マーメイド−人魚姫の恋−(4)

「へぇ〜結構本格的なんだ。すげえ」
「そりゃそうだろう。なんたってコンクール参加作品なわけだし、遊びじゃやってられないって」
居間のテーブルに広げられた撮影スケジュールや絵コンテを眺めながら秀が感心して頷くのを見て、遼は可笑しそうに笑った。
「撮影機材も結構良いの揃えられそうなんだ。オレ、水中撮影用のカメラやビデオなんか初めて見るから、今から楽しみでさ」
「なるほど。これにかこつけて写真の腕を上げようって魂胆か? お前」
「まあ、そう言うなって、秀。でも、聖さんには色々教えて貰える約束も取り付けた」
へへっと笑いながら、遼は嬉しそうに肩をすくめる。
「崎谷部長も、かなり色々な部に声かけて協力仰いで、最高の作品にするんだって息巻いてる。海でのロケだけじゃなく城の中の撮影もなんとかしなきゃって、ホテルの一室を借りられるようにって交渉進めてるみたいだし。あと、最終的にはパソコン使って画像処理してって、なんか専門用語いっぱいで。大規模な企画になりそうなんだよ。オレもびっくりした」
「画像処理ってCGのことだろ? たかが高校生の作品になんでそんな……」
呆れて口を挟んできた当麻を振り返り、遼はいたずらっ子のようににっこりと笑った。
「発案のほとんどは聖さんなんだ。あの人はすごいよ、ホント。どんどんアイデアが溢れだしてくる。聞いててオレなんか感動しっぱなしだった」
「へぇ……」
「最初は乗り気じゃなかった征士も、最後の方結構真剣に話聞いてたろう?」
「……ま、まあ、そうだな」
苦笑いしながらも征士が遼の言葉に頷いた。
王子という役柄にはまだ多少抵抗が残るものの、企画自体の面白さは確かに本物だった。聖が参加してくれたおかげで、今回の作品が高校生のお遊び企画とは呼べなくなったことも事実。どんな形であれ、これに参加出来るというのは、自分にとって嫌なことではないのかもしれない。どんなものであろうと、皆で力を合わせて何かを創るというのは、きっと貴重な経験になるだろう。
征士の表情に満足気に頷いて、遼は再びテーブルの上に広げた絵コンテに視線を落とした。
「征士も海野先輩も伸も、みんなイメージぴったりでさ。聖さんも言ってたけど、崎谷さんの人選はマジで上手いなあと思った。特に伸なんか、かなり聖さんのお気に入りになったみたいだしさ。伸の人魚姫見てたらやってみたいことがどんどん膨らんで来たって言ってた」
遼は本当に嬉しそうに楽しそうに話を続ける。
「何か、絵コンテも大幅に書きかえようって言っててさ。海での場面もかなり増えるっぽいんだよな」
「そりゃそうだろう」
秀がにやりと笑って伸の方を振り返る。
「やっぱ水滸なだけあって水を得た魚ってやつだろう。題材が水ってんだから伸以上の適役っていねえもんな。大活躍じゃんか」
「だからって、姫だよ姫」
ソファに横たわり、ぐったりとしながら伸が嘆くようにつぶやいた。
「しかも、おかげでこっちは久しぶりに筋肉痛なんだ……」
「筋肉痛? なんで!?」
秀が目をまん丸にしたまま、伸の元へと走り寄った。
「なんでも何も、いくら水の中が好きだって言っても、あんな何時間もやってたら筋肉痛にもなるって」
「……何? 人魚姫の泳ぎの特訓でもしたのか?」
秀の質問に伸が無言でコクコクと頷いた。
「ミーティング終わったあと、伸と聖さんと崎谷さんだけまたプールに舞い戻ったんだ。イメージを固めたいからって言って」
「ほう……」
遼の説明に当麻が低く息を吐いた。
「……で、最初はちょっと見たいだけだから30分ですむ、とか言いながら実際は……」
「びっちり3時間。つまり日が沈みきるまで付き合わされたんだよ」
伸が遼の言葉を継いで、ため息と同時に愚痴をこぼす。
「人魚姫の動きねえ……そんなに難しいのか?」
秀が不思議そうに聞いた。
たとえどんな動きだろうと、伸に出来ない泳ぎなんてないだろうに。もっともな事だが、秀はそう思っているのだ。対する伸は何を言ってるんだとでも言いたげに眉間にしわを寄せて、ソファから半分だけ身体を起こした。
「難しいに決まってるだろ。あの尾ひれつけて泳ぐのがどれだけ大変かやってみろって言うんだ。それなのに、やれああ動けとか、このポーズは出来るかとか、そこはもっとゆっくりとか、早く進めとか。もう、むちゃくちゃ人使い荒いんだから。あの人……」
「ふーん」
頷きながら秀がにやりと笑った。
「なるほどね。その聖っていう人が伸を気に入ったっつーより、伸も聖さんのこと、かなり気に入ったんだな。良かったじゃんか」
秀の言葉に伸はむくっと完全に身体を起こしてソファに座り直した。
「何、言ってるの? 秀」
「何って、素直な感想。当たってるだろ?」
「いや、当たってるとか、そういうんじゃなくて、なんで……」
「お前が憎まれ口叩くっていうの、相手のこと相当気に入ってる証拠じゃないか」
「……!?」
にやっと笑って秀は伸の肩をポンポンと叩いた。とたんに伸がうっとうめいて蹲る。
「秀! だから筋肉痛だって言っただろ! 気安く触るな」
「へいへい、そりゃ失礼しました。じゃあ、オレは洗い物でもしてくらぁ。当麻、行こうぜ」
これ以上伸の逆鱗に触れないようにと、秀はちょうど隣にいた当麻の腕を掴み、キッチンへと姿を消した。
「……ったく」
つぶやいた伸の顔を、そっと遼が覗き込む。
「大丈夫か? 伸」
「……え、あぁ、大丈夫。筋肉痛なんてすぐ治るよ。ここんところ試験勉強に明け暮れてて運動不足が祟っただけだから」
「そうじゃなくて……」
遼が口ごもる。
「……え?」
「そうじゃなくて……筋肉痛のことじゃなくて……」
「じゃあ……何?」
伸が小首を傾げると、遼は慌てて手を振った。
「あ、何でもない。ちょっと気になっただけだから」
「気にって…何が?」
「いや……別にたいしたことじゃないんだけど、ただ……お前さ……」
「…………?」
「その……聖さんと、何か……」
「…………え……」
すっと伸の表情が引き締まった。
「何かって……?」
「あ、何でもない。そうだよな。今日会ったばかりで、何かも何もないよな。うん。ごめん何でもない。忘れて」
慌ててたたみかけるようにそう言うと、遼はテーブルに広げていた絵コンテやイメージカット、スケジュール表などを乱暴にまとめて抱え込むと、もう一度気にしないでくれと言い残し、二階へと行ってしまった。
後に残されて、伸が思わず征士を見上げると、征士は無言で小さく首を振った。
伸の胸に何かがチクリと突き刺さった。

 

――――――「良いよなあ……すげえ楽しみ。征士の王子も伸の人魚も、絶対絶品だぜ。出来上がったの見たら、みんな何て言うだろう。学校中のアイドルじゃねえか。今でさえすげえのに、もっとすげえ騒ぎになるだろうなあ。楽しみだな」
「楽しみ……? お前、本気でそれ言ってるのか?」
鼻歌でも歌いそうな勢いでにこにこと笑いながら洗い物を片づけている秀を横目で見て、当麻が目を見開いた。
「……?」
そんな当麻の言葉に思わず手を止めて、秀が顔を向ける。
「本気でって、何でだよ。楽しみに決まってるじゃねえか。それとも何か? お前は不満なのか?」
「いや、不満とかそういうんじゃなくて……」
「あ、分かった。自分も参加してみたかったとか、そういうことか?」
「そうじゃねえよ、バカ」
吐き捨てるように言って、当麻は口を尖らせた。
「嫌じゃねえのかよ。お前は」
「……何が?」
当麻の言ってることの意味が本気で分からなくて、秀は首をかしげた。
「何が嫌なんだよ」
当麻は苦虫を噛みつぶしたような表情で、秀を睨み付ける。
「考えてもみろよ。作品が仕上がったら、学校の奴らだけじゃなく、みんなが見ることになるんだぞ。あんだけマジでやってるんだ。ひょっとしたら賞とか取っちまうかもしれない。そうしたらどれだけの人間が……」
「いいじゃねえか。賞取れれば。取るために作るんだろ」
当麻の言葉を遮って秀が言った。
「オレだったらすげえ自慢だけどな。あの王子役、オレの親友ですって紹介とかしてみてえよ。賞とか取ったら、みんなに見てくれって言って回るぜ、オレ。絶対」
「…………」
妙な表情をして当麻は秀の顔をまじまじと見つめた。
「お前ってさ……他人のことには敏感なくせに、自分のこととなるとてんで鈍だよな」
「なんだよ、それ」
秀が不満気に口を尖らせる。
「意味わかんねえ……」
「分からないか?」
「分かるわけないだろう」
「……そうか」
当麻は小さく息を吐いた。
「じゃあ、そうだな。今度征士の衣装合わせか何かの時、遼にでも頼んで見学させてもらえよ。その後でもお前が同じ台詞吐けたなら、お前のこと尊敬してやる」
「衣装合わせ? それに何の意味があるんだよ」
「行けばわかるよ」
そう言って当麻は再び洗い物を再開した。
やはり分からないなあと、首をかしげながら、それでも秀は大人しく当麻の隣で一緒に作業を開始した。そんな秀をちらりと横目で見て、当麻が小さくため息をついた。
「そんなに分かんねえもんかねえ……」

 

前へ  次へ