マーメイド−人魚姫の恋−(21)

「遼……やっぱり、誰かに言って部屋替わってもらおうか?」
海岸沿いのユースホステルの一室で伸は困ったように遼に言った。
2泊3日の予定で取った安いユースホステルは、部屋数が十二室。そのうち、個室が二部屋。二人部屋が五部屋、残りは六人用の二段ベッドの部屋だった。
無事、昼間の撮影を終え、ホテルにチェックインした一同は、公平にということで、聖香とまどか以外の男子全員でクジを引いてそれぞれの部屋わりを決めた。
結果、伸と遼はそろって二人部屋。征士は後から合流する予定の聖の分を勘定に入れて、二人部屋を一人で使う事に決定した。
他、崎谷は意気揚々と個室へ向かい、二人部屋に決まった者も六人部屋に押し込められる結果となってしまった者も、大人しくそれぞれの部屋に向かった。
遼は自分のほうのベッドにどさりと荷物を置き、伸に背中を向けたまま首を振った。
「……別にいいよ。せっかくクジで決めたんだから。それにそんなこと言いだしたら、みんなが不審がるだろうし、もう一回クジ引くなんて面倒だろ」
「……そりゃそうだけど……でも……」
昼間の海岸での拒絶は、伸の記憶に新しい。
こんな気持ちで遼と一緒の部屋で過ごすなど、自分だけじゃなく、遼だってキツいだろう。そう思って再び口を開こうとした伸を遮る形で遼はようやく伸の方に顔を向けた。
「それとも、お前がオレの顔見たくないって言うなら、仕方ないけど」
「そんなこと言ってないよ! ただ……」
「ただ……?」
これでは立場が逆だ。何をやっているのだろう。伸は俯いてきつく唇を噛みしめた。
「……ごめん……遼」
ようやく口をついて出た言葉は謝罪の言葉だった。遼は僅かに眉を寄せて顔をしかめた。
「何で伸が謝るんだ?」
「…………」
「お前はオレに謝らなきゃいけないことをしたのか?」
「…………」
「何もしてないだろ」
「でも……僕は……」
君を傷つけた。きっと。間違いなく。とてもとても傷つけてしまった。
「遼……僕……当麻とは別に……」
「いいよ、もう。それは」
遼は伸の言葉を遮った。
「言わなくてもいいよ。だから……オレに嘘とかつくなよ。伸」
「……嘘って……何…それ………」
「嘘じゃないか」
きつい口調で遼は再び伸の言葉を遮った。
「いつもいつも、そうやって誤魔化して、何でもないって言って……そんなのあり得ないだろう。現にこの間だって……」
遼が真っ直ぐ伸を見た。
「オレだってバカじゃない。見たら分かるよ。お前達、あれが初めてじゃなかったってことくらい」
「…………!!」
答えるべき言葉を見つけられず、伸は絶句した。
「あ……ごめん伸……そうじゃなくて……」
慌てて遼は誤魔化すように言葉を濁らせる。
「……ごめん……あの……えと……」
何を言っても言葉が空回りする。遼はとうとう諦めたようにひとつ大きく息を吐き、真っ直ぐに伸を見据えた。
「とにかく、お前が謝ることなんか何もないから。それだけ言っておく」
「遼……?」
「だから……」
しばらくじっと伸の顔を見つめていた遼は突然泣きそうな表情でくしゃりと顔を歪めた。
「やっぱ駄目だ……」
「……え?」
「伸……オレ、子供だから、頭ん中整理するのに時間がかかるんだ」
「……え……?」
「本当は分かってた。オレ、ちゃんと知ってたんだ。でも……心のどっかではまだ間に合うって、まだ大丈夫って、まだオレにも希望はあるって……そんな甘いこと考えてた」
「…………」
「とっくに決着はついてたのに……知らないふりして、気付かないふりしてただけなんだ」
「…………」
「だから、ビックリしたけど、意外じゃなかった。知ってたから。知らないふりしてただけで、ちゃんと知ってたから……だから……」
泣き出すかと思ったのに、遼は反対に笑顔を見せた。
「だから……お前が気にすることなんかないんだ。ホント……全然、気にすることなんか……」
遼の視線が伸の唇の上で止まった。
「……だけど…………」
言葉が途切れる。
遼の表情が苦痛に歪む。
「……遼……?」
「…………」
「……遼? 大丈夫?」
遼のあまりの苦しげな表情に、思わず駆け寄ろうとした伸の手を遼は力任せに振り払った。
「触るな!」
「…………!?」
大きく肩で息をしながら、遼が伸を睨み付けた。
「オレに……触るな……駄目だ……」
遼の目尻がほんのりと赤く充血していた。少し身体も震えているように見える。伸は小さく息を呑んだ。
「遼、もしかして熱があるんじゃないの? そうだろ。具合悪いんじゃ……」
「来るなよっっ! 伸!」
具合が悪いのなら話は別だ。伸は、はねのけようとする遼の手を逆に取り、額に手を当てた。
「……やっぱり……」
遼の額はかなり熱かった。昼間、ふらついていた理由もこれで分かった。
いくら最近、顔を合わすことが少なかったからといって遼の体調の変化に気付かないでいたなんて。何をやっていたのだろう、自分は。
伸は遼をベッドに座らせようと肩に手を置いた。熱の所為で寒いのだろうか。遼の身体は小刻みに震えていた。
「駄目だよ、遼。具合悪いならちゃんと言わなきゃ。そうだ、僕、どこかで解熱剤を調達してくる……」
そう言って背を向けようとした伸の手を遼が無言で掴んだ。
「…………?」
どうしたのだろうと伸が振り返る。
遼は伸の腕を掴んだまま無言で伸を見上げている。
何も言わない遼の顔を、伸が心配そうに覗き込んだ。
「……遼……? どうし……」
最後まで言葉を綴らないうちに遼が掴んでいた伸の手を思い切り引っ張った。
「……うわっ」
そのまま伸の身体が遼のベッドの上に投げ出される。
予測していなかった遼の行動に驚いて伸が身体を起こそうとしたとたん、覆い被さるように遼が上から伸を抱きすくめた。
「り……遼!?」
伸の抵抗を押さえ込むように、遼は真上から体重をかけ、伸の動きを封じると、首の後ろに腕をまわし、伸の肩口に顔を埋めた。
首筋にかかる遼の息はかなり熱い。伸を抱きしめる腕の力も相当なものだ。
そんなに体格に差があったはずはないのに、どうしても遼の腕をはねのけることが出来ず、伸は焦って遼の下で身体をよじった。
「遼……どう…し……」
遼は伸を抱きしめたまま、そっと伸のうなじに唇を這わせる。ビクンッと伸の身体が硬直した。
「…………!?」
遼の手が伸のシャツのボタンにかかる。
声を発することも出来ず、伸は遼に組み敷かれた形のまま大きくあえいだ。
やはり息が出来ない。
呼吸の仕方が思い出せない。
見開いた目尻から涙がこぼれる。
「……ぁ……」
本気で嫌だと思ったら返り討ちにできるなんて、そんな自信は粉々に砕け散った。
遼は無言のまま伸のシャツのボタンをはずし終わると、胸をはだけさせた。そして、空気にさらされた白い肌にそっと頬を寄せる。
「…………」
直に当たった遼の頬はやはりとても熱くて。胸が火傷しそうだった。
遼がそっと顔をあげて伸を見つめた。伸もそのまま遼の目を見つめ返す。
ゆっくりと遼の唇が伸の唇に近づいてきた。伸は身動きも出来ないまま、じっと遼を目で追いかける。
そして、触れる寸前、遼の動きが止まった。
必死で衝動を押し殺そうとしているのか、遼の表情が苦痛に歪む。
「…………」
やがて、ゆっくりと遼は伸から離れて顔をあげた。
「……ごめん。やっぱ征士に部屋替わってもらうよ。このままお前と一晩一緒にいたら、オレ、何しでかすか分からないから」
「遼……」
ようやく伸の口から掠れた声が出た。
「ごめん……」
遼の目が潤み、一粒の涙が堪えきれずこぼれ落ちた。
「本当に……ごめんな……伸」
こぼれ落ちた涙が伸の頬の上で弾ける。
「ごめん……」
もう一滴。落ちた滴は伸の頬を伝わりシーツを濡らした。
「ごめんな……」
もう一滴。
遼の目から、涙は次々とこぼれ落ちてくる。
「ごめんな……」
「…………」
「本当に……ごめん……伸……」
何も答えられず、伸は、ずっと謝り続ける遼の顔を見上げていた。

 

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