マーメイド−人魚姫の恋−(20)

少し雲は多かったが、なんとか雨にはならなくてすみそうな天気。
伸達が2泊3日の予定で海へと出発した日の朝はそんな感じの天気だった。
朝一のバスに集合し、海岸へと向かう。
到着後は先日撮り逃した海辺での撮影を行い、そのまま早めに就寝。そして、夜中3時過ぎに起き出して、嵐の場面の撮影に入る。朝日が昇りきった後は、休憩を挟んで、再度撮影。
翌日の撮影は、まどかのアップを中心としたコマ撮りと、砂浜に打ちあげられた後の王子と姫(まどか)の場面などを中心とする予定。
予備として、翌日の夜から明け方。そして、最終日の昼。
この3日間の行程で、今回の人魚姫の約70%の撮影を行う予定なので、いやがおうにも崎谷達の顔には緊張が走っていた。
それなのに。
「聖さんが来ない?」
伸の問いに力無く崎谷が頷いた。
「そうなんだ。なんか今朝また急に予定が入っちまったとかで」
「ごめんなさい」
隣で聖香が済まなさそうに頭を下げた。
「あ、いや如月さんが謝ることはないよ」
「でも……私も、今朝までは何も聞いてなくて。てっきり兄さんも朝から来られるものだと思ってたのに……」
「仕方ないよ。色々忙しい人だし。昨日の室内撮影の時はちゃんと顔出してくれたんだけど、また今日に限ってってのがなあ……」
「え?」
伸が少し驚いたように崎谷に顔を向けた。
「聖さん、昨日は来てたんだ……」
「ああ、しかも撮影が終わった後の編集まで付き合ってくれたじゃんか。結構遅い時間になったんだけど。って、そうか昨日は逆に毛利が居なかったんだ。すれ違いだな」
「…………」
すれ違い。それは偶然なんだろうか。それとも聖の意志か神様の悪戯か。
あの例のはぐらかすような笑顔が伸の頭の奥にちらついた。
「あ、バスだ」
誰かの声に顔をあげ、伸は崎谷に促されて海岸行きのバスに乗り込んだ。
伸から少し離れて立っていた遼は、相変わらず伸と目を合わさないまま、そそくさとバスの最後尾に乗り込む。征士もそのまま遼の後に続いて、同じく最後尾に腰を降ろした。
全員が乗り込んだと同時に、ゆっくりとバスが発進した。

 

――――――「はい。あ、おはようございます」
バスに乗ったとたんにコール音を鳴らしたのは崎谷の携帯だった。
伸の隣の座席で短い会話を交わし、ピッと音をたてて通話を切ると崎谷はやけに嬉しそうな顔を伸に向けてきた。
「毛利、喜べ。聖さんやっぱり夜には合流してくれるってさ」
「……え?」
「今日の昼間の撮影は無理っぽいけど、夜には行くから嵐の場面は参加できるってさ」
「…………」
微妙に言葉を無くしている伸の様子にも気付かず、崎谷はそそくさと今日明日のタイムスケジュール表を取り出した。何をするんだろうと伸がちらりと覗き込むと、崎谷は赤ペンのキャップを口にくわえ、撮影の順番を大幅に入れ替える為の線を引き出している。
「……崎谷?」
「ああ、せっかくだから撮影順を変更しようと思って」
「どこをどう変更するの?」
「んなの決まってるじゃないか。お前の場面は全部夜から明日にかけての撮影に持ち越し。今日は逆にまどかのアップ中心の撮影に切り替える」
「なんで?」
「そのほうが良い画が撮れるからに決まってるだろ」
鼻歌まで歌い出しつつ、崎谷はどんどんスケジュールを変更していく。途中で、あ、そうだとばかりに斜め後ろの席に座っていたまどかに声をかけ、撮影順の変更を説明しだした。
「ちょ……ちょっと……崎谷!」
「なに?」
身を乗り出してまどかに説明していた所を呼ばれ、崎谷は多少無理な体制で伸を振り返った。
「何かあるのか? 毛利」
「あのさ、別に聖さんの参加に合わせて撮影順を変更する必要なんてないんじゃない? それに、そんなの急に変えたらみんな大変だろう?」
「私は別に大丈夫よ」
にっこり笑ってまどかが崎谷の肩越しに伸に答えた。
「伊達君には私から話しておくし。問題なし」
「おし、じゃあよろしくな、まどか」
「了解!」
軽く手を振り、まどかは伸の止めるのもきかず、最後尾に座る征士のもとへと向かった。
駆け寄ってくるまどかに征士と遼が顔をあげる。ほんの一瞬、遼と伸の目が合った。
「…………」
やはりすっと視線を逸らし、遼はすぐにまどかのほうへと目を向けた。
諦めたように小さくため息をつき、伸も自分の座席に座り直す。隣で崎谷は書きかえたスケジュール表を手際よくたたみだしていた。
「何、不満か?」
ちらりと伸をみて崎谷が聞いた。
「そういうわけじゃないけど……聖さんは嫌がるんじゃないの?」
「は? 何で?」
本気で分からないといった表情を隠すこともせず、崎谷は素っ頓狂な声をあげた。
「理解不能。なんであの人が嫌がるんだよ。むしろ歓迎する。だろう?」
「……どうだか」
「…………?」
崎谷は多少気遣う口調でそっと伸に話しかけた。
「……お前、聖さんと何かあったのか?」
「…………」
伸は無言で首を振った。
「だったらなんでそんなこと言い出すんだよ。お前変だぞ」
困ったなあといったふうに崎谷は座席に座ったまま腕を上にあげて伸びをした。
「とにかく、お前の画は全部あの人に任せるの。それが一番いいんだよ」
「この間、あまり頼らないで自分達の手でやらなきゃとか言ってなかった?」
「言ったよ。だからまどかの場面は全部オレが撮る。でもお前の人魚は聖さん担当」
「どうして?」
「どうしてって、お前こそ何抵抗してんだよ。そっちのほうが意味不明」
「…………」
伸が唇を噛むようにして俯いてしまったので、崎谷はどうしたものかと思案しつつポリポリと頭を掻いた。
「あのさ……お前が何を気にしてるのか知らないけど、オレは一応、今回の企画を成功させるためのより良い方法を取ろうと思ってるだけなんだよ。そこんところ理解しろよ」
「だから、そのより良い方法っていうのが、どうして…………」
「どうしても何も……すごいって思ったんだからしょうがねえだろ」
何故か少し照れたような顔で崎谷はにやりと唇の端をあげた。
「うまく言えないんだけどさ。実はオレ、聖さんの撮ったお前の写真見たとき、すげえ鳥肌たったんだ。んで、なんでか赤面したんだ」
「え?」
いきなり何の話だと、伸は顔をあげて崎谷を見た。
「映ってるのは毛利なんだよ。それは間違いないはずなのに。何か、まるで初恋の相手を見てるような気になったっていうか……」
「何? それ」
「だからうまく言えないっつったろ。ただ、すげえ、やべえ気がしたんだ。頬が急にかーっと熱くなって、うわぁって思って」
「…………」
「確かに綺麗だよ。男にしとくにゃ惜しいなあってくらいには。でも、だからってオレ、別に男相手に欲情したことなんかねえし、お前はお前だし……でもさ」
「…………」
「なんか、そんなのと違うんだ。全然。全然違ってて……」
そう言って崎谷はファイリングしていた写真を何枚か膝の上に広げてみせた。
散らばった写真の中には人魚姫がいた。紛れもない人魚姫の姿がそこにあった。
崎谷はそのうちの一枚を手に取り、伸にも見える角度でしげしげと眺めてみせた。
「なあ、不思議だと思わないか? 写真なんて、結局レンズに映ったものをそのまま写し取ってるだけなんだから、物理的に考えれば同じ時間に同じ所から同じカメラ使って撮れば、どんな写真も同じになるはずなのに、そうじゃない。同じものを撮っていても写す人間によってまったく違ったものになる。それが写真家の腕だったり個性だったりするんだけど、それって、やっぱりその写真を撮った奴の気持ちが、そのまま反映してるから違いが出るんじゃないかなって」
「…………」
「オレはどっちかっていうと映像畑の人間だから、写真のことには詳しくないけど、でもオレが思ったことは間違ってないと思う。んで……思ったんだ……聖さん、お前のこと……」
「………え…」
思わず見つめ合う形になってしまい、崎谷は慌てて伸から視線を逸らせた。
「あ、悪い。オレ。……何言ってんだろう……変なこと言ってるよな。何でもない。忘れて」
「…………」
「とにかく。そういうことだから、あの人が撮るお前の画が一番良いんだよ。オレは監督としてそれだけは譲れない。より良い物を撮れる方法を、オレは常日頃から模索してるんだ。わかったか、毛利」
その後も延々と話し続ける崎谷の言葉を聞き流しながら伸は窓の外へと目を向けた。
口を開いたらなんだかとんでもないことを口走ってしまいそうな気がして、伸はぎゅっと唇を噛みしめた。

 

――――――無事バスが海岸に到着し、皆は大荷物を抱えて降車を開始した。
泊まりがけの為の各自の荷物に加え、各種撮影機材。レフ版、衣装。
すべての荷物をおろすと、これが案外量があり、皆とりあえず各自の荷物を肩に背負ったまま、それぞれ別の荷物も1つは抱えて海岸脇に立てる仮設テントの予定地へと歩き出した。
この作業はスタッフだけでなく、もちろんキャストも手伝わなければいけないので、伸も征士もなにかしらの荷物を抱えて歩き出した。
何となく並んで歩き出した二人の前を遼が同じように大量の荷物を抱えてよたよたと歩いているのが見え、伸は一瞬強ばったように立ち止まった。
「どうかしたのか? 伸」
征士が不思議そうに振り返る。
「あ、ううん、何でもない」
ここ最近の征士の様子はいつもと何も変わらない。ということは、遼はあのことを誰にも話してはいないということなのだろうか。
「ねえ、征士……」
「なんだ?」
「バスの中で遼、何か言ってた?」
「何か……とは?」
「あ、いや、別に何でもないんだけど。ちょっと最近の遼、元気ないなと思って」
適当に誤魔化してみる。
「……そうだな。少し調子は悪そうだったかもしれない。なにせ最近は食事時間もほとんど取らずに駆け回っている状態だったからな」
「そう……だね」
そうじゃない。
伸は抱えた荷物に隠れるようにため息をついた。
遼は伸と口をきこうとしない。それどころか目も合わせようとはしない。最近は、朝食も夕食も時間をずらして一緒に食べることを避けているだけなのだ。
伸の目の前で遼がまたふらりとよろけ、とうとう倒れ込んだ。
「……遼! 大丈夫?」
我慢できなくなって伸は遼の近くに駆け寄ると、荷物を一旦置き、遼に向かって腕を伸ばした。
「……伸?」
遼が顔をあげて伸を見た。久しぶりにちゃんと間近で目が合ったような気がする。
ほっと息をついて、伸は遼の身体を支えようと、伸ばした腕を遼の背中に回そうとした。とたんに遼がパシッと伸の手を払いのける。
「…………!?」
「あ、ごめん」
遼が謝った。
「大丈夫。一人で立てる」
そう言って遼は伸の手を借りずに立ち上がると服についた砂を手で払い落とした。
「悪い……伸。頼みがあるんだ」
「……何?」
「しばらくオレに触らないでくれ」
「…………!?」
あまりにもはっきりと言い切られた拒絶の言葉に伸が言葉を無くして立ちすくんだ。
「あ……ごめん……違う……お前が悪いんじゃなくて……そうじゃなくて……オレ……」
「遼、大丈夫か?」
二人の様子を気にしてか征士も遅れて伸達のもとへと駆け寄ってきた。
「ごめん二人とも。心配しないで。オレは大丈夫だから」
そう言うと、地面に落ちた荷物を拾い上げ、再び遼は伸に背を向け歩きだした。
「遼……」
さっきまでは何度もよろけそうになっていたはずなのに、遼はもう転ばなかった。
伸は力つきたように砂浜にしゃがみ込んだ。
息が苦しい。
本当に、息苦しくて仕方なかった。
自分はきっとそのうち、地上での呼吸の仕方を忘れてしまうのではないだろうかと、ふとそんな気持ちになった。

 

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