マーメイド−人魚姫の恋−(15)

「お、来た来た。毛利! こっち」
海での撮影を行った翌日、崎谷に呼び出されて伸は学校のパソコンルームに出向いた。
今日は撮った写真や動画をパソコンに取り込んで編集をするのだと崎谷が言っていた通り、パソコンルームには崎谷達映研部の部員含め、編集協力を申し出てくれていたPC部の部員達がいた。
「ほら、これ」
崎谷は伸の腕をひっぱりPCデスクまで連れてくると、19インチの画面に映し出された人魚姫の映像を指差した。
広大な海と降り注ぐ光の渦。1匹の魚が空を切り、それに重なって伸の演じる人魚の尾ひれが画面を横切った。跳ねる水飛沫はまるで生きているようで、波の狭間に見える人魚の姿はまるで水飛沫と遊んでいるように見える。
予想していたよりも凝った画面。まさかここまでのものが仕上がってくるとは思わず、伸は単純に感心して食い入るように画面を見つめた。
「へえ〜すごい」
「だろう?」
嬉しそうに崎谷が頷く。
「なんか自分じゃないみたいだ」
「何謙遜してんだよ。お前だからここまで撮れたんだって、みんな言ってるぞ」
伸の人魚姫姿に大満足の笑みを浮かべて崎谷は嬉しそうに笑った。
「想像してた以上に良い出来になりそうで、もう今から大興奮だよ、オレ」
波に揺られながら夕陽を見つめる人魚姫。最終的にはここにまどかの演じる姫の横顔を淡く重ねて加工するのだと崎谷が説明をしていると、画面が切り替わり、再び波間を泳ぐ人魚姫の姿が映し出された。そして、そこに重なるように伸の人魚姫がかなり大写しで画面の中央をゆっくりと横切った。
「これ……」
「ああ、とりあえずの処置として一旦毛利の姫のアップで加工してみたんだ。最終的には差し替えになるんだけど、でも、これはそのまま使いたいくらい綺麗なんだよなぁ……」
ため息ともつかぬ息を吐き、もったいなさそうに崎谷が言った。
「だから、特別オプションで全部毛利で作った人魚姫オンリー版も作ってみようかと」
「却下」
すかさず言い放ち、伸はじっと画面に映る自分の姿を見つめた。
綺麗で儚げで、本当にこれは自分なのだろうかと思うほど、画面の中にいる人魚は人魚にしか見えなかった。風になびく髪も、波の合間から見え隠れする白い腕も、光に反射している鱗の艶も。本当に人魚がそこに存在しているかのような錯覚を覚える程だった。
そして、何よりも一番人魚に見えたのは、重ねて加工された静止画。取り込まれた写真の画像だった。そう、加工された画面には、写真もかなり多用されていたのだ。
「……これ、誰が撮ったと思う?」
伸の心を読んだかのように崎谷がそっと聞いてきた。
「誰って……」
もう一度見つめ直す。何故だろう。遼ではない。そんな直感がした。
「これだよ。その写真」
崎谷の後ろから、遼が1枚の写真を伸の目の前に掲げて見せた。
「……遼?」
「これが気になったんだろ、伸」
遼が手渡してくれた写真は、確かに伸が一番目を惹いた写真だった。パソコン画面ではなく実際の写真を手に取ると、更にその画がすごいものなのだと実感出来る。
「それ、聖さんが撮ったやつだよ」
遼が言った。やっぱりそうだったのだ。これが聖の目を通して見えた人魚姫だったのだ。
「聖さんが……?」
「そう」
伸はそっと聖が撮ったという人魚姫の写真を指でなぞってみた。
あの時の写真だ。痛いほどの視線を感じたあの時の。
あの時、聖は自分をこんなふうに見ていたんだ。人魚として。
『人魚姫』
そう囁く声も、指示をする声も、すべてはこの画の為。やはり聖の中にあるのは「人魚姫」なのだと、なんだか改めて思った。
「あ、えと……そういえば、今日聖さんは?」
心の中に湧いた感情を誤魔化すように伸は顔をあげて教室内をぐるっと見渡した。
今、この部屋にいるのは遼と伸と崎谷。あと数名の映研部員とPC部員。いつもだったら必ず来ているはずなのに今日は聖の姿がなかったのだ。
伸の質問に、崎谷は、そう言えばと、伸だけではなくその場にいた映研部員達にも聞こえるように大きな声で言った。
「そう言えば、ちょっと報告があるんで聞いてくれ。まず聖さんは今日は休み。っつーか、何か急な用事が入ったとかで、これからは今までみたいに顔出せなくなりそうなんだって」
「え……?」
聖が来ない。
昨日はそんなこと一言も言っていなかったはずなのに。
伸の表情が一瞬暗くなったのに気付き、崎谷は不満気に口を尖らせた。
「何だよ毛利。んな顔するなよ。お前、オレ達だけじゃ信用出来ないのか?」
「そ、そんなことないよ……」
「大丈夫。いくらなんでも完全にこの企画から手を引くわけじゃないみたいだし。それにさ……ちょっとオレ達、聖さんに頼り過ぎてたと思うんだ。そこんところは反省しなきゃと思って」
「…………」
「だから、今後の撮影計画は映研部を中心に組み立てる。せっかく色々教えてもらえてたんだから、頼るだけじゃなくオレ達の手で活かして行かなきゃいけないと思うんだ。みんなもここらでひとつ気を引き締め直して欲しい。何と言ってもこの企画はオレ達の企画なんだから」
バンバンと伸の背中を叩き、崎谷は安心させるようにニッと笑ってみせた。

 

――――――「聖さんが参加出来ない?」
遼の報告に、征士はひどく困惑した表情で詳細を問いただしてきた。
「それは今後一切参加しないということなのか?」
「そうじゃないらしいけど……ちょっと先の予定がたたなくなったって」
「…………」
複雑な表情で征士は視線を泳がせた。
「結構みんな寝耳に水状態でびっくりしちゃって。やっぱり征士も何も聞いてなかったんだ」
「それはそうだろう。お前達が知らないことを、私が何故知っていると思ったのだ」
「だって昨日の撮影の後、征士、海岸で聖さんと話し込んでただろう。その時何か言ってたのかなって思って」
「…………!」
ほんの僅か、征士が息を詰めた。
「何でだろうな……聖さん、今回の企画、すごく気に入ってたみたいだったのに」
「い……いくら気に入っていても他に用事が出来たというならそれは仕方ないことなのではないか?」
「うん……そうなんだけどさ。やっぱちょっと残念」
そう言い残し、遼は明日の準備をするためにと部屋へ戻っていった。
一人残った征士は大きくため息をついて居間のソファに深々と身体を埋めた。
天井を見上げる。出てくるのはため息ばかりだ。
自分は何をしているのだろう。
これは自分が望んだ結果なのか?
そうではない。そうではないと信じたいのに。
「征士、珈琲入れるけど、飲む?」
居間の入り口に立ち、伸が声をかけてきた。征士はソファ越しに振り返り頷く。
「伸」
「何?」
「……聖さんのこと……」
「ああ、遼から訊いた?」
扉にもたれた格好で伸が苦笑した。
「びっくりだよね。突然言い出すなんて。やっぱり彼にとっては高校生の企画なんてお遊びだったのかな?」
「……え?」
「あれだけ毎日来てたのに、突然無理とか言ってさ……本当にやりたかったんなら多少はこっちを優先してくれると思ったのに、そうじゃないってことは飽きられたってことなのかなとか考えたりして……」
「伸……!!」
強い口調で征士は伸の言葉を遮った。伸はそのまま口を閉じて征士を見つめ返す。
「伸……思ってもいないことを口にするな」
「…………」
「……伸……お前は」
しばらくの沈黙のあと、征士がぽつりと聞いた。
「何?」
「……もしかして、お前は、寂しいのか?」
小さく息を吐き、伸はふと笑みをみせた。
「征士、それ考えすぎ」
パタンと扉を閉じ、伸はキッチンへと行ってしまった。
征士は再びソファに身体を埋めて天井を見上げた。
そうなのだ。
決してこんなことを望んでいたわけではない。
ただ。
あと少し。
もう少しだけ、このままでいたかっただけなのだ。
自分の子供っぽい考えに、征士は微かに苦笑をもらした。

 

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