうして、諦めてくれないの……?」
言葉と同時に再び聖香の瞳から涙がこぼれだす。
「振り向いてもらえないのに、どうして諦めてくれないの……?」
どうして。
どうして伸を捕まえておいてくれないのか。その言葉の意味が分かった。
「ごめんなさい」
「如月……」
「私、あなただけじゃない。毛利先輩にも八つ当たりしてる」
「…………」
「でも、悔しい……」
「…………」
「……私の気持ちは何処へも行けない……」
「如月……泣くなよ」
「…………」
「頼むから、泣かないでくれよ」
今まで、他人の動向をこれほどまでに気にしたことはなかった。
他人が泣こうが笑おうが、どうでもいいとさえ思っていた。
それなのに。
今、自分はなんとかして、この涙を止めてあげたいと思っている。
それは、恐らく、この涙の原因の一端が自分にあるからなのだろうか。自分の行動が、想いが、この少女を悲しませているからなのだろうか。
それだけのような気も、それだけではないような気もした。
「如月。ちょっとだけ上向いて目、閉じて」
「……え?」
当麻の言葉に思わず顔を上げた聖香の瞼に、柔らかな当麻の唇が触れた。
「………!?」
優しく触れた瞼への口付けだった。
「……羽柴…くん?」
一瞬何があったのかよく分からなくて、聖香は何度か目を瞬かせた。
「あ……えと、これ、涙を止めるおまじないなんだ。オレが子供の頃、お袋がやってくれた」
「お…おまじない?」
「そ…そう。って、本来は子供相手にやることなんで、女の子相手にするべきじゃないんだろうけど……他に思いつかなくて」
「…………」
大きな瞳がまん丸になるほど見開いて当麻を見上げた聖香は、次の瞬間小さく吹き出した。
「すっごい気障」
「でも、効くだろ」
「……え?」
「ちゃんと涙が止まってる」
「…あ……ホントだ」
ずっと止まらないのではないかと思われた涙が、確かに止まっている。
「すごいの知ってるのね。羽柴くん。さすが天才児」
「それ、関係ないだろ」
ようやくほんの少し笑顔が戻った二人の耳に、その時微かな扉の軋む音が聞こえた。
「……?」
とっさに振り返った二人の目の前で屋上の扉が閉じられた。なんだか無理やり急いで扉を閉じたかのような不自然な動きだった。
「誰か来てたのか?」
「もしかして毛利先輩……?」
「え?」
当麻が慌てて立ち上がった。
「私、先輩の教室から飛び出して来ちゃったから、もしかして捜しに来てくれたのかも……」
「…………」
だとすると、今のを見られていたという可能性はかなり高い。
「ごめんなさい……私……」
「お前の所為じゃない。お前は何も悪くない」
「でも……」
「お前は悪くない」
そう繰り返しながら、当麻はきつく自分の唇を噛み締めていた。

 

――――――とっさに無理やり扉を閉じ、伸はその場に蹲った。
何をやっているのだ自分は。そう頭が喚いていたが、身体が言うことを聞かなかった。分かってる。何でもない。妙な想像などするべきではない。
頭では理解しているのに心が軋んで悲鳴をあげている。どうすればいい。この状態を。
とにかく、少しでも早くこの場を立ち去ったほうが賢明だろうと、必死で伸が腰を上げ、立ち上がった所に、ちょうど階下を捜し終えたのか、遼が顔を覗かせた。
「あ、伸、こっちに居たんだ。どう? 如月さん、いた?」
「え…あ、うん……」
「うんって…え? 居たのか?」
驚いて遼が階段を駆け上がって来る。伸は慌てて行く手を遮るように立ちふさがった。
「あ…遼。今は行かないほうが…」
「え?」
遼が不審気に眉を寄せた時、ギイッと屋上の扉が開き、当麻が姿を現した。
「当麻?」
「……!?」
ビクリと伸が肩をすくませる。
「当麻……なんでここに……如月さんは?」
「屋上に居る。ちょっと気分が悪くなったんで涼みに来たらしい」
「……そう…なんだ」
あまり納得していない表情で遼が頷いた。伸は当麻と目を合わせないように、そのまま階段を降り始める。
「伸…?」
「如月さん見つかったって聖さんに報告してくるよ。じゃあ」
「ちょっ……伸!?」
遼の止める声を無視し、伸はそのまま階段を駆け下り、行ってしまった。
当麻は扉の位置から動かず、じっと伸の背中を見送っている。遼が問いかけるような視線を当麻へ向けた。
「何? 当麻」
「何とは?」
「とぼけるな。何かしただろう? 伸に」
「何もしとらん」
「嘘つけ」
「嘘じゃない」
「…………」
遼が当麻を睨み付けた。
「オレのことよりお前はどうなんだ? 如月のことでお前は何か思うことはないのか?」
「如月さんのことで? 何言ってるんだよ、当麻」
「とぼけてるのか? それとも本当に心当たりがないのか?」
「よく分からない」
「何がよく分からないだ。単純なことだろ。あいつの気持ちをもっと汲んでやれって言ってんだ」
遼が眉間にしわを寄せ、更に鋭い目つきで当麻を見上げた。
「当麻。お前、何が言いたいんだ」
「いい加減諦めてくれ」
つぶやきのように低い当麻の声に、遼の眉間のしわが深くなる。
「……それは、どういう意味だ」
「お前の気持ちは知ってる。だけど、そろそろ伸のことは諦めろ。でないと、あいつが…」
「なんだよ、それは!」
当麻の言葉を遮って、遼が怒鳴り声をあげた。
「お前はオレが諦めてないって言いたいのか? オレがまだ伸に未練を持ってるって思ってるのか? まだ期待してるって……そう言いたいのか?」
「そうじゃ……」
「いつオレがお前の邪魔をした? いつオレがお前に抜け駆けした? オレは何もしてない。するつもりもない。オレだって伸を困らせたくない。だから……」
怒りの為か悔しさの為か、遼の目にうっすらと涙が滲んでくる。
「伸の気持ちがお前に向いてるってことくらい知ってるさ。でもだからってオレにどうしろっていうんだ。それともオレが伸を好きだってことが悪いとでもいうのか?」
「そうじゃ…ないが」
「だったらお前が口を挟むことじゃない。何度だって言う。オレは伸が好きだ。でも、だからって伸のことをどうこうしようなんて望んでない。そりゃ出来ることなら、ずっと一緒にいたいし、この手で触れていたい。思いっきり抱きしめたい。でも、そんなの無理だってこと、オレが一番分かってる」
「……遼」
「何も望む気はない。ただ、好きなだけだ。それさえ駄目だなんていう権利、お前にあるのか?」
「…………」
「当麻。悪いけど、お前にだけはそんなこと言われたくない」
吐き捨てるように言い放ち、遼は当麻を押しのけるように、階段を上り屋上への扉を開けた。

 

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