Monologue(3)

烈火は自らの意志で珠を手放し、来世に託した。純粋な魂を持った者に。
もう、烈火は戻ってこない。
それなのに、烈火の最期の言葉が今でも心に重くのしかかる。
せめて、あの言葉がなければ、自分はもう少し楽だったのだろうか。
もう少し、烈火のことを許せたのだろうか。
もう少し。

『水凪を連れて行ってもいいだろうか』
炎の中、烈火は確かにそう言った。
赤ん坊を抱えた水凪を炎の外へと押し遣り、何とか烈火の元へ駆け戻ろうとした天城の耳に、確かにそう言った烈火の声が聞こえた。
「…………?」
一瞬何のことか解らなかった。
烈火の声であるということすら解らなかった。
もしかしたら、あれは声として発せられたものではなかったのかも知れない。
何故なら、あの時、すでに烈火の肉体は滅びかけていたのだから。
炎の中で消滅しようとしていたのだから。
涙が溢れ出た。
炎と煙の為なのか、それとも心が流したものなのか、その時の天城には判断が出来なかったが、それでも、天城の目からは涙が溢れ出ていた。
烈火。
忘れたくても忘れることのない想い。
例えこの世界に存在しなくなろうとも、気の遠くなるような年月を過ごそうとも、決して忘れることのない想い。
あの時、烈火は知っていたのだろう。
自分がもう転生しないことを。二度と生まれてこないことを。
だから、あれは、最後の弱さ。
どうしようもないほどの、本当の気持ち。

 

――――――「コウ、聞いても良いか?」
月の光を全身にまといながら、征士ではない男が当麻を振り返った。
眩しいほどの涼やかな微笑み。
「……寂しくないか? コウ。そうやってずっとずっと征士を護るためにのみ存在して」
「…………」
「あんたの力なら、征士ではなく、自分をこの世に生み出せたはずだ。光輪の戦士は必要だったんだし、本当はあんたがなるはずだった……なのに」
夜光は透き通った指先で、そっと当麻の髪を梳いた。
生前、天城にしてやっていたのと同じ仕草で。
静かに夜光が口を開く。
「私は征士の中でも生きていける。だが、征士はおそらく私の中では生きていけない。戦士となる苦しみと、生きることのできない哀しさ」
「…………」
「お前ならどちらを選ぶ?」
死と向かい合わせの生。
生と向かい合わせの死。
長い長い時の中。時空の中。
残るのは記憶ばかり。
風化されない記憶ばかり。
「なあ、コウ……『記憶バンク』の役目はどうして必要なんだ。どうしてオレなんだ。コウ、教えてくれよ。なんで、烈火はいない。なんであんたはそんな存在になっちまった? これはオレへの罰なのか?」
「…………」
「オレはあんたに依存していた。きっと気付かないうちにあんたに頼り切っていた。あんたと烈火がいれば、少しは楽になれると思っていた。なのに……」
「…………」
「今は辛い。どうしていいか分からなくて。足下が不安定で。今にも崩れ落ちそうで。何もかも忘れたくて。忘れたくて仕方ない」
「本当に?」
静かに、だがはっきりと夜光は当麻にそう訊いた。
「本当に忘れたいのか? お前は」
「…………」
「知らなかったろう。私はお前になりたかったんだ」
「……えっ?」
意外な夜光の言葉に当麻は驚いて顔を上げた。
「私にはもう思い出せないことが多すぎる。時の中に風化されていってしまって。天城。私はお前がうらやましかった。お前の、その役目が私のものであったなら……私は……」
飲み込んでしまった言葉の続き。それは。
もしかして。
その時、当麻の脳裏に一人の女性の面影が過ぎった。
「忘れないため……? もしかして、コウはあの人を忘れないために其処にいるのか?」
「…………」
静かに夜光は目を伏せた。
緑深い森の中での初めての出逢いの時。
つややかな黒髪。茂みから覗いた顔の美しさ。
鞠を持つ手の細い指先。光のこぼれ落ちるような笑顔。
巡り会えるのだろうか。
時の彼方に。いつか。
輪廻転生。
幾億もの偶然の重なり合い。自分達のように必ず出逢える運命でもなく。
そんな時の中を、それでも夜光はずっとずっと、想い続けるのだろうか。
この想いだけは風化させまいとして。
今度こそ。今度こそ、その手をつかむ為に。
「いつか……届くと良いな、あんたの手。あの姫様のところへ」
今度こそ、つかめるように。
今度こそ、離さないでいられるように。

 

――――――烈火。
炎の中のあなたを水凪はどんな目で見ていたのか。
そして、そんな水凪をあなたはどんな目で見返していたのか。
烈火。
もういない彼の人。
あなたが好きでした。
もう一度逢いたい程。もう一度巡り会いたい程。
決して忘れたくない程に。
「伸……お前、倖せか?」
たまらなくなって、当麻は伸にそう訊いてみる。
「どうしたのさ、当麻。急に変だよ」
「…………」
伸の笑顔は、時の向こうに吸い込まれそうに儚かった。
伸。
毛利伸。
なまいきで、口うるさくて、世話好きで、神経質で、嫌味で。
それでいて寂しがり屋の伸。
人の作る料理を初めて美味いと思った。初めて、言葉の裏にある想いを知りたくなった。
初めて、忘れたくないと思った。
覚えていることが当たり前の自分が、忘れてしまう不安など一度も味わったことのない自分が、初めて忘れたくないと。
この瞬間を覚えていたいと思った。
「伸……」
「今度は何?」
「オレさ、実は、新宿に集結する前、一度お前に逢いに行ったことがあるんだ」
「え……?……当麻、それ、いつ頃?」
「オレが幼稚園だったから、お前はちょうど小学校にあがりたての頃かな。萩の海で友達と2人で遊んでいるお前を見た」
「そんな昔に?」
「……ああ」
ずっと、ずっと逢いたかった。
どうすれば逢えるか、それだけを考えていた。
「よく居場所が解ったね」
「お前のことを考えていたら、声が聞こえた。こっちだよって。ここにいるよって。だから、オレはその声を頼りに自然と声のする方へ向かって行った」
「…………」
「ずっと、逢いたかった」
当麻のまっすぐな視線から、ふと目をそらし、伸がぽつりと言った。
「そんなに水凪のことが心配だったの……?」
「それもあるが、それだけじゃない。逢いたかったんだよ、お前に。心配だとか、どうなっているんだろうかとか、大丈夫なんだろうかとか、そんな大義名分必要ないくらい、オレはお前に逢いたかったんだよ、伸」
楽しげに笑っている幼い伸の姿を見た瞬間、当麻の心の中で、何かが弾けたのだ。
「お前を見つけたとたん、オレ、わんわん泣き出したんだぜ。覚えてないか?」
「えっ……?」
視線を上に向け、伸は過去の記憶を探り出す。
『どうしたの? 君、迷子? おなか痛いの? どっか苦しいの?』
当麻の泣き声に気付き、走り寄ってきた伸は、精一杯お兄さんぶって、そう訊いてきた。
『ねえ、大丈夫? お父さんかお母さんはどこ?』
優しい伸の手が、当麻の頭を抱え込むように伸ばされた。
『ねえ……?』
あの頃から、ずっとお前だけを見てきた。
ずっと、ずっと、お前だけを見てきたよ。
「ごめん、あんまりよく覚えてない……」
心底すまなさそうに、伸が言った。
「別にいいさ」
当麻の言葉に少し安心したように、伸が微笑む。
その笑顔が好きだと思った。
この笑顔を護るためなら、どんなことでもしようと思った。
過去に繰り返してきたあらゆる罪を償うためにも。
「……伸」
「……?」
三度目の問いかけに、伸はもう何も訊かず目だけで当麻に先を促した。
「伸、お前が幸せな時は、オレの事なんて忘れてていいから。お前が他の誰かといた方が楽しいなら、オレの事なんて考えなくていいから……だから……」
「当麻?」
淡い緑がかった伸の目が、当麻を覗き込む。
「だから……お前が辛い時は、必ずオレを呼んでくれ。泣きたい時は、オレの前でだけ泣いてくれ」
「当麻、何言ってんだよ」
戸惑ったように、伸は当麻から視線をはずした。
柔らかな栗色の髪が風に揺れる。
「お前がいないと嫌なんだ」
「…………」
「護ってやるなんてごたいそうな事を言うつもりはない。そこまで自分の力を買いかぶったりしない。ただ、そばにいてやる。何も出来なくてもそばにいてやる。そばにいて、お前だけを見ててやる。オレはお前をおいていったりはしない。ずっと、ずっとそばにいてやる…………だから、オレのそばにいろ。でないとオレが不安になる」
伸がようやく顔を上げて当麻を見つめた。
「お前の姿が見えないと不安になる。オレの手の届かない処で、またお前が泣いているんじゃないかと、不安で不安でたまらなくなる。お前が楽しい時より、辛い時そばにいたい。オレのいない処でお前が泣くのは耐えられない…………だから、辛くなったらオレのそばへ来てくれ」
「……当麻。僕は泣いてなんかいないよ」
「ああ」
「まるで、泣いてるのは君のほうみたいだ」
「…………」
「君のほう……みたいだよ……」
そう言った伸が好きだと思った。
誰よりも、誰よりも、好きだと思った。

 

――――――「オレ、あんたのこと忘れない」
当麻の言葉に、月の光の中、陽炎のように立つ男が笑った。
「オレ、ずっとずっと覚えているから。誰が何を忘れても、オレ、記憶バンクの役目だけは忘れず覚えているから。もう、忘れたいなんて思わないから……だから、またいつか、産まれてきてよ」
夜光の髪が光る。月の光の中でサラサラと音をたてる。
「秀がさ、言うんだ。別に戦いたい訳じゃないけど、また、こいつらと一緒にいられるのなら、その為だけに転生を続けたいって。戦いを終わらせる事は大切な事なのに、戦いを終わらせて、もうみんなと逢えないのなら、オレはそのほうが辛いかもしれないって」
冗談交じりにそういった秀の声。それは、なんだかとても切なく当麻の耳に届いた。
そうなのだ。
みんなと巡り逢う為。その為になら何でもする。きっと。
忘れたいなんて思わない。
「オレさ、ずっと秀と同じ事を思っていたのに、それを口に出すことを恐れていたんだ。言っちゃいけないと思ってたんだ。なのにさ、あいつ平気な顔して言うんだ。すげえ奴だよな、あいつは」
「そうだな」
夜光の微笑みはとてもとても優しかった。
「オレ、忘れないから。あんたの想いも、烈火の想いも、もちろんオレ自身の想いも。ずっと覚えてる。」
「…………」
「ずっと、ずっと覚えてるから」
その時、家の中から当麻を呼ぶ伸の声が聞こえた。
「当麻−! 何やってるのー? 夜食作ってくれって言いながら本人が姿消してどうするんだよっ!」
「……呼んでいるぞ。お前の想い人が」
くすくすと笑いながら夜光が言った。
「からかうのはよせよ、コウ」
そう言って走り出した当麻は、もう夜光を振り返ることはしなかった。
「まったく何やってたの? 当麻」
「懐かしい人と話してたのさ」
「懐かしい?…………って、あれ、征士?」
「征士じゃないよ」
「えっ……だって……あそこにいるの……」
納得のいかない顔をしている伸をみて、当麻は声を上げて笑った。
「何がおかしい、羽柴当麻」
「いや、別に」
そう言いながら、当麻は笑い続ける。
いつも、いつまでも、お前を好きだよ。
この記憶は永遠に風化しない。
気の遠くなるほどの時が流れようと、風化しない。
それが、今は嬉しい。
「好きだよ、伸」
「へっ?」
唐突な当麻の言葉に伸は思わず目を丸くした。
「……と……当麻?」
「大好きだよ。伸」
次の瞬間弾けるように伸が笑った。
「まったく、何言ってんだよ、当麻。変な奴」
当麻の一番好きな伸の笑顔がそこにあった。
次の生もその次の生も、いつまでもこの笑顔を忘れないでいようと思った。
戦いの繰り返しの中の、ほんのひとときの安らぎ。
その一瞬の為に、生きよう。
それは罪かもしれないが。
罪なのかもしれないが。
それでも。
烈火。
烈火は繰り返しをやめようと考えた。もう、すべてにピリオドを打つべきだと。
でも、こんなに。こんなに、想いは続いているんだ。
どうしようもない程、想いがあふれてとまらないんだ。
烈火。
「当麻、大好きだよ」
ふいに当麻の耳に微かに伸の声が届いた。
「……伸…………今、なん…て……」
「…………」
「伸……」
おもわずのばした当麻の手から、逃れるように伸は身を引いた。
「伸!……今、なんて言った!!」
「二度と言ってやらない」
いたずらっぽくそう叫ぶと、今度こそ伸は背中を向け、家の中に駆け込んで行った。
涙が出るほど、幸せな瞬間だった。

FIN.         

1992.11 脱稿 ・ 1999.11.21 改訂 ・ 2004.9.04 再改訂   

 

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