Monologue(2)

「仁の珠が消滅していない?」
天城の言葉を夜光と鋼玉が同時に聞き返した。
「ああ」
「それは、どういう事なんだ。天城」
「どういうことも何も、烈火は死んだのに仁の珠は存在している。つまり、仁の珠の継承者はもう烈火ではないということ。烈火は鎧戦士としての任務を放棄したということだ」
「…………そんな、馬鹿な」
滅多なことでは動じない夜光までもが、天城の言葉に絶句する。

烈火。
懐かしい烈火。
強くて、優しくて。必死で戦士であり続けようとした烈火。
『オレは強くなる。誰よりも強くなる』
烈火はその言葉通り誰よりも強くなった。そして、同時に弱くなった。
使命を続けられないほど。
鎧珠を手放すほど。

「いつまでこの戦いが続くんだろうな」
生前、烈火がそう言ったことがあった。
それは、烈火の命の炎が消えるほんの数ヶ月前。
案外、喧嘩っ早くて自分の意志を曲げないこの男が、それでも時々こうやって疲れた目をすることがあった。

戦いに疲れ果てていた烈火。
烈火はいつから死に場所を探すようになっていったんだろう。
いったいいつから、自分を殺してくれる相手を探していたんだろう。

 

――――――目が覚めて、またひとつ当麻はため息をついた。
もう、いい加減終わりにして欲しい。戦いの夢も。烈火の思い出も。
小さく舌打ちして寝返りをうつ。
「……あれ?」
隣のベッドをみると、そこに寝ているはずの征士の姿が見えず、当麻は探るように部屋の中を見回した。
そして、しばらくじっと空のままのベッドを見つめていた当麻は、やがてゆっくりとベッドから抜けだし、外へと向かった。
向かう先は月の下。
煌々と輝く月明かりの下。いつもの場所。
そこに、やはり、いつものように彼が立っていた。
陽炎のように征士と共に立つ、もう一つの影。
光輪の戦士。夜光。
「コウ……」
当麻のつぶやきに、征士が、いや、夜光が振り返った。
「どうした、天城?」
聞き慣れた声。夜光の声。
征士とよく似ているそれは、決して征士のものではなかった。
征士は厳密に言うと、夜光の転生した姿ではない。
当麻がその事実を知ったのは、出逢って1ヶ月ほど経った頃だったろうか。
征士は生まれる前、母親のお腹の中にいるときは双子だった。だが、実際に産まれたのは征士一人。
母親の難産のため、兄の方が死産だったのである。
征二。
最初の予定では、征二となるはずの名前だった。
そして、本当の光輪の戦士は、征士ではなく兄の方だった。
出逢った当初。確かに、征士の事を同い年にしては随分大人びた、妙な奴だと当麻も思っていた。
それは、夜光の記憶のなせる技だったのか。
「コウ……」
「…………」
ほんの少しおびえたように震えている当麻の声。
夜光は穏やかな表情で包み込むように当麻を見つめていた。
「あんたは、いつも変わらない。ずっと、そのままでいる。そうして、そうやって、あんたは征士を護っていくのか?」
「…………」
「死してなお? いつまでも、そうやって……」
「何を見た? 天城」
ビクリと当麻が硬直した。
「何って……」
「烈火の夢か……?」
「…………」
何も言わなくても分かってくれるのだ。
いつも。いつも。
微妙な当麻の表情の変化を、夜光はいつも何も言わないでも気付いてくれた。
「……天城?」
「……烈火がいない。何処を探してもいない。どんなに探してもいないんだ」
小さく拳を震わせて、当麻は言った。
「どうして? なんでなんだよ。なんで烈火はいないんだよ」
「…………」
「烈火はどうして戦線から離脱できた? あの人にだって護るべき者がいた。何をおいても護るべき者がいたのに。それなのに、なんで今いないんだよ。烈火のことを思い出す度、オレは悔しくて悔しくて仕方なくなる。オレは勝てない。もういないあの人には、永遠に勝てない」
「……天城」
「勝てないのが悔しい」
夜光は何も言わずただ黙ってその場に佇んでいた。
月の光の中で。

 

思い出す一つの光景。
まるで一枚の絵のように見えたあの光景は、考えてみるとあの2人の最後の時だったのだ。
最後の言葉だったのだ。
月の光の中。佇む二人の男。
長い髪を風にもてあそばせている、涼やかな目元をした男、夜光。
そして、烈火。
永遠の人。
天城が偶然この光景を見たのは、運命の悪戯か、それとも『記憶バンク』の使命故か。
「烈火……」
何か思い詰めたような様子の烈火を気遣い、夜光はそっと静かに声をかける。
まるで脅えた動物を宥めてでもいるような口調で。
烈火相手に、夜光はあんな声で話すんだ。
何故か不思議な感覚を覚えながら、天城はそれでもその場を立ち去ろうとしなかった。
「……なあ、コウ。いつか、この戦いは終わるのだろうか」
疑問なのか確認なのかよく分からない微妙な口調で烈火がつぶやく。
いつだったか天城も訊いた言葉だ。
「オレは思うんだ。この長すぎる戦いを終わらせられるのは、純粋な心の少年ではないかと」
「純粋な……?」
「ああ、そうだ。真っ白で、汚れてなくて、何物にも縛られない……」
「お前の言い方を聞いていると、まるで自分達は汚れているとでも言っているようだぞ」
烈火は何故か夜光の言葉に少しだけ笑った。
自嘲の笑みだったろうか。
「オレ達には……いや、オレには邪心が多すぎる」
「…………」
「少なくとも、オレは純粋ではいられない」
「…………」
「純粋でいれば、オレはきっと戦い方を忘れてしまう」
夜光の髪が、風になびいて揺れた。
「戦い方を忘れてしまったら、オレには存在する意味がなくなる。だから、きっと駄目なんだ」
「駄目? 何が?」
「……オレの戦い方じゃ、オレはあの子を救えない。オレの剣は人殺しの剣だ。オレの手についた血も涙も、綺麗な物なんか何処にもない」
「……烈火。人を生かす剣などと言うものが本当にあるという奴はただの嘘つきか偽善者だ。お前は汚れてなどいない。お前は……」
「それでも、オレは願っていたんだ」
「…………」
「願わずにはいられなかったんだ」
そう言った烈火の表情は、月の光の中であまりに脆く、儚く見えた。
烈火。
烈火。もういない人。
オレは永遠にあなたに勝てない。

 

――――――雨の午後は気分が重い。
いや、違う。きっと気分が重いから雨が降るのだ。
ひとりで書斎に籠もって歴史書の山に埋もれていても少しも気分は浮上せず、当麻は深い深いため息をついた。
もう、いい加減にして欲しい。
イライラする。
何をやっても、気分は浮上しないどころか、知らないうちにまた過去の思いに捕らわれてしまっている。
何も思い出したくないのに。繰り返し映る過去の記憶。
見たくない光景。
何度見たって分からない。何度聞いたって理解などしたくない。
あの人がもういない理由など、分かりたくもない。
分かりたくないんだから、。
だから、もう、本当にいい加減にして欲しい。
もう、忘れさせて欲しい。
哀しい瞳も、哀しい声も、哀しい佇まいも。
なにもかも。
「……当麻、コーヒー……」
「いい加減にしろよ!」
入れたてのコーヒーを持って現れた遼の姿を見た途端、当麻の口から言葉が飛び出した。
「いい加減に、解放してくれよ」
「……えっ?」
「いつまでも縛りつけるなよ。あんたは戦線を離脱したんだろうが。オレがしたくても出来なかった事を、あんたはしちまったんだろうが…………だったら、いつまでもまとわりつくなよ。いい加減解放してくれよ。このままじゃ誰も救われない!」
「当麻……? 何言って……」
「救われないんだよ、烈火!!」
「当麻!」
遼の大きな目が当麻をのぞき込む。
真っ正面から。
烈火と同じようでいて、微妙に違う黒曜石の瞳。
わかってる。そうなんだ。
彼は遼だ。
烈火ではない。
烈火ではないんだ。
「すまん、遼。お前にあたるのはお門違いだ」
「当麻……?」
「悪かった。ちょっと夢見が悪くて、あたっちまった」
「…………」
遼は烈火ではない。彼は、烈火が炎の中から救い出した赤ん坊だ。
無垢な魂。護るべき者。驚くほど純粋なままの心。
この少年は、烈火が選んだ少年なんだ。
あの時言っていた『戦いを終わらせられる純粋な心の少年』なんだ。
だから、誰も遼を憎めない。
「当麻……?」
遼の心配そうな目。この少年にこんな表情をさせてはいけないんだ。
「すまん。遼」
烈火が選んだ少年。水凪が護ろうとした少年。
心を失ってまで、護ろうとした唯一の人間。
やはり、少しだけ心が痛い。これは嫉妬なんだろうか。
「…………遼、伸を好きか?」
聞きたくなった。
当麻の問いかけに、遼は微かに頷く。
「……伸は……伸は優しい。とても優しい……だから、オレは時々不安になる」
つぶやくように遼はそう答えた。
やはり心は痛いままだった。

 

――――――「何してるの? 天城」
まだ、あどけなさの残る顔が、川辺で釣り糸を垂れている天城の手元をのぞき込む。
「釣りだよ。水凪」
こちらもまだ多少あどけなさの残る顔で、天城が答える。
「つり?」
「魚を釣り上げて、夕食のおかずにするんだよ」
「魚……食べるの……?」
「ああ」
とたんに不機嫌そうな顔になる水凪。
以前も、夕食に焼き魚を作ろうとして、さんざん邪魔された経験のある天城は、とっさに脇に置いた魚の入った魚籠を庇って立ち上がった。
「魚は栄養あるし、美味しいんだぞ」
「絶対僕食べないからね」
この頑固さはいったい誰に似たのか。諦めたようにひとつため息をつくと、天城は水凪の前に座り込んだ。
「あのな、水凪。自然の循環って言葉知ってるか?」
「知らない」
「世の中っていうのは、すべてうまくいくように、みんながみんな本能で知っているんだ。小動物が草を食べる。強い生き物が弱い生き物を食べる。一見不公平に見えるこの世界も、大きな目で見れば、全部うまくいくようになってるんだよ」
「どうして……?」
「いつか、弱い生き物たちを食べていた強い生き物だって死ぬだろ。そしたら、一番弱いと思われていた植物達の栄養になるんだ。でも、この均衡は非常に危なっかしいものなんだ。この均衡を崩さない為には、それぞれが生きるために必要なものを、必要なとき、必要なだけ、ちゃんと食べてあげなきゃいけないんだ」
「ふうん……」
「だから、お前が生きるために必要なこの魚を食べてあげなきゃ、自然の均衡が崩れてしまうんだ」
「…………」
まだ、多少不満そうな顔をしながらも、水凪は一応納得したのか、邪魔するのをやめ、向こうへ走っていった。
「お見事」
にやにや笑いながら、烈火が見下ろしていたのに気付き、天城はおもむろに嫌そうな顔をする。
「黙って見ているなんて、あんたも人が悪いな」
「どうやって納得させるか興味があったものでね」
軽やかに烈火が笑った。
あの頃は、毎日が楽しかった。
いつまでも、このままの平和が続いてくれれば。そうすれば、あんな言葉を聞かなくてすんだのだろうか。
あんな想いを受け止めずにすんだのだろうか。
悔しくて、悔しくて、涙がこぼれそうになった。

 

前へ  次へ