Monologue(1)

『水凪を連れて行ってもいいだろうか』
あれが、烈火がオレに見せた最後の弱さだった。

  

「いったいこれは何だと思う、天城」
誰が見たって解りすぎるほど解る事実を、それでも相手に確認をとらずにはおれないといった様子で鋼玉が訊いた。
「見ての通りのものだろ」
答えながら、天城はこれが夢であればと何度も思った。
鎧珠。
赤ん坊の手の中にそっと握り込まれているひとつの光。
間違えようのないその光を、天城は見たくなかったと、心の底から思っていた。
何も知らない赤ん坊と、仁の珠。暖かな光の中で、天城は不思議なほど確信していた。
烈火はもういないのだという事を。

もう、何処にもいないのだという事を。

遙か遠い、取り返しのつかないほど遠い過去のこと。
なのに今でも覚えている。
忘れられない記憶として、羽柴当麻の頭の中に、それはいつもこびりついて離れなかった。

智将天空の使命のひとつ。『記憶バンク』
時々忘れてしまいたくなる。
決して、忘れることはないと解っているからこそ忘れたくなる。

そして、忘れられないのなら、せめて。
せめて、懐かしく思い出すことは、してはいけない事なのだろうかと考えたくなる。

 

――――――「当麻! ぼーっとしてる暇があったら、みんなを呼んで来てよ」
片手にお鍋、片手にお箸を持って伸が叫ぶ。
ふと見回すと、キッチンのテーブルには、もうあとは食べるだけという状態の昼食が所狭しと並んでいる。
「わかったよ」
皿の上の卵焼きをひとつかすめて口の中へ放り込むと、当麻はいそいそと隣の居間へと駆けていった。
「当麻! 今度つまみ食いしたら、食事の量半分に減らすよ!」
伸の怒鳴り声などものともせず、当麻は口の中に広がる卵焼きの味に満足そうな笑みを浮かべて、居間で読書にふけっている征士のそばに立った。
「コウ、食事だよ」
言うが早いか、もう2人目を呼びに行こうとする当麻の背中に、突然、征士が鋭い声を上げた。
「ちょっと待て、当麻!」
普段の冷静な征士とは思えぬ声に、おもわず当麻は振り返って征士を見る。
開いていたページに栞を挟み込み、ソファの上へ本を置くと、征士はいつになくゆっくりと、まるで一歩一歩確かめるように、当麻のそばへ来た。
「な……何だよ」
こいつ、また背が伸びたんじゃないだろうか等と思いながら当麻も負けじと征士を見返すと、征士はまったくの無表情で、それでもやはり機嫌悪そうに口を開いた。
「貴様、今、なんと言った」
「何って、食事……」
「その前だ」
征士の態度に不満を感じながら、それでも律儀に記憶を辿ってみる。
「……あっ」
「その顔は分かったようだな」
分かったのなら良いという感じで、征士は当麻の横をすり抜け、外で組み手の練習をしている残りの2人を呼びに、足早に駆けていってしまった。
駆け去る征士の後ろ姿に、見てはならない人の面影が重なる。
そうだ。
気をつけなければいけない。
過去の自分と、現在の自分。
記憶の交差。
間違えてはいけない。彼は、夜光ではないのだから。
夜光ではないのだから。
コウ……夜光。
光の具合で淡い金髪にも見える長い髪をした光輪の戦士。
天城は彼の風になびく髪が好きだった。
優しい紫水晶の瞳が好きだった。
穏やかな耳に心地のいい声が好きだった。
とても、とても、好きだった。
ひとつため息をつくと、当麻はもう何事もなかったかのような顔をして、美味しそうな匂いのする台所へと向かった。

 

――――――「お前、また征士のこと、コウって呼んだんだってな」
食後のくつろぎのひととき、出し抜けに秀が言った。
「悪いかよ……」
隣で眉ひとつ動かさずに本の続きを呼んでいる征士を横目で睨み、当麻は答えた。
「過去に捕らわれすぎるってのはよくないんだぜ。どうせまたトリップしてたんだろう」
ケラケラと笑いながら、秀が言う。
「好きでやってるんじゃない。なんならいつでも役目交替してやるぜ」
出来るわけもないくせに、そんな憎まれ口が飛び出す。
本当に、記憶バンクの役目などいつだって他の誰かにくれてやる。
そうしたら、いつまでも昔のことを夢に見たりせずにすむのに。
あの人のことで心が痛くなることなどなくなるというのに。
「丁度良かった。当麻、洗ったお皿、棚に戻すの手伝ってよ」
ちょうどキッチンの前を通り過ぎようとした時、手首まで泡だらけにした伸が、笑顔で当麻を呼び止めた。
以前はいちおう食事当番等というものが決まっていたはずなのに、出てくる食事と割れる皿の量のせいか、いつの間にか台所に立つ人間は特定の人物になっていた。
普通嫌がるであろうその仕事を、それでも笑顔でやってのけてしまうのは、やっぱり伸の性格なのだろう。
「了解」
軽く答え、当麻は伸の脇に立つと、洗われたお皿を拭いては棚に戻す作業を始めた。
当麻は、人一倍飯も食べるが、後片付けもよく手伝った。それは、何も彼が働き者であるということではなく、ただ、当麻はこうして伸と一緒に作業をする事が好きだったのである。
そばにいてもいい。
手を差し伸べてもかまわない位置。
その位置は、以前の天空の戦士には許されない位置だったから。
そう。天城が一番手助けしてやりたいと思った時、水凪は全身でそれを拒んだのである。
癒えない傷。
閉ざされた心。
永遠に忘れない。

 

あの頃、水凪の世界は烈火を中心に廻っていた。
幼い頃、烈火に拾われて以来、水凪にとって烈火は世界の中心だった。
そして、その烈火を失った時、水凪は心も一緒に失ってしまった。
泣きもしない。叫びもしない。
水凪はすべての物事に無関心になろうと必死で戦っているようだった。

「せめて、泣き叫んでくれれば、まだその方が救われる気がする」
普段、とても明るい鋼玉がひどく辛そうだったのを覚えている。
鋼玉の温かさをもってしても、水凪の心の傷は癒えない。
決して癒えない。
水凪は笑わない。水凪は怒らない。水凪は二度と泣かない。
歩くことも、食べることも、寝ることさえ忘れてしまった様に、水凪はただ、赤ん坊を抱えてじっとうずくまっていた。

「何とかしないと、あいつ死んじまうよ」
「…………」
「あいつを死なせていいのかよ!」
誰に言うでもなく、天城は叫ぶ。そうしないではいられないから。
自分が生きるということに完全に無関心になってしまった水凪。

烈火の居ない世界は、彼にとって必要ないものだった。

ある時、鋼玉が苦々しげに言った。
「赤ん坊にさ、乳でも飲ましてやらなきゃと思って、布に牛の乳しみ込ませて持っていくだろ。そしたら、水凪の奴、ちゃんと受け取って赤ん坊の口に含ませるんだ」
「…………えっ」
「自分は生きてなくても平気なくせに、赤ん坊の命だけは守ろうとしてるんだ」
「………………」
「なんか……たまんねえよ。ああいうの……」

気がつくと、誰も彼も笑うことを忘れていた。
鋼玉も夜光も天城も。
皆。

「水凪……」
いつまでも赤ん坊を抱えたまま、身動きひとつしない水凪の前で、天城は言った。
「水凪……水凪、何か言ってくれよ。オレの事、見えてないのか? オレの声、聞こえてないのか?……水凪」
反応のない水凪に、何時間も何時間も話しかける。
「何か言えよ、水凪! そんなにその赤ん坊が大事なのか? 自分の命より大事なのか?」
水凪はやはり何も答えない。
「……烈火に託されたからって、お前がそこまでする必要があるのか? 何で自分の事考えない。このままじゃ、お前が死んじまう。死んじまうよ……水凪…………水凪……!」
水凪は天城を見ようとはしなかった。水凪の視線は、腕の中の赤ん坊のみに注がれていた。
「…………なんでだよ……こんな、赤ん坊!」
自分でもどうしようもない衝動に駆られて、とうとう天城は、水凪の腕から赤ん坊を奪い去ろうと、手を伸ばした。
「……!!」
声にならない叫びをあげて、水凪が抵抗する。
「……赤ん坊を、寄こせ……水凪!」
その時、水凪の体から青白い炎が見えたと思った瞬間、天城は弾き飛ばされ、地面に思い切り叩きつけられていた。
「……痛っ」
地面で擦った腕の傷から血が滲む。
それでも、水凪は天城を見ようとはしなかった。水凪の目には赤ん坊しか映っていなかった。
異常を感じたのか、赤ん坊が急にひきつった泣き声をあげる。
「泣きたいのはこっちの方だよ……」
つぶやきながら、体制を立て直した天城は、赤ん坊の握った手のひらから微かな光が漏れているのに気付いた。
「……何だ?」
今度は水凪を刺激しないように気をつけながら、そっと赤ん坊をのぞき込む。さっきより手の中の光が強くなっているようだ。
「こ……これは……」
赤ん坊の手に握り込まれていたのはひとつの珠。天城がよく知っている光だった。

仁の文字を浮かび上がらせた鎧珠。
それは、生前、烈火が持っていたものだ。鎧戦士の証である、鎧珠。
持ち主が死ぬと同時に消滅し、次の転生時に再び現れるはずの珠であった。

烈火である者だけが持てるはずの珠だった。

 

――――――「オレは烈火がうらやましい」
伸に手渡された皿を受け取りながら、ぽつりと当麻が言った。
「え……何? 当麻」
「烈火は自分で自分の生にピリオドを打ったんだ。オレは永遠の死さえも、望むことが出来ない」
「……当麻?」
皿洗いの手を止め、伸がじっと当麻を見つめた。
「記憶なんていらない。戦いも嫌いだ。何でオレ達がこんな事しなきゃならない! 覚えてなきゃならない!……何でオレなんだよ!!」
「当麻……!」
当麻の手から、皿が滑り落ち、大きな音を立てて割れた。
「教えてくれよ! 何で忘れちゃいけないんだ。何で覚えてなきゃいけないいんだ!……オレだって疲れてたんだ。烈火……あんたと同じように、戦いに疲れていたんだぞ……」
「…………」
「ずるいよ……ひとりで先に逝って……自分だけ解放されようなんて、都合がいいにも程がある」
「……当麻」
「よくそんなんでオレ達のリーダーだって言えたよな……オレは……オレは……あんたなんか……」
「……当麻……」
そっと名前を呼んで、伸は当麻の頭を抱え込むように抱きしめた。
「当麻……大丈夫。大丈夫だから……」
「……くっ……しょう…………ちっくしょう……」
伸の首筋からは、優しい匂いがした。
温かくて、優しくて。懐かしい海の匂いがした。
どうにかしてやりたかった。
いつも、いつも。
烈火がいなくても、オレがいるんだよって言ってやりたかった。
ちゃんとオレはここにいるよって、お前を見ててやるよって。
なのに。
容赦なく叩きのめされる。
お前では駄目なんだと。
お前では烈火の代わりになれないんだと。
これでもかと思うほどに打ちのめされて、泣くことすら忘れてしまう。
本当に。
他の誰でもない、自分が水凪を救いたかった。
本当に、救ってやりたかったのに。
「当麻……?」
ようやく少し落ち着いたらしい当麻からそっと腕を離し、伸は覗き込むように当麻の宇宙色の瞳を見上げた。
「…………伸……」
「え……何?……当麻」
当麻のつぶやきは、永遠に伸に届くことはないように思われた。 

 

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