マーメイド−人魚姫の恋−(7)

室内は妙に華やかで荘厳な雰囲気がしていた。
征士の王子姿もそうだが、他の出演者である人魚姫の海野のドレス姿。そして、王子の婚約者であるもう一人の姫。確か彼女は1年生の女の子だったはずだ。そのたった3人がいるだけで、そこだけ異空間のようにも見えて不思議な感じがした。
普通の映画と違ってイメージ映像として撮るという手法の為、役者はこの3人のみ。
ビジュアル重視で選んだと崎谷が豪語しただけあって、その3人がいるだけで世界が華やいで見える。感心しておもわずほうっと息を吐き、伸は眩しげに目を細めた。伸の視線に気付き、征士が照れた表情をしたまま小さく頷いたので、伸も頑張れよと目で合図を返す。
明日から本格的な撮影が開始されるのだ。
そんな現実がようやく伸の腹の奥にすとんと落ちて来たような気がした。
「ついでだから着てみるか? これ」
「……え?」
いきなり後ろから声をかけられ、振り返った伸の視線の先に映ったのは、薄桃色のドレスを手に抱えた聖の姿だった。
「……聖……さん?」
「ほら、見てるだけなんて退屈だろう?」
にっこり笑って差し出された手の先にある見事なドレスを脇に押しやり、伸は精一杯の睨みをきかせて聖を見上げた。
「ふざけてるんですか? 貴方は……」
「別にふざけてなんかいないさ。一人だけ先に衣装合わせ終わっちまったから暇だろうなあと思って気にしてやったって言うのに」
「そういうの余計な気遣いって言うんです」
まったくこの人は。
伸はわざと大げさにため息をついて聖を軽く睨み付けた。
何だかんだと顔を合わせることが多くなって、段々この男の特徴が見えてきた。真面目かと思えば、急にふざけた態度を取ったり、いつもいつも冗談とも本気ともつかぬ微妙な表情で、くだらないことを言ってきたりする。特に最近は、わざと伸が怒るような言動を重ねて、それに対する伸の反応を面白がっているような所が増えてきていた。
本来だったら、他意はないとはいえ、そんなふうに自分の反応を試されるような状況は伸にとってはかなり不本意な状態のはずなのに、どういう訳か伸はそれを避けることをしなかった。
それどころか、自分も心の中では聖と一緒になって今の状況を楽しんでいるような気さえする。
そう、何だかとても楽なのだ。聖といると。
ただ、だからといっていつもいつも「姫」扱いをされて嬉しいわけはない。
伸の睨みに、聖は仕方ないなあと肩をすくめ、持っていたドレスをきちんと衣装掛けに戻すと、そのまま伸の隣の椅子に腰を降ろした。
教室の反対側では早速各自の衣装チェックと照明を当てた状態での色具合、並んだ時の印象やバランスを確認する作業が開始されている。
「聖さんはあっちには行かないんですか?」
伸の隣から動こうとしない聖を見上げて、伸が不思議そうに首をかしげた。
今日はポラ撮りとはいえ、カメラ撮影中心なのだから、聖の専門分野だろうに、どうしたのだろう。
伸の疑問に聖はにやりと笑って答えた。
「ああ、今日はバランス見るためのテストだけだし。遼君の腕で充分充分。聖香も手伝ってるし。オレが口出すのは本番になってからかな。それにオレは人魚担当だから、他のことは余程の事がないと口出ししない主義なの」
「……いつ誰が決めたんですか。その人魚担当って」
呆れ口調で伸が言うと、聖はそんなの今オレが決めたに決まってるだろうと、ニヤリと不敵な笑いをみせた。ちらりとそんな聖を横目で見て、伸はこれ見よがしにまたため息をつく。
「ああ、そうだ。そういえば、さっき遊びに来てた少年って誰?」
「……え?」
突然の話題に、伸は驚いて聖を見た。さっき、ということは秀が来ていたのに気付いていたのだろうか、この人は。ずっと教室内にいたのかと思っていたのに、いつ廊下に出ていたのだろう。
「初めて見る顔だったよな。あれが例の羽柴君か? ちょっと印象違う気がするが……」
「……!?」
ガタンと大きな音を立てて伸が立ち上がった。そのあまりの音に周りが一斉に振り返る。
「なんだ? どうした?」
「……伸?」
ポラ撮りをしていた遼も、どうしたのかと顔を覗かせたので、伸は慌てて倒れた椅子を元の位置に戻し、何でもないです。すいませんと小さく頭を下げた。伸のうしろで聖は可笑しそうにククッと肩をゆすらせる。
「何慌ててんだ? お前さん。もしかしてこの名前ってお前にとっての地雷なのか?」
「ち…違います。何でもないです。ちょっと不意打ち食ってビックリしただけ……っていうか、あれは違います。あれは当麻じゃない……じゃなくて……っていうか、どうして貴方の口からその名前が出るんですか?」
言葉を綴れば綴るほど、何だか自分が慌てふためいているような気がして、伸は思わず、そのまま次の言葉を繰り出せずに俯いた。
「どうしてって……ああ、聖香が話してたことがあったんだよ。珍しい名前だったんで記憶に残ってた」
伸の態度に気付いているのかいないのか、聖は律儀に伸の質問に答える。
「羽柴当麻って学年一の優秀な頭脳を誇れるくせに、先生方のブラックリストのトップに名前が載せられてる貴重な人材だって聞いたぞ」
それはどういう噂なんだか。あながち嘘でないところが情けない。
「でも、良い奴なんだって。聖香が言ってた。色々助けてもらってるし、相談にも乗ってもらってるらしい」
「あ……そうなんですか……」
そうか。この聖は聖香の兄なのだ。だから彼女が学校での出来事を、家で兄に話していても何らおかしいことは無い。しかも聖香と当麻は1年生の時から同じクラスだったのだし、仲の良いクラスメートであることは間違いないだろう。その証拠に当麻の口からも、聖香の名前が出ることはたまにあった。
「そんなふうに言ってるんですか。如月さんは……」
伸は位置を戻した椅子にようやく腰掛けて、横に座る聖を見上げた。聖は可笑しそうに伸を見て、くすりと笑う。
「友人を誉められるのは嬉しい?」
「え? いや……別に」
他人の口から当麻の名前が出るのは、ちょっと気恥ずかしいのかも知れない。でも、伸はそんなことないです、と強く言って首を振った。聖は笑って伸の言葉を受け流す。
「実は、聖香の話を聞いててちょっと気になってたんだよ。その羽柴って少年、お前や遼君、伊達王子と一緒に住んでる同居人だって言うじゃないか。なのに一度も顔見せないから会ってみたくてさ。ようやくお目見えかと思ったら、声をかける間もなくさっさと帰って行くし……まあ理由は分からなくもなかったけど。でも、だとしたら……」
聖の言葉に伸は思わず眉をひそめる。
「理由が……わかるって?」
そう言えば、少しだけ妙だった秀の態度。さっきはあまり気にとめなかったが、急に帰ると言いだした口調はいつもの秀らしくはなかったように思える。
「ああ、そんな真剣に考え込む表情しなくていいよ。だって別にあれは姫とは関係ないだろう。どっちかって言うと……」
言いかけた聖の口が閉じる。
「羽柴君じゃないって言った? さっきの彼」
「え……ええ。あれは秀麗黄。もう一人の同居人です」
「ああ、そうか。全員で5人いるんだっけ。共同生活者は」
なんだそうなのかと、聖は目を瞬き、ついと興味深そうに王子姿の征士のほうに視線を向けた。
「なるほどね。そっか……」
「……?」
「あの少年の地雷はあっちってことか」
独り言のように聖は呟いた。
「え?」
ますます意味が分からなくて、伸の眉間の皺が深くなる。
「あの……それって、どういう……」
「変わってるよね。お前さん達。親戚でも何でもないのに」
伸の質問を軽くかわして、聖は微妙に話題を変えた。
「色々大変だろう。5人で暮らすってのは」
「え……あ…はい」
「でも、楽しい」
「そう…ですね」
素直に伸は頷いた。
「一緒に暮らしだして何年?」
「えと……かれこれ2年……です」
「そうか……」
感心したようにつぶやいて、聖はふうっと息を吐いた。
「よく保つな」
「……え?」
「で、いつまで保つんだ? それ」
「……?」
「苦しくないか?」
「……それは、どういう……」
意味ですか。と聞こうとした伸の言葉を遮って、急に聖は口調を明るく変えた。
「つまり、そいつらと一緒に住むために、姫様は萩からこっちに出てきたってわけだ」
「え……」
萩という地名に伸がピクリと反応する。
「そういうことだろ?」
にこりと聖が笑う。さっきまでとはうって変わったその明るい表情に、先程まで浮かんでいた疑問も質問も忘れてしまい、伸はマジマジとそう言った聖の顔を覗き込んだ。
「あ…あの……!!」
「ん?」
「萩の街を知ってるんですか? 聖さんは」
思わず口をついて出る問いかけ。
「え?」
真剣な口調の伸を見つめ返し、聖はふとはぐらかすような笑顔を見せた。
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
「え……いや……どうしてって……」
言葉に詰まる。
どうしてって。そんなの分からない。でも。ただ。
ただ。
「…………」
うまく言葉に出来なくて、伸は聖から視線をそらせた。
「萩は……いい街だよ」
ぽつりと独り言のように聖が呟いた。
「あそこは、海の匂いのする街だ。だから、姫にとても似合ってる」
「…………」
思わず伸が視線をあげると、真正面から自分を見つめる聖と目があった。伸を見つめる聖の瞳は不思議なほど温かで優しげな瞳だった。
「あの街は、人魚の住む街だ」
「…………」
「な、人魚姫」
「……僕は……」
人魚じゃない。言いかけて伸の言葉が途切れる。
「お前は人魚だよ。オレが探していた」
「…………」
聖は伸の心の声を聞いたかのように、フッと笑顔を見せた。
再び、伸の心臓がドクンっと鳴った。

 

――――――「お前な。オレに言いたいことがあるならわざわざ伸に伝言頼んだりしないで直接言えよ」
「…………」
夕食後、いつもならすぐに行くはずの書斎へ向かわず、当麻は居間に残っていた秀に呆れた口調で声をかけた。秀はちらりと当麻を睨み付け、居間に他に残ってる奴らがいないことを確かめて大きくため息をつく。
ただいま伸と征士は洗い物の為にキッチンに籠もっており、遼は今日撮ったポラ写真の整理の為、早々に自室へと引き上げている。一応、その辺りは気を遣って当麻も声を掛けてきてくれたようだ。
「なあ、秀……」
「うるせえ。これでも自己嫌悪に陥ってるんだよ。オレは」
読みかけの雑誌を顔の上に乗せ、秀はごろりとソファの上に寝ころんだ。
「へえ、珍しい。お前が自己嫌悪ねえ」
当麻はソファの背もたれから顔を覗かせ、可笑しそうに雑誌を秀の顔の上から除けようと手を伸ばす。
「行ってきたんだろ。今日」
「だから何だよ」
当麻の手を払いのけ、秀は、ずれた雑誌の位置を元に戻そうとする。どうやら絶対に顔を見せる気はないらしい。当麻はソファの背に肘をかけ、雑誌の脇からクシャリと秀の髪の毛をかき回した。
「綺麗だったか? 征士の奴」
「…………」
秀が無言で頷いた。
「で、モヤモヤしたってわけだ。お前さんは」
「別に……モヤモヤってわけじゃ……」
「じゃあ、イライラか?」
「…………」
当麻はくすりと笑って秀の髪から指を離した。
「秀、お前のその感情に名前を付けてやろうか?」
「え?」
雑誌の隙間から目だけ覗かせて秀が当麻を見上げた。
「それはな、独占欲って言うんだよ。恋する青少年」
当麻の言葉に秀がムッとした表情をして雑誌をどけた。
「何だよ、それは」
「何だも何も、そのとおりだよ。お前は征士を他の誰にも見せたくないと思った。違うか?」
「…………」
『だってマジで綺麗だもんな。伸の泳ぐ姿。誰かに見せるのが勿体ないくらい……』
昼間、そう言っていた遼の言葉が秀の脳裏をかすめた。あれも、つまりはそういう意味なのだろうか。
「……オレ……」
ソファに身体を起こして秀が呟いた。
「別に征士を独り占めしようとか思ってないし、あいつのこと、そんなふうに見てるつもりはない。征士のことキャーキャー騒ぎ立ててる女子とかいても気にしてないし、気にする必要はないと思ってた。だけど……」
「だけど?」
秀はそこで言葉を句切り、大きくため息をついた。
「あいつの目。あいつの薄紫の瞳が、どれだけ綺麗なのかに気付いているのはオレだけじゃないんだって思ったら、なんか……何か分かんねえけど、ゾワッてなった。あいつは別に隠してないんだから、皆知ってて当然なはずなのに、それなのに、オレ、どっかで思ってたのかもしれない。あの瞳を知ってるのはオレだけだって。思いこみたがっていたのかもしれない」
「…………」
「そんなこと思いこんでた自分が、何か許せなくて……」
薄紫の瞳。スミレの花のような瞳。
皆が疎んだあの鬼っ子の瞳を、ただ一人、禅だけが美しいと言い切ったのだ。
それは、禅が愛した大切な命。誰にも踏み込むことが出来なかった聖域。
「だから、それが独占欲って言うんだって言ったろ」
そっと当麻が言った。
「オレはお前とは違う」
「同じだよ。いや、オレより時間が長い分、お前の方が深いかもな」
「…………」
初めて秀が真正面から当麻を見た。
「お前は昔も今も変わらずに同じ瞳であいつを見てるんだろ。ほら、すげえ深い」
「当麻……」
「な。すげえ深いだろ」
そう言って、当麻は再びにこりと笑った。

 

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