マーメイド−人魚姫の恋−(23)

夢を見る。決して見てはいけない夢。それは決して叶うことのない夢。
「オレは自分の勘がいいのをここまで呪ったことはないんだぞ、姫」
くすりと自嘲気味に聖が笑った。
「このまま行くと引き返せなくなりそうだから、自粛しようと思ってたのに」
「自粛って……」
愛おしそうに伸を見つめ、聖は呟くように言った。
「やっぱり駄目なんだよな」
そう言って聖は微かに笑う。
「お前と再会したときヤバいと思ったんだ。でもあん時はまだ大丈夫だと思ってた。自分の心くらい自分で制御出来なくてどうするって。そう思ってたのに無駄だった。あらゆる努力が無駄だった」
そう言って聖は小さく息を吐いた。
「王子に見抜かれた。崎谷だって気付いた。羽柴本人ですらあっという間に感づきやがった。そして何よりオレが撮ったあの写真が真実を語ってる。だから距離を置いた。オレは叶わない夢を追いかける主義はなかったから」
「……叶わない……夢……?」
「距離を置こうと思ったのに気になって……気になるのに足が動かなくて。オレもまだまだ未熟者だったってわけだ」
伸がゴクリと唾を飲み込んだ。
「姫は羽柴当麻が好きなんだろう?」
「……なっ!?」
かあっと伸の頬が朱に染まる。
「ほら、分かりやすい」
「違……これは」
「違わないよ」
にっこりと笑い、聖はまた伸の髪をくしゃりと掻き回した。
「お前の表情の変化をみてれば誰だって気付く。分かってないのはお前と羽柴本人くらいだ」
「そんな事言っても聖さんは当麻とはほとんど面識が……」
なかったはずなのに。
伸の疑問をうち消すように聖は自信ありげに唇の端を上げた。
「だからその辺りがオレの勘の良さと観察眼の鋭さなんだよ。皮肉なことに」
そう言って本当に皮肉めいた笑みを見せ、聖は突然伸の頭の上に置いていた手を首の後ろに回し、そのまま引き寄せると軽く唇を寄せた。
「……なっ!?」
慌てて伸が飛び去る。
聖の唇は伸の頬をそっと掠めただけだった。
「な……なにするんですか!? いきなり」
「ほら、分かりやすい」
「だ……誰だって驚きます!! 突然…こんな……」
「じゃあ、突然じゃなかったら? 大人しく受ける?」
「……!?」
伸が絶句した。
「はっきり言おうか。オレはお前に惚れてる。だからこんな人気のない所に二人っきりでいるなんてチャンス逃したくない。今すぐにでもお前を押し倒したいと思ってる」
「…………」
「だからオレは実力行使にでる」
「……え……!?」
聖の腕が伸を捉え、言葉通りに伸の身体を砂浜に押し倒した。
「……あっ!?」
「さあ、どうする? お前はオレを受け入れるか?」
「…………」
真下から見上げる形で伸は聖を見上げた。両腕を押さえつけられているので動くことも出来ない。
「本気……ですか?」
「…………」
聖は何も答えない。ただ、じっと射るような眼差しで伸を見下ろしていた。
「聖さん……手首……痛い……」
伸が苦痛に眉を寄せても、聖が伸の手首を掴む力はゆるまなかった。
「…………」
「聖さん……」
「…………」
「……聖さん……本当に、本気なんですか……?」
ようやく少しだけ聖の表情が変化した。
「……嘘。冗談だよ、姫」
「……え……?」
「だけど、遼は本気だ」
「……!?」
伸が大きく息を呑んだ。聖は伸を見下ろしたまま微妙に顔を歪める。
「さて、ここで問題です」
聖がまるで独り言のようにそう呟いた。
「……?」
「この状態で、より多く傷ついているのはどっちだ?」
「…………」
「お前か? それとも遼か?」
「…………!?」
見上げた聖の表情が、先程の遼のものと重なる。
ついさっき、同じ、この体勢で遼は自分を見下ろしていた。そして、その遼の目からは何滴も涙がこぼれ落ちていた。
『ごめんな……』
そう言いながら、遼は泣いた。酷く傷ついた目をして泣いていた。
そうだ。
あんなふうに遼を泣かせてしまったのは他でもない自分なのだ。
自分の態度が遼を泣かせたのだ。
あんな顔をさせてしまったのだ。
ふいに伸の目尻から涙の滴がこぼれ落ちた。
「…………姫……?」
伸の手首を掴む力が緩む。聖の表情が心配気なものに変わった。
「……本当は……」
やがて掠れた声で伸が言った。
「本当は自分の力を過信してた。嫌なら簡単に返り討ちに出来るって思ってた」
「…………」
「でも、出来なかった。あの子をこれ以上傷つけたくなくて、泣かせたくなくて。頭の中が真っ白になって、身動き出来なくて、何も言えなくて、息も出来なくて……でも……」
「……でも?」
聖が尋ね返す。
「でも……それが……そのことが一番遼を傷つけていたんだ」
「…………」
「傷つけてしまって……いたんだ」
「…………」
そっと聖が腕を離すと、伸は顔の前で腕を交差させ泣き顔を覆い隠した。
「なんだ……ちゃんと分かってるじゃないか。姫」
伸が小さく頷いた。
「遼に必要なのは、本当の言葉だ。嘘偽りない、真実の言葉だ。だから、そのことをちゃんと伝えればいい」
「…………」
「本当のことを全部、そのまま伝えればいい。そうすることでしか、お前はあの少年を救えない」
腕を払い、伸は砂の上に寝転がったままの姿勢で聖を見上げた。
聖は星が瞬き始めた夜空を見上げ、悔しそうにくしゃりと顔を歪ませた。

 

――――――聖に貰った解熱剤とミネラルウォーターを手に伸が部屋に戻ると、遼は、ちょうど目を覚ましたところだったのか、ベッドからぼうっとした表情で顔をあげた。
「……伸……?」
「薬持ってきたよ。飲める?」
ベッドの端に腰を降ろし、伸はそっと遼の額に手を当てた。相変わらず熱は高いままだ。
「本当は食後がいい薬だから何か食べたほうがいいんだろうけど、どう? 何か口にできそう?」
伸の問いに遼は力無く首を振った。
「そっか……じゃあ仕方ないな。胃が荒れちゃうけど、薬だけでも飲んでおいたほうがいいだろうし……」
袋から薬のカプセルを2つ取り出し、伸は遼の口元に持っていく。
「はい、口開けて」
言われた言葉に反応して遼が機械的な動作で口を開けた。伸はその中にぽいっとカプセルを放り込み、その後、手に持っていたミネラルウォーターの蓋を開けて遼に手渡す。
遼は大人しく受け取ると、その水を一口コクリと飲んだ。薬が喉に引っかかって少しむせる。
「大丈夫?」
伸が背中をさすってやると遼は大丈夫と小さく呟いて頷いた。
もう一口水を飲み、遼は伸にミネラルウォーターを返すと、そのまま枕に顔を埋めた。
「遼……」
「……何?」
枕に顔を埋めたままくぐもった声で遼が答える。
「僕はここにいるからね。追い出そうとしても無駄だよ」
「…………」
遼がちらりと横目で伸を見た。
「僕は、僕の知らないところで君が苦しむのは嫌だ。君の身体や心が悲鳴をあげている時は絶対にそばにいる。それだけは譲れない。譲らない」
「伸……でも……」
「昔ね、当麻に聞かれた事があるんだ。自分と遼とが別の場所で同時に危険な目にあっていたら、僕は迷わず遼の元へ駆けつけることを選ぶんだろうって」
「…………!?」
「まったくもってその通りなものだから、僕は返す言葉が無くて絶句しちゃったんだけど」
軽く肩をすくめ悪戯っ子のように言うと、伸は真剣な顔で遼の枕元に顔を寄せた。
「遼、僕は君のこと大好きだよ」
「…………」
遼がゆっくりと顔を向け、伸を見つめた。
「でも……ごめんね。遼。僕は当麻が好きだ」
「…………」
「僕は君のことをとても大切に思ってる。それこそ命を捨ててもいいくらいに。君を救うためになら、僕は何回でも死ぬ覚悟がある。本当だよ。……でもね」
「…………」
「……でも……それでも、僕が一番好きなのは当麻なんだ」
「…………」
「いつからなのか自分でも分からない。理由も分からない。でも、気が付いたら好きになってた。好きで好きでどうしようもなくて……僕は当麻のことを誰よりも愛してる」
「…………」
「愛してるんだ」
遼がそっと伸の頬に手を伸ばした。
「知ってる」
「…………」
「知ってるよ。伸」
伸の頬に触れた遼の手はやはり熱くて、伸はそっとその手を包むように自分の手を重ねた。
「伸……」
遼が囁く。よく声を聞き取ろうと、伸は遼の口元に耳を寄せた。
「何?」
「オレ……やっぱり世界で一番、お前のことが好きだ」
「……遼……」
「好きだ……」
たとえ届かなくても。
永遠に届かなくても。
好きで好きでたまらない。この気持ちだけは永遠で。
「遼」
「何?」
ふっと笑って伸は手に持ったミネラルウォーターを掲げて見せた。
「もう一口飲む?」
「……ああ」
にこりと笑って遼が答えた。

 

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