キャスト パズル(1)

季節は秋。文化祭前夜。
その為、本日は午前中で授業は終了。午後いっぱいから夜にかけて、どのクラスも準備や最終点検に大忙し、という日である。
伸のクラスの出し物は、展示。会場は自分達の教室ということもあり、これからクラス全員でパーテーションを組み、展示物を並べ、内装の飾り付けをしなければならない。
喫茶店やお化け屋敷を行うクラスに比べ、かなり楽な作業であるはずなのに、伸はとてつもなく不機嫌そうな表情で忌々しげに展示物をにらみ付けていた。
「なあ、毛利。いい加減諦めろよ。いつまでそんな顔してんだ? 主役のくせに」
クラスメイトの悪気のない言葉に、伸の態度は余計に硬化する。
「あのねー。別に主役とか、そういうのないだろ。展示に」
「そりゃ展示って言われりゃ展示だけど……なあ」
「ねえ……」
「何が、なあ、ねえ、だよ。まったく」
「なんだなんだ。ずいぶん機嫌悪いな、うちの姫様は」
「誰が姫だ……」
怒りに頬を染め勢いよく振り返った伸は、その場で硬直して動きを止めた。
そして、頬の赤みは怒り以外の理由で更に真っ赤に染まっていく。
それというのも、教室のドアの所で、相変わらず飄々とした笑顔を向けた聖が、伸に微笑みかけていたのだ。
「やあ、久しぶり。姫」
「……聖さん!? どうして!?」
「ああ、崎谷君に頼まれたもの持ってきただけだよ。これも展示に混ぜてもらえるって聞いて」
「………あ…」
聖が手にしているのは巨大なパネルの骨組みと、丸められた写真の束。
「それ……」
「一番の自信作をお願いしますってことだったんで、この間写真展で飾ったやつも持ってきたんだ。ただパネルの組み立てはこっちでさせてもらうことにしたんで、ちょっと早めにお邪魔してみました」
にっこり笑いながら聖はそっと壊れ物を扱うような手で荷物を床へと降ろした。
「聖さん! お久しぶりです」
そこへ崎谷が満面の笑みで伸の脇から顔を出してくる。
「例の奴、ちゃんと持ってきてくれたんですね」
「ああ、もちろん」
「ありがとうございます。これでうちの展示もグッと良くなりますよ」
「ちょっと待て、崎谷」
聖と崎谷の間に立ち、伸は呆れた顔を向けた。
「聖さんが来るなんて聞いてないよ、僕は」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてない。それに、部外者の作品を展示するのは文化祭の出し物としてどうなんだよ」
「別に部外者じゃないだろ。被写体はお前なんだし。それに今回の展示は”人魚姫”なんだ。おのおのそれぞれが、自分の人魚姫を表現する。それは、製作者としてであっても、被写体つまりモデルとしてであっても、どちらでも構わない。なので、オレは人魚姫を制作した際に使用した絵コンテを展示するんだし、裁縫部のやつらは、その人魚姫の衣装を展示する。お前は人魚姫のモデルとして写真を展示するっていうことだ」
「…………」
正論なのか何なのかよく分からない理論ではあったが、こうスラスラとまくし立てられてしまうと反論が出来ない。
思わず言葉に詰まった伸は、それでも最後の抵抗を試みた。
「だいたい、どうしてうちのクラスの展示が”人魚姫”なんだよ」
「……今更、それを言うか? クラス全員一致で即決したの忘れたのか?」
「全員じゃないだろ」
「あ、反対1票あったっけ? お前の票。んなの民主主義の前じゃ何の威力もないだろ」
「少なくとも僕は反対だったんだ。それに人魚姫の写真展示だったら、映研でやればいいんじゃないのか」
「できりゃーやってるよ。それが出来ないからこうして…」
「嘘付け。やろうと思えば出来たはずだ」
聖はおもしろそうに、伸と崎谷のやりとりを見守っている。
すでに抵抗は無駄と知りつつ、それでも素直に協力しようとしない伸の態度は、逆に崎谷の弁論熱を煽る結果となっているのに気付いていないのか。
「仕方ないだろ。部の出し物は1つの部に付き、1つって決まってんだから。映研の出し物は人魚姫の上映しか駄目。展示をしたいなら上映はなしとか言うんだぜ。二者択一」
「だったら択一して、展示は諦めればよかったんじゃないか?」
「お前なぁ。需要と供給って言葉知ってるか? どれだけの生徒が、この展示と上映両方を望んでるって思ってるんだ!?」
「だからって、どうしてうちのクラスの出し物がこれになるんだよ」
「そんなの、オレとお前がこのクラスの一員だからだよ」
「だったら、どうして人魚姫の展示なのに、ほとんどが僕の写真になってるんだよ」
「それこそ、オレとお前がこのクラスの一員だからだろ」
「にしても比率がおかしいよ。海野さんの写真がほとんどないっていうのは……」
「それこそ仕方ないだろ。まどかは別のクラスなんだし。それにあいつは女子だから、男子みんなで大騒ぎしたら別の意味で問題が大きくなる可能性が高いだろうが。それに比べて、いちおうお前は男子なんだから、何言っても冗談で済むじゃん」
別の意味も何も、他の男子が海野のことで大騒ぎするのは気分が悪いというだけだろう。この独占欲のかたまりが。
と喉まで出かかった言葉を飲み込み、伸は嫌味なくらい冷たい視線を崎谷に向けた。
「それって、ていのいい生贄ってことじゃないか」
「さすが毛利姫は相変わらず賢いなあ」
「崎谷っ!」
二人で示し合わせたのかと思えるほどテンポのいい会話のやりとりに、ついに聖が吹き出して笑いだした。
「お前さんたちは…相変わらずだなあ」
「笑い事じゃないですよ。聖さん」
伸が救いを求める目で聖に歩み寄る。
「本当に、僕が止めないと、こいつらどんどんエスカレートしていくんだから」
「エスカレートって、たとえばどんな?」
「今、一番売り上げがいいスナップ見ます? こいつと王子のツーショットなんですけどね」
「崎谷っ!!」
とっさに伸が遮ったのをするりとかわし、崎谷は聖に数枚の写真を手渡した。
「ほう……」
興味深そうに写真を見て、聖は感嘆の声をあげる。
「……これ…は、遼が撮ったやつだね。で、こっちはオレの…か」
「さすが。一発で分かるんですね。それとそれが今のところ同率一位。で、こっちが次点。男女比で出すと若干変わってはくるんですが、基本、こいつだけは男子からも女子からも同じくらいの人気がありますから、結果的に1位になりやすいと」
「なるほど」
「何、納得してんですか、聖さん!」
伸の抵抗などもう完全に意味をなさないようで、聖は面白そうに手の中の写真を見比べている。
ふとその視線が懐かしそうに細められた。
ついこの間のことのようにも思えるし、ずいぶん前のことのようにも思える、懐かしい日々。海の中で過ごした時間。
愛おしい人魚姫。
聖の手の中で微笑んでいる人魚姫の柔らかな笑顔。
なんだかその視線が妙に気まずくて、つい伸は目をそらした。
もうすっかり過去のこととするには、まだ自分は揺れすぎているのかもしれない。
と、その時、ガラリと教室の扉が開き、荷物を抱えた遼と聖香が入ってきた。
「あれ? 兄さん? もう来てたの?」
目ざとく聖の姿を見つけ、聖香が駆け寄ってくる。
「ああ、今来たところだ。お前達もここのクラスの展示協力か?」
「そう。出来るだけ良いショットの人魚姫(毛利先輩)を提供して欲しいって」
「なんだそのカッコ毛利先輩ってのは」
「だってそう言われたんだもの」
いたずらっぽくぺろりと舌を出して、聖香がおどけた口調で言った。
「いっぱいあるから選ぶの難しいって言ったら、とりあえず全部持ってこいってことで。見てくださいよこの量」
隣で遼も大荷物を降ろしながら肩の凝りをほぐしている。
もうこの場には誰一人味方はいない。伸は諦めて大きくため息をついた。

 

――――――「ホント、姫の人気は相変わらずすごいなあ」
着々と進められていく準備に伴い、人魚姫の写真パネルの量も増えていく。
確かにこれでは、人魚姫の展示というより、毛利伸写真展みたいだ。
その中でも一番大きな展示物になるであろう自身の写真をパネルに貼り付け、ビニール加工を施しながら、聖は感心したように呟いた。
「あの人魚姫はかなり良いものが出来たから、それなりに反響はあるだろうとは思ってたけど、それにしても……」
「崎谷さんが言うには、これでもまだまだなんだって。本当はもっと大々的に宣伝して売りたいみたいなんだけど、当の毛利先輩が嫌がって……」
兄の隣で作業を手伝いながら、聖香がおかしそうにそう言った。
「そういえば、スナップショットの売り上げも、姫の写真が上位を独占してるんだって?」
「らしいわね。同じ人魚姫でも、海野先輩のを買ってるのはほとんど男子だし。それに比べて…」
「彼は男女両方に人気がある…と」
聖香の言葉を継いで聖はそう言うと、小さく笑った。
「ただ、不思議なくらい毛利先輩って変わらないのよ。これだけ騒がれてるのに、本人はちっとも自覚してないっていうか」
「そこが良いんだよ。へたに自覚して自信なんかつけられたら姫じゃなくなる」
にやりと笑って聖はそう断言した。聖香が僅かに首をかしげる。
「そういうもの?」
「そういうものだよ。ま、そうは言っても姫には決まった想い人がいるから、周りにどれだけ騒がれようが、関係ないんだろうし、自覚する必要もないってことかな」
「………え?」
作業をする聖香の手がピタリと止まった。
「ん?」
「兄さん。毛利先輩って、好きな人がいるの?」
「と、思うよ。何故?」
「あ…だって、先輩って誰にでも同じように優しいし、誰か特定の彼女がいるなんて想像出来なくて……」
「彼女っていう認識だと思いつかないかもね」
「え?」
「姫の想い人は、聖香も知ってる奴だよ。確か同じクラスじゃなかったっけ? ほら、あの天才児」
僅かに聖香の眉がひそめられ、次いで何かを思いついたように両目が大きく見開かれた。
「………それって、まさか」
「…………」
「……羽柴…くん?」
「なんだ、やっぱり気付いてたんじゃないか」
「…………」
聖香の動きが完全に止まった。
本当に。
「本当に……?」
「オレの目が節穴じゃなければ…ね」
兄の観察眼の鋭さは知っている。それにいい加減な憶測のみでこんなことを断言する男じゃないと言うことも。
でも、だとしたら、本当に。本当に、本当にそうなのだ。
羽柴当麻が、伸の想い人なのだ。
仲が良いとは思っていた。
というか、当麻が伸を好きなことは知っていた。
でも、逆に当麻に対する伸の態度は、遼に対するそれとなんら変わらないものだと思っていたのに。
というか、思い込もうとしていたのだろうか。自分は。
「……いつ…から……?」
「さあ……自覚してなかった期間も入れていいなら、たぶん、ずっとだよ」
「ずっと……?」
ずっと。
だったら知らないはずがない。
遼は。
四六時中、あの二人といる遼は。
当麻の気持ちだけじゃなく、伸の気持ちも。遼は知っていたのだ。
知っていて。
知っていて。それでも。
それでも遼は、伸を。
伸を諦められないということなのだろうか。
「そんな…ことって……」
「聖香?」
「酷い……」
思わず聖香は、聖のそばを離れ、パーテーションの奥に居る遼の方へ目を向けた。
遼は、夕日の差し込む窓の側に立ち、伸を見つめていた。
他のものなど何も目に入らないような、そんな瞳で遼は伸を見つめている。
聖香の心の中にもやもやとした闇が広がってきた。止められない闇。真っ暗な闇。光を切り裂く闇。
「…いや……いやだ…もう……」
伸びてくる闇の手を振り払い、聖香が教室を飛び出した。
「聖香!?」
自分の名を呼ぶ兄の声を無視し、聖香は猛スピードで廊下を走り抜けて行く。
「聖香! どうしたんだ!?」
聖の声は聖香には届かない。
聖香はそのまま廊下を端まで駆け抜け、角を曲がると階段を駆け上がろうとした。
「うわっ!?」
「きゃっ!」
運悪く、ちょうど階段の踊り場にいた人影に聖香は正面から体当たりする格好になってしまいグラリと体制を崩した。
「おっと…!」
崩れた体制のまま転びそうになった聖香の腕が、とっさに捕まれる。でも、転ぶ勢いは止まらない。
結局、聖香は崩れた体制のまま、何か柔らかいものの上に倒れこんだ。
「大丈夫か?…って、如月か? どうしたんだよ。そんなに慌てて」
「……羽柴くん?」
顔を上げると、階段の端で聖香はちょうど当麻の上に覆いかぶさるようにして倒れていた。
「珍しいな。お前が周りも見ずにぶつかってくるなんて」
「どうして……」
「え?」
「どうしてよ…羽柴くん……」
聖香の肩は小刻みに震えていた。当麻は驚いて聖香の肩に手を掛け、顔を上げさせる。
「どうかし……お前、泣いて?」
「どうしてよ!! どうしてちゃんと捕まえておいてくれないの!!」
「……え?」
「あなたが……あなたがそんなだから……」
「何のことだ。何を言ってる?」
「どうしてちゃんと毛利先輩を捕まえててくれないの!!」
「…………?」
当麻を突き飛ばすようにして立ち上がり、聖香は泣き腫らした目を当麻へ向けた。
「あなた達がちゃんと……そしたら…そうしたら……きっと……」
「如月?」
当麻を見つめたまま数歩後ずさり、小さく首を振ると、聖香はそのまま階段を駆け上がる。
「おい! 如月!?」
当麻の声にも振り返らず、聖香はそのまま階段を駆け上がると屋上への扉を開けた。
「伸を……何だって……?」
低い呟きが当麻の口から洩れる。
あとに残されて、当麻は聖香の後姿を呆然と見送るしか出来なかった。

 

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