マーメイド−人魚姫の恋−(16)

今日は海での2回目の撮影予定日だというのにやはり聖は姿を現さなかった。
新しく出来た用事の方に追われているのか、他に理由があるのかわからないが、最近の聖の出席率はすこぶる悪い。今朝も崎谷の所に「今日はパス」という連絡が入ったということだった。
そして、家を出る直前、崎谷からの電話で伸がその報告を聞いたとたん、空模様が怪しくなった。
「おい、崎谷。今日の天気、ちょっとヤバくねえ?」
映研部員のひとりが集合場所である学校の校門前に走り込んできて、そう崎谷に声をかけた。
見上げると、確かに空一面どんよりとした雲に被われており、今にも雨が降りそうな予感がする。
「うーん」
腕を組んで空を見上げる崎谷の表情が曇った。
「しゃーない。今日の撮影は中止だな」
残念そうに崎谷が宣言した。このまま出発して、海に着いたとたん大雨にでもなったら交通費の無駄だ。崎谷の判断は正しいだろう。
仕方がないと崎谷が撮影中止を告げると、集まってきていた映研部員達は部室から運びだしてきていた撮影道具を片づけにはいった。
「またスケジュール組み直さなきゃ。今日はごめんな毛利」
スケジュール帳を見ながら、崎谷が伸にすまなさそうに頭を下げた。
「ううん。僕の方こそごめん」
「……え?」
伸の謝罪の言葉に崎谷がきょとんと目を丸くする。
「何でお前が謝るんだ?」
「え? あ、そうか……そうだよね」
曖昧に笑みを浮かべ、伸は肩をすくめた。
雨。
なんとなく天気が崩れる気がしていた。今日も聖がいないというのを聞いたとたん。
だから、きっとこの今日の天気は半分自分の所為なのだろう。
伸がため息ともつかない息を吐くと、隣で征士が神妙な顔をして、頭上に広がる雨雲を見上げていた。
「……すまない、伸」
独り言のように征士が呟いた。
「……え?」
意味が分からず、伸が征士の顔を覗き込む。
「征士? 何? どうしたの?」
伸の声にはっとしたように振り返り、征士は慌てて頭を振った。
「何でもない。あ、えと、今日の撮影が中止ということなら、これからのスケジュールはどうなるのですか? 崎谷部長」
征士の質問にスケジュール帳とにらめっこをしていた崎谷がうーんと唸って顔をあげた。
「とりあえず、今日は2人ともオフだな。様子を見て、明日からは先に室内で撮れるところを先行して撮っていくことになると思う。王子は撮影順が前後するんでやりにくいかもしれないけど、まあ許してくれ」
「それは大丈夫です。信頼してますから」
もともと撮影経験など皆無であった征士なのだ。どういった形で撮影が進もうと、それが映画撮影と言うものなのだと思えば、それによって戸惑うということもない。
「問題は……海だな。こうなったら、嵐の撮影予定の期間にまとめて撮るか。さすがにその日は聖さんにも参加して欲しいから、早めに予定言っておかないと……」
「…………」
確かに、今の状態では、聖の参加は危ういかもしれないと、伸は小さくため息をついた。
「崎谷部長。すいませんが、本日の撮影がオフということなら、私はこのまま道場へ顔を出してきたいのですが構いませんか?」
やけに思い詰めた口調で征士が言った。崎谷は、それはもちろん構わないがと征士の言葉を了承する。
撮影に付き合わせてしまっているため、征士の本業である剣道の稽古がおろそかになってしまっているのは、崎谷としても心苦しいことではあるのだ。
「すいませんが、では失礼します」
一礼すると、征士は足早に剣道場へ向かって駆けだした。
「ちょ……ちょっと征士」
何だかまるで逃げるように背を向けた征士に伸が思わず声をかける。
征士は伸に背を向けたまま一瞬立ち止まった。
「……何か? 伸」
「あ、いや、何でもない……いってらっしゃい」
「…………」
小さく頷き、征士は今度こそ剣道場へと駆けだした。
ぽつりと、最初の雨の一粒が地上に降り注ぎ始めた。

 

――――――「一本! それまで!」
道場内に凛とした声が響く。
ふうっと息を吐き、征士は面をとると額の汗をぬぐった。そして、そのまま道場の隅に行き、疲れたように壁に身体を預ける。
部活動に参加する時間が減っても身体が鈍らないようにと、毎朝の素振りはいつもより多めに行ってきた。でもやはり、ひとりでする稽古と、相手のいる対面稽古とでは感覚が違うのだろうか。
「どうした? 伊達。不満そうだな」
征士を相手に立て続けに3本取った現剣道部部長である鷹取が、にやりと笑いながら征士の隣にドカッと腰を降ろした。
「別に……自分の不甲斐なさに腹を立てているだけです。不満ではありません」
「そっかそっか……」
珍しく拗ねた口調の征士を見上げ、鷹取が更に可笑しそうにククッと笑った。
「まあ、あんまり拗ねるな。とりあえず座れよ。今日の稽古はこれで終わりだから」
自分の隣の床をトントンと叩き、鷹取は征士に座るよう促した。
「にしても、今日は撮影の方に参加するから休みだとか言ってなかったか? 予定変更ってことか?」
「今日は本来、外での撮影の予定でしたから……」
「ああ、雨天中止ってことか」
剣道場の窓に当たる雨粒を見上げて、鷹取はなるほどなと頷いた。
「でも、だったらそのまま身体休めていればよかったんじゃないのか? 疲れるだろう。こっちは今日の休みはすでに受諾してるんだから無理して出てこなくもよかったんだぞ」
「いえ……休んでいる気にならなかったもので……これは自分に対する戒めです」
思い詰めたような表情で征士は持っていたタオルに顔を埋めた。
「戒めねえ……また大袈裟だなあ、お前さんは相変わらず……」
征士はタオルに顔を埋めたままズルズルと鷹取の隣に座り込んだ。
「どうした? 撮影が上手くいってないのか?」
鷹取は伺うようにちらりと横目で征士を見た。
「撮影はなんとかなってます。映研部の方が頑張ってくださっているので」
「だったら何も悩むことはないだろう」
「……でも」
「…………?」
征士が自分の膝を抱え込んだ。
「恐らく、今日の雨は私の所為です」
「……は?」
「…………」
首を傾けて、鷹取は征士を見つめた。征士はそのまま先の言葉を続けず、黙って膝を抱え込む。
ふーっと息を吐き、鷹取は征士から視線をはずすと壁に頭を預けて、道場の天井を見上げた。
「何かよく知らないけど、あまり思い詰めるなよ。考えてもどうにもならないことってのはあるもんだから」
「……どうにもならないこと?」
そっと征士が顔をあげた。
「教えてください。どうにもならない時は、どうすればいいのですか?」
「何もしなくていいよ」
「だが……!」
「あまり思い上がるなよ。伊達」
不思議と強い口調で鷹取は征士の言葉を遮った。
「自分の力を過信するな。お前にだって出来ないことはある。もちろんオレにだってある。だから、そういう時は、ただ黙って見てろ」
「…………黙って……?」
「そう。そうすれば、いつかすべての物事はあるべき所に還っていくものだ。そして、お前の力が必要な時がくれば、それはおのずと分かるものなんだ。それを感じた時、お前はそのまま思ったまま行動すればいい」
「今は、その時期ではないと……」
「ないんじゃないか? オレはそう感じたけど」
やけに優しい笑顔で鷹取は征士を見つめた。
「少なくとも、自己嫌悪に陥って焦ってるお前は、らしくないぞ」
「…………」
くすりと笑い、ほんの少し遠慮がちに手を伸ばすと、鷹取はそっと征士の黄金色の髪を梳いた。
「それに、オレはお前に惚れてるから、お前にも自分のことを嫌ってなど欲しくないな」
「え…………?」
驚いたように征士が目を丸くした。
「そんなに驚いた顔するなって。別に深い意味はないよ。オレは別に太陽君と張り合うつもりはないから」
「……なっ!?」
かあっと征士の頬に朱が走る。鷹取はそれを可笑しそうに見つめ、肩を震わせて笑い出した。
「やっぱ面白れぇ。お前って」
「た……鷹取先輩……!?」
「そういう所に惚れちまうんだよなぁ……まったく。自覚症状のない奴はこれだから始末が悪い」
そう言って鷹取は笑い続ける。その笑顔が何故か眩しくて、征士はすっと目を細めた。
「…………」
もしかしたら、そうなのかも知れない。
なんとなく。
なんとなく、初めて分かったような気がした。
伸の気持ちと、聖の気持ちと。
そして、自分の気持ちが。

 

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