マーメイド−人魚姫の恋−(26)

翌日、無事すべての撮影を終了して征士も柳生邸に帰宅した。
征士の話によると、撮影は滞りなく進行出来たようで、崎谷達スタッフは速攻学校へ戻り、すでに編集作業に入っているとのことだった。
「すげえバイタリティだな」
秀に言われては身も蓋もないような言葉だが、征士は苦笑して、それだけ皆のこの作品に注ぐ情熱がすごいのだということを力説した。
撮影が終了してしまうと、征士にも伸にも出番はない。征士は翌日より、本来の活動拠点である剣道部に戻り、伸は遼の看病に時間を費やした。
そして、大人しく編集作業が終了するのを待つこと3日。
崎谷からの招集を受け、伸と征士、そしてようやく体調も戻った遼は、学校の視聴覚室へと赴いた。
出迎えた崎谷は、目の下に隈を作った顔で、それでもたいそう嬉しげに手に持ったDVDを掲げて3人の目の前に突きだした。
「これが完成品だ。見て驚け。すっげーぞ」
満足気に崎谷が笑う。
「午後から最終チェックを兼ねた特別試写会をやるんだ。それで問題なければそのままコンクールに応募。何かあれば微調整が必要になるから、お前等の意見も是非聞きたい。そのつもりで見てくれよな」
「わかった」
自分で自分の人魚を見るというのは、ある意味かなり気恥ずかしいのではないだろうか。そうなるととても意見を言える心境にはならない気がするなあと思いつつ、そんなことはおくびにも出さず、伸はにっこりと微笑んで崎谷の申し出を承諾した。
「映像に関しては専門家じゃないんで、素人意見だけど、それでよければ」
「もちろん。オレが欲しいのは、あらゆる角度からの意見なんだから、素人上等。何でも言ってくれ」
「崎谷先輩。そういうことなのであれば……」
突然、征士が真剣な顔で口を開いた。
「試写会をやるなら、呼びたい者がいるのですが、いいでしょうか?」
「呼びたい奴? 別にかまわないけど……」
「有り難うございます」
律儀に頭を下げた征士は、ほんの少し紅潮した頬をしていた。誰を呼ぶつもりなのかと、伸と遼はそっと探るようにお互い顔を見合わせる。
「さすがに視聴覚室に入り切らなくなったら問題だけど、他にも呼べる奴がいたらどんどん呼んでくれて構わないからな。大勢の意見を参考にしたいし」
「っつーか観せて自慢したいんだろうが、お前は」
PC部員のひとりがはやし立てるようにそう言うと、皆がそれに賛同して歓声をあげた。
崎谷にとっても映研やPC部員にとっても、どうやらかなりの自信作が出来上がっているようだ。
試写会の開始は午後2時。
その時間なら聖も来られるからという理由でだ。忙しい時間を割いて協力してくれた聖は、昨夜も遅くまで崎谷達に付き合ってくれていたようだが、今日は、午後から顔を見せると言っていたのだ。
「では、午後2時の上映開始まで解散。映研部員は15分前、他は5分前までにはここに集合すること」」
崎谷の指示を受け、一旦解散したあと、征士はまっすぐに体育館に向かった。其処は今、ちょうど秀が参加しているバスケ部が練習している場所だった。

 

――――――「試写会? オレも行っていいのか?」
体育館横の草地に呼び出された秀は、征士の申し出に驚いて目を丸くした。
「そりゃ是非観たいけど、オレ、部外者だぞ」
「構わない。崎谷先輩には許可を取った。あちらも提出前に出来るだけ大勢の意見が聞きたいと言っていたからむしろ都合が良いとのことだ」
「へぇ……じゃ、遠慮無くお邪魔させてもらうけど、ちょっと意外だったな」
にっこりと笑って秀は征士を見た。
「意外……とは?」
「いやさ、お前、やる前はめちゃくちゃ恥ずかしがってたじゃねえか。だからあんま見られたくないのかと思ってた。もしかしてライト浴びて性格変わった?」
「そうじゃない。ただ……」
僅かに口ごもって征士は秀から視線を逸らせた。
「…………?」
「ただ……他の人間が知っているのに、お前が知らない状況というのが、嫌なのだ」
「……へ?」
「あのようなことは今回限り。二度とやるつもりはない。だがやったという事実は変わらない。変わらないのであれば、それをお前に見て貰わねば私にとっては意味がない。私は、私の知らないお前が存在するのも嫌だし、お前の知らない私が存在することも嫌だ」
「…………」
「だから……お前には観て欲しい」
秀が大きく瞬きをした。
征士は少し照れたように俯いて、秀から視線を逸らしたまま、こちらを見ようとしない。
風が征士の黄金の髪を揺らす。その姿はとても綺麗だった。
綺麗だった。他の誰にも見せたくない程、自分だけで独占したくなる程、綺麗だと思った。
「しばらく見ない間に、口説き文句が上手くなったな〜、伊達」
その時、2人の背後から笑いを含んだ声が掛かった。驚いて振り返ると竹刀を肩に担いだ鷹取がニヤニヤと笑いながら、近づいて来ているのが見えた。
「た、鷹取先輩!?」
苦い表情で征士が顔を歪める。
「試写会をやるとは都合がいい。もちろんオレも行っていいだろう? 王子様」
「いや……それは……」
征士が言葉を濁して後ずさった。鷹取はそんな征士を面白そうに見下ろしている。
「伊達。オレ達剣道部員は、貴重な戦力をこの夏の間提供してあげていたんだぞ。それを考えると、完成品を見る権利はあるよなっ?」
「う……」
「なっ?」
有無を言わせぬ迫力で鷹取はニヤッと笑った。
「よーし。ということで、本日の稽古は1時であがり! 全員2時前に視聴覚室集合!!」
「おうっ!」
何処に隠れていたのか、全剣道部員が喜びの雄叫びをあげて一斉に飛び上がった。征士は頭を抱えて地面に蹲る。
「じゃ、また後でな、太陽君も」
にこりと笑って会釈をし、鷹取は他の剣道部員と一緒に去って行く。去り際、ほんの一瞬だけ、鷹取の視線が揺らぎ、秀を見た。秀もおもわず反射的に鷹取に向かって頭を下げる。一瞬だけ秀と目を合わせると、鷹取はニヤリと笑って軽く手を掲げ、そのまま背中を向けて再び歩き出した。
「…………」
しばらく鷹取達の後ろ姿を見送ったあと、秀がポツリと言った。
「征士……」
「………何だ…?」
まだ蹲った体勢のまま征士が聞き返す。
「いつか……さ」
「…………」
「なあ……いつか、また2人で旅がしたいと思わねえか……?」
「…………旅?」
思わず征士が顔をあげる。
「そう、旅だ」
「…………」
「いつか、2人だけで……また……」
いつか、また。
以前のように。
遥か昔の、以前のように。
「日が昇る方角へ向けて、旅に出たい」
「…………」
征士が無言で頷いた。
再び風が吹いて、征士の黄金の髪を揺らした。やはり、それはとても綺麗だった。

 

――――――まだ1時半だったので、誰も来ていないと思い、視聴覚室のドアを開けた伸は、すでに1人の先客が居ることに驚いて足を止めた。
「あれ……聖……さん?」
「よう、人魚姫」
ゆっくりと振り返り聖が伸に向かって微笑みかけた。見慣れたいつもの笑顔。
「早いんですね。上映開始は2時でしょう?」
「まあな……何となくお前も早く来そうな気がしたもんで」
「それ、予知ですか?」
「そんなところ」
伸は促されるままに聖の隣の席に腰を降ろすと、ちらりとその横顔を見上げた。
「そう言えば、伊達王子は相方を連れて来るって聞いたけど、お前は呼ばないのか?」
「相方って……なんですかその言い方は。だいたい僕が誰を呼ぶんですか?」
「呼ぶ気はないんだ?」
「呼びません」
くすりと笑って聖は懐から1枚のDVDを取りだした。
「なら都合がいい。これ、渡してやってくれるか?」
表にも何も記載されていない1枚の真っ白なDVD。伸は不思議そうに聖の手にあるDVDを覗き込んだ。
「……これは?」
「崎谷が前に話してただろう。人魚姫限定バージョン」
「げん!? って……まさか?」
「そう、そのまさか」
「却下だって言ったのにっっ!」
ガタンと大きな音をたてて伸が座席から立ち上がった。
「どうして、こんなものあなたが持ってるんですか!?」
「別に持ってるのはオレだけじゃない。なんか聞いた話だと、限定発売って形で校内で密売するらしいぞ」
「冗談じゃない!!」
「ああ、冗談だよ」
にこりと笑う笑顔が本気で憎らしくなるというのはこのことだろうか。伸は拳を握りしめて聖を睨み付けた。
聖は可笑しそうに肩を震わせて笑い、伸をなだめるように再び座席に座らせる。
「んな怒るなよ。校内販売はマジでオレが止めてやったんだから」
「本当に?」
「本当、本当。だから、これは貴重品なんだぞ。この世に3枚しかないという」
「…………3枚って」
「ああ、1枚はもちろん崎谷。原盤は彼が持ってる。で、もう1枚はオレの鞄の中。そして、あと1枚がこれ。プレゼントしようと思ってさ」
「いりませんよ。こんなもの」
「勘違いするなよ。お前にやるんじゃない。羽柴当麻に見せてやろうと思ってね。でないとさすがにフェアじゃないだろう?」
「……当麻に?」
「そう」
聖は小さく頷いて、そっと手の中のDVDを撫でた。まるでそれ自体が愛しい人であるかのように。
「これは宝物だよ。この中にはお前の一番綺麗な姿が収まっている」
「…………」
「だからこれは本当だったら自分だけの宝物にしたいところなんだが……さすがに良心に呵責を覚えたんでな」
「別に覚えなくていいです」
というか、本気でそんなもの作成しようとした崎谷達の神経が信じられない。
「まあ、そう怒るなよ。お前は人魚だ。本物の。だから、海の中に居るときが一番映える」
「聖さん……」
「それを手元に残しておきたかったんだよ」
「…………」
「お前は本物の人魚姫だ」
人魚姫。
昔と同じ声で聖はその名を呼んだ。
耳に残るハスキーボイス。
もう二度と、絶対に忘れることはないハスキーボイス。
伸は小さく息を吐いた。

 

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