ナイモノネダリ (4) -蒼龍-

「ギョクと喧嘩したそうだな」
あちこち擦り傷や痣を作って帰ってきた朱雀の治療の為、薬草を摺りながら、蒼龍が聞いた。
朱雀は鬱陶しそうにそっぽを向きながら、大きな欠伸をする。
「何だよ。説教でもしようってのか?」
「まさか。そんなことをするほど私はお人好しじゃない」
口の端に笑みを浮かべながら、蒼龍は答える。
「へぇ〜。てっきり弟の味方でもすんのかと思った」
皮肉な調子で朱雀が揶揄したが、蒼龍は笑みを崩さないまま見えない目で朱雀を見つめた。
「私は弟の味方をするつもりはない。喧嘩両成敗というのが性に合っている」
「ふーん。兄弟ってそんなもんなの?」
「他はどうか知らないが、私達はそうだ。ほら、腕を貸せ」
蒼龍は差し出された朱雀の腕を取り、傷口を手で探り当てると、摺った薬草を練り合わせたものを塗り込んだ。
「痛いよ、兄者」
「だったら、あまり馬鹿なことばかりするな。わざわざギョクを挑発して退屈しのぎをするにも程があるぞ」
「別に挑発したつもりなんかねえよ」
「わざと怒らせることの何処が挑発じゃないんだ?」
罰の悪そうな顔で、朱雀は唇を尖らせた。
「ちぇっ……」
拗ねた顔をしてそっぽを向く朱雀の態度に、再び蒼龍が含み笑いを洩らす。
ふとそんな蒼龍を見上げて、朱雀が探るように口を開いた。
「……なあ、兄者。あんたの弟って潔癖性か?」
「なんだそれは」
「だって、あの反応は異常だぜ。いくら何もしらない童貞のガキだからって、あんなのでマジギレするなんてどうかしてる」
「……そうか……どうかしてるか」
腕の治療を終え、朱雀の腕をトンッと叩いて、蒼龍は小さく息を吐いた。
奇妙な沈黙だった。
「……兄者?」
窺うように朱雀が蒼龍の顔を覗き込んだ。
何も映さない蒼龍の瞳は、やはり底の見えない真っ暗闇の瞳だった。
「もしギョクが潔癖性なのだとしたら、それは私の所為かもしれないな」
やがてぽつりと蒼龍が言った。
「どういうことだよ」
「……私は、母様と寝たことがある」
「……!?」
あまりにも何でもないことのように言ったので、朱雀は一瞬言葉の意味が解らなかった。
寝た。
朱雀の知ってるその単語は、そう言う意味しか持っていない。
でも、まさか。いくら何でも。
いくらなんでも、そんなことあり得ない。
「意味はわかるな? 朱雀」
やはり当たり前のように蒼龍はそう言った。
「……え……でも、だって……母親……だろ。血の繋がった……それに、それって、あんたいくつの頃だよ」
「少なくともお前が初めて客をとった時よりは上だったと思うぞ」
「…………!」
本当に。本当にそういう意味だったのだ。
何故か朱雀の顔からさっと血の気が引いた。
「……あの人は私達の母親であり、そして、同時に、精神に異常をきたした一人の女だった。私もお前の話を訊くまではまさかと思っていたが、やはり、ギョクは私と母様の関係を知っていたのだろう。だから……」
「兄者!」
思わず蒼龍の言葉を遮って朱雀が大声をあげた。
なんだかとてもとても嫌な気分だった。
最悪に嫌な気分だと思った。
「ギョクは、私を殺したいほど憎んでいる。我々は、いつも手に入らないのものにばかり憧れている。そうしなければ生きていられないんだ」
「だから……あいつ、兄者を殺そうとしたのか?」
「…………」
以前聞いた。
珠龍は今日朱雀にしたと同じ方法で、蒼龍を殺そうとしたことがあると。
やっぱりそうだったんだと。去っていく珠龍を見ながら亜門がポツリとつぶやいていた。
「……なんで……そんな……兄弟のくせに。この世でただ一対の互いの半身のくせに……」
何だか蒼龍の態度が悔しくて朱雀はギュッと唇を噛みしめた。
思い出したくない嫌な鉄の味がした。
「確かに、私とギョクは同じ両親から生まれた。でもそれだけだ。それ以外は、全てにおいて私達は驚くほど正反対だった」
蒼龍がこんなふうに自分達のことを話すのは初めてのことだった。
意味のないことだと解っていても、つい目を逸らして、朱雀はじっと地面を睨みつけた。
「何が正反対なんだよ。意味わかんねえよ。そんな、そっくりな顔して、あんた達は充分同じじゃないか」
「私達が似ているのは外見だけだよ、朱雀」
「…………」
「……まず解りやすいところから言うと、ギョクには戸籍があって私にはない。母様にとっての息子は私だけで、ギョクはいらない子供だった。逆に父さんにとってギョクは戸籍上誰に紹介しても恥ずかしくない本当の息子であり、私は不必要な子供だった。ギョクは外の世界に居場所があり、私は家の中に居場所があった」
「…………」
「ギョクは光で私は闇だ。ギョクがお前が感じた綺麗なもの、つまり光の中で生きてきたのなら、私は汚い闇の中で生きてきた」
やるせなくなって、朱雀はギュッと目をつぶった。
本当に、これじゃあ無い物ねだりも甚だしい。
手に入らないもの。
誰かの愛情。此処にいていいんだという保証。
母親。
亜門を殺そうとした母親。
疾風の目の前で死んでいった母親。
蒼龍を欲した母親。
珠龍をいらないと言い切った母親。
「……オレ……あいつが嫌いだ」
絞り出すように朱雀がつぶやいた。
珠龍は兄を憎んでいた。それこそ殺したい程に。
理由をあげればきっときりがない程に。
それほど憎んでいて、珠龍は、それでも兄を殺さなかった。
先程、珠龍に締められた首が痛み出す。
息が出来なかった苦しみがぶり返す。
あと少し、ほんの少し、力を加えて、そうすれば自分はきっと失神していただろう。
珠龍に殺されていたかも知れない。
それでも、珠龍は決してそれ以上力を強めなかった。
強めなかった。
「……オレ……やっぱり、あいつが嫌いだ」
もう一度、朱雀は言った。
憎んでいたのに。汚らわしいと思っていたのに。
それなのに、珠龍は何故。何故、手を止めることが出来たのだろう。
「……朱雀」
「あいつが嫌いだ。人を殺せないあいつが大嫌いだ」
首に残った痣を指で辿りながら低く朱雀がつぶやいた。
「オレは人殺しだ。亜門もそうだ。オレ達は人の血の赤さを知ってる。あいつは知らない。知ろうともしない」
「…………」
「……だからオレはあいつが嫌いなんだ」
吐き捨てるように朱雀はそうつぶやいた。
「今でも覚えてる。きっと一生忘れない。握り潰した眼球のなま暖かさも、硬直した身体がどんどん冷えていく様も。強ばった身体の中心、あそこの部分だけまだてかてかしてる状態も。最悪だ。きっと、ずっと忘れない」
「後悔しているのか?」
「後悔なんかしてない。してやる価値もない。でも、未だに吐き気が止まらない。止まらないんだ」
そう言いながら、朱雀は苦しげに頭を抱え込んだ。
「オレ達は、誰も彼も、最悪だ」

 

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